ep26 騎士のギャンブラー(改稿版)
既に日が暮れた頃、ゼノスとゲルマニアは階下の居間へと向かう。
そこには丁度抱えていた農具を下ろす老人の姿があった。歳は六十前後のようであり、短く刈られた髪と髭は白く染まっている。とても頑固そうな出で立ちであるが、見た目とは裏腹に、彼は相好を崩す。
「ただいま、ゲルマニアや。それと……よくぞお目覚めに。我等が英雄、白銀の聖騎士殿。お加減の方はもう宜しいのですか?」
その老人――いや、ゲルマニアの祖父でもある長老は深く頭を垂れ、ゼノスに敬意を示す。
「この通り、もう大丈夫です。手厚い看護を受けて頂き、感謝する」
「いえいえ滅相もない!貴方様には過去何度も救われてきました故、これしきは当然のことです。ささ、どうぞお掛けになって下さい。色々と聞きたい事もございましょう」
お言葉に甘え、ゼノスは近くにある椅子へと腰を下ろす。ゲルマニアは「何か温かいものを入れますね」と言って、お茶の用意をし始める。
長老もゼノスの向かい側に座り、まずは深く深呼吸をし始める。
「ふう、年は取りたくないものですな。今更ではありますが、孫娘のゲルマニアが羨ましく感じますよ」
「……悪いが長老、今は一刻を争う。今は現状を教えて貰ってもいいか?」
「ああ……そうですな。少々長くなりますが、私の知る限りのことをお話ししましょう」
長老はゼノスに対し、ランドリオ帝国の現状を伝え始める。
まずは盗賊のシールカードが城を攻め入り、城を制圧したのは二日前だと語った。この時点で自分が二日間も眠っていたことに驚きを隠せないが、長老は尚も驚愕の事実を伝えてくる。
――リカルド皇帝、そしてその妻になる予定である前皇帝陛下の娘、皇女アリーチェ。
以上二人の公開処刑を、城下町の大広場で執り行うらしい。
「…………ッッ!!長老、公開処刑の予定はいつだ!?」
激しい動揺を露わに、ゼノスは激しい口調で尋ねる。
「あ、明日の夕刻にやるとだけ聞き及んでおります。さ、さきほど盗賊が送って来た書簡によればでありますが……」
明日の夕刻。
ゼノスはこめかみを掴み、歯を食いしばる。ここから山脈の麓まで下るだけでも半日、特に夜間の下山となると更に時間が掛かるだろう。麓から街道に入り、ハルディロイ城まで駆け足で行けば……恐らく一日半以上は費やす。
もしそうならば、とても公開処刑には間に合わない。例え辿り着いたとしても、そこで見るものは血塗れの処刑台、そして無残にも切り落とされた二人の首だけだ。
そしてそれ以前に、ゼノス達には勝てる見込みがない。
あの制約とやらがマルスの手中にある以上、また病魔の餌食にされるだけだ。その危険性を承知で突っ込むほど、ゼノス達は盲目になっていない。
――だがどうする?
ただこうして、指をくわえたまま黙っていろというのか?
「……くそ!」
ゼノスはやり場のない怒りに苦悩し、顔を俯ける。
その様子を見て、長老はそっと言い放つ。
「……お困りのようですな。もし私の想像する通りならば、良い方法がございますぞ」
「……良い方法?」
「ええ。――そうだろう、ゲルマニアや?」
長老は今まで黙っていたゲルマニアへと目をやり、問いかける。
彼女は一拍置き、強く返事する。
「――はい。恐らくこれは、唯一にして絶対の方法であると思います」
自信満々にそう返し、ゲルマニアは隣に座るゼノスへと向き直る。
「ゼノス殿…………私を、騎士のシールカードを使役するギャンブラーになって下さい」
「なっ――」
突然の提案に、ゼノスは思わず声を漏らす。
あの日、虚空に呟いていた言葉。それを彼女は――ゼノスに向けて言い放った。
「貴方ならば、きっとこのカードを受け入れることが出来る。いえ、貴方以外は考えられない。私を使ってさえくれれば、絶対にマルスを倒せます!――だから!」
彼女の熱意に反し、一方のゼノスは複雑な表情を浮かべる。
……嗚呼。確かに今考えられる方法はそれしかない。シールカードの力に対抗するには、それと同じ力を有するシールカードを頼るしかないはずだ。果たして病魔の脅威から避けられるかは定かではない。しかしこれ以外の手段を探す暇はない。
――ゲルマニアを終わりの見えない戦いに連れ出し、力を得る。
だがそれでいいのか?
