ep9 二年ぶりの戦い(改稿版)
酒場から大分歩き、ゼノスとゲルマニアは四番地区の裏通りの広場へとやって来た。
「……成程、これは酷い有様だな」
ゼノスは広場全体を遠目から見渡す。そこは既に血の海と化しており、商隊と傭兵らしき服装の死体がいくつか転がっていた。
「ちょっと失礼します」
そんな無残な様子を気にもせず、ゲルマニアは慣れた様子で死体の一つへと近付く。まだ若いのに死体に慣れているとは……まあランドリオ騎士団には必要なことではあるが。
彼女はじっくりと死体を観察し――そしてあることに気付く。
「……見て下さい。心臓を一突きされた痕があります」
「ああ――暗殺の手法で殺されているな」
恨みや妬みで殺す場合、敵はもっと沢山斬り付けるはず。しかし、この死体には心臓以外はどこも傷付けられていない。つまり相手は商隊に恨みを抱いた素人でなく、計画的に殺した殺人のプロであることが分かる。
「となると、彼等は誰かの依頼によって暗殺者に――」
「いや、それはないだろうな。……胸に付けられたバッチ。実は以前、こいつらと同じ組合の商隊と行動を共にしたことがある。決して他人を欺き、他人に恨まれるような行動はしなかった。身の潔白は俺が保障するよ」
「ではどういった理由で殺したのですか?」
ゲルマニアに言われ、ゼノスはじっと考え込む。
暗殺者が敵を殺す場合、大体は二つの理由で行うことになる。一つは依頼人から依頼を受け、計画的に行動した上で殺人に至る。
――そして二つ目は、自らの目的を邪魔する人間を排除するため。
もし商隊の連中が邪魔な存在だったのなら、十分殺す理由へと繋がるはずだ。
ゲルマニアにその二つ目の理由を聞かせると、納得がいったように頷く。
「なるほど、確かにそうかもしれません。……けど、この場所がそんなに大事…………――ッ」
刹那、ゼノスとゲルマニアは気配を察知する。
ゼノスがその気配を探る。
――およそ常人以上の力を秘めた者達がここいらを徘徊しているようだ。遠くに逃げていると踏んでいたが……彼等はすぐ近くにいる。恐らく、もう一度ここを通る可能性も高いだろう。
更に、ゲルマニアが驚くべき発言をする。
「この気配は――。やはり、シールカードのようですね」
「へえ、流石は同類。……なら用心しないとな」
さっそく隠れるのに最適な場所へと息を潜め、奴等がやって来るまで待機する。
「――気配は段々と近づいてきますね。どうやら隠れた甲斐があったようです」
「……」
ゼノスは興奮を抑えた様子のゲルマニアを見つめ、ある思いにふける。
自慢ではないが、自分が盗賊に対して引けを取る事は有り得ない。おそらく盗賊が千人、万人でも勝利してしまうだろう。自分がここにいても何ら危険は及ばない。
しかし、このゲルマニアはどうだろうか?
