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第九十一話 御影総一の場合

 御影総一は、どこにでもいるような少年だった。


 仲間とつるみ、笑い、遊び、くだらないことで騒ぐ。

 放課後になれば誰かと一緒にいて、教室でも廊下でも校庭でも、彼のそばにはたいてい誰かがいた。


 彼が一人でいるところを、ほとんど誰も見たことがなかった。


 だから周りは、総一をそういうやつだと思っていた。

 人付き合いがうまくて、いつもにぎやかで、寂しさなんて知らなさそうなやつ。


 それは半分、当たっていた。

 でも、半分は違った。


     ◇


 総一の両親は共働きだった。


 帰りは遅い。

 夜になってもしばらく家は静かで、玄関の鍵を開ける音も、冷蔵庫を開ける音も、食器の当たる音も、全部が妙によく響いた。


 しかも総一は一人っ子だった。


 外ではにぎやかだった。

 友達も多かった。

 けれど家へ帰れば、途端に音が減る。


 だから総一は、外ではなるべく誰かといた。

 寂しさを紛らわせるために。

 一人でいる時間を、少しでも短くするために。


 そんな総一が、家で友達と呼べる存在はひとつしかなかった。


 炎のエレメント。


 まだ小さな火だった。

 一体だけ。

 しかも、喋れない。


 それでも、総一にとってはそいつが唯一の“家の友達”だった。


 気分が沈んでいる時は、そっと近くへ寄ってくる。

 元気な時は、小さく跳ねるように揺れて、一緒に遊ぶみたいに火花を散らす。


「お前だけだよな、家で騒いでくれんの」


 ソファに寝転がってそう言うと、炎は小さく揺れた。


 返事なのか、ただ揺れただけなのかは分からない。

 でも総一は、たぶん返事だと思っていた。


 言葉なんてなくても、分かることはある。


 少なくとも、総一はそう信じていた。


     ◇


 マリオネットへ宿した時、総一は夢が叶ったような気がした。


 小さな炎が仮の器へ入る。

 輪郭が立ち上がる。

 手足ができる。

 顔ができる。

 そしてそこへ、意志がはっきり宿る。


 実習台の上で、炎のドールがゆっくり顔を上げた。


 総一は、思わず笑った。


「よう。やっと話せるな」


 炎は目を丸くしたみたいに止まった。

 それから、ぶっきらぼうに言った。


「おう。やっとだな」


 総一は一瞬、面食らった。

 でもそれは本当に一瞬だけだった。


 次の瞬間にはもう笑っていて、そのまま自然に肩へ腕を回していた。


「何すんだよ」

 炎が言う。


「そりゃこっちの台詞だろ」

 総一は笑う。

「ずっと隣にいたくせに、今さら距離感あんのかよ」


 炎は逆に驚いたようだった。

 けれど、その驚きもすぐにほどけた。


 ああ、そうか。

 こいつとの間に、今さら言葉なんていらない。

 何よりもう、とっくに分かり合っている。


「お前さ」

 炎が少し呆れたように言う。

「俺の扱い軽くね?」


「軽いんじゃねえよ」

 総一は笑っていた。

「慣れてんだよ」


 炎も結局、笑った。


 その日から、家の静けさは少し変わった。

 音が増えた。

 返事が増えた。

 ひとり言が、ひとり言じゃなくなった。


 それだけで、総一には十分すぎるくらいだった。


     ◇


 炎が上位へ進化した時も、二人は一緒に笑っていた。


 前より強い炎。

 前よりはっきりした輪郭。

 存在感も、熱の質も違う。


 けれど総一にとっては、やっぱり“こいつ”だった。


「すげえな、お前」

 総一が言う。


「だろ」

 炎は得意げに胸を張る。


「お前と一緒にできること増えるな」


 その言葉に、炎は一瞬だけ黙った。


 強くなったことを褒められるのとは、少し違う響きだった。

 お前が強くなった。だから一緒にできることが増える。


 それは、力への賛辞というより、関係への喜びだった。


「……そうだな」

