ep7 狂気に満ちた親子
アルゲッツェ城は堅固な城砦として有名だ。
飾り気がなく、土色の城壁が一面を覆っている。特に目立った尖塔もそびえず、平らな城は重々しく佇んでいる。質実剛健の造りと呼ばれたハルディロイ城でさえ、ここまで簡素な出来映えではない。
だがそれがパステノンの風習だ。
彼等は質だけを追求し、外見には決してこだわらない。アルゲッツェ城内にも一切高価な調度品は置かれておらず、壁には絵画さえも立て掛けられていないのだ。
正に戦争に備えて造られた城。
アルバートの思想が反映され、現在はロダンがここの城主となっている。
――侵略王ロダン。即位後に実行された侵略作戦を指揮し、数か国もの近隣諸国を支配下に置いた人物でもある。
植民地にされた国々は多大なる税を徴収され、始原旅団の一部隊は主城に駐屯出来る。その国の王族はロダンに従うしかないのだ。
……アルゲッツェ城内の玉座の間にて、今も尚その悲劇は起こっている。
「はあッ、はあッ」
「ぐ……うう」
玉座の前に、血塗れとなって剣を構える男達がいる。
彼等はお互いを傷付け合い、どちらか一方が死ぬまで戦っているのだ。
そして両者の背後には……まだ二十にも満たない少年少女が束縛されている。
「父様!もう止めて下さいまし……ッ」
「そ、そうです!こんな事をしていては、ロダンの思う壺です!」
必死に止めようとするが、対峙する彼等は耳を傾けない。
少年の父親は顔を背け、少女の父親は歯軋りを立てる。これは確かにロダンの策略であり、彼等の意思ではない。
二人は近隣諸国の国王であった。少年は王子であり、少女は王女として君臨していた。だがそれも昔の身分であり、今はロダンの支配下――いわゆる彼の奴隷である。
命令に背けば、一族郎党……それどころか国民の命さえ奪われるだろう。ロダンを決して怒らせてはいけない、決して反抗してはならない。
だから、このような遊戯に付き合わなければならない。
「はは、どうした屑共?さっさと殺し合えよ。じゃないと俺が暇になるだろ?」
玉座から尊大な言葉が投げかけられる。
大雑把に切られた黒髪に、全身を猪の毛皮で覆う大男。傷だらけの頬に手を当て、退屈そうな瞳を彼等に向けているのは……正しくロダンだ。
つまらない展開に興を削がれたのか、蔑むような視線を浴びせてくる。
「……まさかお前ら、忘れたわけじゃあないよな?どっちかが勝てば、一方のどちらかが死ぬ。もしそうじゃなければ」
ロダンは自分の首に親指を置き、横にスライドさせる。
要するに、全員死ぬという意味合いだ。
「ぐっ……」
「う、うぅ……うあああああッ!」
我武者羅に衝突し、無我夢中で相手を殺さんとする二国間の王達。
粗末なボロ服を纏い、薄汚れた格好で戦うその姿は――まさしく奴隷そのもの。自分の生よりも大切な者達の命を守る為に、彼等はお互いを傷付け合う。
友好国同士だった彼等がだ。
あらゆる箇所から血が噴出し、視界は真っ赤に染め上げられる。
それでも止まらない。彼等の子供達が悲痛の叫びを上げても、もはや誰も止められないのだ。
「いいぞ、もっと攻めろ。もっと残虐になれ」
ロダンは恍惚とした表情を浮かべ、この殺し合いを心底楽しむ。
彼の辞書に平和という文字はない。多くの命を奪い、多くの惨劇が生まれるだけの世界だと考えている。
よって、ロダンは温厚な手段を持ち得ていない。
戦いという手段でしか解決できないのだ。
「あっ……ああ!」
玉座で行われる決闘に、大きな変化が生じる。
王女の困惑した声と一緒に、王女の父である国王は地面に膝をついた。
