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白銀の聖騎士  作者: 夜風リンドウ
五章 雪原の覇者
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ep10 伝えられない気持ち



 ゼノス・ディルガーナは文字通りの英雄だ。




 今更語る必要はないと思うが、彼は幾度も人々を救済し、その強大な力を世の為人の為に使ってきた。



 戦いは厳しいものばかりだった。如何なる時も異様な緊張感に呑みこまれ、震えが止まらない時もあった。しかしそれでもゼノスは、勇猛果敢に数々の強敵を打ち破ったのだ。



 ……が、それは戦いだけの話。



 今のような状況に関しては、どう立ち向かえば良いのか非常に困る。



「……」



 ゼノスは顔を真っ赤に染めながら、自室のベッド前へと佇んでいる。



「……どうしたのゼノス。早くしないと風邪を引く」



「……そうは言うがな」



 いつもの水色パジャマ姿に身を包んでいるゼノスは、改めてロザリーの恰好を確かめる。



 彼女は自分のベッドに潜り込み、ネグリジェを色っぽく着崩している。露出度が高くて、奥手のゼノスとしてはかなり居心地が悪い。




 そんなロザリーが、何と一緒に寝ようと訴えているのだ。




 色々な想像が脳を張り巡らし、ランドリオの英雄であるゼノスは混乱状態に陥っていた。



「……我慢の限界、引きずり込む」



「お、おい!」



 心の準備も出来ないまま、ゼノスは細い手によってベッドへと引き寄せられた。



 ロザリーはベッドに侵入したゼノスを抱き寄せ、自分の顔とゼノスの顔を極限にまで近づける。少しでも接近すれば、両者の唇が合わさるぐらいの距離である。



 ――おかしい。



 ゲルマニアの時は緊張こそしたが、ここまで鼓動が早くなる事はなかったはずだ。



 普段と違う友人を前にして、ゼノスは困惑を抑えきれなかった。



「……ロザリー、急にどうしたんだ。今日のお前……何か変だぞ」



 そう言われ、珍しくもロザリーは悲しい表情を作る。



「……迷惑、だった?」



「いやそんな事は……。でもこんな行為は……その、普通は好きな相手にやるだろう」



「――うん、知ってる」



 そう言って誤魔化し、ロザリーは自分の頭をゼノスの胸元に押し付ける。薔薇の様な香りが鼻孔をくすぐり、甘い誘惑が襲い掛かってきた。




「ねえゼノス。貴方は一度だけでも……女の子の気持ちを考えた事ある?」




「……気持ち?」



 何を突然、とは言えなかった。



 妙な雰囲気に圧され、ゼノスはただ相槌を打つしかなかった。



「そう。例えば……あの子は今、自分の事をどう思っているんだろうとか。自分に対してどんな感情を抱いているのかとか……」



 あるに決まっている。



 ロザリーがどう決め付けているかは知らないが、ゼノスとて人間だ。女性が不可思議な反応をすれば、自ずと考えたくもなる。



 ゼノスは正直に答えた。



「当たり前だ」



「……じゃあ、私に対しても?」



「ああ。――けど実際、ロザリーの考えている事は全く分からないんだ。まるで自分から感情を押し殺しているような……まあ気のせいかもしれない」



「――ううん、正解」



 ロザリーは間髪入れずに言った。



 驚くゼノスを他所に、彼女は更にきつく抱きしめる。




「……今の私は、とてつもない罪を犯している」




「罪って……何のだ?」



「とても救いようのない罪。いけないと分かってて、もうしないと誓ったのに……どうしても本心が出てしまうという罪。優柔不断な私だから……ゼノスが見抜けないのも当然」



 自分を自制しながらも、度々本性が出てしまう。他人からすれば複雑な感情だし、理解出来ない側面も多いだろう。



 だが端的に言うならば、今のロザリーは誓いを破っているのだ。




 ――ゼノスに恋してはいけないという誓いを。




「ごめんねゼノス。…………私は」



 嗚呼、言うな。



 あの日誓った約束は何だったのか。自分はゼノスの邪魔をしたくないから、自らの恋心を封印したのではないか?



 とろけるような接吻も、その時の快感も。



 全て忘れたはずだ。切ない気持ちを押し殺し、聖騎士としての使命を阻害しないと自縛する為に。



 …………なのに何故?



