ep13 スラム街での小さな事件
幸いな事に、ゼノスはサザリアの協力を得る結果となった。
出店先も即座に見つけた上に、立地場所も悪くはない。人通りは多くないが、住宅街付近の通りを選んでくれたのだ。ここならば、今晩の酒の肴を買ってくれる客がいるに違いない。
流石はサザリアだ。酒場の時もそうだったが、彼女の行動力と判断能力には目を見張る所がある。こうして無事に店を開き、これから商売を始められるのだから。
さあ二人で頑張るぞ。
――と思ったが、それは叶わぬ願いであった。
店番はゲルマニアに任せ、ゼノスはカルナに連れられて違う場所へと向かっていた。勿論サボりではない。サザリアに頼まれたからだ。
出店先について聞かされた後、彼女はこう付け足してきた。
『商売に関してはご安心を。あたしもゲルマニアのお手伝いをしますから。……だから聖騎士殿には、また別の仕事をしてほしいのです』
『仕事……?』
『ええ、唐突で申し訳ございません。詳しい話は道中でカルナにさせますよ』
と、確かにサザリアはこう言っていた。
だがかれこれ十分以上歩き続けているが、前を行くカルナは一向に話してくれない。それどころか、目線さえ合わせてくれないのだ。
何か嫌われる事でもしたのか。罪悪感を覚えつつ、ゼノスは恐る恐る尋ねてみる。
「なあカルナ……」
「ひゃ、ひゃい!?」
彼女はウサギの様にぴょんと跳ね上がり、そして無残にも尻から着地する。固いレンガ道のせいか、カルナは涙目を浮かべながら尻を擦る。
……ああそうだった。嫌われている所か、むしろ自分は好かれているんだった。
彼女は聖騎士ファンクラブに所属し、無我夢中のまま聖騎士を追っかけているらしい。そんな追っ駆けの対象と歩いていれば、多少の緊張はあるだろう。
ただ単に敵を倒し、功績を上げる。
それだけで持て囃されるなんて、世の中は何と不思議な事か。
ゼノスはふとそう思いながら、カルナに手を差し伸べる。
「大丈夫か?言っとくけど、今は聖騎士の力を発揮できないんだ。単なるゼノス・ディルガーナとして接してくれよ」
「え、でも私にとって…………聖騎士様は聖騎士様で」
「……まあ強制はしないがな。出来るなら会話だけはさせてくれ、要点だけでもいいから」
「あう。は、ひゅい」
ひゅいって……中々出る言葉じゃないぞ。
ゼノスは何とも言えない雰囲気に晒されながらも、どうにか言い返す。
「分かった、それも辿り着いてから聞くとするよ」
「あ、有難うございます。もうすぐ到着しますので、すす、すぐに話せると思います!」
カルナはゼノスの手を借り、そそくさと立ち上がる。触られた手を見てにんまりと微笑み、小躍りしながら先へと進む。
活気に満ちていた大通りを離れ、閑静な住宅街を突き進む。こうして街中をじっくり眺めると、北国の町はレンガ造りで溢れている。これも寒さを和らげる為だろうが、飽きてくる光景だ。
しかし簡素な街並みの反面、自然と心が安らぐ雰囲気もある。
……ある異様な空気を除いてだが。
住宅街を抜け、仄暗いトンネルを抜ける途中。目の前から漂う陰鬱な空気に、ゼノスは思わず苦渋の色を示す。
雰囲気だけじゃない。腐った生ごみのような匂いと、甲高い悲鳴のような声がトンネルに木霊する。カルナは若干悲しそうな表情をするが、立ち止まろうとはしなかった。
トンネルを抜ければ、そこは雪国だった――なんていう異世界小説の幻想とは裏腹に、このトンネルの先は酷い有様であった。
牧歌的な町は消え失せ、ゼノスは荒れ果てた町風景を目にする。
割れた窓ガラス、脆くなった家々。冷たい道の上には御座が敷かれ、ボロボロの服を着た浮浪人達が寝転んでいた。ある者は片足がなかったり、ある者は片目がなかったりと……何とも凄惨な光景だった。
「こう言っちゃ悪いが、とても人の住む場所とは思えないな」
「は、はは。た、確かにそうですね」
突然の変貌に面食らいつつ、ゼノスは当然の疑問をぶつける。
スラム街なのは確かなようだが、単に貧困層が密集しているとは思えない。怪我をしている彼等を見れば、それは一目瞭然である。
「ですが、これがパステノン王国の現状なのです。表向きは明るいけど……それは真実を覆い隠した姿です」
悔しそうに唇を噛み締め、カルナは詳細を述べる。
話によると、近年のパステノンは隣国への侵略戦争を推し進めていたらしい。侵略しては植民地化させ、王族などの支配者を処刑してきたようだ。