シールカードは確かに常人以上の力を秘め、その力は神獣と互角に渡り合えるほどだという。だが相手は同じシールカード。もしギャンブラーが傍にいたら、勝てる見込みはゼロに近い。
ゼノスとゲルマニアが上手くタッグを組めば勝てるかもしれないが……果たしてそう上手くいくのだろうか。
何となく、ゲルマニアが先急いでいるように見える。
「……何を焦ってるんだ。その調子じゃ死にに行くようなもんだぞ」
「……やはり、そう見えますか」
「当たり前だ、そんな血走った目で分からない方がおかしい」
ゲルマニアは俯き、溜息をつく。
そして近場の木材の上に座り込み、静かに呟いた。
「……先ほど、二つ確認したい事があると言いましたよね?」
「ああ。その一つは俺の違和感とか何とか、だっけか?」
――それに関しては知ってほしくもないが
「そのもう一つの疑問なのですが、私の部下に関する噂を明らかにしたいと思いまして」
「部下……?」
「はい。マルスという青年なのですが、実は数日前から彼の良くない噂を聞いたんです。あくまで噂ですが、彼が始祖を解放しようと企んでいるとか」
「……ああ、そういうことか。つまり、そのマルスという男が盗賊との共同工作を行っているかもしれないと、そういうわけだな」
「察しがよろしいですね。ええ、その通りです」
可能性としては高い、一言で表せばそうなるだろう。マルスに関してはよく知らないが、今の時期でそのような噂が流れているのなら疑いようがない。
「……」
――この調子だと、帰る気は無さそうだな
最後の悪あがきとして帰るよう促そうかと思っていたが、それは不可能に近いことを悟った。
理由は簡単、このゲルマニアには何か強い信念を感じるからだ。二つの目的に対する尋常ではないほどの使命感、ゼノスには同じ騎士として微かに感じ取ったのだ。
「マルスは私にとって大切な部下です。そんな彼をこの私がほっとくわけが……っむぐ!」
何か話そうとしていたゲルマニアの口をゼノスが手でふさいだ。
「静かに……どうやら、奴さんが来たみたいだ」
そう言ってゼノスは周辺の木箱の山に隠れ、路地からやって来る複数の集団に見えない位置についた。
「す、すいません……恩にきます」
「気にするな。――にしても、まさか犯行現場にまた現れるとはな」
当然のことだが、犯行を犯した後に再び現場にくることはまずない。現場の証拠隠滅を図らない限り、犯人は現場から遠ざかるように逃げていくはずだ。
捜す手間が省けてラッキーと言えば、ラッキーだが……一体彼等は何をしに来たのか。
ゼノスは視線を、路地からやってくる集団へと向けた。
人数としては数人規模だが、感じ取れる覇気や得体の知れない奇妙な力は把握出来た。間違いない、奴らはシールカードだ。
集団は段々と近づいてきて、話声も明確になってくる。
『あーくそったれ!やっぱここしか補給出来ねえよ!』
『だから軽率は控えると言ったんだ!むやみな行動はギャンブラー様の怒りを買うぞ!……とにかく、早い所済ませよう、人が来たら面倒だ』
『にしても……ギャンブラー様の命令は退屈だなあ』
『仕方ねえだろ。こうして自分らの力を補給出来るこの場所で、敵に対抗するための英気を養わねえと駄目なんだからな』
『でもよ~、わざわざ夜はねえよ。早く酒場に行きてえ』
『馬鹿、お前そんなこと軽々しく言うなよ。あのギャンブラー様はたださえ小言がうるせえんだ。聞かれたらヤバいぞ』
『ああ、そうだった。あの人、この国滅ぼすのに躍起になってるしなあ。……えーっと、またいつものようにここでじっとしてればいいんだっけ?』
『そうだよ。……ったく、血生臭くてしょうがねえ』
声達は雑談をし、一定の場所から離れる気配がない。警戒はしているようだが、恐らくゼノス達の存在には気付いていないだろう。
