ep13 妙な胸騒ぎ
「……うぅ」
「……眠いよぉ、疲れが取れないよぉ」
朝食を待ちながら、イルディエとエルーナはテーブルに突っ伏していた。
二人は何故疲れ切った様子でいるのか?まあ深く考えずとも、昨日今日の行動を見れば、自ずと察しが付くものだ。
エルーナは昨日の祭りを夜遅くまで堪能し、その結果として今日まで疲労を引き摺っている。……しかも興奮を抑えきれなくて、まともに夜も眠れなかったとか。
一方のイルディエは、レイダとの訓練で体力を使い果たしていた。
最初は基礎鍛練から始まり、槍を持って素振りをこなしたが…………一体何十回槍を振るっただろうか。
腕が上がらず、先程から溜息が止まらない。槍は凄く重いのに、よくレイダは軽々と振るえるものだ。
……しかもレイダ本人は疲れなど微塵も見せず、朝から優雅にワインを飲み、寛いでいる。
「……レイダさん、よく疲れませんね」
「ふふ、そりゃあ鍛え方が違うからねえ。あと基本は慣れだよ、慣れ。あれを毎日繰り返してれば、嫌でも疲れないもんだ」
「そ、そういうものなんですか」
当然の如く言われても、まだイルディエには理解出来ない。
「そういうもんさ。……ま、今日言った事が本当なら、すぐにでも疲労知らずになるかもね」
「……ん?今日言った事って?」
レイダの言葉に疑問を持ったのか、エルーナが項垂れながら尋ねる。
どう言ったものか、困った顔をレイダに示す。しかし彼女は口笛を吹きながら、素知らぬ顔で目を見合わせようとしない。
要は、イルディエの判断に任せるという意味だろう。
――なら、エルーナにも話そう。ゼノスにも既に話したし、彼女だけ仲間外れというのも気が引ける。話すタイミングとしては、今がベストだろう。
「で、なになに。もったいぶらずに教えてよ~」
「う、うん。まだ正式には決まっていないんだけど――」
イルディエは包み隠さず、自らの決意を述べる。
――今日の鍛練後、グライデン傭兵団に入りたいと願い出た事を。
「え、え~ッ!?嘘、イルディエ正気なの?」
案の上、エルーナは飛び起き、信じられないといった表情で見てくる。
その反応は当然だろう。誰が好き好んで傭兵となり、戦う道を選ぶというのだろうか。
しかし、イルディエは決めた。
奴隷だったこの身でも、価値が無いと揶揄された存在でも、平和の為に役立てられるのなら――喜んで戦場に身を投じよう。
ゼノスと一緒ならば……何だって出来る。
「……イルディエ」
エルーナは彼女の固い意志を垣間見、思い直せと提案する事が出来なかった。
イルディエは友達でも無ければ、血の通った縁族でも無い。元は同じ主に仕える奴隷であり、よもや関係さえも在りはしない。
……しかし今は違う。
たった数日だけど、イルディエとの関わりは自分の意識を変え、彼女との関係も大きく変化した。
イルディエ本人がどう思っているかは知らない。けどエルーナにとって、彼女はかけがえのない友人だと認識している。
本当ならば止めたい。だが何を言っても、イルディエは言う事を聞かないだろう。
「……」
二人は平然としているが、複雑な心境に違いない。
妙な空気が流れる中、そこにゼノスが現れる。
彼は両手に銀色のトレイを添え、トレイ上にはシーザーサラダやハムエッグ、バスケットには何種類かのパン。そして豆から挽いた淹れ立てのコーヒーが人数分置かれている。
「すまない遅くなった。少々手軽だが、これで勘弁してくれ」
ゼノスは申し訳なさそうに述べ、テーブルに朝食を置いていく。
「いやいや、十分だよ。あたしなんてワインだけでもオッケーなくらいさ」
「……レイダさん、それはどうかと思うよぉ」
すっかり出来上がったレイダに対し、エルーナが尤もな突っ込みをする彼女曰く、傭兵の朝は酒飲みから始まると豪語しているが……グライデン傭兵団では、レイダしかそんな事はしない。
――さて、駄目な大人への感想はともかくとして。
一通りを置き終え、席に着いたゼノスは……対面に座るアルバートへと目を向ける。
彼はムッとした表情で腕を組み、無言のまま目を瞑っている。
明らかに機嫌が悪そうだ。
「――で、何かあったのかアルバート。不機嫌オーラ丸出しだぞ?」
「……ふん、今話す気はないわい。飯を食ったらちゃんと説明する」
苦い表情を崩さず、アルバートは黙々と朝食を摂り始める。
一体何があったかは分からないが……この男が不機嫌になる以上、何か良からぬ出来事があったのだろう。
朝食を終えたゼノス達は、さっそくアルバートの話を聞く事にした。
彼は唸りを上げながら、昨夜起った忌々しい出来事を語り出す。
粗方聞き終えたゼノスは、苦虫を噛んだような顔を作る。
「……それは本当なのか?」
「嘘なぞ言わん。全て事実じゃよ」
アルバートは心を落ち着かせようと、また新たに淹れたコーヒーを啜る。
彼は昨夜――丁度ヴェルネイルの祭りが終盤を迎えた頃だ。
その時もアルバートはアグリム一団を監視し、妙な動きがないか調査していた。特に、祭りのような行事は人々で混雑している。雑踏に紛れて行動を起こす絶好の機会でもあるのだ。
……そして、アルバートの読みは当たった。
時刻は午後十時前後、場所は活気に満ち溢れていたトル―ナの噴水広場。