苦悶の表情をし、利き腕からは鮮血が滴り落ちる。持っていた剣は刃諸共砕かれ、戦う術を全て失った。
対する王は……目尻に涙を溜めていた。
共に平和な世界を築こうと誓った盟友を、この手で殺さねばならない。血塗れのまま崩れ落ちた友を、彼は泣きながら見下ろしていた。
「うっ…うぅ。すまぬ……すまぬ友よ!」
今更懺悔したって、もう遅いかもしれない。
しかしこれもまた運命である。
佇む王は刃を突き立て――膝をつく王を貫く。
「ごっ……あ」
瀕死の王は心臓部を貫かれ、血反吐を吐く。
「父様……?父様ぁッッ!」
王女は急いで王の元に駆け寄り、その全身を支える。一生懸命助けようと試みるが、いずれも無駄な足掻きである。
仰向けにされた王は、やがて絶命する。瞳孔も開き、心臓の鼓動も停止する。それを見届けた王女は、亡き父の胸に頭を埋める。
――決闘は終わった。
呆然と佇む一方の王であったが、彼にはまだやる事がある。
深く息を吐き、心を落ち着ける。
冷静を取り戻した王は、玉座に座るロダンを前にひれ伏す。なるべく感情を押し殺し、決闘の結末を告げる。
「ロダンよ、戦いは終わった。この決闘は私の勝利となり、私の敵は敗北した」
「……そのようだな」
ロダンは淡々と頷く。そこに感情は存在しない。
生き残った王は息子へと歩み寄り、その頭に手を置く。そうしながら、更に言葉を続ける。
「約束に従え。私が勝てば、貴様は私の国から去ると誓ったはずだ。そんな意味も含めて、貴様はこの決闘を作ったのだろう?」
「ち、父上」
王は息子の声も聞かず、真っ直ぐロダンを射捉える。
ロダンは退屈そうに首を傾げ、目線を天井へと移す。
「ふむ、確かに俺はそう言ったな。……さてどうしたものか」
「貴様!よもや忘れたとは言わせまいぞ!私に友を殺させ、友の娘を絶望に追い遣った。だがそれでも尚、貴様はそれ以上を望むか!」
「とは言われてもなあ。だってお前……」
と、ロダンが何かを告げようとした途端。
更なる鮮血が部屋を舞う。
「…………ッ」
「ちち…うえ?」
生き残った国王と、その息子の首が跳ね飛ぶ。
一瞬だった。彼等は何の抵抗も出来ないまま、何者かによって首を奪われた。主を失った二つの身体は、無様にも倒れていく。
「……あ~あ。もう遅い、か」
そう言って、二人を殺した第三者を見やる。
部屋の大扉前に立ち、巨大なナタを肩に担ぐ少女を。数年もの時が経っているにも関わらず、年老いない自分の娘を。
彼女が歩を進める度に、こびり付いた鮮血が刃に沿って流れ落ちる。ポタリ、ポタリと大理石の床に付着する。
幽鬼の如く歩み寄る姿は、正に殺人鬼そのもの。
――そんなセラハを、ロダンはじっくりと眺めていた。
「勿体ぶるねえ親父殿。昔のあんたは、もっと直接的だったけどね」
「心外だな、俺は昔からこうだったぜ。……それとも何か?『死んでいる間』に実の父親を忘れたか?」
父親と言われ、セラハのこめかみに筋が立つ。
彼女が怒気を放つと同時、近くにいた王女は短い悲鳴を上げる。地面にへたり込み、あまりの恐ろしさに失禁する。
「……残念だけど、父親だとは一度も思った事ないね。あんたは私を苦しめ続けたんだ……ずっと、ずっとね」
「なら何故戻ってきた?ここはお前の大嫌いな故郷なんじゃないか?」
「…………」
セラハは何も答えない。
というよりも、その問いに対する答えが見つからないのかもしれない。
「おや、返事が出来ないのか?……なら仕方ない。セラハよりも事情を知ってそうな奴に聞いてみようか」
