(第一週)ep3 イルディエの休日
「……なるほど、ゼノスを眠らせないように支えてたわけね」
イルディエはゼノスの隣を歩きながら、納得したように頷く。
ゼノス達はアルバートと別れ、今度はイルディエと共に商業区を歩いていた。商業区とは言っても、現在闊歩している辺りには出店らしきものは見当たらない。代わりに大道芸といった見世物や、色々な展示物が並べられている。
先程よりも人数も多く、すれ違う人間とぶつかりながら歩いている状況だ。
しかしイルディエはそんな事は気にせず、同じくゼノスの隣を行くラヤに視線を向ける。
「えっと、ラヤ?誤解してごめんなさいね」
ラヤはそれに対し、快活に笑いながら答える。
「別に気にしてないって~。……それより聞きたいことがあるんだけど、何でイルディエ将軍は踊り子衣装着てるのさ?いやまあ、いつもそんな感じの恰好なのは知ってるけど、今日はいつにも増して露出が……」
「お前が言うなって……。でも確かに、今日はいつもと違うな。何かやるのか?」
今日のイルディエは腰に巻いている腰巻を取り、肩には薄いヴェールを羽織っている。首と腕には細かい意匠のネックレスとブレスレットを身に着けており、いつもとは恰好が違う。
まあ大体予想できるが、それでもイルディエは答えてくれた。
「ええ。実は今日、ここで踊りを見せるのよ。何でも毎年この日にやってる舞踏コンテストがあるらしくて、それに出て欲しいって主催側に頼まれたってわけ。ふふ、今から楽しみだわ」
イルディエは嬉しそうに、身体を弾ませながら歩く。……その豊満な胸が揺れ、周囲の視線がそれに釘付けになっているのは言った方がいいのだろうか。
じっくり見つめている事に気付いたのか、イルディエがなぜか嬉しそうにこちらを見返してくる。
「な、何だよ」
「べっつに~?ただ、ゼノスも男の子なんだな~ってね」
「子ってなあ……これでも一応、成人なんだが」
とはいえ、まだ二十歳なのは自分でも理解している。成人したとはいえ、まだ自分がそのスタートラインにいるってことは自覚しているつもりだ。
しかしアルバートといいイルディエといい……ちょっと自分を子ども扱いしすぎじゃないだろうか?
「そういうイルディエもまだ十九歳じゃないか。女の子なんだから、そういう過激な衣装はどうかと……」
「あら、これはだって伝統衣装の一つだもの。例えゼノスであっても、かれこれ言われる筋合いはないわ」
「うぐっ……」
ゼノスは二の句を告げなかった。
だがイルディエは、「けどまあ」と付け足して――
「遠回しに言ってるけど、要は周りに気を付けろってことでしょ?心配してくれて有難うね」
彼女は花が咲いたかのように微笑む。
反則だ。反則過ぎる。
そうやって言われてしまえば、もうそれ以上何も言えないではないか。
ゼノスが恥ずかしそうに俯いていると、ふとイルディエは素朴な疑問を尋ねてくる。
「そういえば、ゼノスは何で町に来てるのかしら?今朝まではぐっすり眠ってたのに……何かあったの?」
「いやなに、簡単な仕事が入ってな…………ってイルディエ、俺が寝てたの知ってたのか?」
思えばアルバートも、何故かゼノスが部屋で寝ていた事実を知っていた。別に誰にも話した覚えはないのに。
イルディエはそれを聞き、呆れながら嘆息する。
「大体は予想できるわよ。それに実はね、今日みんなでゼノスを起こそうとしてたのよね~」
「?皆って?」
「ゼノス以外の六大将軍」
ゼノスは一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「……気付かなかったけど」
「ええ、流石の私達もビックリしたわよ。どんな方法で起こそうとしても起きなかったんだもの」
イルディエはその時のことを思い出したのか、彼女にしては珍しく苦々しい表情を浮かべながら告げる。
「あれは七時ぐらいだったかしらねえ。ユスティアラが刀をゼノスの眼前に突きつけても、アルバートがベッドごと持ち上げても、ホフマンが自分のワインをゼノスに呑ませても起きなかったのよ」
「うわあ……」
隣にいるラヤが、まるで恐ろしいものを見たかのように呻く。
ゼノスも顔面が蒼白となり、同時によくそこまでされて起きなかったなと自分で感心していた。もちろん悪い意味で。
