ep16 最強と最恐(改稿版)
城の居館に入るのは、ゼノスにとって二年ぶりとなる。
別館を抜け、緑豊かな庭園と厳かな教会の脇を通り抜ける。すると途端に人の数も減り、使用人と騎士以外はほぼ見かけない。主に皇族が使用するスペースであるからだろう。
他国の王城と比べても、その規模は言わずもがな。この国が歩んできた歴史を知れば、自ずとその理由に納得がいくであろう。
――ハルディロイ城。戦の絶えない国に建設された、ランドリオ帝国の本丸。
ランドリオ帝国の首都『ハルディロイ』は海と山の両方に挟まれ、その環境でも十分に要塞として役目を果たしている。海には湾を切り開いて海上防壁を形成させ、陸側にそびえるロイゼン山の頂上部には常駐騎士部隊を配備させ、内陸部からの襲撃にも万全を期している。
そしてランドリオ最強の防御壁と言えば、ここハルディロイ城だ。
ハルディロイは豪華絢爛を排し、質実剛健を基礎としている。外壁のレンガは北部のマタニティ鉱山から発掘され、建国以前に存在していたと言われる『ヒルデアリアの光魔石』で作られている。幾多の神々が創造したと言われ、その強度はどんな攻撃をも耐えうる。脆くなることもなく、その性質は一万年以上経った今でも健在である。
まさに史上最強の城砦。光魔石が絶滅する四千年以上前までは、戦争で得た富をこの城の増築に費やしたとも言われ、それがこの城の壮大さの所以でもある。
だが内部は至って味気ない。見栄えは良いように塗装はされているが、目立った絵画や調度品もあまり無く、風景画が所々に配置されているだけだった。歴々の皇帝は揃って芸術に興味がなかったのか、それともそうしてはならない決まりがあったのか、それはゼノスの知り得る所ではない。
――それに、全く興味もないしな。
すっかりと調子を戻したゼノスは、そんな飄々とした様子でアルバートの後を付いて行く。
しばらく歩いていると、行き交う人間が全くと言っていいほどいなくなる。二人の靴底の音色だけが反響し、不気味なほどの静けさを物語る。
それもそのはず、今進んでいる狭い回廊は滅多に人も訪れず、主に地下牢獄や宝物庫へと繋がっている。ここで人間を見るとすれば、そういった場所に用事がある者だけだろう。
当然、ゼノス達の目的地はその両者ではない。
地下牢獄へと続く階段を通り過ぎ、宝物庫のある部屋をも無視し、彼等はどんどんと回廊の奥へと向かう。心なしか回廊を照らす蝋燭の灯りも減り、陰気な場所へと変わっていく。
……そして、ようやく辿り着いた。
回廊の突き当たりに存在する、古い観音開きの扉へと。
アルバートは何も言わず、その扉を開ける。同時に地下へと続く階段が姿を見せ、どんよりとした風が漂ってくる。
「行くぞ」
「ああ」
互いにそれだけ言い残し、階段へと足を踏み入れた。
階段を下りて、下りて、下り続ける。初めてこの階段を下りるが、その先に待つものが何であるかは分かる。恐怖や緊張とは違う、また別の感情がゼノスを襲う。
――遺恨という感情が。
「……アルバート、もうすぐで着きそうか?」
「…………そうじゃな」
アルバートは固い表情のまま答える。
その肩は強張っていて、足取りもひどく重い。『戦場の鬼』と言われたアルバートが恐れる理由は、きっとこの先にあるのだろう。
やがて最下層へと辿り着き、もう一つの重厚な観音開きの扉を開ける。
「――――ッ」
迫り来る寒気。いやそれよりも、ゼノスは目の前の光景に瞠目した。
陰気な大部屋に似合わぬ花畑が中央を彩り、なぜだかその周辺だけに光が差している。ある種の幻想を醸し出していて、一瞬の感銘を与えてしまう程に。
しかし、感銘を受ける気はない。ゼノスは瞳を細め、花畑へと目を向ける。
花畑の中にある椅子。そこに一人の少女がいる。
透き通るような白い肌に簡素な無地の服を纏い、異質な翡翠色の長髪を持つ儚い娘。
彼女もまた――ゼノスを見つめていた。
「……久しぶりだね、ゼノス」
乙女は無垢な笑みを見せ、座ったままそう述べてきた。
ゼノスは神妙な態度を取り、彼女の元へと歩んでいく。
「……ああ、久しぶりだな。あれだけ暴れまわっていたお前も、今じゃ籠の中の鳥か」
「ふふ、そうだね。でもそこまで退屈じゃないよ。最近はリカルド皇帝が話かけに来るしね」
