ep6 弱き自分
他部屋より多少広い応接間に入ると、既に二人の人物が待機していた。
一人は依頼を受ける際に出会った、マハディーン王国騎士団総部隊長・ウズファラ。精悍な顔立ちと紅蓮のターバンが特徴的で、年齢は二十代後半と推測出来る。『鷹の眼光』と言われるだけあって、その瞳は鋭い刃物の様だ。
何故彼がここにいるのか?……大方、事前にレイダが隠れ家の場所を教え、彼はアグリム暗殺の報告を聞きに来たのだろう。依頼主代理の癖に、わざわざご苦労な事である。
ウズファラに関しては大体予測はついていた。
……しかし、もう一人はゼノスの想像を遥かに上回っていた。
百戦錬磨の武人だけが有する屈強な図体。ボロボロのマントを羽織り、自慢の戦斧を背中に担ぐ大男は――ゼノスがよく知る人物だ。
「――アルバート」
「久しぶりじゃなゼノス。……ふん、相変わらずつまらん顔をしておるの」
その大男――アルバートは苦笑しながら言う。
ランドリオ帝国六大将軍が一人、アルバート・ヴィッテルシュタイン。将軍としての顔は知らないが……自分の剣の師匠という顔はよく覚えている。
同時にグラナーデ王国からゼノスを無事に救出させ、ガイアの様に育ててくれた恩人でもある。
……しかし、今は最も会いたくない人だ。
「レイダ。何でアルバートがここに?」
「あ~まあ……アルバートの旦那に関してはあたし個人の件でね。こうしてこの場に立ち会っているが、今回の件では全く関与していないよ」
「レイダの言う通りじゃ。ほれほれ、さっさと仕事しろ」
「おいおい……」
特に用事も無いのに、ゼノスの仕事を見守るのは今回ばかりでは無い。アルバート曰く、ヘマをしないか付き添っているつもりらしい。
もう子供という年齢じゃないのに、お節介な老騎士である。
だがそう促されてしまえば、ゼノスのやる事は一つだ。
アルバートが来た理由は不可解だが、ここにはまだウズファラがいる。ゼノスがアグリムを暗殺した以上、報告するのもゼノスの任だ。
気を取り直し、ウズファラに対して軽く頭を下げる。
「ウズファラ殿。多少手荒でしたが、アグリムはこのゼノスが暗殺致しました。この事を女王陛下にお伝え下さいますよう――」
「――待て」
と、唐突にウズファラがゼノスを制止する。
「……何かご不満でも?」
ゼノスは眉をひそめ、静かに問い返す。自分の仕事は完璧だった筈なのに、これ以上何か不満があるのだろうか。……他の騎士と同様、この男が妙な事を言うとは思えないが。
ゼノスは卑屈な予想を立てるが、どうやら外れの様だ。
「いやそれ以前の問題だ。――今朝、我々の監視団がアグリムの生存を確認したのだよ」
「………………ッ!?」
それを聞いた瞬間、ゼノスは言葉を失った。
何故、どうして?確かに自分はアグリムの首をへし折り、絶命した姿までその一部始終を垣間見たはずだ。イルディエだってエルーナだって……レイダもその姿を確認したのだ。
動揺するゼノスに、ウズファラは「案ずるな」と付け足す。
「アグリムの生存は確認したが、君がアグリムを殺した事も分かっている。グライデン傭兵団の中に、我々騎士団員を混ぜていたからね」
「誤解が晴れたのは嬉しいが……問題はアグリムだ。死者が甦るなんて、邪教の類でも成し得ない事だぞ」
一般人が聞けば、さも当然の如くホラ吹き呼ばわりする始末だろう。
しかし、ウズファラはその事実を真剣に受け止め、この有り得ない現象を打ち明けてくれた。
……多分、本当なのだろう。
「監視団の話によると、アグリム本人は別邸へと向かったそうだ。しかし別邸付近はアグリム派閥の部下で固められ、厳戒態勢を敷いている。……暗殺は様子を見てから」
「――いや、俺がすぐに行こう」