ゲルマニアはあの時、牢獄の中で共に戦ってくれることを誓ってくれた。
彼女自身は覚悟を決めているようだが、それが彼女の幸せに繋がるのだろうか?……ゼノスはこれ以上、自分のせいで他人を犠牲にしたくない。
ついつい重ねてしまうのだ。彼女の選択した未来と、あの村で命を失った人々のことを。
「……ゼノス殿?」
「悪いゲルマニア。少し……ほんの少しだけでいい。…………ちょっとだけ考えさせてくれ」
今のゼノスに言えることは、これだけであった。
時間が惜しいのは分かっている。ただそれでも……心の整理が必要だった。
「……そんな、でも」
「ゲルマニア、すまんがちょっと買い出しに行ってくれんかの。ほら、いつもお前さんが通っていた商店に」
「え?」
ゲルマニアの言葉を遮るように、長老は唐突に買い出しを頼んできた。
彼の意図を察したのか、ゲルマニアは「……う、うん」とだけ言って立ち上がり、入り口に掛けられた買い物カゴを持って外へと繰り出す。
そして、しばし沈黙の時が流れる。
暖炉の中の薪が弾ける音、外の寒々しい風が窓を叩き付ける音。今この場を支配している音はそれだけであった。
湯気立っていた目の前の茶もすっかり冷えた頃、長老から言葉を紡ぎだしてきた。
「――少しだけ昔の話をしても良いですかな」
「……昔の話?」
「ええ、とはいえほんの二年前の話ではありますが。……あの子がシールカードという定めを負った時からの話ですよ」
そうして長老は、ゲルマニアという少女の記憶を辿り始めた。迷う心に終止符を打たんと願いながら、彼は当時を物語る。
――今から二年前、ゲルマニアはまだ村娘としてここに住んでいた。
天真爛漫なその性格故、彼女は老若男女に好かれていた。一方の彼女にとっても、幼い頃に両親を失っていたためか、村の人全員を家族のように慕っていた。
これまでも、そしてこれからもずっとこの村で生き続ける。ここで結婚し、ここで子どもを産み、戦いも何もない生涯を過ごしていく。――この頃のゲルマニアにとって、それこそが全てであった。
だがそんな未来も、あの日を境に叶うことはなかった。
二年前、ゲルマニアは空から落ちてくる光の物体と衝突し――三日三晩の昏睡から目覚めた時、彼女はシールカードとして覚醒した。
シールカードとして再誕した場合、普通ならそのカードに封じられるはずである。しかし彼女は何故かカードに封じられず、ただ騎士のシールカードだけが一枚、その手に残っていたという。それは今も同様であり、原因は未だ分かっていない。
最初こそ何かの間違いだと考えていたが、身体の変調がそれを否定していた。細身でありながら尋常ならざる怪力を顕現させ、光の源が多い場所では異様な眩暈と吐き気を覚えるようになった。
既にシールカードという存在が周知されているため、その異常な力を見た村民はすぐさま確信した。――あいつはシールカードになったんだと。
それからというもの、ゲルマニアに対する村民の態度は一変した。
関わりたくない一心で彼女を避けるようになり、誰もがゲルマニアを化け物として認識するようになったのだ。もちろん一部の態度は変わらなかったが、およそ大半の人間は恐ろしい対象として見ていたに違いない。
彼女と親しかった友人も、子どものように見守ってくれた隣人も、自分に想いを寄せていた者も、皆が彼女から離れていく。
あの瞬間から、ゲルマニアは生きる意味を失った。
『……どうして私なの?』
彼女はいつも、そんな言葉を漏らしていた。陰鬱な表情を見せながら、いつも神を呪い続けていた。
村の子供達から石を投げられた時、村の婦女子達から陰険な嫌がらせを受けた時、村の男達から直接的に罵倒を浴びせられた時…………いつもいつも、自分の不幸を嘆いていた。
かくして、彼女にとっての転機はその時期に訪れた。
ある晴れた昼下がりの頃、村にしがない吟遊詩人がやって来たのだ。彼は老いぼれていて、見た目も清潔ではなかった。薄汚れたとんがり帽子を被り、よれよれのマントをなびかせ、錆び付いたハープを手に持っていた。当然の事ながら、彼の歌を聞こうとする者はいなかった。
