ep9 憎き少女への思い
猛々しい吹雪に苛まれる中、アルバートは帰途についていた。酒の影響で足元がふらつき、視界も若干ぶれている気がする。
……飲み過ぎた。
結局あの後もジーハイルと飲み交わし、遂には飲み比べにまで発展してしまった。年甲斐もない行動に我を恥じつつも、それは出来心だったのだと自らを慰める。
それに久しぶりの再会だ。
唯一無二の親友とはしゃいでも、バチは当たらないだろう。
「……ん?」
ようやく借家の前に辿り着いた所で、アルバートは微かな疑問を覚える。
もう既に深夜近いのに、借家には未だ明かりが灯っている。彼等は通常、こんな遅くまで起きているはずがない。
一体誰が起きているのだろうか。
アルバートは着込んでいた外套を玄関前で脱ぎ、しっかりと纏わり付いていた雪を払う。身震いする寒さから逃れようと、彼は借家へと入る。
玄関を抜けると、その目前にはリビングと台所が併存する部屋がある。
外套をポールに掛けた後――彼は溜息を吐き、テーブル席にいる一人の青年に声を掛ける。
「……小僧、お前まだ起きていたのか」
「ん…………アルバート…じゃないか」
今更気付いたのか、ゼノスは眠気眼を向けてくる。
疲労困憊の色が顔に出ていて、アルバートを見ながら何度もため息を零す。またうつ伏せになりかけるが、ハッとしてすぐに起き上がる。疲労の原因は恐らく、本来の力を失った影響なのだろう。
……にしても懐かしい。
こんなにも疲弊しているゼノスを見るのは、果たして何年ぶりだろうか。
「事情は全く知らんが、ここで寝ていては風邪を引くぞい。……良ければ、儂が寝室まで運んでやろうかの?」
「おいおい……いつまで子供扱いなんだ?俺はもう大人だし……それに、あんたが聞いた情報を早く得たいんだ」
アルバートはその言葉に対し、素直に驚く。
要するにゼノスは、アルバートが聞き入れた情報をいち早く知ろうと、こうして待機していたのか。
情報など、別に明日にでも聞けるのに。
だがアルバートは、彼がそうする理由を知っている。長い付き合いだからこそ、意固地になる気持ちを理解している。
――ゼノスはこれ以上、無力でいたくないのだ。
何も出来ない自分は、同時に生きる意味を失っている。力こそが正義の原点であり、その源にもなりうる。
肝心な力を失った今、少しでも多くの情報から対策を練ようと……一種の焦燥感に駆られているわけだ。それが成功に繋がるかは別として、責務を全うしようとする志は素晴らしいものだ。
殊勝な態度に感化されたアルバートは、黙してゼノスの対面へと座る。
それに得た情報から推測するに――ゼノスと二人で話した方が良い部分もあるからだ。
当然、ありのまま全てを語ろうと思う。
「分かった、だが手短に話すとしよう。明日もきついきつい商売が待っているのじゃろ?」
「……ああ承知してる」
ゼノスは自分の頬をぺちぺちと叩き、眠気を強引に吹き飛ばす。居住まいを正し、腕を組んで聞く姿勢を取る。
「だから早く聞かせてくれ。――俺達はこれから、誰とどうやって戦うべきかを」
「そうか。……しかし如何せん、どこから話したらいいものか」
しばし逡巡し、自分の中で情報を整理整頓するアルバート。
パステノンの現状を話すには、まず国の建国史から語るべきか。シールカードを操るギャンブラーの正体を語るに際し、手始めにアルバートの家庭内事情から語るべきか。
悩んだ、大いに悩んだ。
長く歴史を語った所で、今の現状に行き着く部分は僅かしかない。かと言って全てを省略しても、聞き手のゼノスを納得させる事は出来ないだろう。
……そう、まどろっこしく話す必要はないのだ。
特にゼノスに対しては――彼の過去と絡み合わせて語るしかない。
そうする事で……自らの敵がより分かりやすくなるだろう。
