ep19 罪悪感
…。
……。
…………知りたくない事実だった。
だが不思議と、ゼノスは取り乱さない。何故ならこれは自分が行き着いた結果であり、彼女はそれを先走って言ったに過ぎない。他の聖騎士達も、恐らくこの事実に辿り着いていただろう。
――魔王神の正体が、初代聖騎士。
実感が湧かない話であり、にわかに信じ難い。
「つまり聖騎士が償うべきものとは……いずれ来る魔王神の復活を食い止める為に……なのか?」
『――いえ、魔王神に関しては既に終わった話です。彼自身をこの手で封印した私が保障しましょう』
その事実に、ゼノスは言葉を失いかける。
しかしここで踏み止まるわけにはいかない。彼は更に問い詰める。
「なら、聖騎士が未だに負っている使命とは何だ?彼等は何の為に――ッ」
と、そこでゼノスは言葉を打ち切る。
突如、ゼノスの全身が光に包まれ、神々しく光り輝く。それは自分という存在が薄れている証拠であり、すぐに理解出来た。
『……残念ながら、これ以上の問答は不要です。この世界は言わば生と死の狭間であり、生者と死者が巡り合えるのは極僅かなのです。貴方はもう、現世に帰らねばならない』
「……」
光の粒子が空を舞い、幻想的な風景を描く中、カスタリエはゼノスへと歩み寄る。
ゼノスの両手を、彼女は自分の両手で包み込む。一回り大きい故に、カスタリエはゼノスを見上げながら問う。
『聖騎士の負う罪は、貴方が思う以上に深刻です。彼が魔王神となり、世界にもたらした罪の芽生えは……もうじきでしょう』
だからこそ、ゼノスは覚悟を決めなければならない。
正義を担い、そして聖騎士の罪を清算しようとする強い意志を。魔王神が遺した闇を葬る為に、孤軍奮闘しなければならない。
『――故に、質問しましょう。貴方はこれから、様々な事情に苛まれます。それでも尚、聖騎士という地位を望みますか?』
「……」
心はとうに決めている。
例え初代聖騎士――否、魔王神の罪を清算する為だとしても、ゼノスの決意に揺らぎはない。
ゼノスは聖騎士として、多くの人間を救いたい。魔王神の罪が人を殺すならば、自分は彼等を救う力となりたい。
どんなに辛い現実が待ち受けようと、どんなにそれで絶望しようと……最後には、必ず使命を遂げて見せる。
故に、ゼノスはこう答える。
「――俺は、誰かを救う為に聖騎士となりたい。悪いけど、過去を清算する為だとか、罪を償うだとかで生きるつもりはない。ただ護る為に――ただ忠実なる正義の騎士として……使命を全うする」
その言葉に、カスタリエは呆気に取られる。
だがやがて、彼女の表情が綻ぶ。
『……そうですね。その気持ちさえあれば、どんな困難にも立ち向かえる事でしょう。今はいない先代の聖騎士は、良き後継者を選びました』
何と誠実で、どこまでも純粋な少年だろうか。カスタリエは素直にそう思い、長々と告げたのが馬鹿らしく思えてきた。
きっと、彼は真実の全てを知り得ても臆さないだろう。
……魔王神となる前の、まだ人間であった頃の初代聖騎士によく似ている。
『――なら、貴方には聖騎士の証を授けましょう。これは形を成しているが、例え壊れても、ある運命を以てして再び舞い戻ってくる優れもの。……白銀の鎧を、ゼノス・ディルガーナに』
そう言って、カスタリエは強く念じる。
すると、彼女の両手が輝く。眩い光はどんどんとゼノスの手へと引き寄せられ、最後にはゼノス自身の両手に更なる光が帯びる。
仄かな暖かさを纏い、確かな重みを実感する。現実世界に戻ったその時、光はゼノスの全身を覆い……白銀の鎧となりて実体化するだろう。
――ゼノスは浮遊する。重力に逆らい、彼は遥か天空の彼方へと飛ばされようとしている。今のゼノスを支えているのは、カスタリエの手だけである。
『……さあ、これより先はもう手助け出来ません。後は貴方自身の力で、聖騎士となり生きて下さい』
「……有難う、カスタリエ。そして歴代の聖騎士達も、わざわざ見届けてくれて申し訳ない」
『ふふ、これが役目ですから。――ですが、最後に一つだけ言わせて貰ってもいいですか?』
「?」
ゼノスが了承する前に、カスタリエは片手を空け、彼の額に何かを押しやる。
――――それは、一枚のカードであった。
「……え」
『――催眠師のシールカード、ダイヤ。……〈忘却〉』
