ep17 不死鳥と古の英霊達
心臓が引き締まる思いだ。
苦しいから、悔しいから起こる不快感。イルディエは衝撃の瞬間を目にし、絶句するしかない。全身を震わせ、事実を受け入れるしかない。
クレーンを操作し、ようやく檻を地面に下ろした所で、レイダは魔人の殺気
に反応した。魔人の目標がこちらへと移り変わり、イルディエ達を死に追いやろうとした魔人と相対し――彼女は右腕を丸ごと食い千切られた。
絶叫を無理やりに堪え、レイダは魔人の首元を残った左手だけで拘束する。尋常ならざる熱さが手に宿るが、それを気にしている暇さえ無い。
『――ッ!?グ、ギギ……ィ』
「だ、旦那ぁッ!は、早くこいつを……!」
レイダが言い終えるよりも早く、アルバートは魔人の背中に戦斧の刃を落とす。魔人は甲高い悲鳴と共に、うつ伏せの状態で地面へと叩き付けられた。
「ぐっ、儂とした事が……。レイダ!お前は一旦退け!後の事は儂とゼノスで何とか――ッ」
と、そこでアルバートは魔人の異変に気付く。
魔人は震える手で地面に触れ、その部分だけ徐々に赤みを帯びていく。
次の瞬間――魔人の目前の地面に大きな亀裂が入る。亀裂は丁度、イルディエとエルーナ達が佇む場所にまで及ぶ。
レイダは既に離れ、奴隷達は未だロープに吊られた牢にいる。……しかし少女二人は、恐れていた運命から逃れる事が出来なかった。
亀裂が走った事によって地面は崩れ、雪崩の様にマグマへと転げ落ちる。
「――」
このままでは二人同時に落ちてしまう。
もうこれ以上、身近な人が傷付くのは御免だ。……そこで、イルディエは咄嗟の行動に出た。
「……え」
地面が完全に崩れ去る前に、イルディエはエルーナを思いっきり押し出す。
エルーナが押し倒された先は、ギリギリ地面が残っている。だがその代わり、イルディエ本人が犠牲となった。
彼女だけが、奈落へと導かれる。
「イ……イル、ディエ?イルディエ―――ッッ!?」
泣き叫ぶエルーナ。彼女が最後に見たイルディエの表情は、何故か安らいでいた。
良かった、無事で。最後に役立てて嬉しいと……そう物語っていたかの如く。彼女はマグマの海へと墜落する。
「――小僧!死ぬ気で嬢ちゃんを助けろッッ!」
アルバートは魔人を押さえつけながら、必死の形相で張り上げる。
言わずもがな、ゼノスは既に行動を起こしていた。
軽快な動きで落ちて行く瓦礫の上へと飛び乗り、イルディエの近くまで自ら降りる。マグマの熱気で視界が霞むけれど、ゼノスは躊躇するつもりはない。
理由は簡単、彼女を助けると決めたからだ。
ただ必死に抗い、ただ生きて欲しいから。……あの美しく可憐な笑顔を、安らかに死ぬその時まで持ち続けて欲しいから、ゼノスは臆しない。
マグマの熱気にも負けず、ゼノスは墜落するイルディエへと手を伸ばす。
――しかし、現実はそう簡単に上手く行かない。
「くそっ……届け……届いてくれ!」
幾ら手を伸ばした所で、気絶しているイルディエを捉える事は出来ない。
例え捕まえたとしても、もはや掴まる場所さえ存在しない。イルディエがいる場所は、あまりにも岩壁から離れ過ぎている。
「くそっ!くそ……ぉ」
…………万事休すか。
朦朧とする視界。誰かを助ける以前に、ゼノス自身が既に限界だ。
伸ばしていた手の平も萎み、全身から力が抜ける。
真っ逆さまに落ちて行き……死を待つその時まで――
〈汝、もう諦めるのか?〉
……声がする。
意識が遠退く中、幻聴めいた言葉が聞こえる。
〈答えよ。汝の説く騎士道は……その程度か?〉
声は諭すように、その言葉を投げかける。
ふと、世界の時間が遅くなる。身体はゆっくりと動くのに対し、思考だけははっきりとし始める。