「竜帝が咆哮しても起きないし、よっぽど疲れていたのかしらね」
「いやどうだろうな」
確かにパステノンでの一件からそんな時間は経っていないし、事後処理で疲弊していたというのは事実だ。けどだからと言って、そこまでされて起きない事と繋がるだろうか。
恐らくだが、休日だから絶対に起きないぞと念じたせいかもしれない。
「――それで、イルディエも俺を起こそうとしたのか?」
「え?……あ、う、うん。まあね」
何故かは知らないが、唐突に歯切れが悪くなるイルディエ。
余程最悪な起こし方をしたのだろうか?頬を赤らめ、その艶めかしい肢体を若干よじらせながら沈黙する。
熱っぽい視線を向けながら、一生懸命言葉を紡ごうとするが……出ない。
ゼノスが疑問に駆られていると、ふいに横からラヤが口出しをしてくる。彼女は合点がいったように、自分の手の平に握り拳を当てながら言う。
「あ……!もしかしてあれかな?」
「何か知ってるのか?」
「え?ああ、うん……まあ。ちょっと耳貸してよ、将軍」
気まずそうに手で呼び寄せてくるラヤに答え、ゼノスは彼女の耳打ちを聞く。
イルディエは恥辱に我を忘れているようで、こちらが内緒話をしているのはばれていない。
全てを聞き終えたゼノスは、驚きのあまり絶句した。
顔面を真っ赤に染めながら、ゼノスはとりあえずラヤの話を整理する事にした。
彼女によると、それは朝の散歩途中のことだった。
早起きしたラヤは暇を弄ぶために、騎士宿舎を何の気なしに散歩していたらしい。そして勿論、六大将軍たちの住む階層もその範囲内だったらしいが……ゼノスの部屋を過ぎようとした時、彼の部屋から六大将軍たちが退出する場面を見たらしい。
途端に興味が湧き、ラヤはこっそりとゼノスの部屋を覗いたという。
そしたら……こんな場面に遭遇したらしい。
踊り子衣装姿のイルディエが上着を脱ぎ、寝ているゼノスの顔に自分の胸を近づけ――
自分の胸に、ゼノスの顔を埋めさせた衝撃的な瞬間を。
きっと他の六大将軍たちが退出したことで、途端に安心しきったのだろう。ラヤの存在には全く気付いていなかったという。
イルディエは嬉しそうに微笑みながら、甘い呟きを唱え続けていた。
『ゼノス様~、早く起きて下さい~♪』
『何だか新婚さんみたい。起きて、貴方――なんて!きゃ~♪』
『ふふ、やっぱりゼノス様は素敵だなあ。……あ~あ。もし叶うなら、一生側にいたいのに』
ゼノスの顔に頬ずりしながら。
ゼノスの額にキスをしながら。
ゼノスに添い寝しながら。
彼女は――イルディエは普段の態度から想像できない態度と口調で、そう一方的に呟いていたらしい。
ラヤの悪い冗談か?……いや、それは有り得ないだろう。絶対とは言わないが、彼女は多分嘘が苦手だ。言いたい事は素直に言うし、本性を隠す真似もしない。それはラヤとの初対面の時に分かったことである。
つまり、イルディエは本当にそのような行為に及んでいたのだ。
傍から見れば恥ずかし過ぎる行為を……。
(というかイルディエ、本当の性格は昔と変わらないんだな)
薄々分かっていたが、やはりイルディエはいつも無理をして大人びていたんだろう。
…………いやいや、そうじゃなくて。
ゼノスは首を振り、改めてイルディエの方を見つめる。
彼女と目が合い、また湯煙が出そうなほど顔を赤らめる。やはり普段の態度からは想像できない。
何故?――なんて言うほど、ゼノスは朴念仁ではない。
空を見上げ、今はいないラインの言葉をふと思い出す。
『でもねゼノス、これしきで思い詰めてちゃあいけないよ。――案外、ゲルマニアと同じ境遇の人は多いかもよ?』
パステノン王国でゲルマニアと険悪となった翌日、ラインが追い打ちをかけるように放った言葉である。
ゲルマニアはゼノスに好意を抱いている。だがそれは他にもいて、ゼノスの身近に彼女達は存在する。
それが一体誰なのか分からなかったが……たった今、一人判明した。
(――イルディエか)
ゼノスは沸き起こる欲をどうにか律し、冷静に考えていく。
何故自分が好かれているのかを。
思い当たる節は……あると言えばある。数年前、砂漠の町トル―ナで奴隷だったイルディエを救い、そして六大将軍という地位にまで押し上げたのは、紛れもないゼノスだ。
しかしそれは当然のことであり、誰だってすることだろう?
