トビヘビのしっぽ
説教部屋の窓から入る日は、もう傾きかけていた。
神殿に連れてこられてから、もうどれだけの時間が過ぎたのだろう。
ぼうっとするジョイの目の前で、メリアばあちゃんがジョイの喧嘩相手の手を涙ながらに握りしめている。
「……ですからね、フィル。暴力はいけません」
メリアの言葉が途切れたところで、フィルの頭がかくんとうなずいた。
「はい、とても乱暴で考えなしだったと思います。反省してます。もうしません」
言葉だけは神妙なフィルの声は単調で、もう力がない。これ何巡目だっけ……とジョイはメリアの後ろの壁にかかったタペストリーの模様を数える。
「ジョイ、あなたも」
「はい。フィルに暴言を吐いたことを反省しています。人を傷つけるようなことはもう言いません」
この短時間で何度も言った言葉を繰り返せば、メリアの手が今度はジョイの手を包み込んだ。
「……」
そっとフィルの方を見れば、明らかにホッとしたような顔をしている。
この野郎、と一瞬思って、すぐにヤバいと気がついた。慌ててメリアに向けて先ほどのフィルのように神妙な顔を作る。
メリアはジョイの顔をじっと見ている。手に力がこもった。フィルに対して浮かんだ反発心は気取られただろうか。メリアの手から温かな体温が伝わってくる。じっとその明るい色の瞳を見つめ返していると、メリアがそっと視線を伏せた。
「あなたの言った言葉の、何が人を傷つけるものだったかはわかりますか?」
「……フィルに対して、お前人間じゃなくてトビヘビの仲間なんだろって言いました」
「それはどうしてですか?」
「フィルが掃除をさぼったからです」
ぼそぼそとフィルが反論する。
「さぼろうとしたわけじゃなくて、ちょっと時間を忘れてたっていうか、うっかり……」
メリアの視線がフィルに向いた。フィルがびくりと姿勢を伸ばす。
「うっかりしたせいでジョイや掃除当番のみんなに迷惑をかけました!反省してます!」
メリアが悲しそうな顔でうなずいた。
「そうですね。季節外れのトビヘビを見かけてつい夢中になったのでしたね。あなたが好きなものを大事にしたり、世界に関心を持つのはとても素敵なことです。でも同じくらい村の仕事をしたり、みんなとの約束を守ることも大事なのですよ。約束の時間にあなたが来なくて、ジョイもみんなも心配したでしょう」
「……」
いや、俺はこいつの心配なんてしていない。ジョイは心の中で反論する。
どうせ大鷲が飛ぶのを見つけて追いかけてでもいったんだろうと思っていた。それが村の岩場にひっくり返っていたから何が起きたかと思ったのだ。
――もう寒くなる時期なのに、トビヘビがいた。たぶん今年生まれの小さいやつ。群れからはぐれちゃったのかな。
掃除のことなどすっかり頭にないという顔で岩場の隙間をのぞきこむフィルにカチンときて、つい言ってしまった。
――トビヘビばっかり見ててお前本当に人間かよ。実はヘビの仲間なんじゃねえの。
振り返ったフィルはむっとした顔をしていた。
――トビヘビ見てたらヘビになるとかジョイはバカなの?
――掃除忘れるバカにいわれたくねーよ!
そこでようやくフィルは掃除当番を思い出したようだった。やべ、という顔をしたフィルに、そこでやめておけばよかったものを、ジョイは余計な一言を言ってしまった。
――お前んとこ弟生まれたんだろ?ヘビばっか見てるフィルの弟もヘビだったんじゃねーの。
今、自分のセリフを思い返すと何が楽しかったのかよくわからないが、たぶんフィルの失敗に追い打ちをかけたかったのだろう。フィルはそれを聞いて無言で岩から降りると、ジョイの顔をぶん殴った。一度手が出たらもうあとはお互いお構いなしだ。互いにアザや引っ掻き傷をいくつか作ったあたりで近所のおじさんたちが飛んできて引き剥がされた。
そのまま学校の隣にある神殿まで連行され、よりによって一番説教が長いと仲間内で恐れられている神官のメリアばあちゃんと向かい合って今に至る。
「ジョイ?」
メリアの呼びかけにジョイはハッと視線を戻した。どうやらまだこちらの番は終わっていないらしい。
「フィルが掃除に来なかったことであなたが心配したのも、当番をサボるなんてずるいと感じるのも自然なことです。あなたはちゃんと当番の約束を守っていたのですからね。それでも、同じ村の仲間にそんな酷いことを言ってはいけません。それは当番の約束を守らなかったことを咎めるのとは、また別の話なのです」
メリアの手に力がこもる。
「人間には自分の好きなものを好きでいる権利があります。たとえ他人のそれが理解できなくても、それを馬鹿にしたり相手を傷つけるようなことを言ってはいけないのです」
「……それは、俺が悪かったと思います」
メリアはうんうんとうなずいた。そして再びフィルに向かい合う。
「フィル。あなたが心惹かれるものを大事にするのも、それをからかわれて腹が立つのも当然です。けれど、腹が立ったとしても、一瞬こらえられるようになってほしい。怒りに身を任せて行動に出るのではなく、大人に相談してください。決して告げ口などとは言わせませんから」
そしてふう、と悲しげにため息をついた。
「……一度暴力に訴えると、それは次の暴力につながります。初めはささいなことでも、始まってしまった暴力を止めるのは大変難しい。いにしえの大災害も、始まりは些細なことだったのかもしれません」
