ep5 かつての友
パステノン王国の夜は冷える。北風が吹き込み、その場に留まっていたら凍死してしまう勢いである。
実際、この国では凍死する事例が非常に多い。戦場で勝ち残ったものの、町に帰って祝杯を挙げ、泥酔した状態で夜の町を闊歩し……そのまま死んで行く者がいるのだ。
一時は禁酒法を制定した時期もあったが、それも効果がなかった。酒をこよなく愛する故、僅か一か月で廃棄されたとか。
まあ仕方ないと思う。この国には娯楽が少なく、男は酒や女遊びに洒落込み、女もまた酒で日々のストレスを発散させるのだから。
――その為だろうか。
アルバートが借家から出て、五分程歩いた先にある酒場を見た途端……多くの人で溢れ返っているのは。
「……にしても、これは多すぎじゃな」
苦笑しつつ、アルバートはゆったりとした足取りで店へと入っていく。外で飲んでいる連中に、「何だこの大男は」と不審な目で見られたが、フードを目深く被り、その場をやり過ごす。
……さて。
酒場の中に入り、彼は尋常で無い熱気に晒される。これは多くの者達が呑み交わし、汗をかきながら歌い叫んでいる影響だろうか。
一階の飲み場は広く、席やテーブルも豊富に置いてある。しかし客があまりのも多すぎて、半分以上の客が床に座るか、またはテーブルに寝っ転がりながら酒を堪能していた。
ランドリオの民とは違い、ここの連中はガサツでマナーというものを知らない。かつては自分もそうだったと思うと、何だか不思議な感覚だ。
アルバートはフード付きのマントを羽織ったまま、奥のカウンター席へと向かう。
きょろきょろとカウンター席を見回すと……不自然に空いている席が一つある。誰もがそこに座ろうとせず、まるで避けているように感じた。
――恐らくここだろう。
そう確信し、彼はその巨体を乗せ、カウンターテーブルに両腕を置く。
……すると、一人のバーテンダーがやって来る。白髪の老人で、恐らくアルバートと同年代なのだろう。
だが服を着ていても、その老人が如何に筋骨隆々なのかが分かる。ただのバーテンダーにしては逞しく、そして尖った覇気を放っている。
老人はアルバートの目前に立つと、外見に相反して穏やかな口調で述べる。
「……申し訳ございません、お客様。そこの席には予約された者がおりまして」
「……」
思いがけない言葉に、アルバートは可笑しい気分になる。
全く――旧知の友を忘れるとはな、と。そう思わずにはいられなかった。
「おいおい、何を寝ぼけた事を言っておる。――儂じゃよ、儂」
「……その声……もしや」
驚愕する老人にだけ見えるよう、アルバートはフードを少々上げる。
嗚呼、間違いない。そう判断した老人は、カウンター越しに肩に手を置いてくる。
「おお……友よ。我が戦友アルバートッ!よくぞ……よくぞ祖国へと戻ってくれたな!待っていたぞ!」
「こ、こらジーハイル。声が大きいわい……」
「はっはっ!ここなら大丈夫だよ。今は連中、馬鹿騒ぎする事しか頭にないからなあ」
「ぬ、ぬう。そうか」
元戦友のジーハイルに言われ、それ以上は何も反論できなかった。
――ジーハイル。彼はアルバートの腹心であり、幼少期から共に居た幼馴染でもある。何時如何なる時も傍に侍り、戦場でも共に名を馳せていた。『戦殺しのジーハイル』と言えば、今でも知らぬ者はいない。
……約数十年ぶりの再会だが、随分と老いたものだ。
「それで、儂はこの席に座っても良いのか?」
「ああ勿論さ。お前が来るって聞いてから、もう一週間以上前に予約席にしてしまったよ」
「そいつは有り難いが……」
「ん?何か困る事でもあるのか?」
純粋に尋ねてくるジーハイルに、アルバートは頭を悩ます。
アルバートは単に彼と会いに来たわけではない。それなりに理由があり、真面目な会話をしに訪れたのだ。
――パステノン王国の現状。そして願わくば、誰がシールカード勢力と結託したのかを聞く為に、ジーハイルに会いに来たとも断言できる。
今のアルバートはランドリオ帝国の六大将軍。そして皇帝陛下から命令が下っている以上、忠実にそれを果たさなければならない。
……その様子を観察し、彼の意図を把握したジーハイル。
てっきり悲しそうな表情をするかと思いきや、彼は豪快に笑い始めた。
「な、何じゃいきなり。相変わらず変な奴め」
「ははっ……いやあ悪い悪い。からかうつもりで笑ったわけじゃない。……ただ、懐かしく感じてな」
そう言いながら、エプロンを外すジーハイル。仕事を中断し、どこか違う所で話をするつもりなのだろう。
ジーハイルは隣の客が空っぽにした皿を取り上げ、流しに送る。そういった最後の後片付けをしながら、続きを言ってくる。