 炎は少しだけ照れたように言った。

「増えるな」


 こいつ、いい奴だな、と炎は思った。


     ◇


 ある日、その炎が仲間を連れてきた。


 明るい風と、ツッコミ役の雷だった。


「ねえねえ、ここ炎んち?」

「総一っていうの? よろしくね」

 風がきょろきょろしながら言う。

「いいじゃん、なんか落ち着く」


「初対面で勝手にくつろがないでよ」

 雷がすぐにつっこむ。

「もうちょっと遠慮ってものないの?」


 炎は悪びれもせず、総一へ言った。


「こいつら、友達なんだよ」

「お前んとこで一緒になれねえか」

「しんどくなるのは悪いけど」


 総一は、ほとんど即答だった。


「友達は多い方がいいだろ」


 風がぱっと笑う。


「ほんとに!?」

「え、やった!」


「ちょっと、即答なの?」

 雷が目を丸くする。

「もっと考えてからでもよくない?」


「考えた上で言ってる」

 総一は肩をすくめた。

「減るより増える方がいい」


 その言葉に、炎は小さく笑った。


 その時点で、たぶんもう決まっていたのだ。

 御影総一は、自分ひとりの楽さより、賑やかさを選ぶ人間なのだと。


     ◇


 もちろん、複数エレメントの使役は大変だった。


 ただでさえ個性の強い上位種。

 それを複数。


 しかも、仲がいいだけでは済まない。


 風は勝手に動く。

 雷はすぐつっこむ。

 炎はまとめ役みたいな顔をしながら自分も前へ出る。


 統制は取りにくい。

 息が合う時はいい。

 だが少しでも噛み合わなければ、一気に崩れる。


「そっち早いって!」

 風が言う。


「早いのはそっちでしょ」

 雷が返す。

「なんで毎回そこで散るの」


「どっちも落ち着け」

 炎が低く言う。

「前が開いてねえんだよ」


 総一はそのたび真ん中へ入った。


「おいおいおい、家壊すなって」


 笑って言う。

 でも、笑って済む時ばかりでもなかった。


 時には力が暴れた。

 時には実習場の端を吹き飛ばしかけた。

 教官からは、はっきり言われた。


「無理だ」

「荷が重い」

「お前一人で抱える数じゃない」


 総一も思った。


 たしかに重い。

 しんどい。

 これを全部まとめるのは、無茶かもしれない。


 でも。


「友達が減るよりは、ましだ」


 総一はそう言った。


 だから努力した。

 扱えるようになるまで。

 一緒にいられるようになるまで。


     ◇


 やっと火・風・雷が馴染み、安定し始めた頃。

 また炎が、新しい仲間を連れてきた。


 寡黙な土と、穏やかな水だった。


「行く当てないみたいでさ」

 炎が言う。

「孤立してたんだよ、こいつら」

「……さすがに五種類は重いの分かってる」

「無理を承知で頼む」


 総一は、また笑った。


「友達は多い方がいい」


 風が吹き出す。


「またそれ!」


「ほんと、それしか言わないね」

 雷が呆れたように言う。


「……悪くない」

 土が短く言った。


「ありがとうございます」

 水がやわらかく微笑む。

「どうぞよろしくお願いします、総一さん」


 そのうち、土も水もここがいいと言うようになった。


 土は総一の後ろに立つようになった。

 水は家の静かな時間へ自然と溶け込んだ。


 五体。


 もう、普通ではなかった。


     ◇


 五種のエレメント使役は、さすがに負担が高かった。


 幾度となく、総一は目を回して倒れた。


 視界が暗転する。

 立っているはずの足から力が抜ける。

 そのまま倒れる。


 そんなことが、一度や二度ではなかった。


 そのたびに始まるのは、責任の押し付け合いだった。


「だから言ったじゃん!」

 風が言う。

「今の、絶対タイミング悪かったって!」


「いや、それを言うなら最初に散ったのあんたでしょ」

 雷が返す。


「散ってないし!」


「……ずれた」

 土が短く言う。


「みなさん、少しずつ無理をさせてしまいましたね」