しかしゲルマニアだけは違った。彼女は少しでも癒しを求めようと、村の外れに座っていた彼に、歌を唄ってくれたと頼んだ。
彼は快諾し、自分が最も好む英雄譚を聞かせてくれた。
「……それが貴方様の英雄譚、白銀の聖騎士の栄光を謳ったものです」
「……俺の、英雄譚」
ゼノスはふと、まるで他人事のように唱える。
世間の吟遊詩人が自分の武勇伝を歌にしていることは知っている。だが彼等は直接見聞きしたわけでもないし、大抵の歌は劇的なものとなっている。妙に誇張された部分もあれば、決して存在しない部分もある。だからゼノス含む六大将軍にとって、自分のことを語っているように聞こえないのである。
しかし、吟遊詩人にとってはどうでもいい些末なことだ。
長老の話によると、彼は多くの物語を聞かせてくれたという。その大いなる力を用いて、人々を救い、国を守り、栄光を掴んだ彼の生き様を。
ゲルマニアはそれを聞いて、自分の中で何かが弾け飛んだと言っていた。
自分など到底及ばないほど、白銀の聖騎士は多くの苦しみを味わい、沢山の挫折を経験してきた。しかしそれでも尚、彼は抗い続け、英雄として功績を上げてきた。
とてもかっこよくて、時間の流れさえも忘れるほどに――彼女は彼の英雄に心酔した。
この力を用いて、彼のような英雄になりたい。そうすれば自分を忌み嫌われなくて済むし……何よりも、白銀の聖騎士と共に戦える。彼の力になれれば、きっと自分の力も良い方向に役立つ。
それが、あの日決めた彼女の決意。
長老は知っている。……その願いこそが、今のゲルマニアにとって最高の幸せなのだと。今でも彼女の放った言葉は覚えている。傷だらけになりながら、腫れ上がった顔を輝かせながら、
『おじいちゃん、私強くなる。強くなって、皆に認めてもらって、争いの無い世の中を創りたい!……できたら、聖騎士様と一緒に創りたい』
そう、彼女は強い意思を以て宣言した。
「……」
「如何ですかな聖騎士殿。これでも悩む理由がありますか?」
彼はにっこりと微笑みかけ、暖かいお茶が入ったポッドを見せてくる。もう一杯どうですかという意味だと分かり、ゼノスは慌てて冷えたお茶を飲み干し、もう一杯貰うことにした。
長老自身も暖かいお茶を湯呑につぎ足し、言葉を続ける。
「聖騎士殿――いえ、ゼノス殿。こう言っては何ですが、私は貴方様の下で戦うことこそが、今のゲルマニアの幸せに繋がると思っているのですよ」
「……けど長老、俺が戦う相手は並大抵じゃない。それに今回だって、正直勝てるかどうかも分からない戦いだしな」
「ええ、承知しております。もちろん昔のゲルマニアだったら、私は間違いなく止めておりました。けど今は違う。あの子はランドリオ帝国の騎士であり、私もゲルマニアも相応の覚悟はしている」
長老はまっすぐゼノスを見据え、真摯な瞳を向けてくる。
そこには一切の迷いも見られず、どこまでも透き通っていた。なるほど、確かにゲルマニアとどこか似ている。
真面目で頑固で――何よりも自分の意思を徹底的に貫き通す。
まるで今のゼノスが馬鹿のようだ。ここまでの覚悟を持つ者達に対して、何を逡巡している。
ここで選択する道は、もう一つしかないというのに。
ゼノスが恐れていたら、何も始まらないというのに。
「――――」
ゼノスはまだ温かい茶を最後まで飲み、席を立つ。すぐそばのポールハンガーに掛けられた自分の赤いジャケットを羽織り、玄関の戸口へと歩み出す。
「ゼノス殿、どちらへ?」
「……ゲルマニアのとこだよ」
一言だけそう言い残し、ドアノブへと手を掛ける。気持ちが急いているのか、心臓の高鳴りが止まらない。
……すまない、ゲルマニア。悩んでいた俺が馬鹿だった。
そう心の中で反芻させながら、勢いよくドアを開ける。
「――ぷぎゃッ!!」
と、何やら奇妙な悲鳴がドアの向こう側から聞こえてきた。
……ん?
