(第一週)ep9 仲直り
「うぅ……足が痛い」
ゲルマニアは疲弊し切っているのか、半ば足を引き摺るように歩きながら、ハルディロイ城へと帰って来た。
夜の帳は下り、城下町にも明かりが灯り始める。住宅街には微かな光が、そして商業区は眩い程の光で包み込まれている。
『帝国の眠り』の期間中、城下町では様々な催しが開かれていると聞く。それは朝昼だけでなく、夜も例外ではない。今も商業区内で何かが行われているのか、昼間以上の活気に満ちている。
――だが、ゲルマニアは浮かれる余裕もなかった。
先程、ゼノスを探して貧困街へと足を運んだが、ゼノスの姿は見えず、結局闇雲に城下町中を歩き続ける羽目になったのだ。幾ら体力に自信があるとはいえ、流石にあの街中を歩くのは骨が折れる。
今はとにかく休みたい。
それが彼女の本音であり、その意思に従うかのように、足は庭園の休憩場へと歩を進める。
庭園は静けさを放っており、人影すら見受けられない。しかし今のゲルマニアにとっては好都合である。
薔薇に彩られた石畳の道を闊歩し、ゲルマニアは庭園の端へと辿り着く。そこは昼間でも人気が少ない場所であり、城下町が一望できる見晴の良い休息場でもある。
故にここは風通しも良く、少し強めの風がゲルマニアの身体を通り過ぎる。風は轟々と吹き、最下の城下町へと流れ行く。
……ゲルマニアは溜息をつき、近くに備えられたベンチへと腰掛ける。
そして手に持っていた茶色の紙袋から、何個かのパンを取り出す。
これが、今日の夕食である。
「はあ……また謝れなかったなあ」
ゲルマニアは誰に言うでもなく、独りでに呟く。
これ以上こんな関係を続けたくない。元はと言えば些細なことから始まったわけであり、正直、馬鹿馬鹿しく思う。
しかし不安はより一層増すばかりで、パンを手に取ったまま、ゲルマニアは虚空を眺め始めた。
―――――――――――コツン。
「いたッ」
ふいに、誰かがゲルマニアの後頭部を小突く。
そんなに痛くはなかったが、その衝撃に彼女は焦って後ろを振り向く。
――そこには、夢にまで見た人物がいた。
「何だ、ここにいたのか。探したよ」
彼――ゼノスは飄々とした態度でそう言い、怠そうな仕草のままゲルマニアの隣へと座る。
……心臓が高鳴る。
あまりにも突然な出来事に、ゲルマニアは返す言葉さえ見つからなかった。外は冷え冷えとしているにも関わらず、顔面が次第に熱くなっていく。
どうしよう、何て答えよう。
もう覚悟は出来ていたのに、一歩踏み出せないでいる。こんな調子では駄目だと分かっているのに……。
「あー……その、何だ。今更ではあるんだが、ちょっと言いたい事がある」
「……はい」
二人は歯切れの悪い口調のまま、一生懸命言葉を紡ぐ。
「パステノンにいた時の件だけど…………すまなかった。ゲルマニアは心配して言ってくれてたのに……どうかしていた」
「いえ、私も短絡的でした。ゼノスは必死に戦っているのに、その気持ちを汲むことさえ出来ませんでしたし……。ごめんなさい」
二人は向き合い、そして同時に深く頭を下げた。
そう、同時にだ。
あまりにも息がぴったりだったので、互いに見つめ合い――くすりと笑う。
「ふふ、ゼノスも同じ気持ちだったんですね」
「そりゃまあ、俺も人間だし。あんなことになったら、どれだけ英雄と称えられた奴でも気落ちするさ」
結局、二人の複雑な想像は杞憂に過ぎなかった。
例えどんないざこざがあっても、彼等の関係が根本から崩れる事は有り得ない。それほど強固な信頼関係を築いており、それを改めて自覚した。
深い安堵に包まれる中、ゲルマニアは持っていたパンを袋の中に戻し、爛々と輝く城下町を見下ろす。
「……ねえゼノス。もうこれ以上の我儘を言うつもりはないけど、絶対に無茶だけはしないで下さいね。貴方が死んだら、それこそ多くの人間が悲しむ。特に身近にいる人達は……余計に悲しむ」
「分かっている。今は一人で戦っているわけじゃないし、大変な時は仲間を頼る」
「それを聞いて安心しました」
ゲルマニアは静かに微笑む。
――しかし、それは現実的とは言えない。
仲間を頼るとは言ったが、ゼノスにとって戦場で頼れる者は六大将軍とゲルマニアだけだ。これから来る敵を考えると、どうしても孤独に戦う場面は出てくるに違いない。
このランドリオ帝国の騎士である以上、それは避けられない運命である。
ゼノスは分かっている上で、そう約束を交わした。不安で押し潰されそうなゲルマニアを守る為に、彼女を安心させる為に。
――何故そう思うのかは、定かではない。
「……あれ、そういえばゼノス。さっきから顔が赤いですけど……大丈夫ですか?」
「顔?……あ、本当だ」
ゲルマニアに指摘され、ゼノスは初めて自分の顔が熱くなっている事に気付く。
「もしかして……風邪でしょうか」
「風邪?まさかそれは有り得ないだろう」
先程の重苦しい雰囲気とは打って代わり、二人は何気ない会話を始める。
関係は元に戻った――と言っていいのだろうか?
二人はしばらく、その場で談笑をしていた。