 水が静かに言う。


 けれど、いつもそこで総一が一言だけ言った。


「俺のせいだよ」


 それだけだった。


 責めるでもなく、かばうでもなく。

 ただ、自分が受ける。


 そしてもうひとつだけ続けた。


「だから、喧嘩して仲違いだけはするなよな」


 その言葉を聞くと、誰もそれ以上強く言えなくなった。


 炎は火花を小さく散らし、風は視線を逸らし、雷は小さく息を吐く。

 土は黙り、水は静かに総一のそばへ寄る。


 総一は、それでよかった。


 自分がしんどいのは、どうにかなる。

 でも、こいつらがばらばらになるのだけは嫌だった。


     ◇


 高校を何とか卒業し、大学へ進んだ。


 専攻はエレメンタル理論。


「向いてるだろ、お前」

 炎が言った。

「複数使役してんだから」


「いや、向いてるっていうか」

 総一は苦笑する。

「向き合わされてるうちに詳しくなるだけだろ」


「それを向いてるって言うんだよ」

 雷がつっこむ。


「でもまあ、似合うかも」

 風が笑う。


「……妥当」

 土が言う。


「総一さんなら、きっと必要なことをちゃんと拾えます」

 水がやわらかく言った。


 総一はそういうふうに笑って流した。

 けれど実際、その選択は間違っていなかった。


 理論から見れば、自分のやっていることは異常だった。

 異常だったからこそ、理解しなければ支えきれなかった。


     ◇


 インカレで、八乙女和と対峙したのは、その頃だった。


 試合場で向かい合った和は、たしかに目を引く女性だった。


 長身で、すらりとしている。

 明るい空気を纏っているのに、立ち姿はまったく揺れない。

 総一は相手を見て、軽く手を上げた。


「御影総一。よろしくな」


 和は、にっと笑った。


「八乙女和や」

「よろしゅうな」


 その声は明るく、よく通った。


「なんか、思ったより話しやすそうだな」

 総一が言うと、


「そらよかったわ」

 和は肩をすくめた。

「試合前から変にぴりぴりしてもしゃあないし」


 開始の合図。


 最初に飛び出したのは風だった。


「いくよっ!」


 横から回り込み、死角を取る。

 その動きへ、炎がすぐ乗る。


「開けるぞ!」


 正面から圧をかけ、そこへ雷が落ちる。


「合わせる!」


 土が足場を押さえ、水が流れを整える。


「支えますね」

 水がやわらかく言う。


 五体。

 多い。

 速い。

 そして噛み合えば重い。


 開始直後、どう見ても押していたのは総一たちの方だった。


「そのまま!」

 風が弾む。


「押し込め!」

 炎が低く言う。


 観客席からも、そんな空気が流れていた。


「御影が押してるな」

「やっぱり五体同時は重い」

「八乙女、防戦一方じゃないか?」


 和は正面へ薄い結界を一枚置く。

 炎の圧を受ける。

 流す。

 その横へ二枚目。

 風の進路へ三枚目。

 雷の落ちる位置へ四枚目。


 リィーン。


 結界が攻撃を受ける澄んだ音が場へ広がる。


 それでも見た目には、まだ総一たちが押していた。


「へえ」

 総一が言う。

「ずいぶん落ち着いてるな」


「慌ててもしゃあないし」

 和は軽く返す。

「五体おる相手に、いちいち驚いてたら身が持たへんやろ」


「それで受けきるの、結構すごいけどな」


「ありがとう」

 和は明るく言った。

「でも、まだ受けてるだけやで?」

 にっと笑う。


 その態度に、総一の目が少し細くなる。


 そこへ炎がさらに踏み込む。


「余裕ぶってんなよ!」


 和はその圧をまた正面から壊さない。

 受ける。

 少し流す。

 別の面へ渡す。


 リィーン。


 風が目を瞬かせた。


「……あれ?」

「今、私の抜け道の方が重くなった?」


 雷が顔をしかめる。


「受けて終わりじゃない」

「どこかで繋がってる」


 水が静かに言う。


「結界同士が干渉しています」

