ep20 白銀の始動
……不思議な感覚だ。
意識は朧げなのに、ゼノスの身体は突き進む。自らの足で、はっきりと歩み続けている。
空白の世界で。果てしなく伸びる螺旋階段を。
――隣で並ぶ、イルディエと共に。
……イルディエもまた、同じ感覚に包まれていた。
激しい痛みはもう感じず、恐怖という概念は抜け落ちた。そしてある一つの走馬灯が、イルディエの脳裏へと広がる。
それはもう数年前の出来事。まだ幼少期の話であり、物心がついた頃の記憶だ。
彼女はアステナ一族の末裔として生誕した。アステナとは創世記から在りし古代民族の一種であり、『火』という理を崇めてきた。
火は生活の基礎であり、文明を築く為の礎。アステナは火を与えて下さった不死鳥を信仰対象とし、舞踏という形で祈りを捧げ続けた。如何に時代が変化しようと、その意思だけは忘れない。
――イルディエは一度、その不死鳥の聖地たる火山地帯へと連れて行かれた。何でも我等が神を間近で崇め、アステナ一族の繁栄と持続を乞う為だとか……人種迫害を受けるまでは、それが叶うものだと信じていた。
幾人もの大人達が先導し、その後を子供達が付いて行く。やがて辿り着いた火山の頂上で、彼等は美しく、そして気高く舞う。
未だ見ぬ不死鳥の存在を夢見て……。
…………その事実を、今ようやく思い出す事が出来た。
奴隷に身をやつしてからは、神などいないと思っていた。神がいるならば、何故我々は虐げられたのかと。神がいるならば、こんな屈辱を受けなかったと……日々そう念じていた。
〈……神とて全能ではない、娘よ〉
そう、不死鳥は神であるが、我等を救う程の力はない。全知全能という言葉は、所詮人間が創り出した妄念。
不死鳥を恨む理由など、あるはずがない。
〈けれど、我は娘の先祖と、ある血約を交わした〉
彼は独白する。静かに螺旋階段を登るイルディエに対して。
〈――世界が危機に陥るその時、我は姿を見せようと〉
〈我が真髄を、聖地に誘われし末裔に託そう……と〉
「――――――」
刹那、心臓の鼓動が高鳴る。
確かに脈動が聞こえ、イルディエを昂ぶらせた。
それは夢現でなく、本当の現実。
刹那の衝動は終わりを告げ、やがて聖なる炎が全身を焦がす。今のイルディエにとって、炎は安らぎであり、母に抱かれたも同然。
不死鳥の鼓動と、イルディエの鼓動が重なる。
「……」
イルディエは無言のまま、隣を振り向く。
――眩い光に照らされ、颯爽と歩く者がいた。
だがイルディエとは正反対だった。彼女が原始を担うならば、彼という存在は文明の結晶体を培っている。
白銀の胸当て、白銀の肩当て、白銀の籠手、白銀のすね当て。そのどれもが美しい装飾によって彩られ、全てを魅了する。紅蓮のマントがなびき、救国の英雄を彷彿とさせる。
彼は闇を切り開き、光を与える正義の騎士。
一方のイルディエは、不死鳥の力を与えられし踊り姫。
彼等は登り続ける。未だ見果てぬ螺旋階段を、その先に終着点がある事を願い続けて。
……彼等はまだ知らない。
この節目が、後の世界にどれほどの影響を与えるかを。最強の名を冠し、大いなる力となり得る事を。
――英雄、白銀の聖騎士叙事詩。第一章一節――
『白銀の聖騎士、再臨』
新たなる英雄達が、現世へと舞い戻ろうとしている。
アルバートは苦境に立たされていた。
ゼノスとイルディエがマグマへと落ち、レイダは瀕死の状況にある。奴隷達も未だ牢屋に閉じ込められ、不安と絶望の色を見せている。
更に目前の魔人は、想像以上に手強い。アルバートとラインで畳みかけようとするが、どうにも致命の一撃を加えられない。一進一退の攻防だけが空しく展開され、精神的にも限界を来している。