それは『ある存在』に向けたものである。
隣国の王女でもなく、勿論セラハでもない。だがこの部屋にいるのは確かであり、奴の気配がひしひしと伝わってくる。
禍々しくも美しい。洗練された邪気を露わにしたそいつは、黒き霧となって部屋中を漂い始める。
――魔を呼び起こす兆候。
果ての見えない恐怖に身を悶えさせ、底知れない威圧感に呑まれる全ての生きとし生ける者。
嗚呼、無常とは正にこの事。
例えロダンやセラハであっても……。
……真の闇には逆らえまい。
「――あら呼んだかしら?ロダン君」
「ああ呼んだよ。だからその胸くそ悪い邪気を捨てて、さっさと姿を見せろ」
「……相変わらず口が悪いわね」
闇の霧は一か所へと凝縮し、耳障りな音を立てて形を精製する。
始めは見目麗しい肢体を模り、それを覆う様に漆黒のドレスが縫われる。漆黒の黒髪は艶やかに舞い、紅蓮の唇が生々しく映える。
絶世の美女と呼ばれてもおかしくはない。そんな少女が、玉座の隣へと君臨した。
――その名はジスカ。
この世の摂理を知り、シールカードを統轄する者である。
「それで何の用かしら?こう見えても私、ギャンブラー探しに四苦八苦している最中なのよ」
「そいつは悪かったな。まあでも、そんなに時間は掛けさせない」
「……ふ~ん」
ジスカは肩に掛かった黒髪を払い、両腕を組んで見せる。
どうやら黙って聞くそうだ。
他方のロダンは邪険を露わにし、ジッと佇むセラハに人差し指を向ける。
「――そろそろ答えな。飄々と現れては、何の気なしに生き返ったセラハを差し出しやがって。おまけにシールカードの軍勢だ?……てめえ、始原旅団のプライドに泥を塗る気か?」
嫌悪の牙を剥き出しにし、邪魔立てしたジスカを睨み付ける。
始原旅団は他の軍勢の力を借りない。侵略という成果は自分達だけで挙げなければ意味がない。ましてや得体の知れないシールカードとなると、さしものロダンも警戒をしなければならない。
更に言うなれば、セラハは邪魔な存在でしかない。
ロダンは強きを求め、弱きを排除する。数年前に亡くなった娘など、もはや興味さえも失った。
弱者にチャンスを与えるほど、ロダンは優しくない。
「……ま、損は無いんだし勘弁してよ。セラハに関しては私の部下、エリーザが仕組んだものだし、八つ当たりはエリーザにして頂戴な。もう死んでいるけどね」
「……ちっ、勝手な野郎だな」
ジスカの横暴に呆れ果てるが、これ以上言っても後戻りは出来ない。既にジスカはセラハにシールカードを与え、そしてギャンブラーとなって軍勢を従えている。
それだけではない。彼等は隣国のランドリオ帝国にまで宣戦布告をし、大々的な戦争を仕掛けようとしている。もしランドリオを奪えば、帝国の領土はパステノン王国へと吸収される。
確かに得はするが……その分、厄介事が増えて仕方がない。
目前でカタカタ震え、実の父に怯えるセラハもまた……その要因である。
ロダンはその場から立ち上がり、重い足取りで進み行く。
気絶した王女の横を通り、そしてセラハの横を通り過ぎる最中。
彼はセラハに対し、怨嗟の言葉を言い残す。
「――親父に愛されて育ったせいで、やっぱりお前には残虐性というものが無いな。……だから俺は、お前に愛想を尽かしてるんだよ。ずっとな」
「…………」
セラハはナタを持っていない手を握り締める。
顔を俯け、零れそうな涙を堪える。
自分の祖父、アルバートを馬鹿にされたようで……悔しかったのだ。
※パステノン雪原→http://6886.mitemin.net/i99357/