 ……止まらない。



 止まりたくない。



 この激しい想いだけは、例え自分であっても止めて欲しくない。



 欲情に身を任せたい。ゼノスという愛しい人に、自分の想いを全てぶつけたい。感情を押し殺し、ゼノスの前で無表情を気取るのはもう沢山だ。




 ――彼に最高の笑顔を見せたい。




 …………だけど。



 ……まだ自信が足りなかったようだ。



 ロザリーは言うタイミングを失い、言うのを止めた。



 本心を押し殺し、苦しそうな声音で告げる。



「……何でもない」



「え?」



 何か重大な発言をするかと思いきや、ロザリーは何も答えない。ゼノスは拍子抜けし、全身が一気に脱力する。



 一方のロザリーは既に無表情となっていた。



 そうだ、それでいい。



 本当の自分を曝け出す事は、ロザリーにとっては罪に値する。



 自分の恋心を擦り付けた所で、困るのはゼノス自身だ。彼が自分で選び、そして愛する事こそが……ロザリーにとっての理想でもある。




(自信満々に誘っておいて…………馬鹿みたい)




 心中で自らの行動を恥じるロザリー。



 やがて彼女は小声で呟いた。



「――ゼノス、貴方はもっと気付くべき。周囲には、心から貴方を愛する者がいるという事を」



「……」



 周囲とは、同じランドリオ騎士団の仲間?



 それとも――ランドリオ帝国に住まう人々?



 分からない。恋愛沙汰に乏しいゼノスにとって、この問題は極めて難しいものだ。一体誰が自分を愛しているのだろうか。



 こんな戦人を好きになるなんて……変人としか思えない。




 しかも結局、ロザリーがどうしてここに来たのかも分からずじまいだ。




「……もう寝よう。今日はもう……変な事はしないから」



「あ、ああ。………………ん?」



 微妙な空気から解放されようとしたその時、ゼノスは妙な事に気付く。




 部屋の外、つまり廊下から声が聞こえてくるのだ。




「何だ、こんな夜中に」



 そう言って、ゼノスとロザリーは耳を傾ける。――未だロザリーに抱かれつつ。



 可能性は低いが、シールカードの手先かもしれない。万が一の事態に備えながら、ゼノスは神経を尖らせる事にした。



 すると、ある二人の会話が耳に入った。




『ま、待つのじゃゲルマニア!何をそう慌てているんじゃッ!?』



『何って……明日の予定表をゼノスの部屋に置いてくるだけですよ?本当は今日見せたかったのですが』



『なら明日の朝食時でも良かろうに。もうゼノスは寝とるぞい』



『いえ、それじゃ遅いんです。せめて寝覚め時に見て貰わないと……。ゼノスを起こさないようにしますから』



『あ……今は。今はちょっと駄目なんじゃあ!』




 アルバートらしき言葉を皮切りに、廊下を鳴らす靴の音が段々と大きくなってくる。



 ……これはつまり。



 緊張が解けると同時、それとは別の嫌な予感がしてきた。



「へ?嘘、冗談だろ?」



「……冗談じゃないかも」



 ゼノスの驚きも束の間。



 鈍い軋み音を鳴らしながら、タイミングの悪い少女が入室してくる。




 少女とは勿論――ゲルマニアである。




「失礼します……って、起きてるじゃないですか。ゼノス、明日の……予定………表を……………………」



 徐々に言葉を詰まらせ、終いには言葉を中断させるゲルマニア。



 何かとんでもないモノを見るかの様に、蔑む眼差しをぶつけてくる。身体中から黒いオーラが……いやはや怖い。



 しかも今回の怒りは尋常ではない。



 以前ラヤが寝床に入ってきた時は、彼女自身からゼノスに迫って来た。だが今は、両者が愛し合うかの如く抱き合っている……という格好になっているのだろう。



 更に忌々しい事に、ロザリーがとんでもない行動に出る。




 沈黙するゲルマニアを一瞥した後――自分の胸にゼノスの手を置いてきたのだ。




「――ッッ。――ッ!」



 途端、ゲルマニアは鳥肌を立てた。



 ロザリーは見せつけるように更に手を押し付ける。初めて体感する弾力に意識を奪われ、ゼノスは我を忘れかけていた。



「……ど、どういう事だロザリー。お前、こんな事したら――ッ」



 ゲルマニアが激怒するだろう、と言いかけた時だった。ロザリーがそれを遮るように答える。



「知ってる。……だから思い知らせた」



「――ッ。あ、ああ、貴方という人は……ッ!」



 ゲルマニアは遂に鬼の形相を現し、声にならない怒声で一喝した。





「――床に座りなさい!ゼノス・ディルガーナ!」





 それが開幕の合図だった。



 説教、そしてロザリーとの口論という……何とも素敵な夜の始まりであった。






 当然だが、この日ゼノスは一睡も出来なかった。







 


※3月29日追記:ゲルマニア(改訂版)のイラストを投稿しました→http://6886.mitemin.net/i104241/

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