ゼノスは木箱と木箱の隙間から覗くのを止め、後方に控えるゲルマニアへと向き直る。
「数はどうやら六人だな。厄介な事に、奴らはこの場所で何か力を増大させる英気を蓄えているようだ……」
「英気……確かにこの場には、『光の源』が散布されているようですね」
「光の源?なんだそりゃ?」
初めて聞く固有名詞だ。ゼノスが知らないという事は、シールカード自身にまつわる言葉なのだろうか。
「シールカードが本来以上に力を出すために使用する不可視の粒子です。空気中に舞っていて、こうした英気を呼び寄せる場がここのようですね……しかし、この濃度は……異常ですね」
少々声を詰まらせ、息が荒くなっているゲルマニア。
「……光の源は、無闇に吸うと意識が正常でいられなくなる効果があります。……ある者は好戦的になり、ある者は身体のコントロールが効かなくなる。……私は…………後者…ですね」
「あー、まあ何となく言いたいことは分かる。つまり、シールカードがこの光の源ってやつを吸いすぎると意識が狂うか、またはゲルマニアみたいに意識が無くなってくると」
ゲルマニアは立っていられなくなったのか、その場に座り込み、顔を歪めながら答える。
「は…い、そう、なんです。……私としたことが、目的に囚われるあまり、見過ごして、いまし……た」
「もう喋るな。後は俺に任せて眠ってろよ」
「……いけ、ません……相手はあの…シール、カード……」
言い終える前に、ゲルマニアは意識を失った。苦しそうではあるが、命に別状は無いだろう。ただこの場にいるかぎり、意識はしばらく目覚めないと思うが。
「……けどこれはこれで好都合、だよな」
誰にも見られないという安堵感を覚え、ゼノスはホッと胸を撫で下ろす。
これで思う存分戦える。周りの目を気にすることもなく、剣を振るえる。
ゼノスにとっては二年ぶりの戦いになる。が、今回は国を支える騎士としてではなく、異国からやって来た放浪騎士として剣を抜くことになる。
何も責任を負う事はない。失敗しても仲間達が失望することもないし、民達からの罵倒も受けずに済む。相手もそこまで強くないし、周りが迷惑かけることもないはずだ。
……彼はふと、自分の持つ剣を見つめる。
これはかつて、白銀の聖騎士として共に駆けた相棒ではない。シルヴェリアに入団して間もない頃、とある田舎の武器屋で購入した、何の変哲もないロングソード。
多少こころもとないが……大丈夫。これでもやれる。
ゼノスは柄に手を置き、鞘から剣を抜く。――その時だった。
〈忘れないで。貴方が剣を振るう、それは災厄の始まりだという事を〉
「……っ!」
フィードバックするある一言。剣を抜いた瞬間にゼノスはそれを思い出し、異常な吐き気を催した。何とか木箱を支えに自らの身体を押しとどめ、すくむ足を正した。
「……くっ」
襲い掛かる不安、そして……恐怖。
二年間もの間、何故剣を振るわなかったのか。それはこの現象が起こるからであり、ゼノスは恐怖から逃れようと、必死に戦いから退いてきた。
叶うならば、今ここから逃げ出したい。
――だが。
「……いいかげんにしろ、ゼノス・ディルガーナ。あの時から二年も経っているんだぞっ!剣を持ったぐらいで……思い出すんじゃないっ!」
ゼノスは太ももを叩き、全身に活を入れる。
「それに……決めたはずだ。聖騎士はあの頃に死んだと。今いる俺はゼノス・ディルガーナ、何も恐怖する心配はない」
まるで自分を励ますような言葉。そのせいか、剣を握る手は段々と落ち着きを取り戻し、荒い呼吸も止んでいく。
今ならいける。ゼノスはそう確信した。
「……よし」
ゼノスは剣を握りしめ、木箱を背にして、シールカード達の様子を伺う。隙を突いて奇襲を掛けられるよう腰を低くし、両手で剣を握る。
