ep4 復活の強欲人
斬殺された死体で溢れたアグリムの屋敷。
血の匂いが周囲を漂わせ、月光によって露わになるのは、無残にも殺された奴隷達の死骸。彼女等は虚ろな眼を天井に向け、息絶えていた。
屋敷が静寂に包まれる中、ここの主であったアグリムの部屋に一人の男が佇んでいた。
銀縁の眼鏡をくいっと上げ、その男は深く溜息をつく。
男の視線は――あらぬ方向に首を曲げ、絶命しているアグリムの方に向けられていた。
「……全く、仕方のない人だね。一応僕の依頼主なんだから、勝手に死なれちゃ困るよなあ」
男は柔和な表情を崩さないまま、アグリムの死体に触れる。
一見すると、死後からそんなに経過していない様子だ。
……これならば。
男はマントの内側から、一枚の仮面を取り出す。
仮面は鬼の形相で、怨嗟の念を沸々と放出させている。微かな邪気が持つ手を刺激させ、軽い眩暈を起こさせる。
そんな危険な仮面を、男は迷う事なく被る。
顔面に電撃の様な痛みが走るが、彼は平静を保とうとする。
『……影中ノ……禁術……ッ』
男はアグリムの心臓部分に手を置き、一心に乞い願う。
影中の暗殺術とはまた違う、禁じられた古の術。
男の故郷に伝わる禁じられた秘術であり、その術は使用された者に、そして使用者にも多大なる負担を与える。
死が到来するか、または死よりも恐ろしい劫罰が待ち受けているか。それは誰も分からないし、記述にも詳しい事は残されていない。
……しかし、男だけは別だ。
この仮面がある限り、自分には負担が来ない。
だからこそ、容易く禁術を行う事が出来る。何も躊躇う事も無く、何の罪悪感も無く――。
『……甦レ…………愚者ヨ……ッ!』
アグリムの死体は浮遊し、まるで吊るされた状態で留まる。
不快な間接の不協和音がアグリムの身体から鳴り響く。彼の致命傷であった首の角度も徐々に戻って行く。
「お…………ご…………」
低いアグリムの呻きが聞こえ始める。先程まで死んでいた人間が、声を発する……通常では有り得ない事だ。
しかし、この禁術はそれをも成し遂げる。
かつての故郷で、報われぬ恋を嘆いて水浸自殺をした少女。その少女を救うべく、男が狂気に飲まれて完成させた蘇生術。
今世では誰も知り得ない禁術が、今解き放たれる。
哀れな男――アグリムを実験体として。
アグリムの身体は浮くのを止め、重い音を立てて地面へと落ちる。
男は仮面を脱ぐ。やはりこの仮面を用いると、多大なる疲労を感じてしまう。金術の代償よりは遥かに軽い症状だが、それでも不便なものだ。
「……ん、む」
「ようやく目を覚ましましたか、アグリム殿」
男は目を覚ましたアグリムに対し、慇懃に頭を垂れる。
アグリムは訳の分からないまま、キョロキョロと辺りを見回す。
「こ、これは一体……確かにワシは死んだ筈じゃ」
「細かい事は宜しいですよ。とにもかくにも、僕が分かりますか?」
「……お前はワシが雇った…………ライン・アラモードだな?」
男――ラインは首肯する。
『蘇生の禁術』は初めて扱ったが、どうやら記憶や感情に影響は無いようだ。
「そうだ思い出してきたぞ……。ワシは女王が雇った傭兵に殺され……そしてワシの奴隷を……ッ」
そこでようやく、アグリムは屋敷中に放たれた異臭に気付く。
死体特有の不快な匂いを嗅いで、眉間に皺が寄るアグリム。
「気付かれましたか。その匂いは屋敷で働いていた奴隷少女達のものですよ」
「や、やはり……。くそッ、くそッ!女王の犬め、ワシの大事なコレクション達を壊しおってッ!」
大事な所有物を壊されて激昂するアグリム。ラインもまた非情な心の持ち主だが、この男も負けてはいない。人間を道具としか扱わず、そこには奴隷に対する悲愴の手向けも存在しない。
アグリムは息を荒げながら、ラインへと向き直る。