アルバートは魔人の正拳を戦斧で受け止め、舌打ちする。
「ぬぐっ……流石にピンチじゃな。しかしこいつを野放しにすれば、間違いなくトル―ナへと強襲してくる」
「だろうねえ。お爺さん、そろそろ本気を出してみれば?」
ラインが横から蹴りを入れながら尋ねる。魔人は側頭を蹴られても動じず、ラインの全身を右腕で薙ぎ払おうとする。
しかし彼は素早く腕を飛び越え、回避する。
「馬鹿言うでない、儂が本気を出せば皆が死んでしまうわ」
即答され、ラインは嘆息する。
「大言壮語……というわけでもなさそうだね。事実、貴方から一寸の覇気も感じられない。――まるで、惰性で戦っているような」
「惰性などではない。……極限にまで加減しているのじゃよ!」
素直にそう告白するアルバート。
だが奴隷達やレイダに何かあった場合、それなりの覚悟は必要だろう。地理的条件は最悪だが、本来の力を発揮するしかない。
唾を飲み、戦斧の柄を強く握りしめる。
だがそのとき、アルバートは思わぬ瞬間に出くわした。
火山の淵からマグマが勢いよく上昇し、火柱となってアルバート達の目に焼き付ける。魔人も驚いて背後を振り向き、一同は茫然と立ち尽くす。
「な、なんじゃ一体……」
「噴火……?いや違う、これはまた別の」
アルバートとラインが驚く最中、炎獄の魔人は火柱を睨み付ける。火柱からほとぼしる神聖な力に触発され、彼の危険意識が高まったのか。
魔人は躊躇なく飛び、火柱に向かって拳をふりかぶる。
彼の正拳は見事火柱にクリーンヒットするが……。
『ごっ――ぁ、アア!』
苦悶の叫びを露わにし、火柱から放たれる業火に焼かれる。
何故火柱が……と思った矢先、アルバート達は驚きの光景を目にする。
天空を穿つ火柱は途端に威力を抑え、縮まっていく。そして、同時に火柱は火山口から切り離される。
独立した火柱は、やがてある形へと変化していく。
淡い橙色の火の粉を散らし、猛々しく羽ばたかせる焔の両翼。甲高い咆哮と共に、火山地帯全域にその覇気を轟かせる。
紛う事なき伝説。
原始の空を舞い、地上に生命の息吹をもたらした神様。
――かの不死鳥の化身が、皆の前に現れる。
「お、おお……何と神々しい。この山には不死鳥が住むという伝説は聞いていたが……まさかこれが」
と、アルバートが感嘆の声を漏らした時――
『――いえ、アルバート様。確かに不死鳥の恰好をしていますが、イルディエです』
不死鳥の化身から放たれるのは、まだ年端もいかない少女の声音。
それがイルディエだと確信したのは、もはや言うまでもない。アルバートやライン、そしてエルーナも唖然し、この現象に戸惑いを隠せなかった。
「イルディエ……よ、良かったぁ」
エルーナは安堵し、力が抜けてへたり込む。唯一無二の友がどんな姿になったとしても、そんなのは関係無い。
彼女は素直に、生きているという事実に歓喜していた。
「な、なら小僧は。ゼノスは……」
『ちゃんといますよ。――ゼノス、貴方の怪我は私の体内で全快しました。これでまた、魔人と戦えます!』
不死鳥となったイルディエが断言する。
すると不死鳥の腹を突き抜け、暴風の如く魔人へと突進する者がいた。
魔人はその尋常ならざる速さに付いて行けず、体当たりによって吹き飛ばされる。
『グギッ……』
ようやく反応を示した魔人は、崖に落ちる寸前で踏み止まる。怨嗟の籠った視線を、体当たりしてきた人物にぶつける。
白銀の鎧に身を包み、紅蓮のマントをはためかせる少年。
――白銀の聖騎士ゼノスもまた、炎獄の魔人を見据えていた。
「……イルディエ。もし叶うならば、その姿のまま奴隷達、レイダやエルーナを連れて安全な場所まで避難させてくれ」