敵の数を確認。神経を研ぎ澄まし、その場にいる人間の呼吸を聞き取る。
……広場中央に五人、左右の屋根に二人ずつといったところか。暗闇からの奇襲を行えば、恐らく屋根上の人間が遠距離で攻撃し、体勢を崩した所で地上の人間が追撃してくるだろう。……多勢に無勢となるか?いや、そんなことは有り得ない。
白銀の聖騎士は、そこまで弱くない。
例えシールカードだとしても――ゼノスはこの戦いの勝利を確信している。
『……あー、気持ちいい。力が湧き上がって来るぜ』
『はは、これで人間共が襲ってきても返り討ちに出来そうだな』
『おいおい、人間如きと比べんなって。世の中でシールカードに刃向う人間なんてまずいないだろうよ』
『まあそれもそうだな』
シールカード達は高揚しているようだ。光の源とやらを吸うことによって、異常な快感に浸っているのだろうか。まるで麻薬を吸った後の症状に類似しているが――まあそんなことはどうでもいい。
ゼノスは気配を殺し、大きく深呼吸をする。
姿勢をさらに低くし――彼は行動に出た。
地面を滑るように走り抜け、手近にいた一人を背後から剣で突き刺した。
「っっ!がっ、あああああ!」
「な、何だ!」
「きき、奇襲だっ!」
「ちくしょう、やはり人が来たか。総員戦闘態勢になれ!暗闇の中だ、人数に気を配れっ!」
相手もようやく察したのか、残りの四人がナイフや剣を抜き、屋根上の連中は吹き矢らしきものを構えてくる。その速さは、肉眼でやっと追いつけるというところ。闇を利用して敵をじわりと痛めつけ、確実に標的を殺す。簡単に言えばそういう作戦に出る気だと思う。
――弱者にしては上出来だ。
「こいっ!面倒だが倒してやるよ!」
ゼノスは叫び、最初に掛かってきた賊の剣を素早く受け、勢いよく押し返す。しかし敵は宙で体制を整え、地面へと降り立つ。
暗闇から飛来する無数の吹き矢。ゼノスは音の振動と勘を頼りに流れるように身を躱し、仕留め損ねた盗賊の懐へと走り込む。
吹き矢の全てを避けられ、狼狽する眼前の賊。だが考える暇を与える気はない。容赦なく敵を袈裟斬りし、また放たれる吹き矢をそいつの身体を使ってガードし、用済みとなった死体を左屋根にいる一人に向かってぶん投げる。投擲された死体を避けることが出来ず、死体と共に屋根から落ちていく。
「ひ、ひいッ!?な、なんだこいつ……!」
「おいおい勘弁してくれ。この程度で普通怖がるか?」
軽口をたたきながら、ゼノスは地上で固まっている四人へと肉迫する。
嗚呼、こいつらもう終わりだ。
そう結論付けたゼノスは、文字通りそうさせようと躍り出る。まずは足払いをジャンプすることで回避し、空中から足払いした敵に向け――剣を脳天に突き刺す。剣を引き抜き、左足を軸に身体全体を回転させ、後方の敵に向けて剣を横に一閃する。更に上空から仕掛けてくる敵がいるが、ゼノスは避けることなく堂々と迎え撃つ。
「はあっ!!」
ゼノスは気合いと共に剣を突き上げる。
すると上空にいた敵は、触れてもいないのに身体を破裂させる。まるで強大な何かに衝突したかのように、その身体は無残にもバラバラに飛び散る。
敵を三人も排除したが、それでもなお止まらないゼノス。
また新たな吹き矢の到来を感じ、ゼノスは踊るように回避していく。
「だ、駄目だ!は、早すぎて飛び道具が命中しないっ!」
「よく狙えっ!相手は恐らく一人だ、集中攻撃をしてゆけ!」
盗賊達の怒声にも気を取られず、ゼノスは地に立つ最後の敵へと挑む。
「ひっ……」
突如の出現に驚愕し、絶望に打ちひしがれる賊。様々な感情が出つつも、敵は腰からナイフを取り出し、上段から斬りかかろうとする。
「う、うわあああああああ!」
「遅い」
