xi huan
道端に落ちている雑誌に目を留めても、足を止めることはなかった。
それはその雑誌に魅力を感じないとか、薄汚れているとか、そんな理由が思い浮かんだ端から消えていくようなスピードで歩みを進めていたからにほかならない。
エスカレーターに乗ってしまうと、振り返ることはできても、あの雑誌のあった所へと戻るには、逆走するわけにもいかず、もう一度反対側へ乗り直さなければならないだろう。
もしも今あなたが入る建物の中に何人かいたときに、そしてその中には未来の伴侶となるべき赤の他人がいたとする。
きっとあなたなら声をかけないし、赤の他人もわざわざあなたに声をかけたりはしない。
そうしてエスカレーターに乗りながらそんなことを考えているうちに目的地へと辿り着いてしまう。
何かを買いに来たり、友だちと遊びに来たり、そんな目的を達成するために上階を目指す。
果たしてあの表紙がボロボロの雑誌がとんな内容なのか、見てみないと分からない。
しかしもう何回もエスカレーターに乗って上まで来てしまっている。
あそこに戻ったとして、まだあそこに同じ雑誌があるとは限らない。
もっと言えば、あなたが通り過ぎた時点で、あなたも雑誌も同じものではなくなっているのだから。
アパートを出てくる前に干してきた洗濯物も、日々少しずつ摩耗していく。
ぱっと見は変わらないのだけれど、数ミクロンの糸のほつれがやがてミリ単位の穴になる。
穴が空いたとき、分かることがある。
ああ穴が空いたのだと。
穴が空いてみるまでは、穴が空くかどうかは分からない。
当たり前なんだけど、なってみないと何もかも分からない。
あなたが赤の他人に声をかけたら、幸せな家庭が待っているかも知れない。
それは声をかけてみないと分からない。
でも仮に幸せな家庭を築けなかったとしても、あなたは声をかけた。
それは勇気がいることだし、大切なことだったんだ。
エスカレーターに乗るのは簡単だ。
勝手に動くし、誰かがメンテナンスしてくれる。
上に進むという感覚が、そこへ向かう正しさを演出してくれる。
雑誌を拾うあなたがいないのならば、エスカレーターに乗る自分を評価するしかないし、乗る以外の選択肢のあまり余りの多さに、それが最善の手段だったと思っている。
だから雑誌を手に取る人は少ない。
だからこそ同じ雑誌をちょうど良いタイミングで手に取ることがあるならば、それは興味深い。
薄汚れてても、何かがそこにはあると、誰かが思っているのなら。
冷たいコンクリートに座りながらそんなことを考えている。