しかし、大きな被害を受けたのは隣国だけではない。
侵略戦争に従軍したパステノン王国の兵士、一般市民もまた癒えない傷を付けられたのだ。
――度重なる戦争。数え切れない従軍命令。
今のパステノンは疲弊している。ロダンの無茶苦茶な行動に、従軍した者達は心と体を壊してしまった。
次第に兵士としての能力を失い、打ち棄てられた先が……このスラム地区のようだ。外国には悟られないよう、こうして隅に追いやられたというわけだ。
成程、ようやく納得した。
通りに横たわる連中は、かつて国の為に従軍した兵士か。今では痩せ衰え、生気の無い瞳を浮かべているが……。
同情はするだけ無駄だ。
ゼノスは一瞥だけし、すぐさまカルナへと振り向く。
「んで、目的の場所はこの先か?」
「そ、そそそうです!こちらです!」
ぎこちないカルナに連れられ、ゼノスは更に奥へと進む。
しばらくは浮浪者がたむろする通りを進んだが、やがて開けた場所へと出る。小規模だが、小さな屋台が軒を連ねている。
みすぼらしい恰好をした市民が買い物をし、薄汚れた子供達が元気に遊んでいる。表通りほどではないが、ここも十分に活気づいている。浮浪者らしき人物は……ここにはいないようだ。
恐らくだが、さっきの連中は物乞い目的で集まっていたのだろう。スラム街入口にいれば、知らずに通る商人か旅行客がいるかもしれない。執拗に頼み込めば、今日の夕飯代にありつける……と、考えているのだろう。
もしゼノスが一人で通れば、今頃カモにされていたかもしれない。
そんなどうでもいい想像をしながら、ゼノス達は細い道へと入る。散乱したゴミを避けつつ、カルナはとある一軒家の前で立ち止まる。
そこら辺の家と全く変わらない造り。だがその家からは、明るい子供達の騒ぎ声が聞こえてくる。
「む……あの子達ったらまた」
カルナは腰に手を当て、呆れた様子で呟く。
「すいません聖騎士様。少々、お見苦しい所を見せます」
「ん?あ、ああ」
ゼノスに深々と頭を下げた後、カルナは目を吊り上げながら家のドアへと歩を進める。
持っていた鍵で開錠し、威勢よくドアを開けた。
「――こらあっ!大声で騒いじゃ駄目でしょ!隣の人に迷惑かけないの!」
カルナは先程とは打って変わり、強気な態度で言い放つ。
家の中には数人の子供達がいた。十歳程度の少年少女で、今まで鬼ごっこをしていたようだ。怒られた子供たちはその場で固まっていた。
しかし一人の少年が不満を露わにし、ジト目で答える。
「だってえ、外に遊びに行けないんだもん~」
少年の言葉に賛同した子達が、「そうだそうだ~」とか「これぐらいいいでしょ~お姉ちゃん」と愚痴を零す。
カルナは額に手を当て、嘆息しながら答える。
「駄目よ、もう少し辛抱なさい。おじいちゃんももうすぐ帰って来るだろうし。……それに、今日はとても素敵な方を呼んだのよ」
そう言って、カルナは微笑みながら横へと逸れる。ゼノスの全身が子供達から見えるようにしたのだ。
子供達はジッとゼノスを見つめる。咄嗟に言葉も出ないまま、ただゼノスは注目の的となっていた。
「カルナ姉ちゃん、その人は誰……?」
「……」
ゼノスは奇異に満ちた視線を浴び、おもわず苦笑する。
そしてカルナへと顔を近づけ、小声で尋ねる。
「どういう事だカルナ……。これって一体」
「す、すいません聖騎士様。実は――この子達のお守りを頼みたいんです」
お守り……とな。
また変わった条件を突き付けられたものだ。
カルナによると、この子達はサザリアの夫が経営する孤児院の子供達らしい。この家自体が孤児院として機能し、ここでカルナやサザリアも暮らしている。
孤児院というよりは、とある大家族の方が相応しいかもしれない。
「この時間はマダム・サザリアの旦那さんがいて、いつも彼がこの子達のお守りをしてるんですけど……」
ああなるほど、大体予想できた。
彼女が言い終わるよりも早く、ゼノスが見出した予想を言う。
「けど今は留守中で、スラム街は危険だから子供達だけじゃ外に出せられない。それで俺が代役を務めるというわけか?」
カルナはこくりと頷く。どうやらその通りのようだ。
「子守り自体は構わないけど、そういった経験はまるでないぞ?」
「あ、そこら辺は大丈夫です。何せあの子達も……聖騎士の大ファンなもので。ご自身の冒険譚を聞かせるだけでいいんですよ」
カルナは軽くウィンクする。凄い自信満々だが、果たして大丈夫なのだろうか。