これも幻覚なのか。死ぬ間際のゼノスには、現実か妄想かの区別がつかない。
――だが、もはや馬鹿馬鹿しいと突っぱねる気力さえも起きない。
自分でも訳が分からないまま、ゼノスは口を開いていた。
「……まだだ。まだ、イルディエが助かる道はある。……俺が切り開くんだ………騎士として、俺が……ッ!」
〈夢物語。されど、その心に偽り無し〉
未知の声は、どこか嬉しそうに呟く。
突如、煮え滾るマグマから一線のプロミネンスが表出する。茨の様にゼノスとイルディエの全身に絡み付くが、熱さは感じない。
むしろ落ち着く様な、陽だまりの様な暖かさがゼノス達を包容する。
〈――認めよう。汝が、彼の神域に立ち入る事を〉
声による誘い。それに呼応して、ゼノスは聖なる炎に焼かれる。
〈そして古の民の末裔よ。汝には、我の祝福を与える〉
イルディエもまた炎の茨に抱かれ、燃え盛る炎となり、やがて灰と化す。
案ずる事は無い。これは宿命であり、新たなる門出。
選ばれし子供達がここに来たのは必然であり、逃れられぬ定め。いずれ来る災厄に備え、声の主は力を与えんとする。
それが声の――否、
〈――我、不死鳥の劫罰。見果てぬ罪を作りし、哀れな神の懺悔〉
世界を創造せし神は嘆く。
自らの過ちの為に、今から二人の人間を導く。何とも身勝手で、何とも横暴な行いかと……不死鳥は恥じる。
だが、それでも二人の人間は誘われる。
イルディエは、崇め奉っていた自分の力を得る為に。
そしてゼノス・ディルガーナは――
――真の意味で、白銀の聖騎士となる為に――
ゼノスは見知らぬ場所に佇んでいた。
不死鳥と名乗る者に導かれた先は、とても神秘で歪な場所。白銀の城がそびえ、城を覆うように広大な湖が広がる。
湖の先を見渡すと……その先にあるのは空。湖の水は浮遊する大地から湧き出て、そして滝の如く空へと流れ落ちる。
白銀の城は浮遊する大地に立つ唯一の建造物。ゼノスはその光景を、城のバルコニーから眺めている。
「……」
ふと、後方の大きな窓が勝手に開かれる。
……入れ、という意味だろうか。内部には何があるか分からないのに、自分から侵入する必要が何処にあるのだろうか。
だがそれだと、この世界から抜け出せないかもしれない。例え罠だとしても、踏み入るしかない。
――それに、ゼノスの警戒心は次第に薄れていった。
むしろ懐かしささえ感じるこの城に来た事で、少なからず安堵感を覚えている自分がいるのだ。我が家に帰って来たような……そんな感覚を。
迷う事なく、大窓を潜り抜けるゼノス。その先に待っていたのは、煌びやかなるダンスホール。
広いダンスホールに入ると、そこでは沢山の人々が踊っていた。
優雅に奏でられる四重奏の音色と共に、人々は舞い続ける。創世記に着ていたとされる純白のローブに身を包みながら。
楽しそうに笑い、嬉しそうに歌い続ける彼等。しかし突如窓から入ってきたゼノスに対し、誰も気付く者はいなかった。
自分が思念体か何かなのか?それとも、彼等自身が幻想の世界の住人なのか……まあこの事実により、確かな答えを得る事となった。
「……ここは、現実世界じゃないのか」
ゼノスはそう呟く。
創世記の人間が着ていたローブを纏って、城で舞踏会を開く催しなど聞いた事もない。
それに、この城は全てヒルデアリアを素材として建造されている。彼の素材はもはや現在では採れず、あのランドリオ帝国にて建造されたハルディロイ王城でしか使われていないはずだ。
ゼノスはこの場所を見た事がないし、空に浮かぶ城など聞いた事もない。……だとすれば、そう結論付けるしかないだろう。
「……とにかく、この場所を離れるか。早くイルディエを見つけて、あの魔人を倒さないと」