「小僧、前置きとして聞いておくがの。――お前はまだ、グラナーデにいた頃を覚えているか?」
「……何を突然」
「これから語る話と深く関わるんじゃ。いいから答えろ」
強みを帯びた答えに委縮し、ゼノスはやがて小さく頷く。
「……当たり前だ。あの頃だけが俺にとっての平和だった。ドルガ兄さん、コレット姉さん、そしてガイアが傍にいたあの時代だけが…………」
「そうじゃろうなあ」
忘れているわけがない。
世の中を知らず、世界は平和だと信じていた時代だ。世間一般の子供と同じく、ただ遊んでいた。当然のようにいる家族と日々を過ごし、眩しい世界を歩んでいた。
――そして逆転した。
あの忌々しい侵略を期に、ゼノスの世界が変わった。
グラナーデでの生活を忘れる。――それは即ち、ゼノス自身の人生を否定する事と変わらない。
あの思い出こそが原点。白銀の聖騎士ゼノスが生誕した瞬間なのだから。
「ならこれも覚えているかの。かつてのグラナーデを支配し、お前の大切な家族を殺した少女を……」
「……」
ゼノスは眉間に皺を寄せ、唇を強く噛み締める。
彼の脳裏に焼き付いた少女――その表情は美しく歪み、血に飢えた双眸が彼女の狂気に華を咲かせる。鮮血の雨を全身に浴び、恍惚とした笑みを周囲に振る舞う。
記憶の少女は嗤い続ける。
大好きな家族の髪を見せつけながら、彼女は傍若無人の勢いで大切なものを奪っていく。ゼノスが絶望すると知りながら、まるでそれを喜ぶかのように狂乱を演じ切る。
――セラハとは、ゼノスにとって最も憎むべき少女。
だが彼女の現状を全く知らないゼノスは、当然の疑問を投げかける。
「何故セラハの話題を出す。死人が今回の件に関わっているとでも?」
冗談交じりに言ってくるが、それは的を射ている。
正直に答えようとしても、言葉が喉元につかえてしまう。馬鹿正直に事実を告げた所で、当のゼノスが信じるわけがない。
アルバートもそうだ。
もしジーハイル以外の誰かが打ち明けても、アルバートは頑なに信用しなかっただろう。死人が生き返る?はは、有り得ん……と、その虚言めいた響きを一蹴していたに違いない。
しかしジーハイルは別だ。
彼は嘘が下手で、自分から進んで嘘をついた事がない。仮に虚言を吐いたとしても、それが嘘だとはっきり見分けられてしまう。
逆に真実を告げる時の彼は、どこまでも率直に言い放つ。
何の曇りもなく、自分が見聞きした事実をはっきりと言い表すのだ。長年ジーハイルを連れたアルバートは、それをよく熟知している。
故に――セラハは生きている。
そして今も尚、ランドリオとの戦争を仕掛けようと目論んでいる。父親であるロダンと共に、我等六大将軍の敵と成している。
これは事実。避けては通れないし、必然的に対立するであろうもの。
徐々にアルバートの意図を察したゼノスは、思わず乾いた声を漏らす。
「……嘘、だよな。だって有り得ない……奴はアルバートの手によって、確かに……そう確かに死んだはずだ。……そうだろ?」
「……残念だが、本当じゃよ。儂の孫娘であるセラハ・ヴィッテルシュタインは、何らかの理由によって復活しておる」
「――ッ」
ゼノスは荒々しく立ち上がり、右腕を大きく振って見せる。
「そんなの嘘に決まってるだろ!何で死人が生き返るんだ!?よりにもよって……あの悪魔のような女が!」
「落ち着くんじゃ小僧。……それに、死人が息を吹き返すなぞ珍しくはなかろう?かつての英雄譚を紐解けば、そのような事例は尽きまい」
「あれは化け物共の話だろう!人間が生き返るのとはわけが違うぞ!」
「それが有り得るんじゃよ。――セラハはシールカードという存在に関わってしまった。恐らくあの力によって、あの子は目覚めてしまったんじゃ」
「ぐっ――」
まさかそんな。
シールカードは死者蘇生まで可能にするというのか?
