ep21 忘れていた記憶
その頃、ゼノスはパステノン城内へと案内された。
前を歩くジスカからは一定距離を離し、両者は一言も話さないまま奥へと向かう。
彼女は敵意を見せないが、逆に友好関係を取ろうという態度も見せない。ただ飄々とした態度で、自分の素顔を晒さないようにしている。それがゼノスの警戒心を煽る結果となっている。
そんな暗い面持ちの状態で、ゼノスとジスカは一旦城のテラスへと出る。
テラスから一望できるパステノン城下町、そして広大に広がるパステノンの雪原。つい先程から降り始めたのか、街中に薄い雪化粧が施されている。
だがゼノスが注目したのは街方面ではない。
視線を雪原に移した先に、三人の人間がぽつんと立っている事に気付く。
「あれは……」
「へえ、ロダンはあの雪原を舞台にしたのね。武人としては正しい判断だけど、演出家としてはまるで失敗ね」
途端、ジスカが歩みを止めて言ってくる。
つまらなさそうに雪原を見下ろし、数秒もしない内にアルバート達に対する興味は潰えていく。
「御託はいい。それより、俺はいつまで案内されればいいんだ?」
この城に入り始めてから既に十分以上が経過している。
もうそろそろ目的地に着いてもいいはずだ。
「慌てないで欲しいわね。このテラスを進んで行けば、この城の玉座が設置されている間へと辿り着くから」
「……」
ジスカはくぐもった笑いを響かせ、また颯爽とした足取りで床を甲高く鳴らす。
――が、そこでまたジスカの足が止まる。
今度は何を思ったのか、深い溜息と共に愚痴をこぼす。
「お節介だこと。今更になって出しゃばってくるとは」
「え?」
彼女の言葉の意味が分からないまま、ゼノスはふいに意識が遠退く。全身が浮遊したような錯覚に襲われる。
世界が歪曲し、自分の立つ地面が波のように揺れる。即座にバランスを取ることも叶わず、ゼノスはされるがままとなった。
「くっ!な、何だこれは!」
焦燥の色を露わにしながら、事の状況を何とか把握しようとする。
しかし、そんな暇さえも与えてくれなかった。
訳の分からない事象は段々と収まりつつあり、次第に歪曲する世界にも規律が取り戻しつつある。
……風景が変わったことを除いては。
「――――」
ゼノスは目を見張り、今見える景色に驚きを隠せない。
今自分の立つ場所は……ハルディロイ城地下にある部屋、アスフィが幽閉されている場所である。
ただ普段と違うのは、ジハードによって改造されたのは異世界風のそれでなく、元の状態へと戻っているのである。
天井から差すはずのない陽の光が中央を照らし、その陽に当たろうと可憐な花々が咲き誇る。
花畑の中心には簡素な木製の椅子が置かれ、そこに一人の少女が整然と座っていた。
少女――始祖アスフィが。
「……アスフィ。何でお前がここに…………これは夢?」
「夢なんかじゃないよ。私が始祖の力を使ってゼノスの魂を呼び寄せたの。これは現実で、ここにいる私は幻じゃない」
いつも能天気な調子とは裏腹の、悲愴を秘めた言葉で答える。
それならば納得がいく。
始祖の力は人間の想像する範疇を遥かに逸脱しており、そんな常識外れな行いも出来るだろうと思ったからだ。
そう心で決め付けたせいか、ゼノスの心はひどく落ち着いていた。
「細かい理屈はあえて聞かないでおくが、俺に何か用事があって呼んだのか?今は悪いけど、凄い絶望的な立ち位置にいるんだが」
「知ってる。実際に観察は出来ないけど、ホフマンの情報と人々の感情の揺らぎが教えてくれているからね。……あとこれはユスティアラ次第だけど、彼女の頑張りが成功すればゼノスの力も元に戻る。まだ戦える希望はあるから、絶望的状況ではないと思うよ?」
「だといいんだけどな」
ゼノスは受け流すように答えたが、その反面、心に微かな希望が宿り始める。
そうだ、既に敵の本拠地に侵入したのだから、もう力を制御してやり過ごす必要はない。
とても順序通りとは言えない結果だが、これに関しては神の導きがあったと言わざるを得ない。
