ep17 届かない想い
凍える様な吹雪の夜が、またパステノンの町を覆い尽くす。
帰宅したゼノス達はすぐに薪を暖炉に汲み入れ、火を付ける。次第に部屋全体に暖かい空気が生まれ、同時にゼノスとゲルマニアの心も緩み始める。
時刻は既に七時を過ぎた頃。
アルバートは愚か、ラインやロザリーさえまだ帰って来ていない。恐らく行商の仕事で忙しいのだろう。
「……まいったな、夕飯担当のロザリーがいない」
ゼノスは頭を掻きながら呟く。
一応この暮らしでの役割分担は決まっており、ロザリーは主に夕食作りを担当している。
彼女は元王女のくせに、炊事に関しては極端に優れている。ロザリー曰く、単に常識を覚えただけと言っていたが……その常識はおよそ世間とはかけ離れている。今の彼女ならば、一流料理店のメインコックに就くことも出来るレベルだ。
そういうわけで彼女が料理担当となったわけだが、頼れるロザリーは外出中である。
勿論、ゼノスも料理は出来る。
しかしここで手に入る材料から作れるものは、残念ながら一つもない。今更ながら、自分のレパートリーの狭さに呆れるばかりだ。
……となると。
残る可能性を持つ者に、ゼノスはジト目で凝視する。
「……気のせいかもしれませんが、何かとっても失礼なことを考えていませんか」
「ふ~む……。ま、多分ゲルマニアの想像通りだと思うぞ」
「へえ~そうですか~。……失礼ながら、その真意を伺っても?」
「ああ。――お前って料理出来るのか?」
ゼノスが本音を暴露した瞬間、脳天に鋭いチョップが激突してきた。
ポンッでもなく、ゴンッという少々酷い音でもなく、ドゴッというもはやチョップから繰り出されるはずのない音が聞こえてきた。
「お……ごッ…おぉ!」と苦悶の声を漏らし、ゼノスはゲルマニアのチョップに頭を抱えながら悶絶する。
他方のゲルマニアは腰に手を置き、自慢のポニーテールを払う。
「全く……とんだ言い草ですね。私だって、騎士になる前は家事を何でもこなす普通の村娘だったんですから!」
「…………そ、そうです……か」
ゼノスは震える手でキッチンを指差し、どうにかして言葉を絞り出す。
「じゃ、じゃあ料理頼んでもいいか?」
ゲルマニアはニコリと満面の笑みを見せる。
「お任せを。では、ゼノスは椅子で休んでいて下さいね」
そう言い残し、彼女は鼻歌混じりでキッチンの方へと向かう。
嗚呼、確かに休む必要がありそうだ。
最近のゲルマニアの調子に嘆き悲しみながら、ゼノスは椅子に座り、そのままテーブルに突っ伏すことにした――。
食事の支度も終わり、二人は夕食を摂る事になった。
……成程、確かにゲルマニアを甘く見ていたかもしれない。テーブルに並べられた料理を吟味し、ゼノスは自分の誤りに気付く。
彩の豊かな野菜サラダ、ヘルシー且つ濃厚な匂いを醸し出すオニオンスープ。そしてメインディッシュである牛肉を揚げ焼きした肉料理。薄くスライスされたレモンを乗せ、見る者の食欲をそそらせる。
「ふふん、どうですゼノス。今日は私の故郷、エトラス村の伝統料理を作ってみましたよ」
「……お、おお。何というかその…………すまん」
ゼノスが素直に謝ると、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「分かれば宜しいのです。ささ、いただきましょう」
ゲルマニアはフォークとナイフを手に取り、ゼノスよりも先に料理を食べ始める。
こうして二人は食事を始める。
陽だまりのような暖かいリビングの中で、何の会話もなく、ただ黙々と食事を続ける。
……とても暗い雰囲気だ。
ゲルマニア自身も決して愉快な気分ではない。来るべき戦いが近付いていると分かった直後から、自分達は無事に生還できるのかという疑念に駆られている。
しかしゼノスは、今のゲルマニア以上に鬱屈としている。
時折フォークの動きを止め、テーブルの木目を見るように視線を落としていた。小刻みに溜息を吐いては、また食事を再開するといった繰り返しだ。
何とか平静を保とうとしているが、その行動から既に本心がバレバレである。如何に繕ったとしても、不安や恐怖は滲み出てくるものだ。それは六大将軍であっても同様である。
にしても、そこまで思い悩む理由は何なのか。
遂に耐え切れなくなったのか、ゲルマニアはおもむろに口を開く。
「……ゼノス。何か思う所があるのですか?」
「ん……ああ、そういえばまだ言っていなかったな」
ゼノスは思い出したようにハッとする。
彼女に話すべきか迷うつもりはない。何故かと言うと、シールカードであるゲルマニアにも話さないといけない……そんな気がしてならないからだ。
疑問符を浮かべるゲルマニアの為に、ゼノスは悩みを打ち明ける。
――それはあの塔で出会った、黒き女性と漆黒の騎士について。
