ep12 宿命の立場(改稿版)
ゲルマニアが退出した後、アリーチェは軽くため息をついた。
別に疲れているわけではない。事実上の軟禁状態の今、アリーチェが疲れる要素などどこにも見当たらない。
自分が溜息をついた理由は――ゲルマニアのあの態度だ。
彼女が聖騎士に好意を抱いているのは、鈍感なアリーチェでも理解出来る。……いや、尊敬にも似た好意とでも言うべきだろうか?しかしあんな夢心地の気分で語られては、どちらも同じようなものである。
聖騎士を語るゲルマニアの笑顔は、とても活き活きとしているのだから。
――アリーチェはそれが羨ましかった。
彼女がああやって感情を素直にを曝け出せること。今のアリーチェにとっては、手の届きようがない願いである。例え神が許したとしても、周りの人々がそれを許すことはない。
皇女はいつ如何なる時も、この笑顔の仮面を被らねばならない。
その姿はまるで道化のよう。淑女に相応しい体裁の裏には、一人悲しく演じるアリーチェが見え隠れしている。泣きたい時も、怒りたい時も、彼女は本心を出すこともなく……偽り続ける。
アリーチェとてまだ少女である。どこにでもいる少女の如く、あのゲルマニアのようにに愛情をアピール出来れば……どれだけ素晴らしい事か。この胸の奥に潜む純情を開放できれば――っ。
「……苦しい」
彼女は押し殺すように呟きながら、自分で自分を抱き締める。
――ああ、まるで何重もの鎖に縛られているようだ。鉄よりも強固で、アリーチェの身体と心を延長線上に縛りつけているような。
身分という鎖が――何重にも。
リカルドとの婚約、これが何よりもアリーチェを束縛している。
彼との結婚はすぐそこだ。準備が整い次第、彼は盛大な結婚式を執り行うと宣言している。そこに愛というものは存在せず、ただ自分の権力を誇示するために――。
無論、アリーチェ自身もリカルドを好いてはいない。むしろ――大嫌いだ。
前王、つまりアリーチェの父を暗殺し、至上の地位である皇帝の権利を独占。更に、民に多大な負担を強要している事実も知っている。権力者として許されざる愚行であり、穏健派であるアリーチェは特にそれを許せなかった。
それに――彼の真意はどこか狂気じみていて、叶わぬ願いを追い求めるその姿が、その思いが怖くて仕方ない。
「……う、うぅ」
すすり泣きながら、アリーチェは自分を更に強く抱く。
結婚なんてしたくない。――嫌だ、嫌だと。何かの暗示にかかったかのように、彼女は延々と本音を吐いていく。誰も居ないこの部屋の中で、一人さびしく。
もはや日常茶飯事だ。
こうなる度に、アリーチェはいつも最後にこう独白する。
「……聖騎士様、どこにいるのですか?かつて皆を救ったように…………私を、助けて下さい」
悲壮の嘆きは、反響する事なく消えていく。
――静寂。だがその世界が想像を膨らませてくれ、洗練された、輝かしかった日々を思い起こさせる。
まだ父王が在位し、帝国が誇り高く繁栄していた頃の時代――そして、とある騎士が六大将軍に就任した日。
記憶の登場人物は、とある姫と騎士の二人であった。
多くの武勲を上げた騎士は、地平線に沈む夕日を背に姫へと跪いていた。何の不快感も見せず、まるで絶対の忠誠を誓うかのように。
一方の姫は戸惑っていた。自身が彼に見合う主だと自覚できぬまま、立って下さい、顔を上げて下さい、と何回も叫んでいた。
それでも騎士は姿勢を改めることもなく、彼女に堂々と告げた。
『――アリーチェ様。遅ればせながら、私は今日より貴方のしもべです。例えこの身がどこにいようと……貴方に何かあったら、必ずや参上しましょう』
騎士は宣言した。それすなわち、姫の平和を願って――
それこそが姫の生きる支えとなり、大いなる希望と化した。
彼なき今も、姫は夢想する。
まるで恋する乙女の様に、彼を待ち続ける。
聖騎士が――あの約束を果たしてくれることを……。
「――あの約束が嘘でないのなら……私の元に、来て下さい……ッ!」
誰も居ない部屋の中で。
ついにアリーチェは、声を出して泣き崩れた。