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白銀の聖騎士  作者: 夜風リンドウ
四章 オアシスの踊り姫
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ep3 黒の暗殺者

 



 沢山の人々が行き交うバザール。夜にも関わらず、昼間よりも人が混み合っているかもしれない。




 その中を、ゼノス達一行は死に物狂いで突き進んでいた。



 後ろを振り返ると、まだ敵達は追い駆けて来ている。手に持つサーベルを振り回し、市民達を脅して道を開けているようだ。



 この町を守る身でありながら、何と横暴な事か。



 距離は段々と狭まっていく。縮まる毎にゼノス達の焦燥感は高まり、出来る限り先へ進もうとする。




 しかし――




「――きゃっ」



「はっはーッ!捕まえたぞ、奴隷め!」



 何と、金髪の少女が戦士の一人に手を掴まれてしまった。



 夜のせいか、直前までそれを把握出来なかった。情けない失態を犯したものだと、ゼノスは嘆く。



「くそっ!」



 ゼノスは一瞬二人の手を離し、後方へと向く。



 腰の鞘から剣を抜き、少女を掴んで離さない戦士の首筋に向けて刺突する。



「ぎゃっ!」



 剣先は見事命中し、敵の首から鮮血が吹き出す。



 金髪の少女は絶句し、悲鳴さえも出せない。鮮血が自分の身体に付着した時には、それはもう恐怖の感情で一杯だった。



 しかし、ゼノスは気にも咎めない。茫然と佇む少女の手を取り、更にイルディエの手も握る。待ってくれたレイダと相槌を交わし合い、また疾駆する。




「い、いやあああッ!」

「何だ何だ、殺しかっ!?」

「逃げろ、俺達まで殺されちまうぞ!」





 幸か不幸か、周囲に居た人々が逃げ惑い始める。



 しかしそのおかげで道が開け、周辺がどのような構造になっているか大体把握出来るようになった。



 ……しかし、問題は行き先だ。




 まさか闇雲に逃げているのではないか?そんな悪寒が過ってしまう。




「レイダ団長、目的地はまだなのか!」



「そう焦るんじゃないよ。……う~ん、確かこのまま進めば…………あれ、違ったっけか」



「……」



 果てしなく不安だ。



 そうこうしている内に、また新たな敵が迫ってくる。今度戦いを挑めば、イルディエ達の無事は保障出来ない。




 ……今のゼノスにとって、『守る』という行為は至極難しいのだ。




「くっ…………レイダ団長ッ!」



「お――見えて来た。あの路地に入るよ、ゼノス」



 ゼノスの言葉に応えるかの様に、レイダがタイミング良く行き先を指示してくれる。



 そうと決まれば、善は急げだ。



 ゼノスは一度大きく深呼吸をし、両腕に力を込める。



 先行くレイダが道を曲がったその時――ゼノスは二人の少女を自分の傍へと引き寄せる。




「えッ?」



「わ、わわ!」




 戸惑いを隠せないイルディエと金髪の少女。



 その反応は尤もだ。――一体どこの誰が、このような状況で二人の少女を担ぎ上げ、怒涛の勢いで加速するだろうか?



 ゼノスは勢いを止めず、一気に敵から距離を離す。



「なっ!こいつ、急に……」



「追え、追えッ!絶対あの奴隷達を逃がすなよッ!」



 しかし、それは無理な話だ。



 ゼノスが道を曲がる寸前に、彼は露店付近にあったリンゴの樽を蹴倒す。



 リンゴが道中に転がり、追ってきた敵は足を取られて横転する。




「馬鹿野郎!何をやっているんだ!」



「畜生……ッ。奴隷を逃がせば、俺達が殺されちまうぞ!」




 敵同士が喧嘩を始めるが、ゼノスは気にせず路地へと駈け込んで行く。











 




 路地裏へと入り、一行はまたひたすら走り続ける。



 ゼノスとレイダはともかく、イルディエと金髪の少女は既に限界に近い。

息を切らし、足もおぼつかない様子だ。



 それを見たレイダは、速度を落としてゼノス達と並行に走り始める。



「あとちょっとの辛抱だよ、嬢ちゃん達。このまま進んで更に入り組んだ通路を抜ければ、グライデン傭兵団の隠れ家があるからさ」



「――隠れ家?」



 代わりに疑問を投げかけたのはゼノスだった。



「そう。以前トル―ナに来た時、ちょいとヘマをやらかしてね……あの時は苦労したもんだよ。――だから万が一の事態に備えて、自前の隠れ家を作ったわけ。全く、実際使う事になるなんてねえ」



