ep10 伝えられない気持ち
ゼノス・ディルガーナは文字通りの英雄だ。
今更語る必要はないと思うが、彼は幾度も人々を救済し、その強大な力を世の為人の為に使ってきた。
戦いは厳しいものばかりだった。如何なる時も異様な緊張感に呑みこまれ、震えが止まらない時もあった。しかしそれでもゼノスは、勇猛果敢に数々の強敵を打ち破ったのだ。
……が、それは戦いだけの話。
今のような状況に関しては、どう立ち向かえば良いのか非常に困る。
「……」
ゼノスは顔を真っ赤に染めながら、自室のベッド前へと佇んでいる。
「……どうしたのゼノス。早くしないと風邪を引く」
「……そうは言うがな」
いつもの水色パジャマ姿に身を包んでいるゼノスは、改めてロザリーの恰好を確かめる。
彼女は自分のベッドに潜り込み、ネグリジェを色っぽく着崩している。露出度が高くて、奥手のゼノスとしてはかなり居心地が悪い。
そんなロザリーが、何と一緒に寝ようと訴えているのだ。
色々な想像が脳を張り巡らし、ランドリオの英雄であるゼノスは混乱状態に陥っていた。
「……我慢の限界、引きずり込む」
「お、おい!」
心の準備も出来ないまま、ゼノスは細い手によってベッドへと引き寄せられた。
ロザリーはベッドに侵入したゼノスを抱き寄せ、自分の顔とゼノスの顔を極限にまで近づける。少しでも接近すれば、両者の唇が合わさるぐらいの距離である。
――おかしい。
ゲルマニアの時は緊張こそしたが、ここまで鼓動が早くなる事はなかったはずだ。
普段と違う友人を前にして、ゼノスは困惑を抑えきれなかった。
「……ロザリー、急にどうしたんだ。今日のお前……何か変だぞ」
そう言われ、珍しくもロザリーは悲しい表情を作る。
「……迷惑、だった?」
「いやそんな事は……。でもこんな行為は……その、普通は好きな相手にやるだろう」
「――うん、知ってる」
そう言って誤魔化し、ロザリーは自分の頭をゼノスの胸元に押し付ける。薔薇の様な香りが鼻孔をくすぐり、甘い誘惑が襲い掛かってきた。
「ねえゼノス。貴方は一度だけでも……女の子の気持ちを考えた事ある?」
「……気持ち?」
何を突然、とは言えなかった。
妙な雰囲気に圧され、ゼノスはただ相槌を打つしかなかった。
「そう。例えば……あの子は今、自分の事をどう思っているんだろうとか。自分に対してどんな感情を抱いているのかとか……」
あるに決まっている。
ロザリーがどう決め付けているかは知らないが、ゼノスとて人間だ。女性が不可思議な反応をすれば、自ずと考えたくもなる。
ゼノスは正直に答えた。
「当たり前だ」
「……じゃあ、私に対しても?」
「ああ。――けど実際、ロザリーの考えている事は全く分からないんだ。まるで自分から感情を押し殺しているような……まあ気のせいかもしれない」
「――ううん、正解」
ロザリーは間髪入れずに言った。
驚くゼノスを他所に、彼女は更にきつく抱きしめる。
「……今の私は、とてつもない罪を犯している」
「罪って……何のだ?」
「とても救いようのない罪。いけないと分かってて、もうしないと誓ったのに……どうしても本心が出てしまうという罪。優柔不断な私だから……ゼノスが見抜けないのも当然」
自分を自制しながらも、度々本性が出てしまう。他人からすれば複雑な感情だし、理解出来ない側面も多いだろう。
だが端的に言うならば、今のロザリーは誓いを破っているのだ。
――ゼノスに恋してはいけないという誓いを。
「ごめんねゼノス。…………私は」
嗚呼、言うな。
あの日誓った約束は何だったのか。自分はゼノスの邪魔をしたくないから、自らの恋心を封印したのではないか?
とろけるような接吻も、その時の快感も。
全て忘れたはずだ。切ない気持ちを押し殺し、聖騎士としての使命を阻害しないと自縛する為に。
…………なのに何故?