無我夢中の突進をゼノスは横に体を移動し回避、そのすれ違い様に盗賊の腹に拳を叩きつけ、余りの衝撃に盗賊は遥か後方へと飛ばされた。そして壁に勢いよく激突し、消沈した。
「……」
まるで赤子を捻るかのような戦いに言葉を失い、唖然とする盗賊達。
ゼノスは奴等が呆けている瞬間を狙う。人間であるゼノスだが、とても常人とは思えない跳躍力で右屋根に向かって跳躍し、残りの盗賊達が控える屋根へと降り立ち、距離を縮めた。
「……な、何なんだよお前。俺達と同じ……シ、シールカード?」
「いや、普通の人間だよ。――ただちょっと、人間の領域を抜け出しているけどな」
ゼノスは平然とそう答えた。人間には力の限界というものがあるし、例え潜在能力が高くても、それを最大限にまで引き出せる者はそうそういない。
しかしゼノスは違う。彼は自力で潜在能力を最大限に引き出せるようになり、常人では有り得ない所業をこなすことも出来るようになった。――それはもう、シールカードさえも圧倒するまでに。
彼等はまだ分かっていない。
シールカードよりも上位に位置する存在が、世の中にはいるということを。
「――さてと。どうやらギャンブラーはいないようだし、こりゃ楽に終わりそうだな」
欠伸をし、ゼノスは眠気眼を敵に向ける。
意外にあっさりとしているが、まあ軽い運動にはなっただろう。剣を振るって戦うつもりはなかったが、運動不足の解消にはいいかもしれない――と、ゼノスはかなり緊張感のない思いを抱いていた。
さあ終わりだ。と、剣を構えようとしたが――
「……ふっ。もしやお前、この程度で俺達が殺されたと思っているのか?」
「なに?」
盗賊の一人が憤慨したように答える。それを合図として、殺したと思っていた賊たちが立ち上がり、ゼノスを囲うように陣を作る。斬られた箇所は……魔法がかかったかのように修復されていく。
これは――。
ゼノスが疑問を口にする前に、敵の統率者らしき男が話を続ける。
「……我等はシールカード、永久不滅の存在。そして光の源さえあれば、貴様を殺す事など造作ないっ!」
途端に、空気の流れが変わった。
盗賊達からふいに放出される緑色に輝く粒子。それが風を巻き起こし、周辺の領域を支配する。幻想的な世界とは裏腹に、恐怖と絶望が混同していく。この場に普通の人間がいたのならば、そいつは恐らく心臓麻痺を起こすかもしれない。
それほどまでに、負を纏う周辺領域の濃度が異常に高い。
「おおおお、気持ちいい……力が、溢れる」
悦楽に浸り、光の源が与えた力に歓喜するその光景は奇妙なものだった。それを見て思った事は、もはや人の皮を被った悪魔のよう。筋肉が異常なまでに膨れ上がり、全身の血管が浮き出ており、瞳も赤く充血している。
「……シールカード、やはり危険な存在だ。主がいないと自らを制御出来ない、これ以上危険な存在はないな」
「ふふ、ほざいていろ人間。すぐに殺してやる!」
「――哀れだな」
暴徒と化した盗賊達はゼノスに飛び掛かり、ナイフを床に叩きつけるかのように振り下ろす。その四人の同時攻撃をゼノスは冷静に宙へと跳躍し、軽々と逃れる。
力のあるままに下ろされた剣やナイフは屋根を突き破り、恐ろしい事に家をも倒壊させた。ゼノスは着陸地点を切り替え、すぐに隣の屋根へと降り立つ。
しかし、一瞬の油断も許されない。降り立った瞬間、背後からおぞましい殺気を感じる。
振り返る隙なんてない。すかさず横へと跳躍しながら向きを変え、地につくと同時に地面を蹴り上げる。流れに逆らい、ゼノスは無茶苦茶な方向転換によって背後にいた敵へと接近する。
――だが、背後にいた敵は既に姿を消していた。
また気配のある方向を振り向くと、まるでゼノスを嘲笑うかの如く、敵共が平然と佇んでいた。
