ep2 出会い
「う、うぎゃあああああああッッ!」
主が急に悲鳴を上げる。
イルディエが見上げると、そこには手の平をナイフで刺され、悶え苦しむ主の姿があった。吹き出る血を反対の手で抑えるが、それでも止む事は無い。余程強い勢いで串刺しにされたのだろう。
散々奴隷を痛ぶっておいて、自分は声にならない絶叫を上げ続け、床を転げ回る。傍に置かれた酒は絨毯に零れ、果物は皿から飛び出る。
約数十秒後。ようやく落ち着きを取り戻した主は、鼻息を荒くしながら周囲を見渡す。もう二人に構う暇などあらず、ナイフを投げつけた者を探す。
そして彼は、窓枠に座り込む人物を見つけた。
「き、きき、貴様かあッ!ワシの、ワシの手を刺した奴はッ!?」
「……その通りだ、変態野郎」
窓枠に座っていた人物はそう言い放ち、ゆったりと降り立つ。
全身をボロマントで覆い、中は一体どういう出で立ちなのかが分からない。ただ低い声からして、恐らく男には違いない。……正確には少年、だろうか。
少年は腰に吊るしていた剣を抜き、正眼に構える。
「砂漠王国マハディーンの騎士団副団長、アグリム・メヘビトだな?不当な奴隷商売への介入、そして奴隷の所持――グライデン傭兵団はマハディーン女王の依頼により、貴様の暗殺を仰せつかっている」
「じょ……女王が」
主――アグリムは顔面を蒼白させる。
よもやこの男は、何の危機意識も無く日々を過ごしていたのだろうか。マハディーン王国では奴隷制度を禁止し、人身の自由を保障している。最も重要な国法をアグリムは犯し続けて来たのだ。
それも騎士団の副団長がだ。事実を知った女王はどんなに嘆き悲しみ、そして強い怒りを感じた事か。
「ま、待て。はは、話をしようじゃないか。な?」
「……話?何の話だ」
少年は問い返す。
どうせ命乞いをするのだろう。こう言った連中は、自分が知る限りいつも助けてくれとか、金と引き換えにだとか……そういう救いようの無い言葉が真っ先に出てくる。
きっと、こいつもまたそうなのだろう。
アグリムは両脇に控える少女とイルディエを引き寄せ、醜い笑みを浮かべてくる。
「ほら見ろ……ワシが買った奴隷の娘達だ。この金髪の娘は、元はどっかの国の貴族の子供だったそうだ。そしてこっちの娘はアステナ民族の末裔。……へ、へへ……どっちもまだ手を付けてないぞ?」
「……それがどうした」
「――ワシを見逃してくれれば、お前にこの二人をやろうじゃないか。貴族の娘とアステナの少女の初めてを……お前が奪えるんだぞ?ぐふ、ぐふふ」
「……」
アグリムの言葉を聞いた後、少年は無言のまま歩み寄る。
ただ怯えながらジッと見つめる少女達と、下卑た顔のアグリムの前へと立ち――手を差し出す。
「お、おお。分かってくれたか。よしよし、お前は利口だ…………ぐっ!?」
突如、アグリムが首を抑え始める。
少年が手の平を上に上げると、その動作にならってアグリムの全身も宙へと浮く。アグリムは足をジタバタさせ、首を抑えながら苦しんでいる。
「――が、は――い、息が――ッ」
……一体何が起きているのか、イルディエには全く理解出来なかった。
しかし少年がアグリムを殺そうとしているのだけは、はっきりと分かるが。
「何が初めてをくれてやる、だ。――お前の様な屑が騎士なんて、世も末だな。さっさと死んでくれ」
冷淡な一言を期に、少年は手を握り締める。
「――聖騎士流法技、『アストリアの裁き』」
言葉と同時に、首の骨が折れる音がした。
宙に浮遊するアグリムは目を引ん剝き、首はあらぬ方向に向く。少年が手を横に振ると、アグリムはその方向に向かって投げ飛ばされる。
アグリムは、そのまま絶命した。
「…………この姿は暑いな。もう脱いでもいいか」
そう言って、少年はそのマントを脱ぎ捨てる。
茶髪の髪に、鋭い紅色の瞳。まるで全てに絶望しているかの様な双眸を、イルディエに向けてくる。
互いに話し掛ける事は無いが、ただ見つめ合っていた。
少年は何を思っているかは知らないが……一方のイルディエは、頬を赤らめながら、熱い何かを込み上げながら。
しかしそれはすぐに終わった。
部屋の扉が強く開かれ、少年と同じ傭兵風の恰好をした男達が続々と入ってきたからだ。
――いや男だけじゃない。その中には、中年の女性もいた。
傭兵姿の女性は男達の前に立ち、素早く拳を構える。だが事の状況をすぐに把握すると、鋭い瞳は一気に和らぐ。
「ふう、何だいもう終わっていたのか。相変わらず仕事が早いねえ」
女性は少年にウィンクをするが、少年は気にも掛けず剣を収める。それよりも、疑問に思う事があった。
「……レイダ団長、まだ屋敷内には人がいたはずだが」
少年は目前の女性――グライデン傭兵団団長レイダに疑問をぶつけた。
そう、先程まであった人の気配が消え失せているのだ。幾ら気を集中させても、気配が見つからない。
「ああ、あの奴隷の子達か。……残念だけど、あたし達が来た瞬間に襲い掛かって来てさ。ありゃもう更生の見込みは無いと思ってね」
「……殺したのか」
レイダは首肯する。
「まあね。それに女王様からも、完全に自我を失った奴隷は殺すよう言われている。仮に一人の人間として社会に出ても、その人間は何をしでかすか分からないからねえ」