ウズファラの言葉を遮り、殺気を放ちながら答えるゼノス。
思い立ったが吉日、彼は部屋を出ようとするが。
「待ちなッ!あんた話を聞いていたのかい?依頼者の命令に背く行為は許されないし、血流して帰って来たのはどこのどいつだい!」
「けどッ!あいつを野放しにしたら大変な事になるぞッ!?」
「それはあたしだって承知している。けどね、物事には順序ってもんがある。無闇やたらに行動するのは――自殺行為だ」
「はっ。自殺行為だって?たかが一端の騎士が数十人いるだけだろう?……そんな連中、聖騎士流剣術で一掃してやるよ!」
血走った眼を向け、ゼノスはそう言い放つ。
それは紛れも無い……力を過信した者の放つオーラだ。
さしものレイダも頭に来たのか、ゼノスの頬を叩こうとする。――が、後ろから伸びる大きな手で止められる。
「待つのじゃ、レイダ」
「……旦那」
「力で解決出来るほど、この問題は簡単ではない。お前は下がれ」
「……分かったよ」
まだ荒々しい感情が残っているが、レイダは拳を下ろす。如何にグライデン傭兵団の副団長と言えど、夫の友人である彼に刃向う事はしない。
アルバートはゼノスの前にはだかる。ゼノスは相手を射殺さんばかりの視線を浴びせるが、アルバートはそれに臆しない。
それどころか、呆れた表情を浮かべる。
「相変わらずじゃなあ。儂が付いていた頃も、そうして無謀に立ち向かっていたな」
「……悪いかよ」
不貞腐れた返事に、アルバートは鼻息を鳴らす。
「いや?むしろその勇気は素晴らしいものじゃよ。……だけど、冷静さと誠実さが欠けておるな。『騎士』たる者は、何時如何なる時でも状況を冷静に判断せねばならん」
――騎士。
その言葉に、ゼノスは歯軋りする。
「……また絵空事の、騎士道精神ってやつか?馬鹿馬鹿しいッ!それを守って来た連中がどこにいたよ!?勇猛なグングダルの騎士団か?気品高いイレイティスの騎士団か?神の恩恵を授かったとほざくヒースガルドの騎士団か?――それとも、誉れ高いランドリオ帝国の騎士団にいるってのかよッ!」
「……全く」
アルバートは溜息を吐き、ゼノスの肩に手を置く。
おどけた表情から一転――険しい猛虎たる顔つきに変わる。
「――――まだ逃げるのか、ゼノス」
「ッ!」
ゼノスは図星を付かれ、無理やり手を払おうとする。しかしアルバートは力を強め、離そうとしない。
「弱いの、ガイアに育てられた癖に。――奴はお前のように、他の騎士とは比べなかった。他の騎士とは違う騎士になろうとした。奴にそれが出来て、何故お前が成し遂げられない?」
「そ、それはッ」
「それは自分が弱いからか?――じゃがその弱腰精神で、お前は一体何人もの人々を見殺しにしてきた?」
「…………………………」
ゼノスは絶句する。
ふいに思い浮かんだ光景は、大切な者達の死の瞬間だった。
どれもゼノスが勇猛果敢に立ち向かい、そして敗北し――地面に頬を擦りつけながら、涙を流しながら見てきた。
血の惨劇を、断末魔のコーラスを。
アルバートはそれを知っている。あの情けない姿のゼノスを、それはもう幾度も幾度も。
だから、今のゼノスに言ってやる。
この腑抜けた若造に、在るがままの現実を突き付ける。
「――今のお前じゃ、すぐに死ぬだけじゃ。騎士の何たるかを知らん者に、聖騎士の加護は付いて来んよ」
「……」
悔しい。
目尻に涙が溜まる。服の袖で涙を拭うが、それでも止まらない。不甲斐ない自分を曝け出していると思うと、情けない気持ちで一杯になる。
自らの力量を誤ってはいけない。それはアルバートが四六時中言い聞かせてきた言葉だ。ゼノスは幾度もその教えを破り、力を過信してきた。いつもアルバートに抑制されてきたが、それでも感情を優先してきた。