聞き慣れた声だったので、ゼノスは嫌な予感がした。ちょっとだけ開いたドアの隙間から、青ざめた表情で覗いてみる。
するとやはり、戸口の前で仰向けに倒れているゲルマニアがいた。……その額には明らかにたんこぶが出来ていた。
「……うぅ、痛いです」
「……ごめん」
苦笑いを浮かべながら、ゼノスは素直に謝るしかなかったのだった。
ゼノスとゲルマニアは家から出て、そのまま屋根上へと登っていた。
他の家と比べてなだらかな屋根の為、ゼノスは思いきって寝転がってみる。すると満天の星空が視界を覆い尽くし、天然の『プラネタリウム』が完成していた。……まあ、この世界の人間は『プラネタリウム』なんて分からないだろうが。
そんな寒空の下で、ゼノスとゲルマニアは隣り合っていた。
ゼノス自身はここで決意を露わにするつもりだったのだが、
「…………」
ゲルマニアは膨れ面の状態のまま、無言で買ってきたマンゴーをかじっていた。対するゼノスはその雰囲気に圧され、居心地の悪い様子で同じくマンゴーを食べている。自分の為に買ってくれたらしいが、お礼さえも言いづらい状況だ。
さてどうしたものかと悩むゼノスであったが、意外にもゲルマニアから切り出してくれた。
「……痛かったです」
「わ、悪い。まさかあんなタイミングで来るとは思わなくて」
「ふん、どうでしょうか。聖騎士ともあろう方が、気配に気付かなかったとは思えません」
強まるジト目がゼノスを射抜いてくる。
言い返す余地もなく、ただただ気圧されていた。
「……ふふ、冗談ですよ。確かに痛かったのは事実ですが、そこまで怒ってませんから」
「は、はあ」
突然態度が柔らかくなり、ゼノスは終始挙動不審であった。当のゲルマニアとしては、この状況を楽しんでいるようにも見える。
彼女はそっと微笑み、視線を満天の星空へと向ける。
「それで、決心はついたのですか?」
「ああ。まだ不安に思うことは沢山あるし、これが正しい決断なのかは分からない」
きっといつか、この選択を後悔するかもしれない。
ただそれでも、今辿れる道は限られている。分かれ道などあるはずもなく、ゼノス達はただ突き進むしかないのだ。
ゼノスは今の気持ちを、本音を伝える。
「――ギャンブラーになって、このランドリオを救ってみせる。だからその……力を貸してほしい」
満天の星空を見仰いでいたゲルマニアは、強い瞳を以てゼノスを見返す。
そこには揺るぎない、騎士としてのゲルマニアがいた。
「……宜しくお願いします、ゼノス殿。絶対に……絶対にこの国を救ってみせましょう!」
「もちろんだ。ああそれと、俺のことはゼノスでいいよ」
「え、ですが……」
「いやその、殿っていうのは何か堅苦しいからさ。昔からそう呼ばれるのは苦手だったんだ」
ゲルマニアは目をしばしばさせるが、やがて理解に至ったのか、ふっと口端を上げる。
「分かりました。――それではゼノス、さっそくですがこれを」
そう言ってゲルマニアが取り出したのは、一枚のカード。それが騎士のシールカードだということは一目瞭然であった。
シールカードを右手に持ち、彼女は祈るように念を送る。
そこに多くの願いを込めて、決して揺らぐのことない忠誠を誓う。
――果たして思いが届いたのか、シールカードは眩い光を放った。
暗い夜の世界を明るく照らし、ゼノスとゲルマニアの周囲は白昼のような空間に包まれる。とても仄かな暖かさであり、まるで日差しを浴びているような感覚だ。
シールカードはゲルマニアの手から離れ、自らの意思で宙を舞う。
そして何度も横に回転しながら、カードはゼノスの胸元へとやってくるが――
まるで拒絶するかのように、カードは甲高い響きと共に弾かれる。
「きゃあっ!」
「うおっ!」
あまりにも突然な出来事に、二人は仰け反る。
気付けばシールカードはゲルマニアの手へと戻っていて、先程のような光は放っていなかった。
「……失敗、したのですか?」
「い、いや分からない。けどギャンブラーは確か……」
そう言って、ゼノスはマルスを思い出す。
奴は自らの手にシールカードを有しており、それを自在に扱っていたはずだ。通常の例というものは知らないが、もしギャンブラーとなった場合、カードはギャンブラーに譲渡される。
しかし事実問題、カードはゼノスを拒むように弾き飛ばされた。
……失敗?
「――――――ッ」
そう思った矢先、変化は唐突に訪れた。
ドクン、と身体全身が跳ね上がるような心臓の鼓動が聞こえる。
それだけじゃない。ありとあらゆるエネルギーがゼノスの身体を駆け巡り、言い表せない高揚感に満たされる。とても新鮮な感覚?……いやそうではない。初めての体験にも関わらず、ゼノスはこの満たされた感覚を『懐かしい』と感じていた。
――そう、二年もの間忘れていた感覚だ。
「……ゲルマニア、どうやら成功したようだ」
「え……そ、それは本当ですか!?」
「ああ。完全に成功したかどうかは分からないけど、なんかこう……力が溢れて来るんだ」
これは決して偶然ではない。
この出来事を以てして起こった、それだけは事実だと思う。
彼女はそんなゼノスの言葉にホッとし、嬉しそうにはにかむ。
――こうして、二人は繋がった。
これから起こる戦いのために、いつか訪れて欲しい平和のために。
ゼノス・ディルガーナは、騎士のギャンブラーとなった。