幻想に浸る余裕はない。ここが創世記の時代だろうと、単なる幻覚だろうと、それに関して推測するつもりはない。
戻ろう、現世へと。愉快に踊る彼等の合間を縫うように進み抜け、ゼノスは豪奢な扉へと向かう。
だが異様な気配を背中から感じ、足を止める。
「――」
嫌な汗をかくと同時、今まで踊っていた者達が霧散する。
四重奏も聞こえなくなり、辺り一帯は静寂に包まれる。窓から入る風の音だけが支配し、ある気配だけがゼノスの警戒心を奮い立たせる。
……誰かいる。そう確信したゼノスは、気配のする方向へと駆ける。
剣を抜き、気配のする箇所に向かって――刃を一閃。
『――見事です。この私を見破るとは』
「なっ……!」
剣は突如現れた細い手によって受け止められる。逆に剣を取られ、ゼノスの喉元に突き立てられる。
一連の動きに、ゼノスは全く対応できなかった。
『……ですが、まだ甘い。敵を見極める事も、騎士として重要です』
声の主は徐々に姿を見せる。
剣を受け止めたのは――シスター服を着た少女。だが右半分は継ぎはぎの鎧で固められ、とても世間一般のシスターとは思えない。
更に言うなれば、彼女から発せられる覇気は計り知れない。まるで神々の頂点に君臨する者と対峙しているような、常人の精神を狂わせる程のオーラを放っている。
彼女の瞳を覗くだけで、身震いが止まらない。
『ふふ、そう怯えなくても宜しいです。君に危害を加えるつもりはありませんから』
「……なら、剣を返せ」
『分かりました』
少女は顔を綻ばせ、ゼノスに剣を返す。
少女の放つものは、確かに殺気とかの類ではない。それ以上に強大な、そして相手を威圧する波動を放っていたに過ぎない。
例えるならそれは――神の威光。
……いや、もはや神すら超えているかもしれない。
少女は慇懃に礼をし、歓迎の意を表す。
――刹那、風景が変わる。
ダンスホールだったそこは、一瞬にして違う場所へと移り変わる。少女を中心に、世界が塗り替えられる。
黄昏色の夕空。黄金色に染まりし花々は美しく咲き誇り、地平線上にまで広がる。……これではまるで、神世界の終焉を迎えているかのような光景だ。
そこにゼノスと少女を取り囲む様に――白銀の鎧に身を包んだ騎士達が、男女問わず数十人もいる。それぞれ違った形式の鎧だが、鎧の性質は同じ……神の祝福を受けた神聖なる鎧。
異様な光景に、ゼノスは呆気に取られる。
「こ、これは一体」
『――驚く必要はないです。それに、分かっているのでしょう?ここが何処で、彼等が一体何者であるかを』
「……」
嗚呼、何となく理解している。
戸惑いはしたが、ようやく心の整理が出来た。
――ゼノスはこの光景を待っていた。かつてガイアに託された書物の内容に、聖騎士の鎧の在り処が書かれている。それは、このようなものだった。
(道を違えぬならば、いずれ宿命がお前を導くだろう)
(歴代の聖騎士達が現れた時――真の継承が行われる)
(――そして我等の祖先が、聖騎士への叙任式を執り行うだろう)
そう、ゼノスはこの場面を待ち望んでいた。
周囲に控える彼等は、過去の聖騎士。かつてその鎧と名剣を携え、多くの化け物を屠って来た誉れ高き英雄。新たなる聖騎士の誕生を見届けようと、わざわざ生と死の狭間へと降り立ってきた。
……そして、ゼノスと相対する少女。
約一万年前の世界で剣を取り、魔王神を封印したとされる伝説の聖騎士。
少女は一歩前へと踏み出し、己が胸に手を当てる。
神に祈りを捧げる形で――告げる。
『――私は二代目聖騎士。白銀の聖騎士カスタリエ。新たなる聖騎士を生み出す為に、不死鳥の力によってこの場へとやって来ました』
不死鳥の加護により、偉大なる英雄が再臨するこの世界で。
ゼノスと歴代の聖騎士達は、運命の出会いを果たした。