だが敗北後に諭されると……自分の愚行に気付いてしまう。
――そう、馬鹿丸出しだ。
こんなどうしようもない自分を知ったら、ドルガとコレットは……ガイアは何と言うだろう。
……。
途端に部屋が静まる。何とも言えない空気が漂い、居心地の悪い状態がしばし続く。
と、そこで部屋のドアがそっと開かれる。
ドアを開けたのは……小刻みに震えるイルディエであった。
「イルディエ嬢ちゃん……話を聞いてたのかい」
レイダは頭を抱えながら問う。
案の上、イルディエは小さく頷く。
「あ、あの……盗み聞きするつもりはありませんでした。ですがその……つい偶然と」
皆の視線に委縮しながら、しかしそれ以上に恐怖を抱きながら答える。
彼女をそこまで怯えさせる理由は、大体予想出来る。
「……アグリム様が生きているって、本当なんですか?」
「…………」
沈黙を肯定と受け取ったのか、イルディエの顔が蒼白となる。
当然の反応だろう。自分達を苦しめてきた元凶が生きていると知り、そこで感情を露わにしない方がおかしい。
イルディエは深々と低頭する。
「その……戻らなきゃ。でないと……叱られるので」
そう言って、イルディエは走って出て行く。
虚ろな眼で行く先は、多分アグリムの屋敷だろう。しかし今行けば、確実にアグリムの部下に捕獲されるのがオチだろうに。
「はあ、また面倒な事に……。彼女をどうしようかね」
苦悩するレイダに、ウズファラが即答する。
「無論、彼女もまた依頼の一部に入っている。もし君達が彼女を追わないならば、我々が彼女の保護に向かうが――」
「いや、ここはゼノスに任せるんじゃな。それで構わなんだろうレイダ?」
何か含みのある言い方で、アルバートはそう指示してくる。
レイダは暫く考え込んだ後、彼の意見に同意する。
「そうさね、ゼノスの頭を冷やすには丁度いいかもしれない。今後に関しては、ゼノスが嬢ちゃんを連れ帰って来てから話そうかね」
そう言って、レイダはゼノスの背中を叩く。どうやら行って来いという合図のようだ。
面倒事を任された気分だが、ゼノスとしてはむしろ願ったり叶ったりだ。イルディエには大変申し訳ないが、彼女に対する心配よりも、この雰囲気から脱出できる事に安堵している。
誰かに急かされる前に、ゼノスはイルディエを追い駆けた。
「……旦那、何か名案でも浮かんだのかい」
ゼノスが居ないこの部屋で、レイダはふと本音を漏らす。
そう言われたアルバートは神妙な面持ちで答える。
「良い案かはまだ分からんわい。……単に儂は、騎士として当然の意思を宿して欲しい、そう思っての」
「騎士として当然の意思?」
レイダは小首を傾げる。幼少時代から傭兵稼業に身を置いていた彼女としては、騎士道精神の何たるかを余り理解出来ていないのだろう。
しかし、同じ騎士であるウズファラは納得した。
「なるほど、そう言う事か」
「え、え?分からないのはあたしだけかい?」
いくら試行錯誤しても分からない。
やがてアルバートは、肩当てに刻まれた紋章に手を置く。蔦に巻かれる剣と盾の紋章は、紛れも無いランドリオ帝国の国章だ。
「お前がグライデン傭兵団を愛おしく思い、団員を守ろうとする心意気と同じじゃ。……今の奴に必要な物と言えば、正しくそれじゃろう」
「…………」
ようやくレイダも合点がいった。
守る。――誰かの為にその身を捧げ、誰かの為に戦おうとする行動。
――騎士として欠かせない大事な行いだ。
そしてアルバートは期待する。
霧の中を彷徨い続けてきた少年に、ようやく見えてきた出口。
希望を持って現れたイルディエとの出会いが、ゼノスを良い方向へと変えてくれると。




