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白銀の聖騎士  作者: 夜風リンドウ
四章 オアシスの踊り姫
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ep5 理想と現実




 あの日々は素晴らしかった。




 今から数年前。ゼノスがまだ世界を知らず、ある三人の騎士に憧れていた時代の事だった。



 ――先代の聖騎士、ガイア・ディルガーナ。その弟子であるドルガとコレット。今は亡きグラナーデ王国の騎士で、誰よりも騎士道精神に従順だった騎士達。



 ……あの日々は忘れない。三人がくれた平和な日常は、今のゼノスにとって何よりもの宝物だから。



 勿論ガイアの説いた騎士道精神も、ドルガが魅せる騎士としての勇姿も、そしてコレットが示す騎士としての慈愛心も、絶対に忘れたくはない。




 だって彼等の生き様こそが、騎士である証なのだから。




 弱き者には救いの手を差し伸べ、時として在るべき道を示してくれる。守りたい世界を守る為に、彼等は決死の覚悟で剣を振るう。



 そう思っていた。皆がそうであると確信していた。





 ――だけど、それはとんだ勘違いだった――





 ――――これは夢なのだろうか?



 ゼノスは動悸を抑えながら、最悪最低の光景を目にする。



 死体がそこら中に転がり、真っ赤な鮮血は海の様に広がっている。血生臭い独特の匂いが鼻をつんざき、更には死体の腐臭までも漂う。



 しかし、この世界は死体だけの世界では無かった。



 ゼノスの目前には、まだ生きている人間がいる。……いるのだが。




 その人物達は、常軌を逸した行動を行っている。




 誰もが甲冑を着こみ、腰には剣を帯びている。しかし中には独特な格好をした騎士もいて、その場にいる者全員が同じ国の騎士とは限らない。



 だがそんな事はどうでもいい。人々を守り、人々の盾となるべき存在であり、国や恰好で彼等を一緒くたにしてはならない。



 守護こそが騎士の本懐であり、果たすべき正義の筈。



 ――なのに――





 ――何故あの騎士は、老婆の髪を掴んで殴っているのか?



 ――何故あの騎士達は、年端もいかない少女を無理やり襲っているのか?



 ――何故かの有名な騎士が、守るべき民を虐殺しているのか?



 ――何故信頼されていた騎士が、主を裏切っているのか?





 他にも沢山の騎士達が、下種な行動を繰り返している。傍目から見れば、人間とは思えない所業ばかりだ。



 騎士という建前を翳し、横暴な態度を取る。何とも醜くて、何とも残酷な行動に、自然とゼノスは眉をひそめる。




 

『はは、ははは!見ろよ、こいつ良い女だぜッ!犯せ!殺せ!』



『散々税を払って来てもう払えねえだあ?なら村の奴等全員、皆殺しだな』



『所詮自国の民なんて、俺達騎士と領主様の奴隷でしか無いんだよ!』





 ……暴虐が横行し、あの騎士達は下種な事を口走る。




 そうだ。これはゼノスの見てきた騎士達だった。ガイアやドルガ、コレットの様な騎士とは違う――『ありふれた騎士』の姿だ。




 自らの利益の為に騎士となり、民の事など意にも介さない。自分の欲を満たすだけの奴隷として扱い、騎士同士も疑心暗鬼に駆られた醜い争いを続けていた。



 全部自分の為、そこに『他者を守る』という思考は存在しない。



 結局の所――ガイアの言う騎士は幻想なのか?現実はそんな絵空事とは違って、とても醜い有様だ。




 …………その現実が全てを狂わせた。




 鮮血の海に巨大な空洞が生じ、ゼノスは抗う事も出来ずに飲み込まれる。

思わず目を閉じ、息を止める。



 しかし息が出来ると分かった途端、双眸を開かせる。……得も言われぬ後悔に苛まれ、ゼノスは『何度目』かの悪夢を目の当たりにする。



 いつも見る――現実を。




 ゼノスを待ち受けていたのは――裏切り。死の恐怖。怨嗟。嫉妬。支配。虐殺。惨殺。苦悩。絶望。後悔。悲愴。大切な存在の死――――ッッ!




