ep23 アルバートの我儘な願い
「ハア…ハア……ぐッ!」
白く染められた雪原の大地に、赤い鮮血がほとぼしる。
自らの血を撒き散らした張本人――ロダンは荒々しい息を吐きながら地面に膝をつく。銀装飾の剣は折られ、彼は憎々しげに見上げる。
目線の先には、悠然と佇むアルバートがいた。
彼は自慢の戦斧を肩に置き、哀れみを込めてロダンを見返す。
「かはっ……畜生。最初は鈍い動きだったのに……」
「恐らく、儂の仲間が何とかしてくれたんじゃろう。シールカードの制約も、案外脆いものじゃな」
「くそ!ジスカの野郎。やっぱり少しでも信用した俺が馬鹿だったかッ!」
ロダンは盛大に血を吐き、今はいない女性に怨嗟の念を送る。
「何にせよ抜かったな。――儂とお前とじゃ、潜り抜けた修羅場の数が違う」
「……ッ」
確かにロダンは、この国の王を務めている。
しかしそれだけだ。
王になったからと言って、自分の力に慢心してはいけない。幾多もの王は権力を手にすることで、あたかも絶対的強さと発言権を有したという錯覚に陥ってしまう。
ロダンもその一人だ。
別段多くの戦場を経験していないにも関わらず、アルバートより実力が上であると過信している。
「それに、力は支配や権力で身に付くものではない。正常なる信念と強き友との競いがあってこそ、強さとは研鑽されるもの。――ロダン、お前にはそれがあったかの?」
「ッ!黙れ黙れ!強さは人を殺すことで身に付く!権力によって手に入る!そのことを一番に示してくれたのは、どこの誰でもない親父本人じゃねえか!」
「儂がいつ、どこでそんなことを言ったッ!」
アルバートの迫力ある喝に、思わずロダンは委縮する。
自分の力を殺戮だけに用いれば、いつか必ずその力に溺れる時が来るだろう。力に操られ、歯止めが効かず、自分が何の為に戦っているのか分からないまま……そういう連中は自我が崩壊する。
文字通り、狂人となるしかない。
まだ至ってはいないが、今のセラハはあと少しで狂人になったいた所だ。
アルバートは苦言を止めず、おどおどとした調子で立つセラハへと目を向ける。
「……実娘にまで歪んだ思想を入れおって。純粋無垢だったこの子に、お前はとんでもない罪を着せおった!この罪は重いぞ!」
「親父殿がそれを言うか?……知ってるぞ。十年以上前、実の孫娘をその手で殺めたのをなあ!」
「ああそうとも。儂もまた同罪じゃ。――けど息子を断罪し、孫娘を救う権利はある!」
「…………はっ。それで俺を殺すってのか?」
「……やむを得ない場合は、そうする」
ロダンはアルバートの真意を伺うが、どうやら本気のようだ。
老獪と化した父親にもっと悪態をついてやりたかったが、これ以上は無意味であろう。
形勢は確実にアルバートの方が優勢であり、今のロダンでは刃向い殺す術が存在しない。自らの落ち度に後悔を抱きつつも、そこで彼は思いもよらない考えに辿り着く。
両口端に一筋の皺を作り、ロダンはセラハへと振り向く。
彼女はビクッと体を震わせる。
「なあセラハ。お前、前々から俺に認めて貰いたいって言ってたな?」
「……」
「どうした?――せっかくそのチャンスをやろうってんだ、少しは嬉しそうにしてもらいたいなあ」
ロダンはセラハを指差し、最も言ってはいけない言葉を放つ。
「――命令だ。お前の手で親父殿を殺せ」
「え……?」
「聞こえなかったか?お前自身で親父殿を殺すんだよ。お前がやれば、親父殿も手が出ないまま死ぬだろうしなあ」
下卑た笑みを浮かべ、ロダンは嬉しそうに言う。