有史以来、死者を蘇らせるという実例は数多あるが……それは獣や悪魔など、人外に位置する化け物だけに限られる。
誰も人間を蘇生させた事はない。過去何度かに渡って人体蘇生術を試みたが、どれもが失敗に終わっている。良くて死体に変化が起こらず、最悪の場合はグールになったという話もある。
もしセラハの復活が本当ならば、非常に驚くべき事だ。しかし同時に、この世の理念を覆す忌むべき出来事だ。
少なくとも、ゼノスはそう思うしかない。
「……それでセラハは、彼女はどういう立場にあるんだ?」
「ふむ。親友ジーハイルが言うには、あの子はシールカードを従えているらしい。無論、国境に待機する連中のな」
「くそ!てことは、ギャンブラーとして君臨してるわけか。蘇生といい、一体誰がこんな事を」
降りかかる様々な災難に憤りを感じ、ゼノスは未だ見ぬシールカード勢力の首謀者を恨む。怒りの矛先を向ける事が出来ず、ただありのままの現実を受け止めるしかない。
「――とにかく、儂等の敵がセラハだという事が分かった。いいか小僧、くれぐれも妙な真似をするな。私怨に囚われず、今は好機を探す時じゃからな」
「ああ勿論分かってるよ。けど……やはりあんたでも、攻略の糸口までは見つからないんだな」
夕食後にミスティカと連絡を取ったが、向こうも明白な攻略方法を見つけていないようだ。ホフマンが様々な経路から方法を探っているようだが、ミスティカ曰く難航を極めているそうだ。
――好機なんて、果たしてあるのだろうか。
ゼノスは世間が思うほど強くはない。心の奥底から不安という感情が表出し、沸々と煮えたぎる。やがて思考全体を狂わせ、深い深い思案の闇へ飲まれようとしていたが――
「……ゼノス」
「へ?」
美しくも無機質な声につられ、ゼノスは声のした方向を見やる。
二階へと繋がる階段。そこには寝ぼけた様子のロザリーが佇んでいた。彼女はネグリジェの上に薄いカーディガンを羽織っており、完全に寝間着の姿だった。
「わ、悪いロザリー。起こしちゃったか?」
慌てて謝罪するゼノスだが、ロザリーは気にも咎めていないようだ。
顔を横に振り、大きな欠伸をしながら問う。
「……ゼノスは寝ないの?私、ずっとゼノスを待ってるんだよ……」
「え?」
唐突に言われ、ゼノスは間抜けな表情を露わにする。
この借家は見た目に反し、個々人にしっかりとした個室が備えられている。よって、誰かと相部屋なんて有り得ないはずだ。
――何だか嫌な予感がする。
その証拠に、アルバートは顔をにやけさせ、顔の皺を増やしていた。
「くく、小僧。今日は眠れないようじゃな」
「ア、アルバート……あんたまさか、変な想像をしてないか?」
「いや何も?――ほれロザリー。儂と小僧の話はもう済んだから、こやつを寝室に連れて行っても良いぞ」
アルバートが言い終わる前に、既にロザリーはゼノスの手を掴んでいた。
「……ご協力感謝。行こう、ゼノス」
「まま待て!話はまだ――まだ終わって――ッ!」
必死の叫びにも耳を貸さず、ロザリーは容赦なくゼノスを引っ張る。
一方のアルバートはと言うと――
「……頑張るんじゃぞ小僧。儂も陰ながら応援しとる」
まるで成長した我が子を見守るように、ゼノスへと手を振っていた。