「へえ、そこまでの力を発揮させるとはな。ちょっとは見直したよ。……このまま戦闘を続けたら、関係のない人々までも巻き込んでしまうかもな」
奴等を倒すには、もう少し本気を出すべきか。
ゼノスは大いに悩んだ。場所を変えれば気絶しているゲルマニアを置いていく事になり、彼女の安全は保障されない。かといってこの狭い空間で戦うとしても、それ相応の破壊と損傷は免れないだろう。仕留めるのは容易いが――今回は条件が悪い。
苦悩の末、ゼノスは剣をしっかりと握り、被害を最小限に抑えるのを前提に踏み込もうとする。
……しかし、その必要はなくなった。
「おい、無駄な戦闘は止せと言ったはずだが?」
背後から聞こえる冷めた声。その声に反応し、盗賊達は表情を変えてすぐさま緑色の粒子を抑えた。王にかしずくように片膝をつけ、声の主へと頭を垂れる。
ゼノスは後ろを振り向き、声の主の姿を見る。
そこには全身をボロ布のマントで覆い、フードを被っている人物がいた。男か女かはその外見と声質のみでは見分けが付かない。しかし尋常ならざる力を有していることだけは、嫌と言うほど読み取れる。
謎の人物は静かに歩み寄り、部下であろうシールカードに対し激昂する。
「お前らは『守護のダイヤ』、来るべき時に備え、我が盾となる為に光の源を収集していたはず。ここで無暗に力を解放させるな!」
「はっ……申し訳、ありません」
謎の人物の一言で、盗賊達はたちまち冷静さを取り戻した。口答えもせず、ただ言葉に従っていた。
唐突に現れたそいつはゼノスに対峙する位置に立ち止り、懐から一枚のカードを取り出す。カードを額に当て、静かに呟いた。
「――戻れ、在るべき場所に」
呟いた途端、盗賊達は砂のように全身が消えてゆく。一切の跡形もなく、今までそこに存在していた賊はカードの中へと戻っていく。砂が緑色の粒子となり、まるで引き寄せられるかのように。
「……ふむ、二人ほど完全にやられましたか。……流石ですね」
「そいつはどうも。――それで、あんたがギャンブラーか?奴等がシールカードだと鼻から分かってはいたが、まさかその持ち主がやって来てくれるとはね」
ギャンブラーはフードごしから笑みを浮かべる。
「前段階には必ず私自身も動く主義でね。部下が勝手な行動に出た件に関しては、素直に謝っておきましょう」
「謝るなら生き残ったメンバーにしろ。俺はそいつに雇われた人間だし」
「おおそうですか。それはすいませんでした――『白銀の聖騎士』殿」
途端。ゼノスの雰囲気が変わり、異様な殺気をギャンブラーにぶつける。
何故こいつが俺のことを知っているのか。……場合によっては、こいつを生かして帰すことはできない。
ゼノスとギャンブラーは互いを睨み合う。しかし背を向けたのは、他ならぬギャンブラーであった。
「……楽しみにしていて下さい。ずっと憧れていた貴方様の為に、私はこの国を滅ぼしてみせます。どこまでも愚かで非道な――このランドリオ帝国をッ!」
不気味な言葉を言い残し、ギャンブラーは屋根から屋根へと飛び去っていく。
辺りは途端に静寂と化し、ゼノスも自然と警戒を解く。
――あのギャンブラー、まさか。
様々な疑問は残るが、それよりもマントの下から覗かせていた鎧、ゼノスはあれに見覚えがあった。
「――ランドリオ騎士団の鎧、か」
真偽は分からないが、可能性としては奴自身がランドリオ騎士団に所属しているかもしれない。いや、そうに違いない。
この事を報告すべきか?ニルヴァーナか、またはランドリオ騎士団かに。
「……いや、もう首を突っ込まない方が身のためだな」
ゼノスは無視する方向で決心を固めた。
関わりたくなかった。あの帝国に関与することすべてに。
自分はもう、報告するのが正義かも分からなくなっている。だから報告はしない、その方が何も起きなくて気が楽だ。