彼女の言う事は尤もだった。
奴隷は売られる前に人心掌握術を施され、身も心も主に委ねる人形と化す。無論、自分の意思など有る筈が無い。
いっその事、殺した方が幸せなのかもしれない。
「さて、じゃあそっちの子達も片付けようかね。ここの奴隷達は奴隷精神が板に付いているし…………きっとこの二人も」
と、レイダが近付こうとした時だった。
少年とレイダにとって、思いも寄らぬ事が起きた。
「――なっ」
少年は驚きの声を上げる。
何と金髪の少女は少年のズボンを掴み、イルディエに関しては全身で少年の足にしがみ付いて来たのだ。瞳は生気を宿し、自我を持っている。
二人は全身を震えさせ、少年に頼りきっていた。もしレイダ達が襲い掛かってくれば、きっと彼がまた何とかしてくれる。――得体の知れない少年だが、もう彼以外に頼れる者はいない。
それを見た傭兵団の連中は口笛を吹き、または余計な一言を言い合う。「はは、また女が寄り付いたな」とか「羨ましいねえ、畜生!」等々。
レイダもまた思わず苦笑した。
「へえ、相当気に入られたみたいね」
茶化す様なレイダの言動に、少年は不満を露わにする。
「……俺は気に入られる様な事をしていないけど」
少年は嘆息し、丁寧に彼女達を引き剥がす。
そしてしゃがみ込み、二人に問いかける。
「――俺の名はゼノス。まだ人としての自覚があるならば、答えてくれ」
少年――ゼノスはジッと見据える。
しかし一方のイルディエは、まだ言葉を出すのに躊躇していた。
幾ら少年に頼っているとはいえ、自分が何をされるか分かったものじゃない。自分から危険に飛び込みたくは無いからだ。
それを察したレイダは、ゼノスの肩に手を置く。
「そう急かす必要は無いよ。……二人にはまだ自我があるみたいだし、こっちもわざわざ殺そうとはしないさ」
「……そうか。ならいい」
意外にもゼノスはあっさりと引き下がる。
表情を一切変えず、無愛想な顔で部屋から出て行こうとするが。
――複数の殺気を感じ、歩を止める。
「ちッ。レイダ団長!」
ゼノスが振り返って叫ぶ前から、レイダは既に行動を起こしていた。
窓から大胆に侵入してくるターバンを巻いた戦士達。しかしレイダは迅速に接近し、先陣を切っていた男の顎にアッパーをくらわせる。
「ふ~ん、まだ残党がいるじゃないの。……でも、これ以上事を荒立てたくは無いね!」
女王はグライデン傭兵団に『暗殺』を依頼してきた。アグリムの屋敷に騒動があると知れば、それだけで町の住民達の評判は悪化する。それだけは、どうしても避けたい事だからだ。
なら無理に戦う必要は無い。レイダは瞬時にそう判断した。
「お前達、さっさとこの場から去るよ。あとゼノス、あんたはその子達を連れてあたしに付いて来なさい」
「……分かった。二人共、死にたくなかったら手を握れ」
イルディエ達は最初こそ戸惑ったが、彼に手を差し伸べた。
ゼノスはイルディエ達の手を掴み、立ち上がらせる。喧騒渦巻く中、ゼノスとレイダ、そしてイルディエと金髪の少女だけが部屋を出て行く。
廊下には、イルディエと同じ立場にあった奴隷達が殺されている。彼女達に対して特に思い入れは無かったが……。
もし自分がこうなっていたらと思うと、吐き気が止まらなかった。
それは金髪の少女も同じだったようで、口元に手を置いている。ただ死体を見ただけでなく、様々な状況の変化が彼女に不安を与えているのかもしれない。
――やがて、イルディエ達は外へと出た。
「逃がすなッ!何としてでも奴等を殺せ!」
追手は全員ではないが、約四人程の戦士達が追い駆けて来ている。恐らくだが、アグリム直属の兵士だと思われる。
主を殺された恨みか、はたまた別の理由があって自分達を殺そうとしているのか?それは分からないが、今逃げなきゃ殺される事だけは分かった。
「しつこいな……」
「そうだねえ……。これは憶測だけど、今町を出ようとすれば包囲される可能性が高いと見た」
レイダは確信めいた口調で告げる。
確かによく見れば、サーベルを持った連中が裏通りから現れて来ている。四人程の敵は、いつの間にか着実に増え始めている。
アグリムの死を何らかの方法で伝達し、町全域にいる兵士達が一斉に動き出したようだ。……よくよく考えれば、トル―ナはアグリム率いる騎士部隊が駐屯地として在留している場所だ。
無暗に町から出てしまえば、その先は大いなる砂漠。つい先日この大陸にやって来たばかりのグライデン傭兵団と、土地勘のある敵、どちらが有利かと言えば……間違いなく敵だろう。
「――全く、暫くこの町に厄介になりそうじゃないの」
不利な状況にも関わらず、レイダは微笑を浮かべる。
そして何故だろう――さっきから胸騒ぎが止まらない。
それは嫌な予感とか、そういう類では無い。……今抱える問題が、この地で解決しそうな、そんな気がするのだ。
「ゼノスッ、目の前にあるバザールを抜けるよ!しっかりとその子達をエスコートしてやりな!」
「……」
ゼノスから返事は無いが、了承はしてくれたらしい。
イルディエ達の手をしっかりと握り、彼等は人混み溢れるバザールの中へと入って行く。
――何処へ行くかは、レイダしか知らない。