両腰に手を置き、鼻をふふんと鳴らしながら告げる。
「皆、この方は悪い人じゃないよ。――だって、誰もが憧れるランドリオ帝国の六大将軍、白銀の聖騎士ゼノス・ディルガーナなんだから!」
尊大な態度でそう豪語し、満足げに口を吊り上げる。
しかし、子供達の反応は何とも微妙なものだった。
とある少女は大きく溜息を吐き、至極当然の答えをする。
「カルナ姉……幾らなんでも子供扱いしすぎ。あの聖騎士様がウチみたいな貧乏一家の所に来るわけないじゃん」
「え……あ、あ~……それは」
言葉を濁し、目を泳がせるカルナ。
まあこれは子供達の言う通りだろう。もしゼノスが子供達の立場だったら、真っ先に否定していたに違いない。
聖騎士の鎧も身に付けず、象徴たるリベルタスの剣もない。単なる一般人と化したゼノスとしては、何も言い訳が出来ない。
それでも尚カルナは反論しようとするが、ゼノスがそれを止めた。
「止めとけ、今の状態じゃどうしようもないって」
「そ、それはそうですけど……。何か、何か悔しいんですよお」
カルナは恨めしそうに子供達を見やる。
――ふと、その目つきが急変した。
徐々に疑惑の瞳へと移り変わり、彼女は思わず首を傾げた。
「……そういえばジョナとルルリエの姿が見えないわね。二階にいるの?」
『う……』
途端、子供達は後ろめたい様子で呻きを漏らす。
ジョナとルルリエとは、他の子供達のことだろうか。もしそうだとしたら、ここは中々の大家族のようだ。
一方の子供達は視線を落とし、無言を貫いていた。
カルナは次第に嫌な予感を覚え、少々棘のある言葉を放つ。
「もしかして……この家にいないの?」
「……」
子供達はそれでも答えない。言って怒られるのが嫌なのか、または隠し通すよう言われているのかは分からない。
だが、その無言こそが答えなのだろう。
居ないと悟ったカルナは、冷や汗をたらしながら叫ぶ。
「教えなさい!あの子達は……どこにいるの!?」
「………………スラム街の、奥の方に行くって。あそこならバレずに鬼ごっこが出来るって……その、言ってたよ」
「――――ッ」
瞬間、カルナの脳裏に最悪の結末が過る。
ゼノスもそれを察した上で、カルナに耳打ちをする。
「やばい場所なのか?」
「は、はい。スラム街の奥には、傭兵崩れのならず者が住み付いてるんです。近づくなって言いつけてはいたんですが……」
カルナは自分の不甲斐なさに罪悪感を覚える。もし目を離してなければと思うだけで、更なる後悔が彼女を襲ってくる。
「……落ち込む暇はないぞカルナ。急いで子供達を探しに行こう」
「さ、探しにって……でも今の状態じゃ」
カルナは今のゼノスの状態を把握している。
恐らくこのまま向かえば、彼はならず者によって殺されるかもしれない。元とはいえ、彼等は傭兵として王国に仕えた身だ。中途半端なまま突っ込めば、それが現実になる可能性は高い。
無理に決まっている。
おじいちゃんを待つしかない……と言おうとしたが。
彼はカルナの手を掴み、冷静にこう述べてきた。
「――大丈夫だ。万が一ならず者に遭遇したとしても、そいつ等如きに遅れはとらない」
「……せ、聖騎士様」
「それに、これもお守りになるだろ。ちゃんと務めは果たすさ」
冗談は止して下さい、と切実に言おうとしたが、カルナはそれを表現する事が出来なかった。
例え無謀な話だとしても、どこかで期待しているのだ。
幾多もの伝説を築き上げたゼノスならば、必ずやり遂げてくれると。
「……分かりました。私も御供します」
期待と高揚感が入り交じり、カルナは口を挟めなかった。
「よし、道案内を頼む。子供達は大人しく家にいろよ!」
「え………………う、うん」
勢いに任せた言葉に動揺を覚える子供達だが、素直にそれを聞き入れた。
カルナは驚きを隠せない。いつも他人は愚か、彼等は身内の言う事さえまともに聞かない。
こうして従順となったのは、恐らく初めてじゃないだろうか。
「何してんだカルナ、時は一刻を争うぞ!」
「は、ははい!」
ゼノスに促され、カルナは彼と共に家を飛び出した。
無力に等しい二人は、元傭兵のならず者が出没するというスラム街奥部へと向かう。
剣も鎧も、鍛え上げられた身体能力も持たぬまま――。
※アルバート改訂版のイラストをUPしました→http://6886.mitemin.net/i108069/




