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白銀の聖騎士  作者: 夜風リンドウ
四章 オアシスの踊り姫
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ep12 苦悩を選ぶ乙女




 ヴェルネイル一座の祭りが終わり、翌日を迎えた。




 とはいえ、日はまだ昇っていない。外は薄暗く、空気は未だ冷えている状態だ。眠らない町とは言われるが、流石に午前四時となれば町も静かである。



 ――そんな誰もが寝静まる中、イルディエは目を覚ました。



 別に早起きして料理をしようだとか、早朝の空気を吸いたいだとか、決してそのような理由で起きたわけでは無い。しかし、単に寝覚めが悪かったわけでも無い。




 理由はある。それも、極めて重大な理由が。




 眠気も失せた所で、イルディエは表情を引き締めて隠れ家の中庭へと向かう。



 ……そして案の定、中庭には先客がいた。



「はっ!せいっ!」



 気合の籠った声を上げ、小刻みに槍を振るう女性。



 それは紛う事なくレイダであった。拳闘士である筈の彼女だが、今日は槍を使って稽古しているらしい。



 これは先日知った事だが、レイダはゼノス達よりも早い時間に朝稽古を行っている。……拳術、剣技、ナイフ術、弓術、そして今日は槍術を磨いているらしい。



 とても洗練され、動きに無駄が無い。力任せに槍を振るわず、全身を使って穂先を突き出す。……それはまるで、舞踏のようだ。




「……ん?あれ、イルディエ嬢ちゃんじゃないの」




 と、そこでイルディエの存在に気付き、レイダは稽古を止める。



「あ、そのすいません。盗み見るつもりは無かったんですが」



「いいの、いいの、気にしないでくれよ。……んで、どうしたんだい?寝付けなかった……というわけでも無さそうだね」



「……はい」



 イルディエは神妙に頷く。



 彼女の異様なまでの気迫を感じ、レイダもまた真剣な表情をする。



「あの、レイダさん。実は折り入って相談が」




「――あたしに武術を教えて欲しい。そんな所かい?」




 苦笑しながら言うレイダに、イルディエは面を食らう。まさか即座に読み取られるとは思わなかった。



 レイダは手ぬぐいで汗を拭き取り、イルディエへと近付く。



 ……近くに立つレイダは、とても背が高い。イルディエは彼女を見上げ、一瞬だが委縮してしまった。



 その様子に、レイダは溜息を漏らす。



「……生憎、戦いは教えられないね」



「ッ!で、ですが覚悟は出来ています!もう弱いだけの自分は嫌だ……力が欲しい!自分で生きていけるだけの力を!」



「気持ちは分かる。いずれこうなるとも予想が付いていた。……まあ今回の場合は、あの劇を見て感化されたのだろうねえ」



 レイダは祭りには行っていないが、ゼノスから昨日の出来事は全て聞いている。だから、彼女がどうして態度を急変させたのかも理解出来る。



 把握した上で、彼女は静かに語り出す。



「白銀の聖騎士、か。確かに彼は、奴隷という身分でありながら英雄にまで上り詰め、幾多もの戦果を残してきた。他にも何人かの英雄が、元は奴隷だったという記録もある。――けどね」



 奴隷もまた人間だ。苛酷な環境の中でも、天賦の才能を発揮して下剋上をする者もいれば、哀れにもすぐに朽ちる奴隷も多い。いやむしろ、後者の方が圧倒的な数を占めるだろう。