 成程、そういう事か。



 敵が追って来ない今、その隠れ家は確かに機能するだろう。先程から迷路の様な道を通っているのだから、まず見つかる事は無いはずだ。



 そう皆が思っていた。



 イルディエも金髪の少女も、あのレイダさえも。




 ……しかし、ゼノスだけは違った。




「ゼノス?」



 突如立ち止まるゼノスに、レイダもまた走りを止める。



 その場で立ち尽くし、一生懸命辺りを窺う。



 レイダやイルディエ達が耳を傾けても聞こえない。かと言って周囲を注視しても、誰かが潜んでいるわけでも無い。何の変哲も無い、ありふれた光景だけが映っている。




 だが、胸騒ぎが収まらない。




 この感覚は今まで何度も味わってきたものだ。殺されそうになったり、殺伐とした雰囲気の時は、いつも体感してしまう。



 これは警告。だからゼノスは、誰にも見抜けない――『凄まじい程の殺気』に気付いてしまった。



「……っ」



 今まで相手にして来た連中とは違う。



 何十、何百……いやもしかしたら、何千人もの雑魚が相手にしても勝てない誰かが近付いてくる。



 のらりくらりと、完璧なまでに気配を殺した状態で。




 闇の暗殺者が来訪してくる。




「――そこか!」



 一瞬の感情のブレを感じ、ゼノスは動き始める。



 訳の分からぬまま呆然と立つイルディエの前へと躍り出て、素早く剣を振るって見せる。



 それは誰も居ない方向に――いや。



 いつの間にかゼノスと対峙していた男に向かって、刃が振るわれる。



「ッ!」



 全身を漆黒のマントで覆っている男は、無言のまま刃を交差させる。だが動揺を覚えたらしく、若干後ずさる。



 その好機は逃したくない。ゼノスは見事な急所突きを行うが、男はそれを避け、鋭い短剣で逆にゼノスの喉元へと突き刺そうとする。



 しかしその短剣を瞬時に弾き飛ばしたゼノスは、隙を突いて男の腹を蹴飛ばす。一瞬よろめく男だったが、すぐに体勢を立て直し、遥か後方へと後退する。



 何とか間が空いた所で、レイダがゼノスの前へと出る。



「……ゼノス、よくやったね。あんたが対処しなければ、今頃この子達は死んでいたよ」



 事の状況を察したレイダは、ようやく攻撃態勢へと移る。



 ゼノスとはともかく、レイダは今の先制攻撃に付いて行けなかった。これでも幾多の戦場を駆け巡り、あらゆる暗殺者を殺して来たが…………自分より上を行く敵に出会ったのは初めてかもしれない。