救いの手を差し伸べもするし、能力があればその才能を発揮させようと努めるものである。
――それとも、ゼノスは他の人間と思考が違うのだろうか?
今まで色恋沙汰とは縁遠かったゼノスにとって、神獣と戦うよりも難しい問題であった。
「――あ、着いたわね」
まるで何事もなかったかのように、イルディエが目的地を指差す。
商業区を一望できる丘の上の公園。この城下町で唯一、草木で覆われた緑豊かな地帯である。人々の憩いの場でもあり、広場に次いで催しの会場にもなり得る場所でもある。
ゼノス達が公園へ続く階段を登っていくと、既に公園には多くの人々でひしめきあっていた。
これは全員、その舞踏コンテストを見に来た連中なのだろうか。食べ物や酒を売る出店とかはあるが、下にある商業区とは違い、遊んで楽しめるものは一切存在しない。
……恐らく、コンテストの為だけに用意されたものばかりなのだろう。
それはともかく、整備された遊歩道を進んでいくゼノス達。和気藹々と寛ぐ人々と出くわしながら、やがて開けた場所へと辿り着く。
空は高い木々によって覆われ、木漏れ日がライト代わりになっている公園の奥部。今は朝のはずなのに、その空間だけは夜のように暗い。
点々と設置されている松明に、僅かに差す陽の光だけが灯りとなっている。とても幻想的で、尚且つセンチメンタルな気分にさせてくる。
と、そこでゼノスは中央を見る。
樹齢一万年以上はあったであろう大木の切り株が鎮座しており、そこには幾つかのスポットライトが当てられている(これも多分、竜帝が異世界から持ち出してきたものだろう)。
これがステージか。そしてその横には、これから舞踏行うであろう男女と、既に音楽に興じている演奏家たちが待機している。
ゼノス達は勘客側の方におり、そこには多くの人間で賑わっている。異世界の『ライブコンサート』のようにぎゅうぎゅう詰めではなく、ちゃんと余裕をもって見れるスペースだ。
良く見れば最前列の端に急ごしらえの酒場もあるし、どう見るかは自由といった様子である。
「すっげー……何か別の国に来たみたいだよ」
ラヤも感嘆の吐息を吐きながら呟く。
「あ、ああ。これは良いな……。てかイルディエ、そろそろ舞踏コンテストが始まるんじゃないか?」
「そのようね、ちょっとのんびり行きすぎたかしら?」
そう言いながら、イルディエは軽い足取りでゼノス達から離れていく。
「じゃあね~ゼノス!私の踊り、ちゃんと見てよ?」
ウィンクしながら振り返るイルディエに、ゼノスは返事の代わりに手を上げる。
それに満足したのか、イルディエは周囲の驚きに包まれながら待機場へと向かって行った。
本当は踊りを観賞する暇はないのだが、まだイルディエのサインを貰っていないのも事実。必然的に見るしかないと悟ったゼノスは、ラヤを連れて急ごしらえの酒場へと足を運ぶ。
設置されたウッドデッキの上に、見慣れた酒場の光景。
何気なくやって来たゼノスだが…………思いもよらぬ人物に向かい入れられた。
「い、いい、いらっしゃいませ!マダム・サザリアの酒場へようこそ…………あれ?」
「……」
はあ。
もはや持病になりかけている頭痛に頭を悩ませながら、深い深い溜息をもらす。
目を白黒させ、「へ?え?ええ!?」と驚くラヤをよそに、ゼノスは深く深呼吸をし、ジト目になりながら告げる。
「――アリーチェ様、まだここで働いていたのですか」
※投稿遅れて申し訳ありませんでした。5月8日の午後十時ごろに、次話投稿の予定日を割烹で発表します。




