ep16 刻まれし戦い
「……」
絶句。誰もが皆、茫然と立ち尽くす。
いとも容易くあのラインを殴り倒し、悠然と佇む魔人。炎の吐息を吐き、低い呻き声を鳴らすそいつは、化け物以外の何者でも無い。獣の様な牙に、轟々と燃え盛る炎の爪。それはまるで、人狼を彷彿とさせる。
奴から発せられる闘気は異常で、必然とイルディエ達を委縮させる。
一体何者か?純粋な疑問を抱く彼女等をよそに、一方のレイダは目を細めながら魔人を凝視する。
「――成程、そういう事か」
冷静沈着にそう呟き、レイダは後ろを振り返る。
そこには腹を抑え、苦し紛れの笑みを浮かべるラインがいた。
「……原型は留めていないけど、あれはアグリムだろ?あんたのその不思議な能力によって、化け物に変えられた姿と見たが……」
「ふ、ふふ……みたいだね。初めての経験だけど、恐らく僕が与えた邪気を利用し、自分の欲望だけで身体を形成したんじゃないかな。……このお面、相も変わらず底知れない」
ラインは腰に吊るした面に触れ、苦笑いをする。彼もまたこの状況に驚き、自分の持つ能力に対して畏怖を覚えているようだ。
――夜叉を模った禍々しい面。それを何処かで見た様な気がしたが、あえてレイダは口に出さない。曖昧な記憶を詮索した所で、今の状況じゃ悩んでいる隙に殺されてしまう。
躊躇は許されないのだ。一刻も早く魔人を排除しようと、レイダは右足を踏み出し、拳を握り締める。――が、
「――ッ」
踏み出した途端、全身がよろける。今更ながら肩の激痛を感じ、その場で倒れ伏す。
「レイダさんっ!?」
傍目で見ていたイルディエとエルーナは、揃ってレイダの名を叫ぶ。
「ち……くしょう。無理か……」
体たらくな自分に毒づくレイダ。そうしている間にも、魔人の視界内にレイダが映り込み、獣じみた雄叫びを上げる。
雄叫びと同時に、周囲の地面にヒビが入る。魔人アグリムは四つん這いとなり、息を荒げながらレイダへと疾駆する。裂けた口から鋭利な炎の牙が覗き、彼女を八つ裂きにせんと欲する。
「――くッ!」
自らの死線を垣間見、絶対の窮地に立たされるレイダ。幾ら足掻いた所で、この状況を自身で覆すなど不可能だ。
魔人の口が大きく開かれ、レイダへと向けて飛び出す。
レイダと魔人の差が縮まる中、確かな死を予感する。――愛する夫と、慈しむべき傭兵団の仲間を思い浮かべる最中、
前触れも無く、奇跡が舞い降りた。
「――させるか!」
凛とした声音。
声の主は、投擲した剣を見事魔人の頬へと貫く。魔人は奇声を上げ、苦しみながらレイダから離れ、距離を取る。
『グ……オオ』
呻き声を発する前に、声の主である少年が瞬時に魔人の懐に入り、自らの剣を勢いよく引き抜く。魔人の頬から盛大に炎が漏れ、悶絶寸前にまで追いやられる。
少年――ゼノスはすぐさま後退し、レイダ達の前へと陣取る。後からアルバートも参上し、巨大な戦斧を魔人に向ける。
「ゼ、ゼノス様……アルバート様!」
最後の希望の到来に、エルーナは感嘆の声を発する。檻の中にいる奴隷達も最初こそ驚いたが、アルバートの恰好から騎士であると理解し、必死に助けを求めてくる。
周囲の状況を一瞬で把握したアルバートは、皺枯れた声で命令する。
「レイダ、お前はクレーンを操作して奴隷達の保護を!イルディエとエルーナは保護した奴隷達を誘導して山を下るがいい!」
「了解した、旦那!」
「「は、はい!」」
それぞれが即座に呼応して、魔人から離れる様に迂回し、クレーンへと向かう。
それを見届けた後、アルバートは魔人を正面から睨み付ける。
「……状況は大体把握出来るか、小僧?」
「何となくは。奴の気配から察するに、恐らくアグリムなんだろうな。……そうだろ、ライン・アラモード?」
ゼノスは右横に視線を送る。そこにはラインが、いつの間にか平然とした様子で並んでいた。
「うん、まあそんな感じ。――って、これに関しては故意じゃないから、そんなに睨まないでくれよ」
「……まあいい。事情がどうあれ、あれはお前が創り出した化け物だ。勿論、奴の掃討を手伝うよな?」
彼の問いに、ラインは苦虫を噛んだ様な表情を取る。
「はいはい、承知したよ。……それに、君の根本を知るには良い相手かもしれない」
ラインはふと思う。
絶体絶命では無いにしろ、この状況は不利だ。守るべき者が窮地に立たされ、一歩間違えれば皆が死んでしまうだろう。
果たしてゼノスはどう行動し、どこまで忠実に意思を貫けるのだろうか?絶望の淵に生きて尚、彼は正常でいられるだろうか?