『はい、分かりました。……どうか気を付けて』
心配そうに呟くイルディエに対して、ゼノスは右手だけを振る。これは大丈夫だという合図であり、彼女にも伝わったようだ。
不死鳥となったイルディエは翼を丸め、奴隷達へと飛来する。彼女達は悲鳴を上げるが、逃げる間もなく、不死鳥へと飲み込まれる。また飛翔し、不死鳥は空高く飛んでいく。
それを見届けたゼノス。今度はアルバート達に言葉を投げかける。
「アルバート、遅れてすまない」
「……いや、いいんじゃよ。詳しい経緯は分からんが」
アルバートはゼノスの恰好を一目見、ニヤリと微笑む。
この姿は正しく、かつての親友が着飾っていた白銀の鎧。どういう条件で手に入れたかは知らないが、ゼノスの瞳には一瞬の揺らぎが存在しない。
透き通った瞳だ。アルバートは恰好よりも、ゼノス本来の意志が目覚めた事に喜びを隠せなかった。
「それで、儂等はどうすればよいかの。手伝おうか?」
「心配無用だ。――俺が聖騎士として必要な力を有しているかを、こいつで試してみたい」
「……ふっ、よかろう。ラインも構わんな?」
ラインは嫌がる事なく、むしろ嬉しそうに頷く。
「僕としては願ったり叶ったりさ。――ゼノス。君の力の真髄、しかと見させてもらうよ」
二人の意見は一致し、黙してゼノスを見守る事にした。
ゼノスは、「有難う」とだけ言い、すぐさま剣を腰のところに引き寄せて、切先を相手に向ける。
ここまで、魔人から大きな動きは見て取れない。奇襲する機会は幾度となくあったのにも関わらず、彼は距離を保っていた。単なる狂人かと思いきや、意外にも相手の隙を窺っていたようだ。
――炎獄の魔人。
奴こそが、白銀の聖騎士に仇なす最初の敵。これから繰り返されるであろう戦いの序章だ。
「――行くぞ、魔人」
『ガ、アアアアッッ!』
ゼノスの声に呼応したかの如く、魔人が奇声を上げながら突撃してくる。右手を握り締め、大きく力を溜め込む。
一瞬の余裕さえ見せられない。ゼノスもまた息を吐きつつ、切先を相手の喉元に照準を合わせ、左手を剣の腹に添える。無駄な動きを排除し、鈍い鎧の音と共に駆け走る。
これが聖騎士の鎧の重み。歴代の聖騎士達が愛用していた鎧は、多くの希望と責任で重みが増している。
……慣れなければ、聖騎士の戦いに。
両者は激しく衝突しようとする。
魔人は拳を振り上げ、ゼノスに向かって撃ち放つ。力の宿った一撃は爆炎を呼び寄せ、轟音を鳴り響かせる。
しかしゼノスは爆炎に飲み込まれる寸前、咄嗟に屈みこむ。そのまま滑り込む形で魔人の股下を潜り抜ける。無論、剣を構える体勢は絶対に崩さない。
『ぐ……ォ?』
魔人の反応は遅かった。
周囲を見渡すが、ゼノスは背後へと回り込んでいた。立ち上がった彼はすかさず魔人の心臓部を射捉え、刺突を放つ。
肉を鋭く穿つ音。
やったかと確信したが、それは思い上がりだった。
『……ア……マイ』
「ッ!?」
ようやく人間の言葉を紡いだ魔人は、裂けた口先を吊り上げる。
身体全体を盛大にくねらせ、瞬時に一回転させる魔人。寒気を覚えたゼノスは剣から手を離す。
心臓を突き刺しても、奴は苦しむ素振りを見せない。それどころか、ゼノスの剣は魔人の炎によって焼かれ、液体状の鉄となってしまった。
「むっ、いかん!ゼノス……儂の戦斧を!」
「必要ない!俺にはまだ、最高の武器がある!」
ゼノスは断言する。
……そう。ゼノスにはまだ、武器がある。
それは見えざるもの。聖騎士が形ある武器を失い、危機に立たされた時のみ使用できる異色の奥義である。
……今なら発動できる。聖騎士の鎧を授かり、聖騎士として生きると決めた今なら――ッ!