「――ワシの経営する奴隷市場は?」
「まだ女王の手は及んでいませんねえ。……でも、時間の問題かと。彼等傭兵団は中々の手練れ、すぐに市場を破壊するでしょうね」
「ぬ、ぬぬ……それだけはさせんぞ。何年、いや何十年もかけて築いた宝玉を……こんな事で手放す訳には!」
「ですが、ここの市場も既に限界ではないですか?女王の刺客が来る前から、あの市場は教会連中の救済対象になりましたでしょう。……聡明な貴方ならば、事はそう単純で無いと察しがつくかと」
ラインの言葉に、アグリムは口を紡ぐ。
彼の経営する奴隷市場は大規模であり、奴隷を購入する客も近年、様々な人物が存在する。
自国の富裕層は勿論、ここ最近では他国の貴族、挙句の果てには大国の王が臣下を通して買付に来る事もある。幅広い人種を奴隷として扱い、その豊富さが起因となったと言えよう。
……しかし、この市場は遂に『教会』に知られる事となった。
人身売買に反対し、その解消の為に教会は人権保護団体を組織している。彼等はアグリムの徹底した情報隠蔽を掻い潜り、市場の存在を嗅ぎつけたらしい。
更に教会の裏には――あの『ランドリオ帝国』もいる。
もし教会組織に危害を加えれば、間違いなくランドリオ騎士団が派遣されるだろう。そして六大将軍という戦人が来てしまえば……確実に市場及びアグリム一派は排除される。
「ぬ……ぐぐぐ。なら一体どうすればいいッ!?」
「――良い考えがありますよ、アグリム殿。とても単純明快で、すぐやり直せる方法がね」
「……言ってみろ」
ラインは口を吊り上げ、その方法を告白する。
それを聞いたアグリムは、呆気に取られる。
「…………ほ、本気か?」
あのアグリムでさえも、ラインの方法に恐怖を覚えた。それほど彼の提案は恐ろしく、およそ人間が考え付くとは思えない。
「ええ、本気ですよ。……おやおや、貴方ともあろう御方が怖気づいたのですか?幾人もの奴隷少女を壊した貴方が?」
ラインはアグリムの前髪を掴み、顔を近づける。
一方のアグリムは怒鳴る事も出来ず、何も反論する事が出来ない。
今の彼は、目前の男に威圧されている。表面上は優男を演じながら、その中身はドス黒く、自分をゴミの様に扱っている。
……最悪だ。今の自分は、この男を雇った事を後悔している。
自分の身を案じ、凄腕の暗殺者を護衛として雇用したというのに……逆に自分の首を絞める羽目となった。
そもそも、何故ここまで執着するのか?
「……ライン。お前、何故ここまでこの依頼に拘る?」
「拘る?……ああそう言われれば、確かにそうなるんでしょうかね」
ラインは顎に指を添え、悩む素振りをする。
改まってそう言われると、返す言葉が見つからない。依頼主の為に蘇生の禁術を使うなんて初めてだし、ここまで面倒な依頼はすぐに放棄する所だ。
金払いも悪いし、人遣いも荒い。むしろメリットの方が少ない。
なのに、何故彼の護衛を続けるのか?
「う~ん、僕にもよく分からないなあ。何はともあれ、こうして僕が協力しているんだし、そちらに危害は無い。むしろ助けたぐらいだ。……あまり問い詰める必要も無いんじゃないですか?」
「ぐっ……」
冷めた声で言われ、アグリムは押し黙る。
「~~ッ。もういい下がれ!とにかく、女王の犬共はワシの奴隷を連れて行ったのだ!あの二人の捜索も怠るなよ!」
「仰せのままに。ふふ、万が一彼女等が国外から逃げてしまえば……それこそ教会に市場の在り処を突き止められかねない、ですからねえ」
ラインは微笑する。
禁術によって復活したアグリム――いや。
――禁術の負荷によって、近い将来に凄惨な死を遂げるだろう愚者に対し、哀れみの念を向けながら。
……どうか自分が満たされるまで、死なないでくれと祈りながら。