「……ゼノス殿、奴らは?」
横から聞こえる声、それはゲルマニアだった。足を引き摺り、未だ粒子の影響が残っていると見える。むしろよくぞこの短時間で目覚め、この屋根上まで来れたものだ。
「ゲルマニア、もう動いても大丈夫なのか?」
「はい、大分慣れてきましたので。しかし、私は本当に不甲斐ない……肝心な所で気を失うなんて」
「……」
ゲルマニアは儚い瞳で夜空を見上げる。
「……ですが、この思い通りに行けない不快感も、騎士としての定めなのでしょう。私も頑張らないと」
悲しい表情から湧き出る、それは希望に満ちた表情。それを見て、ゼノスは昔の自分を見ているようだった。
「あっ、すっかり言い忘れていました。私が気絶している間、戦ってくれて感謝します。貴方が戦ってくれなければ、今頃私は」
そう言って、ゲルマニアはぺこりと頭を下げてくる。
「気にするな、夜飯の為にやっただけだ。それより、俺は商隊の仇は取ったと、あの男に伝えて金を貰って来るよ。……だから、お前の為に戦ったわけじゃないからな?」
「ふふっ、そうしておきます」
……全く信じていないようだ。
ゲルマニアは年相応の娘らしく微笑む。その表情にはゼノスも一瞬見惚れてしまった。
ゼノスはハッとし、剣を鞘に納める。
「……で、ゲルマニアはどうするんだ?自分の部下のこと」
「今日に関してはもう分かりそうにないですね。――ですが、必ず明白にしてみせます。だって、こんな私に付き従ってくれた部下の一人ですから」
余程大事な部下なのか、心底心配そうな顔を見せる。
その思いが良い方向に進むかは、流石のゼノスでも予測出来ない。
「……そうか、分かった。じゃあ俺は金を貰ったら帰るから、ゲルマニアも遅くならない内に帰れよ」
ゼノスは空腹に堪えつつ、賞金から夕飯を食べようと早足気味でその場を後にした。
ゲルマニアは去っていくゼノスを見つめ、ホッと一息ついた。
あの場に漂っていた源はもちろんだが、それよりも強く発せられていた盗賊たちの殺気は異常だった。余程の強靭なる精神を持った者でないとまともに意識を保てない、そんな空間があの時あの場を支配していた。
それを、あのシルヴェリアの騎士見習いを名乗るゼノスは平気で対峙していた。それも不敵な笑みを浮かべて。
事情は分からないが、本来の力を抑えて戦っていたのだろう。
別に昔はどういう人で、どんな経緯で力を隠しているのかは気にしない。
……ゲルマニアは、単にこう思った。
「ああいった人こそ、私のギャンブラーになってくれると嬉しいのですが」
まあ、それも叶わぬ願いだろう。
彼はもうシルヴェリアという団体に所属している上に、彼自身は戦いに対して否定的な考えを持っている。そして、何故か自分を避けているように見える。
それが今のゲルマニアに対しては、悲しくもあった。
頼られたくて騎士となった彼女にとっては、寂しかった。彼が悩みを抱いているのならば、素直に打ち明けてほしいのに――。
このような事はいくらでもあった。シールカードという存在だけで、最初は蔑視され、誰もが寄り付かなかった。不当な理由で同じ騎士団の仲間に斬りかかられ、陰湿な悪戯も何度も経験した。
しかし、そんなつらい生活も一握りの仲間と、内に秘める信念のおかげで今まで我慢出来た。
信念、それは聖騎士のような騎士を目指すこと。
強く、誇らしく、優しく、騎士道の真髄を極めた彼のようになることだった。
自分のようなカードが尊敬するのもおこがましいと思うけど、それでもこの思いは諦めたくなかった。
だから悔しい。身近な彼の悩みを救う事が出来ずに、こうして無様に倒れる等……騎士として失格だ。
「……聖騎士様、私は頑張ってみせます。貴方の様な騎士になる為にも」
ゲルマニアは両拳を握りしめ、そう小さく呟いた。