 力の波動、抗えぬ殺気――まるで神話上の化け物と対峙している気分だ。



「……」



 男はジリジリと間を空け、攻撃の隙を狙っている。



 こちらが気を抜けば、一瞬で殺されるかもしれない。



「くっ。あんた、一体何者だい?あたしらを邪魔するって事は……アグリムの部下って所かい?」



「……」



 男は答えない。



 しかし先程、この男はイルディエ達に襲い掛かって来た。何の迷いも無く、イルディエ達を標的としていた。



 目的が彼女達の殺害だって事は、この場の誰もが分かっただろう。



「あくまで沈黙、か。――ならば退いてほしい所だな」



 ゼノスの要望も空しく、男は再度ナイフを構える。



 あくまで自分達を殺す気なのか?ゼノス達の声さえも聞き入れず、ただこちらがどう出るかだけに意識を集中させている。



 ――隙の無い構えだ。



 生半可の状態で挑めば、こちらが全滅しかねない。



「……レイダ団長、先に逃げろ」



「逃げるたって……あんたは隠れ家の場所を知らないだろう?ここは死に物狂いで逃げるしか」



「いや心配無い。何とか団長達の気配を探って行くから」



「いやけどね――」



 言い掛けた所で、レイダはゼノスの急変に気付いた。



 半ば虚ろだった表情が打って変わり、ゼノスは獲物を狩る獣染みた笑みを浮かべていた。




 この顔はよく知っている。




 戦い苦しみ、死の境界線を幾度も彷徨った末に滲み出たものだ。味方にも裏切られた彼が見せる、見境なく戦う前の表情。



 ……こうなってしまっては、レイダ達の身も危険だ。



「そうかい……。無理するんじゃないよ」



 レイダは心配そうに見守るイルディエと金髪の少女を連れ、素早い動きで男の横を過ぎ去る。



 しかし男は追おうとはしなかった。今のタイミングならば、レイダ諸共殺せたにも関わらず。



 ――だがそれも、ゼノスとレイダにとっては計算済みだ。




「…………中々やるね」




 初めて男が声を出す。物腰は低く、鋭い殺気とは裏腹の柔和じみた声音であった。



 だが騙されてはいけない。彼はまだ闘争心を露わにしたままだ。



 男は更に続ける。



「僕は今の行動で正気を疑ったけど、すぐに納得したよ。あのまま彼女達を殺そうとすれば……君が僕を殺していたから」



「ほう、よくそこまで分析出来たな。なら俺が、今からどうするかも予想が付くか?」



 男は僅かに肩を揺らす。



 男の口から、籠った笑い声が聞こえる。




「……僕を殺す気かい?」



「勿論、邪魔する奴は全て殺す」




 ゼノスもまた臨戦態勢に入る。殺気を増大させ、彼に無言の挑発を突き付ける。それは殺し合いの合図と言ってもいい。



 何の兆候も無しに、ゼノスが瞬時に消え去る。



 気付けば彼は建物の壁を蹴り、また反対方向の壁を蹴って上へと登って行く。洗濯物を吊るしているロープを掴み、一回転。そこから体勢を変えて男の直下に落ちようとする。



「身軽だねえ。でも見えている」



 男は薄く笑み、バックステップで軽く回避する。



 彼もまた俊敏に動き、且つ体運びに一切の無駄が存在しない。常人ならばゼノスの突発的な行動に驚き、しばし呆然とする筈なのに。



 しかし意にも介さず、彼は余裕を見せる。……成程、あの殺気に見合うだけの実力を伴っている。



 ゼノスは地面へと着地した途端、すぐさま地を駆け走る。



 男が放つ飛びナイフを前転で回避し、僅かな動きで無駄なく急接近する。



「へえ!」



 男は意表を突かれ、ゼノスの剣を受け止める。あと数ミリ迫られていれば、剣が男の脳天を貫いていただろう。



 まさに九死に一生を得た男。……だが、それさえも動じていないようだ。



 ふいに強い風が二人を過り、その影響で男のフードが剥がされる。




 ――銀縁の眼鏡を掛け、漆黒の髪を有する少年がそこにいた。




「……良い目をしている。君もまた、様々な経験を積んできたようだねえ。この僕と同じく……狂気の刃を振り翳している」



「……」



 男はヘラヘラと笑いながら、軽く舌なめずりをする。



 外見は飄々としているが、その中身はゼノスと同様、激しい絶望感と怒りに満ち溢れている。




 一言で言うならば――世界に呆れ果てている。




「ああ、残念だなあ。もし立場が違ったら、君と僕は仲良くなれただろうに……。本当、残念だね」



「……御託はそれだけか?悪いが、敵にかける言葉は無い」



 ゼノスははっきりとそう断言する。



 清々しいまでに拒絶を受けても尚、男は表情を崩さない。だがしかし、突如男の闘気が消え失せる。




 男はナイフを下ろし、皮袋にしまい込む。




「……何のつもりだ」



「何って、僕は今ここで戦うつもりは無いんだよ。こうして来たのも、僕の標的がどんな者か確かめに来ただけだからね」



 そう言って、男はゆったりとした足取りでゼノスの脇を通り過ぎる。



 納得がいかなかった。ゼノスは後ろを振り返る。



「待てッ!貴様!」



 ゼノスは一気に距離を縮め、男の背後を取る。



 このまま剣を横薙ぎしてしまえば、男の胴体は両断される。軌道に狂いは無く、およそ一秒も経たない内にそうなるだろう。




 だがその確信は――やがて脆くも崩れ去る。




 胴体は砂と化し、男の全身も霧散していく。剣は空を切る結果となり、ゼノスは動揺を隠せない。



「――ッッ!」



 動揺が生じると同時、歪な悪寒を感じた。



 背後を取った筈のゼノスが、逆に背後から殺気を放たれる。井戸の底の様に暗く、後ろめたい闇の波動が全身へと絡み付く。



 抗う事さえも出来ない、あのゼノスでさえも。





「――影中の暗殺術――『綺羅の末路』」





 刹那、ゼノスの世界がブレる。



 ……この世界は美しい筈なのに。



 あらゆる景色も、生命も、この世に蔓延る全ての理が綺麗であろうに。まるで、水に浸した絹の様に……。



 しかし、男はその美しさを許さない。世界に蔓延る光を許さない。



 それは闇に生きる彼の願い。永遠の常闇を夢見て、いつかその世界を実現したいと願って――




 ――ゼノスにもその世界を見て欲しくて、両目を潰そうとナイフを振るった。




 尋常では無い速さで、ゼノスの光を奪おうとするが。



「ぐ――くッ!」



 ゼノスは彼の攻撃に反応し、即座に回避を心がける。



 常闇の誘いから逃れた人間は、多分ゼノスで初めてかもしれない。




「ほう!僕の暗殺術を崩すなんて!でも残念だけどねえ――ッ!」




 男の狂気じみた叫びと共に、ゼノスの額から血が噴き出る。




 何とか目は免れたが、代わりに額を斬り付けられた。血が目にもこびり付き、視界が一気に奪われる。




 これ以上の戦いは無理だった。額の傷が痛み、ゼノスはその場でうずくまる結果となった。



「くそぉ……ッ!どこに、どこにいるッ!?」



 辺りを見渡すが、男を見つける事は出来なかった。





「――ごめんよ。今は忙しい身でね……君との戦いはまた今度だ。次会ったその時には……ゆっくりと会話に華を咲かせようね」





 相変わらず呑気に言い放つ男。



 ゼノスは不甲斐なさで一杯だった。闘争心は欠けていないのに、何故自分は敵を逃さなければならない?



 ……逃せば、また悲劇が起こるかもしれない。




 そうなってしまえば、自分はまた失ってしまうのか?




 身近にいる人々を、下劣で野蛮な馬鹿共の手によって……救う術も無く見守り続ける羽目になるのか?



 ……それを考えただけで、吐き気が止まらない。




「待て……貴様…………貴様あぁぁぁぁッ!!」




 幾ら叫び続けても、既に男は立ち去ってしまっている。







 ゼノスの絶叫は、ただ空を木霊するだけだった。










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