「うん。でも油断は禁物だからね……。ゼノスが相手をしようとしている女、ジスカは本当に危険なの。とても邪悪で、手段を選ばない……恐ろしい相手だから」
「……やっぱり、あの女について何か知ってるんだな?」
「…………」
アスフィはこくりと頷く。
顔を俯かせ、スカートを両手で握り締めながら続ける。
「実はゼノスを呼んだのも、そのジスカについて教える為でもあるの。何せ、時はもう満ちたから。ゼノスに『ある真実』を吹き込まなければならないから」
「真実……」
それは何だと、あえて急かすように言わなくてもいいだろう。
ゼノスは彼女と真っ直ぐ向き合い、両腕を組みながら瞳を閉じる。どんな真実を明かされても混乱しないよう、ある程度の覚悟を決める。
しかし数秒経っても、彼女からの言葉はない。
おかしいと思ってふと目を開けると、いつの間にかゼノスの目前へと急接近していた。
あと一歩、それだけ近づけば衝突するぐらいの距離。
アスフィはゼノスを見上げ、ふいに自分の指をゼノスの額に押し当てる。
「……吹き込む、って言うのは語弊だったかな」
「語弊?」
「うん。正確には――思い出してもらう」
刹那、アスフィの指がゼノスの額へと溶け込む。
物理的な貫通とは違う。出血もないし、死ぬという感覚もなかった。ただ脳の中の記憶をかき混ぜられているような……何とも抽象的な現象が襲い掛かってくる。
鳴り響く強烈な耳鳴り。
乗り物酔いしたかのような気持ち悪さ。
堪えきれない思いが、声となって爆発する。
「ぐっ……ああ、あああああ……ッ!」
ここ数年経験した事のない激痛が、全身を張り巡る。
絶叫は部屋中に鳴り響き、当のゼノスは手足を痙攣させながら痛みに耐える。アスフィの暴挙を止める術も無く……もがき苦しむ。
「――堪えてゼノス!あと少し、もう少しで貴方の記憶は」
「がッあぁッッ!」
記憶?
ふざけるな、自分に忘れられた記憶などあるはずがない。
ゼノスの歴史に…………空白……など。
……なのに何故。何故なんだ。
どうして記憶にない――少女の顔を思い出すんだ。
痛みの限界を超え、もはや快楽に浸るような心地の最中。
ゼノスはぼんやりと、しかし徐々にはっきりと思い出していく。
記憶の宇宙から細かい泡沫が現れ、その表面には様々なシーンが描かれている。勿論、ゼノスが今まで知らなかった……否、記憶から消去されていた出来事である。
――白銀の城。
――そこに誘われ、そこで開かれていた舞踏会。
――そして、運命の出会い。
二代目聖騎士・カスタリエとの会話までもが、記憶の穴から掘り起こされる。
「…………あ」
ゼノスは面食らった表情で、アスフィへと顔を向ける。
「……思い出せたんだね。あのジスカによって作られたきっかけで、この私による力のせいで……」
「……」
ゼノスは何も答えない。
泣きそうな顔をするアスフィを、ただジッと見つめていた。
『――いい加減飽きたのだけれど、そろそろいいかしら?』
恐ろしい程低く、しかし美しい音色の声が響く。
虚空から白く細い腕だけが出現し、迷うことなくゼノスの手首を掴んでくる。
『余計な真似をしてくれるわね、アスフィ。……それともこれは、貴方なりの抵抗なのかしら?せっかく彼の驚いた顔が見れると思ったのに』
「……黙って。二度とその声で喋らないで!」
『あらあら怖い。まだ根に持ってるのね』
「当たり前だよ!」
アスフィは手だけの存在に対し、激昂する。
『つれないわね。近い将来、貴方はこの声を嫌というほど聞くのに』
挑発にも似た口調で答え、手だけの存在は強引にゼノスを引き込む。
虚空から現れた手のいる先――深淵の闇へと。
ゼノスはされるがまま、徐々に闇へと沈んで行く。
『また会いましょう、アスフィ。次に会う時、私は一万年もかかった宿願を果たす。――その為の贄になりなさいな』
「――ッ」
ゼノス、アスフィの意思とは無関係に、手は両者を引き離す。
冷たい空虚な部屋に残されたのは、悔しそうに涙を押し殺すアスフィだけであった。