そこで彼は、麻布のローブに身を包んだ修道女の列を見かけた。
祭りの際に現れる修道女、その点に関しては問題ない。彼女達はよく人の集まる場所にやって来て、お布施を頂戴しようとする。そしてトル―ナには、小規模だが修道院もある。
単なる一般人ならば、彼女達の存在を訝しむ事はない。
しかしアルバートだけは、ランドリオ帝国に関わる彼は直感した。
これはおかしいと。彼は元々、教会との協力を得て奴隷市場の掃討に出向いている。教会側は修道女の安全の為に、奴隷市場の掃討までは外出するなと勧告している。
そして、彼女等には違和感があった。
修道女は神にその身を捧げ、清める為に労働と健康管理を欠かさない。彼女等は主に均整の取れた肢体で、肌はその身の純白さを示すような白さである。
――だが彼女達には、どれも当てはまらなかった。
生気は抜け、足元はおぼつかなかった。日々の労働をこなしているならば、そんな調子にはならない筈だ。
……怪しい。そう思って、アルバートは彼女達を尾行する事にした。
隠密行動は性に合わないが、その時は頼れる者もいなかった。気配を出来るだけ殺しつつ、噴水広場を抜ける彼女等へと付いて行った。
噴水広場から大通りを抜け、トル―ナの西エリアへと向かう。閑静な住宅街をひっそりと歩き、やがて彼女達は、オアシスと直結している地下水道への階段を下りて行った。
地下水道への入り口付近は人気も無く、とてもお布施を乞う為に向かうような場所ではない。
もしや。そう思い、彼女達を止めようとした瞬間だった。
――黒き暗殺者が、ガイアと彼女達を阻むように参上した。
暗殺者は、「ごめんね」とだけ言い放ち、音のない走りでアルバートの懐へと潜り込んできた。
……恐ろしい速さの持ち主だった。
思えば、不意打ちを受けたのは人生で初めてかもしれない。過去何度も暗殺者には殺されかけたが、黒き暗殺者は誰よりも流れるように、一切の無駄なく強襲を仕掛けてきた。
ローブ姿の少女達はそそくさと地下水道へと入り、アルバートは暗殺者と戦う羽目となったが、それも僅かな出来事だった。
少女達を完全に逃がし終えたのか、暗殺者はすぐに逃げ去ったのだ。……いや、消えたと言った方がいいか。
――結果、アルバートは失敗をして帰って来た。
「まさか、あんたでさえも仕留められないとは」
「ぐっ、言うでないわ小僧。儂とてあんな失態は久し振りじゃて」
アルバートは歯軋りを立て、親指と人差し指でつまんでいたカップの取っ手を粉々に砕いた。それを見て、イルディエとエルーナの顔が真っ青になる。
「……しかし、その修道女を装った少女達は何者なんだ?あの男が関わっているとなると、アグリムに関係する誰かなんだろうが」
「…………」
アルバートとレイダは何か思う所があるのか、互いの顔を合わせる。
両者は頷き合い、アルバートが席を立つ。
「……何はともあれ、本格的に調査する必要がありそうじゃ。小僧、共に奴隷市場へと向かうぞ」
「え……場所は分かるのか?」
「勿論、伊達に監視をしてはおらん。――レイダ、儂は小僧を連れて奴隷市場を探ってみる。お前はイルディエとエルーナと共に、この隠れ家に待機しておれ」
レイダは即座に頷く。
「了解した、旦那。くれぐれも気を付けて」
「分かっておる。……お前も気を付けるんじゃぞ」
そう言い残し、アルバートは壁に立て掛けていた戦斧を持ち、肩に担ぐ。早足で行こうとしているのは、時間が惜しいからであろう。
ゼノスも同じ気持ちだ。あの黒き暗殺者が関わっているとなると、嫌な予感がしてならない。一刻も早く奴等の真意を探り、良からぬ事ならば阻止しなければ。
自分も席を立ち、愛剣を腰に吊るす。
踵を返し、部屋を出ようとするが……。
「――ゼノス」
「ん、何だイルディエ?悪いが、用事なら後に」
「いえそうではないんです。……無茶はしないでと、そう告げたかっただけです」
「……」
ゼノスは呆気に取られるが、やがて微笑を見せる。
彼女達に背中を向け、一言だけ呟く。
「――もう迷わない。守る者の為に……戦うと決めたんだ」
彼の言葉は、紛れも無い自分の意志。
騎士たる存在になる為に、彼は剣を持って戦場へと赴く。
守る者――イルディエとエルーナの為に。
ゼノス達の会話を、遥か遠くから盗み聞く者がいた。
全身黒タイツに、赤いバンダムを首に巻いた男――ライン・アラモード。
彼はとある民家の屋根上にて、尋常ならざる視力で数十メートル先の民家、その窓辺にいるゼノス達を見据え……くすりと微笑む。
「全く、君は本当に面白いな。――どん底に佇んでいた君を這い上がらせたのは、一体どんな存在なのだろう?」
ラインは知りたい。
自分と同じ境遇にあった者が、どうしてそこまで希望を持てるようになったのかを。あの無限の闇を、どうやって乗り越えたのかを。
……何となくこの依頼を受け続けなければならない。何の理由も無しに、そうした感覚に囚われていたが……この出会いの為に、ラインはアグリムの依頼を継続させていたのかもしれない。
「嗚呼、君を知るにはきっかけが必要だね。――少々阿漕な手段だが、あの少女達を利用させてもらおうかな」
彼はバンダナを口元に寄せ、屋根を蹴って跳躍する。
ラインの視線の先には――イルディエ達がいた。