「……全く、嬉しい限りだよ。お前が国王となった時は、もう昔のあいつはいないのかと思ったが…………どうやら違うようだ。今のお前を見ていると、優しく単純だった首長時代を思い出すんだ」
「……まあ、儂ももう歳だからの。若気の至りで過ちを犯し続け、それを繰り返す程……もう力は残っとらんよ」
「そうか……そうだよな。お互いもう、歳を取り過ぎた」
ジーハイルは哀愁漂う様子で呟き、後片付けを終える。
彼は上の階を指差し、快活な調子で言う。
「よし、分かった。じゃあ三階の席で語ろうか。そこなら丁度、ある団体だけが呑んでいるだけだからな。……あ、勿論その団体は信用出来るから、盗聴される危険性はないと思う」
「そうか。なら行こう」
アルバートも席を立ち、カウンターを出て階段を登ろうとするジーハイルに付いて行く。
階段を登りながらでも、彼等は話を続ける。
「……なあジーハイル」
「どうした?」
「お前はその……儂を嫌ってはいないのか?」
「嫌いって、何で俺が」
ジーハイルは振り向かないが、不思議そうに聞き返してくる。
これは昔の事だが、アルバートは国王だった頃――多くの過ちを犯してきた。更にジーハイルを含む同族にも、多大な迷惑をかけてきた。
此度の出会いも、最初は断られるかと思った。
だが彼は、自分を笑顔で迎えてくれた。それが何とも不可思議で……恐怖さえも覚える程に。
ジーハイルは逡巡した後、簡潔に答えた。
「……ははあ、なるほど。つまりお前は、自身の我儘を貫いて来たから、俺がそれを怒っていると……そう思っているわけだな?」
「そうだ。……あの時は、本当に」
「あ~待て待てアルバート。確かにあの時は怒りを覚えたが、後でお前の事情を知り、むしろ同情したくらいだぞ?――そんな事で、お前の戦友を止めるつもりはない」
「ジーハイル……。お前だけでも、そう言ってくれると有り難い」
アルバートは感極まった様子で、素直な感謝を送る。
けれども、ジーハイル以外の連中は別だろう。
彼等は当初、アルバートの行動を猛烈に批判していた。……息子や孫娘に対する態度とか、国王を退位した事とか、色々な事でだ。
一国の王が傍若無人に振る舞い、責任を押し付けて国を去った罪は……とてつもなく重いはずだ。
アルバートが壮年となった辺りで、改めてそれを悟った。だから自分は、この国に戻りたくは無かった。
――責任逃れをし、自分の事を嫌う友人が住まうパステノン王国。そこに戻る事は、アルバートにとって苦痛以外の何ものでもない。
二人は無言となり、黙って三階の階段を登り始める。
……三階からは、楽しそうな笑い声が聞こえる。
一階と二階では若い男女が酒を酌み交わし、若者の声しか聞こえなかった。だが三階から響くそれは、しわがれた声ばかりであった。
団体の連中だろうか。……と思った矢先、
――この声達の正体を把握した。
「お、おい。まさか三階にいるのって」
慌てるアルバートに対し、意地の悪い笑みを見せてくる。
「そのまさかだ。……でも深く考えるなよ。奴等もまた、俺と同じ考えに行き着いたんだからな」
「な、何じゃと」
アルバートは慌てふためくが、今更戻る事は出来ない。
階段を登り切り、三階へと辿り着くアルバート達。広さは一階と同じで、その空間には約二十名の客がいた。誰もが老齢で、若い者は一切見受けられない。
来訪者に気付くと、団体は一様に、アルバートへと視線を変える。
ジーハイルは無理やりフードを外し、アルバートの容貌を晒す。咄嗟に周囲がざわつき――一斉に歓声が上がる。
「ほほ!ようやく来おったか親友!」
「久しぶりねえ。今見ても男前よ、アルバート」
「お~い、給仕!俺達の英雄が帰って来たんだ、酒をもっと持ってきてくれ!」
皆が思い思いの言葉を連ね、歓迎の意を示す。
呆然とするアルバート。そんな戦友の背を叩き、ジーハイルが周囲を見渡す。
「ジーハイル……これは一体」
「ふっ。お前が来ると知って、半週間ぐらい前から毎日ここで飲み明かしているんだよ。……ったく、ジジイババアになっても元気な奴等だよなあ」
「……儂を待つ為に、通っているのか?」
ジーハイルは頷く。続いて他の連中も、それを肯定する言葉を次々に投げかけてくる。
――懐かしい光景だ。
首長以来だと思う。……こうして仲間に祝福され、楽しい輪の中に加われたのは。
自然と涙が零れ、雫が頬を伝う。
「……俺の戦友、アルバート。主な説明はまた後にしよう。……今は旧友達と、仲良く語り合おうじゃないか?」
「……そう…じゃな」
ジーハイルに促され、アルバートは彼等の中へと入る。
この日を感謝し、この再会を喜び。
今はただ、彼等との会話に華を咲かせる事にした。
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