その言葉に、ゼノスは眉間に皺を寄せる。
「……何の為に?」
「さあ、なんのためだろうね。リカルドは私の力というよりも、私を誰かの生き写しのように扱ってるっていうのは分かるけど」
「生き写し?」
ゼノスは緊張感を保ちながら述べる。
リカルドが一体何を考えているのかは分からない。奴が貴族出だというのは知っているが、それ以上の経緯は誰も知り得ない。
……だが、重要なのはそれじゃない。
ゼノスは一旦心を整えた後、単刀直入に切り出した。
「――始祖、今日はお前に聞きたい事があって来た。お前を復活させようとしているギャンブラー、マルスについてだが……知ってるよな?」
「……うん。ここ最近、私に語り掛けてくる声があったから。もちろん直接じゃないよ。脳内に響くようにね」
彼女は自分の胸に手を置き、瞳を閉じながら語る。普通ならば有り得ないことだが、この始祖とギャンブラーには常識が通じない。そして彼女の声音から察するに、嘘ではないのだろう。
ゼノスとしても話す手間がはぶける。
「そうか。そのマルスは近いうちに、お前を解放するつもりでいるらしい。けどここには六大将軍もいるし、屈強な騎士団が厳重に管理している。なのに奴は余裕の態度でいたんだ。…………何故だか分かるか?」
ゼノスは剣の柄に手を置きながら問う。
ここで知らないと言い張るのならば、脅してでも吐かせる。そう段取りを決めていたのだが、始祖はあっさりと答えた。
「――彼には罠がある。とても大きな、それこそ六大将軍を圧倒するぐらいの」
「なにッ!?」
声を上げたのはゼノスではない、アルバートだ。
彼は信じられないといった表情で続ける。
「儂は一度たりとて不審なものは見かけておらんぞ。奴がそれを仕掛けているのならば、とっくのとうに気付いて……」
「相手はギャンブラーだよ、アルバート・ヴィッテルシュタイン。しかも隠密とトラップを得意とする盗賊のシールカードのね。幾ら貴方と言えど、見破ることは難しいよ」
「ぬぅっ……」
得体のしれない存在に、流石のアルバートも苦渋の顔を浮かべる、神獣や悪魔、そして神々とは長年戦ってきたが、シールカードという異質な存在はまだ未知数の世界である。始祖の封印と共に現れた奴等は、まだ人類にとって侮れないものだ。
それに、アルバートは力づくでねじ伏せるタイプだ。暗躍する者に対しては相性が最悪であり、彼の出る幕ではない。
自身もそれを理解しているようで、これ以上反論することはなかった。
「その罠っていうのは一体何だ?危険なのは確かだが、罠の正体さえ分かれば何らかの対処は打てるはずだしな」
「……まあそうかもね。でもゼノス、貴方は今回の件についても首を突っ込む気なの?」
その言葉に、ゼノスは表情を強張らせる。
「当たり前だ。一応これも、今所属している騎士団の務めなんでな」
「そうなんだ。……でも六大将軍だったとき、貴方は騎士として役目を果たせたのかな?その常人を遥かに超えた力で」
言われた瞬間、ゼノスの視界は真っ白になった。
強すぎる力、それによって犠牲となった人々、英雄とは程遠い過去の所業。
あの凄惨な過去を思い出し、ゼノスは理解した。そうだ、自分は一体何をやっているんだと。また二年前のような悲劇が起きれば、今度こそ絶望に暮れてしまう。所詮自分には、守る力がないのだと。
始祖はゼノスの葛藤に気付いている。気付いているからこそ……まるで止めるかのように言ったのだろうか。かつてこの大陸を蹂躙し、全ての生命を滅ぼそうとした彼女が。
……確かにその通りだ。一度失敗を犯した自分が、こうしてまた帝国のために働こうとしているなんて……滑稽以外の何物でもない。
しかし、このまま黙って見ていろというのか。
二年前のあの日、ゼノスはこの国を捨てた。けどそれは突発的なものであって、未だに後悔や罪悪感に苛まれている。
アリーチェ様と戦友である六大将軍のために、もう一度戦いたい。
それが嘘偽りのない、ゼノスの本音である。
「…………それでも、今だけはこの国のために剣を振るいたい。お前に言われて、改めてそう言える」
「――そう」
始祖は悲しそうに呟く。
だが誰にも見られないよう、彼女はすぐに調子を取り戻す。
「ならゼノス、急いで『円卓の間』に向かって。そこにマルスは――」