得体の知れない彼等だったが、ゼノスは全く知らないとは断言できなかった。あの少女から感じた悪寒を、あの騎士から感じた懐かしさを……きっと何処かで知ったはずだからだ。
この気持ち悪い既知感が、今のゼノスをとことん悩ませる。
概説的ではあったが、ゲルマニアはうんうんと納得する。と同時に、その話に出てくる二人の人物について思いを巡らせる。
「黒いドレスの女性に、漆黒の鎧をまとった騎士ですか……。何とか思い出せたりとかは出来ないのですか?」
ゲルマニアの疑問に対し、ゼノスは首を横に振る。
「それが出来たら苦悩しないぞ。勿論何度か試してみたけど、急に霧がかかったように記憶が霞むんだ」
「霞む……ですか」
ゼノスにとって、これ以上もどかしい事はないだろう。
それに、どうにも気になる点がある。
彼等に関する記憶を思い出そうと奮起すればするほど、心なしか徐々に思い出せそうな気もするのだ。
深い霧を進み、あとちょっとの所で出口が見えそうな――。
何かきっかけがあれば……ゼノスは彼等に関する記憶を呼び覚ませるかもしれない。
どういった形で思い出せるかは分からないが、絶対に無理だという確信も見当たらない。きっとどこかで――。
ふとゼノスは、我に返ろうと頭を小突く。
悪い癖だ。自分はいつも答えのない問題に悩み、無駄な時間を費やしてしまう。
そう、今考える必要はないんだ。
「……何にせよ、俺達にとって危険な連中なんだろうな。今はとにかく、奴等に注意しつつアリーチェ様の命を果たそう」
「…………」
決死の覚悟でそう宣言するゼノス。
騎士としては当然の思いであり、何も変なところはない。むしろゼノスは騎士の本懐を忠実にこなそうとし、多くの騎士達の模範として行動している。
今の言葉に対し、素直に褒め讃えたい。
――なのに何故。
「……」
何故今のゲルマニアは、こんなにも憤りを感じているのか。
悲しみと怒りが交互に混じり合い、そこに何故という自分に対する疑念が加わる。それは混沌としていて、当のゲルマニアでさえよく分からない。
どうして自分は、ゼノスに対してそんな思いを抱くのか?
…………いや。
思えばゲルマニアは、以前から憤りを覚えていた。
白銀の聖騎士としてではなく、ゼノス・ディルガーナとして意識し始めた頃からだ。
彼の苦悩に触れ、彼の勇気と優しさに出会う内に……。
――彼の決死の言葉が、許せなくなってきたのだ。
どうして自分の身を大事にしないのか。どうして貴方は、帝国とアリーチェ様の為だけに生きているのかと。
これは帝国の騎士として、当然あってはいけない想い。
だが、つい言葉が出てしまう。
今まで戒めてきた思いが、本音となって現れる。
「……ゼノスは怖くないのですか」
「え?」
突然の返しに、ゼノスは目を丸くする。
ゲルマニアはフォークを置き、本音を吐露する。
その表情は苦しそうで、唇を噛み締めていた。
「今回は条件が悪すぎです。幾らアリーチェ様の命令とはいえ……今のゼノスが戦うべきではないと思います」
「それは今更だろ。ここまで来た以上、もう後には」
「分かっています!でも私は……貴方の事がッ」
心配なんです、と悲痛な声で言おうとした途端。
ゼノスの口から、当然の答えが出てくる。
「――悪いけど、ゲルマニアが口を挟む権利はないぞ。これは俺の使命であって、お前の意思は関係ない」
「――――ッ!?」
関係……ない?
冷静に考えれば、確かにゼノスの言う事は尤もだ。
六大将軍の使命に、その部下が口を挟む理由は存在しない。関係ないという言葉は、多分まだ優しい言い方なのだろう。
……しかし、今のゲルマニアは冷静じゃなかった。
心配で心配で、自分の胸は今にも張り裂けそうなのに。自分はゼノスの為に一生懸命止めようとしているのに――ッ!
何で……理解してくれないの?
「――そう、ですか。アリーチェ様の言う事は聞けて、部下である私の意見は……聞き入れてくれませんか。……と、当然ですよね……」
「……お、おいゲルマニア」
不穏な空気を感じ、ひたすら戸惑うゼノス。
怒りに身を任せ、ゲルマニアは椅子を強引に引き、眉根を吊り上げたまま立ち上がる。
食べ残しのある食器を持ち、慇懃に頭を下げる。
「ご無礼をお許し下さい、ゼノス。私はこれにて失礼しますので、どうぞごゆるりと寛ぎを」
「ゲ、ゲルマニア!?何を突然……」
ゼノスとて、ゲルマニアが怒っている事は分かる。
だがその理由が分からない。問いただそうと、急いでゲルマニアの後を追おうとしたが、
「――来ないで!」
「ッ!」
階段を登ろうとしたゲルマニアが足を止め、声を荒げる。
反射的にゼノスも動きを止め、困惑した表情でゲルマニアを見据える。
……当のゲルマニアは、今にも泣きそうな瞳をちらつかせる。
「お願いですから、今は一人にさせて下さい」
「……」
ゼノスは何も言い返せず、ただ怒った様子のゲルマニアを見送る事しか出来なかった。