更にレイダは、イルディエに武術を教えたくはない。それには幾つかの理由が存在する。



「……嬢ちゃんは、あたし等にとっちゃ保護対象の人物だ。まず無暗に戦場へと駆り出す真似はしたくない。そしてこれは……優しいお姉さんからの老婆心だが」




 ――瞬間、レイダの顔から笑みが失せる。




 それは彼女本来の素顔。刃物の如く鋭い瞳、そこから発せられる絶対零度の視線。獲物を捕らえる狩人……もしくは、全てを殺戮する鬼の出で立ち。



 威圧的な空気に呑まれ、息をするのも忘れる。



 そんな中、レイダは顔を近づける。そして囁くように……告げる。





「――あんたに、『血の歴史』を歩む覚悟があるか?」





 たった一言、彼女はそう呟く。



 だがそれだけなのに、イルディエの背筋が凍る。その言葉は余りにも重くて、現実味を帯びているからだ。



「……聖騎士の成した栄光を掴むなら、あんたは体験しなければならない。

私の様に、そしてゼノスの様にね」



「…………ゼノスの様に?」



「そうさ。……ああ丁度いいから、一つ昔話を語ってあげようか。これは嬢ちゃんの聞いた英雄譚とは程遠い話だけどね」



 レイダは慈しみ、そして雄弁に語る。




 血の歴史を歩み続けた……ゼノスの物語を。




 彼の人生は、グラナーデ王国の辺境に位置する寒村から始まる。それ以前の記憶は無く、ただ浮浪児として冷たい石畳に横たわっていた。



 そこで彼は、ガイア・ディルガーナという老騎士と出会う。



 老騎士は彼を保護し、ゼノスを孫のように育ててきた。二人の弟子と共に、彼は幸せな一時を過ごした。




 ――しかし、運命とは何と残酷な事か。




 突如、始原旅団を名乗る侵略者に国を襲われ、ゼノスはそこで老騎士と弟子達を失う。……アルバートに連れられ、彼はグラナーデを後にした。



 もうこんな悲劇を繰り返したくない。いずれガイアの説く騎士となり、聖騎士の名を継承するつもりだった。その為に剣を取り、ゼノスは戦いに身を投じた。



 レイダがゼノスと出会ったのは、丁度その始まり。旧知の仲であるアルバートに頼まれ、団長であるレイダの夫はゼノスを傭兵団に入れた。



 団長の手ほどきによって剣を学び、ゼノスは着々と技術を伸ばしていく。飲み込みの速さは人一倍であり、僅か入団二カ月にして戦場へと駆り出される事となった。




 だがそれは、同時に苦悩の始まりでもあった。




 騎士の現実、罪無き者達の報われぬ最期。不条理な事実が怒涛の勢いで襲い掛かり、ゼノスの心を病ませた。



 戦とは常に人の心を変え、人間の醜悪さを露わにさせる。



 英雄はそんな世界で生き延び、絶望と苦痛を伴いながら自分の意思を貫く。……常人ならば、すぐ音を上げるというのに。



「あんたが求める世界というのは、単純に言うならば地獄。相当な覚悟があったとしても、生き抜ける保障は無い。大人しくマハディーンに保護されるのが、あたしとしては利口だと思うけどねえ」



「……つまり、一生弱いままで在り続けろと?」



 震える声で問うイルディエに、レイダはしばし間を置いてから答える。



「そうさね、その方が平穏に過ごせる。――人殺しも、貴族の計略も、傭兵の野蛮さも、何よりも死を毎日見ずに済む」



「……」



 彼女は嫌味で言っておらず、本音を以てそう示している。



 多少遠回しな言い方だが、要はイルディエを戦場に出したくないのだ。自分達と同じ道を行かなくても、それ以外の輝かしい道は存在する。



 レイダとしては、違う道に走って欲しい。



 ――だが、そんな願いも次の一言で打ち砕かれる。




「全て覚悟しています、レイダさん。……今の私は、ゼノスや聖騎士に感化されている。――この決意は、何よりも固いです」




「……」



 てっきり折れるかと思ったが、事もあろうにイルディエはそう反論する。



 しばし絶句した後、神妙な面持ちで尋ねる。



「…………それは理解した上で言っているのかい?」



「当然です」



 即答するイルディエ。



 そこに迷いはない。そんな彼女の豹変ぶりにも、レイダは十分驚かされていた。



「……勿論、人を殺したくはありません。誰にも自由を奪われたくありません。ですがそれ以上に、私は確信しているのです」



「……確信?」



 訝しむレイダに、イルディエは断言する。



「――強くなれば、その先で今以上の平和が掴めると。私とゼノスが共に強くなれば……罪なき者が死なず、争いのない世界が創れると」



「……」



 突拍子に紡がれたその一言に、思わずレイダは思考を停止させる。




 だが次の瞬間には、彼女は豪快に笑っていた。




 腹を抱え、笑い過ぎて涙が止まらない。静粛たる空間の中で、彼女の声だけが響き渡る。



「ふ、ふふ……随分と面白い答えじゃないか」



「……都合の良い答えなのは分かっています。馬鹿にされても不思議では無いと思います」



「い、いや何、別に馬鹿にしているわけじゃない。――むしろ、素晴らしい答えだと思う」



 予想もしなかった言葉だけに、今度はイルディエが拍子抜けする番だった。



 レイダの意図が掴めないが、その疑問はあっという間に消え去る。



 彼女は愛嬌ある微笑みを見せ、イルディエからまた距離を離す。そして自分の持っている槍を彼女の足元へと放り投げる。



 突然の事に、槍とレイダを交互に見るイルディエであった。




「――気が変わった。その覚悟と高い理想に免じて、イルディエ嬢ちゃんに槍術を教えてやろう」




「……え」



「ふふ、どうしたんだい?言っとくけど、気が変わらない内に槍を取った方がいいさね。……それで、ゼノスと同じ願望を掴みたいのなら」



「…………」



 ――願望。



 それは全てを救う事。善を愛し、悪を滅ぼすという単純な願い。



 もしゼノスと同じ道を歩むならば、槍を手に取れ。彼女は単純に、そして明確にそう促していた。




 イルディエは躊躇せず、槍を拾う。



 






 ――イルディエはそのまま、レイダから稽古を受ける形となった。









 


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