 自分は全てを経験した。全てを受け入れてきた。



 気が狂いそうだ。一体何故、どうして自分だけが苦しまなければならない?



 騎士道精神なんて偶像の塊だった。守るべき民を持てば、今の自分が必ずしも護れるとは言い難い。




 ――自分もまた、あの騎士達と同じなのだろうか――




 ――教えてくれ、ガイア――




 ガイア達こそが本当の騎士なのか。それとも今まで見てきた連中が騎士なのか?……そして、理想の騎士は現実に存在する事が出来るのか? 



 分からない。全く分からない。



 ――このまま生きて行けば――自分は人間を信用出来なくなるだろう。



 絶対そうだ。いや、そうに違いない。




 ――現に、そうなりつつあるのだから。



















「――――ッッ!」



 額から汗を吹き出しつつ、ゼノスは目を見開く。



 ……夢だったのだろうか。あの忌々しい光景は消え、視界には素朴な一般家庭の一室が広がっている。今の自分は部屋のベッドに横たわっていて、律儀に掛布団も掛けられていた。



 至って平穏な空間。――しかし、



 咄嗟に彼は気配を感じ、脇に置いてあった剣を抜く。気配の正体が何であろうと、今のゼノスには関係無い。寝覚めが悪いせいか、今は全ての存在が恐ろしく、敵であった。



 剣刃を首筋に添えられた人物は――ベッドに横たわるゼノスを介抱していたイルディエだった。



「…………あ」



 一瞬の出来事で、イルディエは一体自分が何をされているか分からなかった。恐怖よりも先に、微かな吐息を漏らす。



 ハッとしたゼノス。するとそこで、誰かが部屋のドアを開けた。



「――落ち着きなゼノス。その子はあんたが救ってあげたお嬢ちゃんだよ」



「…………」



 ゼノスは虚ろな双眸をイルディエに、そして更に後ろに控えるレイダへと視線を移す。



 レイダの意思を汲み、剣を下ろす。



「はあ。まずは頭部を触って、自分がどういう状態なのかを確認しな」



 彼女に促され、ゼノスは額に手を置く。



 そこには純白の包帯が三重程度に巻かれている。試しに頭を軽く揺らすと、額部分に若干の痛みが走る。確かに自分は、あの男に斬られて……。



「……そうだ。レイダ達の元に向かう途中で……俺は気を失ったんだ」



「そうさね。そして心配したイルディエが隠れ家から飛び出した途端、隠れ家の前であんたが倒れていたと。重傷ではないが、出血の影響で失神したんだろうね」



「……追手は?」



「安心しな、あれから来てないよ。今の時間帯は午前十時前後……つまり、既に半日が経過してるからねえ」



 半日。自分はそこまで気絶していたのか。



 窓を見ると、確かに明るい日光が差し込んでいた。路地裏だというのに、この場所は偶然にも日が当たるらしい。



 ……それはともかくとして、連中も昼間から動く事は無いだろう。昼は行商人が行き交い、更に王国の監視官が騎士団を偵察しているかもしれない。余程の事が無い限り、彼等は武力行使には出ないだろう。