途端、ゼノスの意識が遠退く。
それと同時に、記憶の中の何かが割れたような、そんな錯覚に襲われる。
『……ここで話された事は、現実世界に戻ってしまえば忘れる。しかし、このシールカードという存在と深く関わったその時…………ここでの出来事を全て思い出すでしょう』
「……なん、で……」
『簡単な事です。今の貴方に、この知識は余計だと判断したから。――今はただ、正義の騎士として活躍して下さい』
「カス……タリエ」
彼女はゼノスの手を離す。
ゼノスは支えられる力を失い、空へと飛んでいく。見上げるカスタリエと先代の聖騎士達は、段々と小さくなっていく。
――ゼノスは、この幻想的な世界を後にする。
彼が見えなくなっても、カスタリエは空を見上げていた。
歴代の聖騎士達がその役目を終え、一人、また一人と霧散していく。それでも尚、彼女が言葉を発する事は無かった。
……しかしただ一人。一人の聖騎士は、未だこの世界に留まっている。
カスタリエは振り向かないまま、彼に問う。
『――もう皆が旅立ちましたよ、三代目聖騎士。それとも、私に用事でもあるのですか?』
『おう、そのつもりよ』
男気溢れる調子で、三代目聖騎士は答える。
彼は深く溜息をつき、半ば呆然とするカスタリエを見据える。
『……んで、いいのかカスタリエ。お前さん、あの坊主に話すべき事がまだあったんじゃないか?』
『……』
カスタリエは沈黙を貫く。
だがその肩は、若干震えていた。
『ったく、同情と優しさは同じじゃねえんだ。確かにいっぺんに教える事じゃねえが、事は急を要する。……必要な知識ぐらい、隠さず話した方が良かったと思うけどな』
『…………すいません。こればかりは、情が湧いてしまったもので』
『情ねえ。――あの坊主の出自に、関係がある事かい?』
『――ッ!』
瞠目し、三代目聖騎士へと振り向くカスタリエ。
彼は顎鬚を撫でながら、口を吊り上げる。
『甘くみなさんな、カスタリエ。俺はお前さんに憧れて聖騎士になったんだぜ?あの時代の人間が常識としていた事実を、俺が知らないとでも?』
『……そうでしたね。貴方もまた、創世記を生きた者の一人でした。さっきも言った通り、今全てを明かすつもりは無かった。その事実は、いずれ彼自身が知る事ですから』
カスタリエはそう結論づけ、また空を見上げる。
一方の三代目聖騎士は、彼女の隣へと並ぶ。そしてポケットから葉巻を取り出し、口に据える。
『――この先、あの坊主は色々な事で思い悩むだろうなあ。初代の罪は愚か…………あんたの武器であった、シールカードに対してもな』
『全部知っているような口ぶりですね』
『いや、ただの予想さ。だから後世には伝えなかった。……だがその調子からすると、シールカードも初代の罪に関わっているようじゃねえか』
今まで飄々としていた三代目聖騎士だが、途端に真剣な目つきへと変わる。
彼の波動は素晴らしかった。威圧するかの様なそのオーラに、カスタリエは鳥肌を立たせる。
……仕方ない。
一歩も引かない彼に対し、カスタリエは意固地になる事を諦めた。
『……関わるも何も、私も同罪なのです』
彼女は拳を握り締め、吐き捨てるように呟く。
それは三代目聖騎士にでなく、単なる独白。所在なく流れ行く言葉を、三代目がただ拾い聞くだけであった。
『……初代聖騎士を封印する時、私もまた大きな過ちを犯した。この力のせいで、あの子に……アスフィに迷惑をかけてしまった!』
『……アスフィって、確かお前さんの』
そこで、三代目はようやく理解する。
あの創世記に起きた出来事を思い出し、彼は苦渋の表情を浮かべる。
『…………俺は最悪な未来を予想しているんだが、これは果たして実現してしまうんかね』
『……恐らくは』
カスタリエは両手を添え、胸に当てる。
そう遠くない未来を案じつつ、強く祈りを捧げる。
『――どうかこの先、私の可愛いゼノスとアスフィが争わないように。例えそれが叶わぬ願いだとしても…………どうか、どうか』
彼女は乞い願う。
既にこの世界には、崇拝するべき神は存在しない。けれども、今の自分にはどうしようもないから、祈る事しか出来ない。
……ただ、ゼノスに託すしかないのだ。
――二代目聖騎士。シールカードを創造した彼女は、死後もなお罪悪感に襲われていた。