今のアルバートは、躊躇なくセラハを殺す事が出来ない。そう分かった上で言い放った言葉なのだろう。……実際、狂気に憑りつかれていない孫娘を殺す事は出来ないし、したくもない。
セラハはそれでも理解が追い付かず、困惑を露わにする。
まずい。
この男は父親という立場を利用し、娘であるセラハを思いのままに操ろうとしている。
「……セラハ、止めるんじゃ。そんな事をして何に」
「うるせえ!おいセラハ、まさかここで断るってのはねえよな?俺に認められてえんだろ?もう大嫌いな殺しを平然とやりたくねえだろ?……黙って従えば、俺はお前を娘として認めてもいいんだぞ?」
「……娘、として?」
刹那、複雑な思いが彼女を悩ませる。
――もう殺さなくてもいい。
その言葉が、セラハを大きく揺るがした。今まで幾千人もの人間を、まるで悪鬼に憑りつかれたかの如く惨殺してきた。
しかし、それは本意ではない。
全ては父親に認めて貰う為にやったこと。侵略を好む父の為に働けば、いつかきっと娘として扱ってくれるかもしれない。
祖父がいなくなってから、セラハはずっと父を求めてきた。
その褒美に歓喜するセラハだが、素直に喜べないというのが事実だ。
……アルバートを殺すという事は、同時に大好きなアルバートと会えなくなる結果に繋がる。
父がくれなかった愛情を注いでくれた祖父。
過去の記憶に潜むアルバートは、セラハにとって親も同然だった。
「…………でも」
そんな全てを尽くしてくれた祖父も、あの日を境に裏切った。
今から十年以上前――祖父は自分を殺した。
勿論、祖父は自分の狂気に満ちた虐殺劇を止めようと殺したのだろう。その程度のことはセラハでも理解しているし、否定する気もない。
……ただわかって欲しかった。
自分は好き好んで殺してはいないと。
そして願わくば、もう一度自分を孫として扱ってほしいと。
死の直前まで、セラハは何度も、何度も何度も目で訴えかけた。
なのにアルバートは――セラハを呆気なく殺した。
それはつまり、自分はアルバートに捨てられたというわけだ。
そうに違いない。
次第にセラハの中に憎しみが生まれ、目の前に立つアルバートを睥睨する。
「……おじいちゃんが悪いんだ。私のことを分かってくれないから、これは当然の報いなんだ。だから……ここで!」
ナタを振りかぶり、そのままの態勢で彼女は突撃する。
目標は当然、アルバートだ。
「うわああああああああああ!」
絶叫にも似た声を張り上げ、その目尻に涙をためるセラハ。
死が迫っているにも関わらず、案の定アルバートは動じていない。それどころか戦斧を地面に捨て、両手を大きく広げ始めた。
「ぁ……」
驚き戸惑うセラハ。だが勢いは止まらず、そのまま――
彼は左肩から右腰にかけて、ナタの斬撃を食らった。
「……ッ!」
生暖かい血液が宙を舞い、セラハの全身に付着する。
幸い、アルバートは真っ二つになることはなかった。
血は噴出しているが、命に別状はないだろう。鍛え抜かれた肉の鎧を完全に切り裂くには、それ相応の業物でないと不可能である。
だが痛いものは痛い。
アルバートは苦痛に顔を歪め、額には脂汗が浮かんでいる。
一方の彼女は呆気にとられていたが、やがて耳をつんざくような怒声を上げる。
「何で……どうして避けなかった!前みたいにあたしを殺せばいいのに!何で今回は逃げずに受け止めたの!?」
セラハは発狂する。
自分を殺したかと思えば、今度は自分から殺されようとしている。矛盾に矛盾を重ねた行為。何か意図があるのかと邪推するが、アルバートがそんな緻密な計算をする事は有り得ない。
なら何故?