ライン・アラモードは、純粋に彼を知りたかった。本当ならば関わりたくない戦いだが……それを間近で知ろうと、自然にラインはナイフを握りしめている。
――さあ、ここに役者は出揃った。
中央にゼノス、右横にライン、そして左横にはアルバート。
後の白銀の聖騎士が紡ぐ、英雄叙事詩に連なる一番最古の伝説。――炎獄の魔人の討伐劇が始まる。
「――来るぞ!」
ゼノスが叫ぶと同時、魔人は空高く舞い上がる。
宙で何度も回転しながら、炎に包まれた鉄拳を振り下ろし、三人の戦士目掛けて繰り出す。
ラインは屈みながら横へとずれ、ゼノスは地面を蹴り上げて後方へと逃れる。しかしアルバートだけがその場に止まり、上空の魔人を見据える。
魔人が接近する中、アルバートは鼻息を盛大に吹く。
「ふん。力任せの一撃とは、儂も甘く見られたものじゃなぁ!」
アルバートは逃げない。彼が逃避するという事は、それ即ち彼自身の戦闘スタイルを全否定する事になる。
彼が思い描く戦いは、絶対に退かない。
正面から研鑽し、攻撃によって相手の全てを防ぐ。例え満身創痍であろうと、アルバートは山の如く立ちはだかる。始原旅団初代首長であり、北の草原大陸の元支配者――『覇王アルバート』とは、そういう男である。
「……ふーッ」
深呼吸し、地面に足を押しつけ、戦斧に両手を添える。悠然と控えるその姿は、覇王たる存在に相応しい。
身体中からほとぼしる闘気が凝縮し、体内を伝って戦斧へと流れ込む。尋常ならざる蒼いオーラが斧を取り巻く。
力を大いに溜め込み、歴然たる一撃を浴びせんとする。
『――グ、ギ』
「今更恐怖を抱くかッ!浅はか、そして時既に遅し!我が極限なる一撃に、もがき苦しむがよいわぁッ!」
老いとは程遠い、生気に満ち溢れた波動。
その一振りは、かつて世を震撼させた偉大なる奥義。薙ぎ払えば大国が滅び、振り下ろせば辺り一帯の大地が地の底まで割れる。北の草原王国を支配した覇王は、その力で軍神をも滅ぼした。
力の概念を凌駕したそれは、容赦なく魔人の脳天に叩き込まれる。
『グ、オ……オオオオオオッッ!』
戦斧の刃が脳天に落ちた瞬間、蒼きオーラが一斉に弾け飛ぶ。しかし地面に叩き付けられた魔人に、壮絶なる激痛が襲い掛かる。
だが、それでも魔人は生きている。アルバートは更に戦斧の刃をめり込ませ、戦斧の取っ手を逆手に持つ。
魔人の頭を真っ二つに引き裂こうと、彼は勢いよく戦斧を掬い上げる。
いとも容易く、魔人の頭は断絶された。
「やったか!?」
遠目で状況を窺っていたゼノスが言う。
しかし、一方のラインは眉を顰めながら答える。
「……いや、まだだね」
ラインが言うやいなや、魔人は即座に立ち上がる。
「むうっ!」
顔が消滅した今でも活動し、鋭い回し蹴りをアルバートに与える。不意を突かれたが、何とか手甲で防御し、戦斧を横に一閃させる。しかし魔人は軽快に身をよじらせ、回避する。
何と恐ろしい生命力か。ゼノスは苦渋の色を見せ、即座にアルバートの援護に向かう。
刺突の構えをし、その体勢を維持しながら魔人の背後を突こうとする。
軌道はぶれず、剣先は真っ直ぐに放たれる。魔人が気配を察して振り向いた時、ゼノスの剣によって心臓部を貫かれる。
――が、それでも苦しむ気配がない。
「くっ、化け物が!」
悪態をつきながら、ゼノスはある存在に気付く。
ゼノスより遅れてやって来たラインが、両手に何本ものナイフを携えている。嫌な予感を感じ、剣を引き抜いてその場から離れる。
「――はっ!」
案の上、ラインはナイフを一斉に投げつける。
ナイフ群は正確に標的を見つけ、吸い込まれる様に魔人へと向かう。目にも止まらぬ速さで、魔人の全身を射抜く。
全身は風穴だらけとなり、炎の身体は火の粉となりて霧散する。木端微塵に斬り裂かれ、最早原型さえも残らない。
……その筈だった。
奴の死を期待する暇も無く、火の粉はすぐに集約する。計り知れない再生力により、魔人は復活を遂げる。
『グッ……フ……フフッ』
妙な事に、身体を形成した魔人が嘲笑を示した。
未だ思考が残っているのか、はたまた本能から来るものか。それは誰も分からない。
――が、次の瞬間。
魔人は視線を変え、クレーンの方へと振り向く。
そこにはまだ、奴隷達、そしてイルディエとエルーナ、レイダがいる。
「――まずいッ!」
アルバートが事態の深刻さを理解し、迅速に魔人の動きを封じようとする。けれども魔人は四つん這いとなり、動物じみた動きで加速し、一気に距離を離す。
向かう先は――奴隷達を幽閉する檻。牙を曝け出し、檻を支えるクレーンを噛み砕かんとする。
「おい……や、やめろ!」
咄嗟の行動に、ゼノス達は対処する事が出来ない。ゼノスの頭は真っ白となり、ラインとアルバートはそれでも尚追い駆ける。……間に合わない、そう心中で悟りつつ。
奴は、魔人は最初からこれを狙っていたのか。理性が無い振りをして、ゼノス達に微かな隙を与える。どこまでも狡猾な相手に怨嗟の念を送り、三人の戦士は自らの無力さを嘆く。
「――――――ッ」
絶体絶命。皆が悲劇を予想する。
希望の無い世界。儚き存在が無残にも殺され、狂者だけが生き残る。ゼノスが思い浮かべる未来は、今迄と変わらぬ血塗られし世界。
また刻まれる。また嘆かなければならない。
そう諦めていた…………なのに。
ゼノスが瞬きをした後、空想する未来が変わる。
――レイダが自ら躍り出て、魔人の餌食となった。