 レイダは盛大に欠伸をしながら、面倒そうに言う。



「まあ、詳しい事情は後にしようかね。今は――イルディエお嬢ちゃんの御好意を無駄にしないように。いいかい?」



「あ、ああ」



 そう言って、レイダは部屋を後にする。



 かくして、ベッドとテーブルしかない簡素な部屋には、ゼノスとイルディエだけが残る事となった。



「……」



「……」



 いざ二人になると言葉が出ない。両者はただジッと互いを見つめ合うだけだった。イルディエは野菜スープと水を乗せたトレイを手に、ゼノスはただ茫然としているだけ。



 だがこのままでは何も始まらない。



 それにイルディエは、この無愛想な少年に言いたい事がある。



「その……ゼノス様」



「ゼノスでいい。俺はお前の飼い主でも無いし、もう自由の身だ」



 その一言に、イルディエは目頭が熱くなる。



 自分の奴隷人生は、昨日で終わった。もう二度と鞭で打たれる事も無く、二度と恐怖に縛られずに済むのだ。




 ――この方のおかげで。




 彼女はトレイをテーブルに置き、大仰に頭を下げてきた。



「あ、有難うございます。私とエルーナを救ってくれて…………本当に」



 エルーナとは、イルディエと共にいた金髪の少女なのだろう。



 イルディエは今いないエルーナの分まで、涙を零しながら頭を下げてくる。



「よ、よせ。別に俺は、救おうとしたわけじゃ」



「ですが、結果的に私達は助かりました!」



「……」



 そう言われては何も言い返せない。



 真っ直ぐな気持ちで感謝されては、二の句も告げられなくなる。



「はあ」



 ゼノスは憂鬱な気分になりながら、テーブルに置かれた野菜スープに手を付ける。一刻も早く、この話題から離れたい気持ちがあったからだ。



 さて、こうして朝食を頂くわけだが。




 ……得体の知れない味のスープだった。




 レイダは料理が出来ないので、恐らくこのイルディエかエルーナが調理したのだろう。見た目は……悪くないのだが。



 これは塩?いや、この舌が熱くなる様な感覚からすると唐辛子の類だろうか。こういった料理を初めて食べる人間ならば、口に含んだ途端吐き気を催し、吐瀉物を吐きかねん程の産物だ。



 不味い。そう言ってやりたかったが――



「……」



 黙々と食べるゼノスに、イルディエはニコニコとしながらその様子を眺めている。……美味しそう(?)に食べている姿を見て、とても嬉しいようだ。



 残念ながら、満面の笑みを浮かべる人間に対して罵詈雑言を浴びせる事は出来ない。これはもう性格上の問題だ。



 なので迅速に食事を終えようとスープを一気に飲み干し、すぐさま水を飲む。多少眩暈が来たが……問題ない。



「あの、もっと食べますか?まだおかわりがありますので」



 死神の誘いに対して、ゼノスは即座に対応する。



「いや、今はこれぐらいにしておこう。……それに」



 ゼノスはちらり、と部屋のドアへと目をやる。



 ドアが若干開かれていて、そこから頬を染めながら覗き見る人物がいる。



 ……それは紛う事なくレイダなのだが。



「……何か用か」



「い、いやさね……。あんた達を見てたら、自分と旦那の新婚生活を思いだしてさ……。わ、若さっていいねえ」



「……」



 頬を紅潮させるレイダ。それに加え、隣のイルディエもまんざらでも無い表情なので始末に困る。特に、今年四十を迎えるレイダに関しては。



 こんな様子じゃ落ち着けない。ベッド下のブーツを履き、居住まいを正す。



「で、何か用があるんじゃないか?」



 レイダはハッとし、照れ臭そうにしながらドアを完全に開け放つ。



「ま、まあそうなる。べ、別に照れてたわけじゃないからね!」



 年甲斐も無く片足を上げ、両手で顔を覆うポーズを取ってくる。



 もう一回言うが、彼女は今年四十を迎える。



「はいはい、分かったから」



「む、つれない反応だね。……まあいいさ。朝飯が終わったんなら、ちょいと応接間まで来てくれよ。――大体予想がつくだろう?」



「……ああ。承知した」



 彼女は途端に真剣な様子となり、ゼノスもそれを察する。



 他に痛む箇所は無い。ベッドから容易に起きる事が出来たゼノスは、上着を羽織ってレイダの後を付いて行く。





 ――イルディエの料理に関しては、一旦忘れる事にしよう。








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