「――マルスが、何だと言うのか?」
第三者の声が響き、ゼノス達は一様に後ろを振り向く。
――そこには完全武装を備えた騎士が数名いて、ゼノスとアルバートにその鋭利な剣を構えてくる。……歓迎されていないのは、見ての通りだ。
今まで傍観していたアルバートも驚き、そして激昂する。
「何じゃお主等は!誰の許可があってこの場所へと」
「――私だよ、アルバート六大将軍。妙に地下が騒がしいと思ってね。こうしてやって来た次第だ」
騎士達の背後から響くしわがれた声、それでいて大いなる威圧を漂わせる音色がゼノスの耳に届いた。
まさか、とゼノスは信じられない気持ちだった。
その声の主は紛れもない――皇帝リカルドだ。
「リカルド陛下。何故このような所へ来たのですか……?心配せずとも、始祖をどうこうしようとは今更思いませんぞ」
「その点に関しては気にしておらんよ、アルバート。――私は単に、そこの不法侵入者を捕えに来ただけだ」
「ぐっ…く」
威光を含んだ視線を真に受け、アルバートは沈黙した。
一方のゼノスは、心なしか落ち着いていた。
厳重な罰則は当たり前だろうと覚悟したゼノスは、作り笑顔で騎士達の前に立ち、リカルドにお辞儀をする。
「……お目に掛かれて光栄です。シルヴェリア騎士団団員、ゼノス・ディルガーナと申します。少々彼に道案内をしてもらっていたのですが、興味本位でここも案内しろと言ったものでして」
苦しい言い訳だが、これ以外の文句は想像もつかなかった。
「……ふむ。このような状況で社交辞令とは、ある意味で大物だな。……いや、諦め、とも言えるか?」
リカルドは意味深に微笑み、鋭い眼光でゼノスを見据える。心の奥底まで見通されるような視線は徐々に強まり、次第にゼノスの感情に変化を及ぼす程となる。
――相変わらず、怖い爺さんだ。
目が笑っていないし、挙句の果てには殺気まで放っている。もううんざりだ。
「いえ、これはあくまで礼儀の基本。皇帝陛下の御前で、どうして無様を見せましょうか?」
「ほう?なら聞こう、ゼノスよ。ここにお前に剣を向ける騎士達がいる。さあ、お前はどうする?」
心理に問いかけるような物言いに、ゼノスは怖じけ付かない。
ありのままを言おう。そう――まるで、
死守戦争前に言い放った――あの言葉のように。
「――罪なき者を斬るつもりはありません」
「……………………そうか」
リカルドはつまらなさそうに呟く。
既にゼノスへと興味を失った彼は、始祖へと歩み寄る。花畑と石畳の境に立ち、そこから始祖へと手を差し伸べる。
「嗚呼……我が娘よ。すまないな、怖がらせてしまったか。何もされてはいないだろうな?」
――娘?
リカルドは一体何を言っているのか。始祖は決して人の親から生まれた存在ではない。
始祖はリカルドをジッと見つめ、ただ沈黙する。
「どうした?父にその声を聞かせてくれ。もうずっと喋っていないじゃないか。……頼むから、またあの元気なお前を見たいのだ」
どう言い掛けても、始祖が口を開く事はなかった。ゼノスから見れば、始祖の表情に若干の悲壮と哀れみが垣間見える。
何度も語り掛けるリカルドであったが、諦めたのか、やがて自分から始祖へと離れていく。
その表情は何とも悲しげで、いつもの威厳は全く感じられない。
「――そうだな、この場に知らぬ者がいれば話す事も出来まい」
マントを翻し、リカルドは部屋の出口へと歩んでいく。
その際に、臨戦態勢となっている騎士達に言い放った。
「……ランドリオの騎士達よ。この不法侵入者を牢屋に閉じ込めよ」
リカルドの有無を言わせない命令に従い、騎士達は即座にゼノスの周りを取り囲み、彼を拘束した。
この程度の包囲と束縛なら抜け出すのも容易いが、ゼノスはあえて抵抗しようとはしなかった。ここで抗っても意味はないし、始祖のいる手前、下手な行動は禁物である。
「ぬうっ!こ、小僧」
「……」
アルバートの苦悶に溢れた声と、リカルドの狂気めいた視線を背に、ゼノスは騎士に連行された。
「……またね、騎士様。いつでも待ってるから」
代わり映えのない始祖の口調が耳に入る。――まるで、また再会できることが分かりきっているかのように。
様々な思いを孕んだ視線を受け、ゼノスは牢屋へと連れて行かれた。