いにしえの大災害、の言葉にジョイの顔はこわばり、フィルの肩がびくりと揺れる。
やべえ、大災害が始まっちまった。
神妙な顔を作るジョイとフィルの心はその時一つになっていた。
……古き時代、人同士の争いがあった。人も動物も植物も殺し、絶やし、奪い合った。それでも足りずに地の魔力にまで手をつけた。結果として国に流れる魔力に偏りが起き、魔力の大いなる流れに乱れが生じた。
同時に乱れを正そうとする流れが生まれ、それは突風となって周囲を吹き飛ばした。人が奪って溜め込んだ魔力は暴発し、周囲の地を割り、その上に生きていたものを飲み込んだ。地割れは湖にまで届き、水に魔力を流し込む。その水の周囲で生物は魔力過多を引き起こし、人も動植物も姿を変えた。
最後には国を囲む山脈のあちこちが噴火し、溶岩が国内に流れ込んで国を焼き尽くした――。
以上があらすじとなるこの国の建国神話を、メリアは淡々と、けれど悲壮感を滲ませながらゆっくりと語る。人同士の争いについては詳細は語られないが、それによって起きた突風の災害や地割れ、魔害生物の発生や噴火の様子は微に入り細に入り描写する。
もうこれメリアばあちゃんの趣味だろ……とジョイは思った。ちらりと隣を見るとフィルは無になっていた。椅子に座ったまま、まっすぐにメリアに視線を向けている。目を開けたまま寝てるんじゃないだろうか。ちょっと真似したい……と思ったところでメリアの語りが止まった。
「ですから、われわれ天神殿は、いにしえの災害が再来することのないよう、魔力の乱れやそれにつながる現象を観察しています。そして、人と人の間にも不和の芽が出ぬよう、争いが起きかけた時には仲裁することを使命としています。あなたたちの中で、まだ調和に届かない、納得できないような気持ちは互いに残っていますか?」
ここで残っていると答えるようなやつはいない。そして実際、今のジョイの心の中にフィルへの苛立ちや、ちょっとした後ろめたさが残っているかと言われれば、そんなものはない気がする。メリアに手を取られて泣かれて滔々と始まった説教が三巡目に差し掛かったあたりで心は折れていた。
「……フィル?」
メリアがフィルに呼びかける。フィルがうつむいていた。ジョイはギョッとする。まさかあれだけ説教されて大災害まで話が及んだというのにこいつまだ反抗心が残っているのか。いっそ尊敬する――と思ったところで、フィルが口を開いた。
「あの、母さんが」
メリアが優しく笑う。
「お母様が、どうしました?」
「この間リィヤが、弟が生まれて、それはすごいかわいいんですけど、なんか母さんがずっとぼんやりしてて」
すっとメリアの表情が真剣なものになる。
「ぼんやり、ですか?」
フィルがうなずく。
「話しかけても返事がなかったり、何かやりかけて止まってたりして。もう一月たつし、セイラの時はもっと元気だったのに」
メリアがゆっくりとフィルの前に膝をつく。そしてフィルの手を取って質問を続けた。
「セイラちゃんは今いくつでしたか?」
「この間、四つになりました」
「そう。……お父様や他のご兄弟、みんなはお元気?」
「元気ではあるけど、みんな母さんを心配してる」
「リィヤくんのお世話は誰がしているの?」
「父さんと、あと姉さんと兄さんもおむつ変えたりお風呂入れたりしてる。でもリィヤがお腹空いて泣くと、昼でも夜中でも母さんはフラフラしながら起きてくるし、父さんが代わるって言っても離さないの」
「そう……それは心配ね。リィヤくんの属性鑑定はまだ?」
フィルがうなずく。
「でも、目が青いから水混じりだろうって。髪はまだそんな生えてないけど、色は銀っぽい」
そういうフィルの髪は、銀に一房の青い色が混ざる。風の民の住む風領では珍しい色合いだ。
「フィルのお母さまは風領の生まれよね。属性の混ざる子どもが産まれるとき、母体に負担がかかるのはよくあることだけど……眠れていないのは心配ね。様子を見に行ってもいいかしら」
メリアがフィルの手を取ったままそう聞けば、フィルはこくりとうなずいた。
「ジョイも遅くなっちゃったわね。フィルにはこのあと私を案内してもらうから、ジョイは先にお帰りなさい」
うながされてジョイはギクシャクとうなずいた。フィルが鼻をすすった後、ぽつりという。
「掃除サボって、殴ってごめん」
「……俺のほうこそごめん。弟のこと、ヘビかもとか言って悪かった」
メリアがぴくりと眉を上げた。ケンカのことを説明するとき、そこの部分は互いに端折ったのだ。たぶんジョイは、関係のないフィルの弟に暴言を向けたことを隠したくて。フィルは弟がヘビと言われた、なんてきっと口にできなくて。
メリアがふう、と息を吐く。
「ちゃんとわかっているようですので、今日はこれでおしまいにします。ジョイ、ご両親によろしく」
「はい。すみませんでした、失礼します」
気をつけて帰るのですよ、との言葉を背に神殿を出た。もう外は薄暗い。冷たい風が空から吹き、肩をすくめた。それでも手袋の中には、メリアの手に包まれた時の体温がまだ残っている。
空を見上げると、小さなトビヘビの群れが山の方に向かって飛んでいくのが見えた。
フィルの見つけた迷子のトビヘビが、あの中に戻れているといいなと思った。
お読みいただきありがとうございました。
本編第一章公開中です。興味ありましたらぜひ!
14歳になったフィルが主人公です。