魔人はゼノスを頭から喰おうとする。口を開き、覆い被さろうとする。だが一方のゼノスは、極めて冷静沈着であった。
――最高の武器。
聖騎士の織り成す斬撃のオペラを奏でる為に。
淡い光の武器達となりて、美しいハーモニーを生み出す。
『――――――』
開幕。ゼノスの瞳に、より一層鋭さが増す。
まずは序章。
舞台の主人公を演じる聖騎士ゼノスは、闇の使者たる魔人から距離を取る。真後ろに下がったゼノスは、両手で光の武器を掴む。……何も無い場所から、光を帯びた聖槍を出現させた。
彼は聖槍を投擲する。光の槍は一迅の流星となり、容赦なく魔人の腹部を貫く。
『お、ご……オオッッォ!』
激痛に苛む魔人。
しかし、オペラの幕を下ろす事はない。まだまだ奏で足りない、未だ完結には至らない。
二章。
自分の背丈よりも巨大な双対の聖斧を両手に持ち、魔人へと向けて投げ放つ。
聖槍の投擲はオペラの始まり。聖斧は物語を助長すべく、軽快に、そして滑稽且つコメディ溢れる動作で魔人の全身を斬り裂いていく。
ブーメランの様に手元へと戻って来るが、再度ゼノスは聖斧を放つ。まるで大道芸人の如く、あくまで自分を滑稽且つ華麗に魅せる。
『タ……タズッゲ……ッッテ!』
何とも哀れな姿か。物語の悪役よ。
だが、本番はこれからだ。
三章。
穏やかな川は激流と成し、それは物語の展開を覆す意味と捉える。
次なる役者は聖剣。今度は聖騎士自身が舞台に立ち、聖剣を手に悪役たる魔人の元へと疾駆する。
絶叫する魔人の懐へと踏み込んだゼノスは、がむしゃらに剣を振り抜く。
狂おしく、どこまでも相手を憎み続けて。激しい怨嗟を剣に宿し、相手を突き刺す。薙ぐ。叩き伏せる。圧倒的な力を以てして、炎獄の肉体を徹底的に斬り裂き続ける。
怒涛のコーラス。残酷な結末を後に控えた魔人を他所に、ゼノスは終焉へと導く最後の武器を出現させる。
終章。
ここに、魔人は果てる。
最後の武器である聖弓を構え、弦を精一杯に胸へと引き寄せる。爛々と輝く弓矢を、魔人の脳部へと合わせる。
「――消えろ、魔人。貴様のような悪者は、世界平和にとって障害でしかない!」
ゼノスの叫び。
弓矢は無慈悲にも放たれる。光の粒子を零しながら、物語を幕引きへと誘う。
――命中。
透き通る程よく聞こえる的中音。魔人の眉間を貫き、魔人は呻き声を上げながら…………崩れ落ちる。その身体に、聖槍・聖斧・聖剣・聖弓の弓矢を突き刺されながら。
『……バ…カッ…………ナ』
それでも尚、炎獄の魔人は死なない。
全身を引き摺り、悪魔じみた手を伸ばしながら、ゼノスへと近付こうとする。害虫にも勝る生命力だ。
ゼノスは怯まない。鋼の意志を受け継いだ以上、これしきで臆する事は許されないのだ。
「……これは始まりに過ぎない。俺が聖騎士として生きる限り、悪を滅ぼす行為は日常と化すだろうな」
自分に言い聞かせるように呟き、踵を返す。
奴隷商人であったアグリムに――死を。
アルバートとラインの元へ戻る途中、ゼノスは指を鳴らす。
『ッッ!』
魔人は悶え苦しむ。全身に突き刺された光の武器が輝き出し、大きく膨張し始める。一生懸命抜こうとするが、簡単には取れない。
神に懺悔する事もなく、光の武器が破裂する。
魔人――否、アグリムの全身は肉の破片となって飛び散る。一切の再生を許さず、細胞一つ一つを残さず殲滅した。
嗚呼、めでたしめでたし。
これにて、オペラは大団円を迎える。
「――聖騎士流妙技、『マドリガル』。舞台役者に踊らされ、恥辱に満ちたその姿は……とても哀れだったよ」
ゼノスはそれ以上告げる事もなく、ある思いに耽る。
この白銀の鎧を装着してから、自分の力が飛躍的に上がった様に感じた。現に今まで成功しなかったマドリガルを、容易に使用する事が出来たのだ。意識の向上のおかげかもしれないが、この鎧は不思議なオーラを纏っている。
……二代目聖騎士から貰った鎧。
だがあの場所で話した内容は、一切思い出せない。
――複雑な思いに駆られながら、聖騎士の初陣は終わりを告げた。