……止まらない。
止まりたくない。
この激しい想いだけは、例え自分であっても止めて欲しくない。
欲情に身を任せたい。ゼノスという愛しい人に、自分の想いを全てぶつけたい。感情を押し殺し、ゼノスの前で無表情を気取るのはもう沢山だ。
――彼に最高の笑顔を見せたい。
…………だけど。
……まだ自信が足りなかったようだ。
ロザリーは言うタイミングを失い、言うのを止めた。
本心を押し殺し、苦しそうな声音で告げる。
「……何でもない」
「え?」
何か重大な発言をするかと思いきや、ロザリーは何も答えない。ゼノスは拍子抜けし、全身が一気に脱力する。
一方のロザリーは既に無表情となっていた。
そうだ、それでいい。
本当の自分を曝け出す事は、ロザリーにとっては罪に値する。
自分の恋心を擦り付けた所で、困るのはゼノス自身だ。彼が自分で選び、そして愛する事こそが……ロザリーにとっての理想でもある。
(自信満々に誘っておいて…………馬鹿みたい)
心中で自らの行動を恥じるロザリー。
やがて彼女は小声で呟いた。
「――ゼノス、貴方はもっと気付くべき。周囲には、心から貴方を愛する者がいるという事を」
「……」
周囲とは、同じランドリオ騎士団の仲間?
それとも――ランドリオ帝国に住まう人々?
分からない。恋愛沙汰に乏しいゼノスにとって、この問題は極めて難しいものだ。一体誰が自分を愛しているのだろうか。
こんな戦人を好きになるなんて……変人としか思えない。
しかも結局、ロザリーがどうしてここに来たのかも分からずじまいだ。
「……もう寝よう。今日はもう……変な事はしないから」
「あ、ああ。………………ん?」
微妙な空気から解放されようとしたその時、ゼノスは妙な事に気付く。
部屋の外、つまり廊下から声が聞こえてくるのだ。
「何だ、こんな夜中に」
そう言って、ゼノスとロザリーは耳を傾ける。――未だロザリーに抱かれつつ。
可能性は低いが、シールカードの手先かもしれない。万が一の事態に備えながら、ゼノスは神経を尖らせる事にした。
すると、ある二人の会話が耳に入った。
『ま、待つのじゃゲルマニア!何をそう慌てているんじゃッ!?』
『何って……明日の予定表をゼノスの部屋に置いてくるだけですよ?本当は今日見せたかったのですが』
『なら明日の朝食時でも良かろうに。もうゼノスは寝とるぞい』
『いえ、それじゃ遅いんです。せめて寝覚め時に見て貰わないと……。ゼノスを起こさないようにしますから』
『あ……今は。今はちょっと駄目なんじゃあ!』
アルバートらしき言葉を皮切りに、廊下を鳴らす靴の音が段々と大きくなってくる。
……これはつまり。
緊張が解けると同時、それとは別の嫌な予感がしてきた。
「へ?嘘、冗談だろ?」
「……冗談じゃないかも」
ゼノスの驚きも束の間。
鈍い軋み音を鳴らしながら、タイミングの悪い少女が入室してくる。
少女とは勿論――ゲルマニアである。
「失礼します……って、起きてるじゃないですか。ゼノス、明日の……予定………表を……………………」
徐々に言葉を詰まらせ、終いには言葉を中断させるゲルマニア。
何かとんでもないモノを見るかの様に、蔑む眼差しをぶつけてくる。身体中から黒いオーラが……いやはや怖い。
しかも今回の怒りは尋常ではない。
以前ラヤが寝床に入ってきた時は、彼女自身からゼノスに迫って来た。だが今は、両者が愛し合うかの如く抱き合っている……という格好になっているのだろう。
更に忌々しい事に、ロザリーがとんでもない行動に出る。
沈黙するゲルマニアを一瞥した後――自分の胸にゼノスの手を置いてきたのだ。
「――ッッ。――ッ!」
途端、ゲルマニアは鳥肌を立てた。
ロザリーは見せつけるように更に手を押し付ける。初めて体感する弾力に意識を奪われ、ゼノスは我を忘れかけていた。
「……ど、どういう事だロザリー。お前、こんな事したら――ッ」
ゲルマニアが激怒するだろう、と言いかけた時だった。ロザリーがそれを遮るように答える。
「知ってる。……だから思い知らせた」
「――ッ。あ、ああ、貴方という人は……ッ!」
ゲルマニアは遂に鬼の形相を現し、声にならない怒声で一喝した。
「――床に座りなさい!ゼノス・ディルガーナ!」
それが開幕の合図だった。
説教、そしてロザリーとの口論という……何とも素敵な夜の始まりであった。
当然だが、この日ゼノスは一睡も出来なかった。
※3月29日追記:ゲルマニア(改訂版)のイラストを投稿しました→http://6886.mitemin.net/i104241/