セラハの困惑は更に増していく。
「……罪滅ぼし、とはまた違うかの。これはそんな大層なものではない」
「なら何なの!?」
「――儂の、単なる我儘じゃ」
アルバートはそう言って、淡々と胸の内に秘めた思いを言い連ねる。
愛する孫娘を、この手で救いたいという我儘。
十年前の自分は、もうあの頃の孫はいないと思っていた。だから容赦なく殺し、あくまで人々の平和を重視した。
しかし今のセラハは、幼い頃の純朴な心を醸し出している。
――今なら、セラハは真っ当な道を進んでくれるかもしれない。
そう考えたアルバートは、もう二度とセラハを殺さないと決めた。そして願わくば、常人としての人生を歩んで欲しい。
都合の良い我儘を根拠づけるべく、セラハの斬撃を受け止めたのだ。
殺す気はないと。むしろセラハを正しい道に導きたいと。
「残念じゃがロダン、この子が正常なる道に進むまで、儂は死ぬ気などないぞ。ことごとく予想が外れたな」
「……くそが」
ロダンは最後の希望も潰え、がくっと項垂れる。
「おじいちゃん……そんなの勝手すぎるよ!今更真っ当な道を行こうなんて……虫が良すぎる!あたしは何千人…いやもっと殺してるんだよ!?普通の人生に戻って、一体どうしろっていうんだ!」
「探せば幾らでもあるわい。――もし見つからなかったとしても、儂も協力して探してやる」
「ハッ……有り得ないね。戦いでしか生きられない人が、本気でそんな事を言ってるのかい。どうせ昔みたいに、私達を置いて――」
と、その時だった。
最後まで言葉を言わさず、アルバートはセラハを抱き寄せる。
セラハは突然の出来事に目を白黒させる。
「――儂は本気じゃ。六大将軍もやめるし、相棒であるこの戦斧も処分する。お前の気の済むまで、ずっと傍にいてやるわい」
アルバートは厳めしい表情を綻ばせ、優しさに包まれた微笑みを浮かべる。
戦場の鬼でもなく、六大将軍でもない。
ただどこにでもいる、孫を愛する祖父の一面を見せる。
「そうじゃ、事が済んだらこの国のどこかに家を建てよう。セラハは年頃の娘じゃからな……町や村に近い所にしようかの。あ、じゃが川に近い場所がいいのう。新鮮な魚介料理を食わせてやりたいしな」
「……」
彼はどこまでも慈愛に満ちた様子で、将来に思いを馳せる。
「セラハが学校に行っとる間は何をしていようか……。ジジイらしく家で読書もいいが、肩が凝るのは嫌じゃし……」
「…………」
セラハは唇をきゅっと噛み締める。
肩を震わせ、顔を地面へと俯かせる。
「何で、何で今更……」
いつの間にか、セラハの涙は止まらなかった。
子供の様に泣きじゃくり、アルバートの腰に手を回す。大好きな祖父の温もりを感じながら、ただひたすらに泣いていた。
アルバートも無理に引き剥がそうとはしない。
彼もまた瞳を潤ませ、皺のある頬に涙が流れ落ちる。
ロダンも戦意を失い、セラハもこれ以上の戦いは望んでいない。結果的に全員が死なずに済み、一段落ついたと誰もが思っていた。
――しかし。
セラハのポーチから放たれた光に、三人が気付き始めた。
「な、なんだよこれ……」
「――もしや」
アルバートはセラハのポーチを剥ぎ取り、近くの地面へと投げつける。
すると光は更に増大し、天高くへと打ち放たれる。その衝撃で辺り一面の雪は飛び散り、大気が鳴動する。
大体の予想は出ているが、それでもセラハに尋ねてみた。
「セラハ、あのポーチに入っていたのは?」
「シ、シールカードだよ。……でも、あんなに光ったのは見た事もない」
彼女はジスカに言われるまま、あのシールカードを持たされた。
使い勝手も分からないまま、ただこれがどんな力を有するかを知らされたまま、ジスカはこのシールカードを持て余していた。
それが今になって……。
「むう、嫌な予感がするわい」
怖気立つこの感覚。
アルバートは遥か地平線上へと目を移し、ロダン戦以上に険しい表情を作っていた。
どこかも分からない虚空の世界。
ジスカはそこで、何もない方向に向かって歩み続けていた。
一歩進むごとに地面に波紋が生まれるが、それ以外の特徴は何もない。視覚や聴覚も役に立たず、常人ならば発狂しかねない空間だ。
彼女はその異様な世界を闊歩しているが、ある時を境にふと立ち止まる。
にべもなく、彼女は独り呟く。
「……やっぱり、あの子は不適合者だったようね。強い力を秘めているが故に、普通の人間では扱いきれないか」
思えば、ジスカはシールカードを完璧に扱える人間を、ここ最近では全く見た事がない。
マルス、魔王ルードアリア。エリーザは多少扱えていたようだが、ジスカからすればまだまだ序の口である。彼等はカードの能力を極限にまで発揮することが出来ないまま死んだ。
――セラハもその一人。
むしろ彼女はシールカード自体に否定され、主であるという資格すら奪われた。主を失った上に、シールカードに封印された者達は今現在、現実世界に顕現している。暴走する可能性は極端に高いが……まあどちらでも良いだろう。
ジスカは溜息をつき、また歩を進める。
「――急いで、完璧にシールカードを扱える者を探さないとね」
こうして、彼女は闇と共に消失した。
※次話投稿は明後日かと思います!