「しかも、私たちの流れにも少し触れていますね」


「……呼吸がやりにくい」

 土が短く言った。


 観客席にも、少しずつ違和感が広がり始める。


「待て」

「押してるように見えるけど、全然崩れてないぞ」

「むしろ八乙女、ずっと同じ調子じゃないか?」

「なんか、おかしいな……」


 和がそこで少し笑った。


「よう見とるなあ」


「見えてきたってだけだよ」

 総一が返す。

「そっち、ただ守ってるわけじゃないだろ」


「まあな」

 和は明るいまま言う。

「守るだけやったら、そのうち潰されるし」


 それでも総一たちは押した。


「散らすよ!」

 風が広がる。


「合わせる!」

 雷が走る。


「下、支える」

 土が短く言う。


「流れ、通します」

 水がやわらかく続ける。


「そのまま行くぞ!」

 炎が前へ出る。


 方向を増やす。

 手数を増やす。

 和が一点ずつ噛み合わせる前に飽和させる。


 だが、そこで総一はようやく違和感の正体へ触れた。


 炎を受けた面は、そのままでは終わらない。

 受けた勢いが消えず、横の結界へ渡る。

 風を流した面の揺れが、別の角度の結界を強くする。

 雷の鋭さが散った瞬間、その散り方ごと次の面へ組み込まれる。


「押してるのに、押した分がそっちの場に残ってる」

 総一が低く言う。


「そうやで」

 和はにっと笑った。

「受けて、響かせて、拾って、回す」

「そうやって場を作るんよ」


 その時だった。


 総一は、ふと気付いた。


 結界が、増えている。


 自分の周囲に配置された数々の結界。

 正面だけではない。

 横にも、斜めにも、わずかに後ろにもある。


 今まで押しているつもりだったから、前ばかり見ていた。

 けれど違う。


 それらは全部、少しずつ、少しずつ――

 自分を包囲するように置かれていた。


「……っ」


 総一の表情が変わる。


 和はそれを見て、にやりとした。


「気づいた?」


 そう言って、近くの一枚を軽く指先で叩く。


 リィーン。


 澄んだ音がひとつ鳴った次の瞬間、別の結界が応える。

 さらにその先が響く。

 連なり、跳ね、干渉し合い――

 総一の目の前の結界だけが、みるみる厚みを増した。


「なっ」


 客席がざわつく。


「今の見たか!?」

「前の一枚じゃない、別の面から厚くなった!」

「繋がってる……!」


「見てみ」

 和が言う。

「一枚やないねん」


 総一は息を呑む。


 ただ並べてあるだけではない。

 響かせている。

 重ね、繋ぎ、必要な場所だけ強くしている。


 和が顎でしゃくる。


「そっちも叩いてみ」


「……は?」


「ええから」


 言われるまま、総一は目の前の結界へ手を伸ばした。

 軽く触れる。


 その瞬間。


 リィーン。


 目の前ではなく、今度は背後の結界が厚く変化した。


 風が振り返る。


「うそ、ちょっと待って!」

「後ろ、塞がった!」


 雷が舌打ちする。


「最悪」

「こっちの位置まで含めて繋げてる」


「……包囲」

 土が低く言う。


「置いていたのではなく……」

 水が静かに息を呑む。

「最初から、ここへ導いていたのですね」


 和はにっと笑った。


「これが“共鳴”やねんな」

 和が続けた。

「響いて、干渉して、強化する」

「ただ置いとったんとちゃうで」


 その一言で、場の見え方がひっくり返る。


 今まで押していたと思っていた。

 だが違う。


 押していたのではなく、押さされていた。

 動かされ、進まされ、気づかないうちに一番まずい位置へ集められていたのだ。


 観客席の空気が、はっきり変わる。


「逆だ」

「御影が押してたんじゃない」

「八乙女が押させてたのか……!」

「最初から包囲の形を作ってたの!?」


「……やってくれる」

 炎が低く唸る。


「え、これ最初から全部仕込みってこと!?」

 風が顔を引きつらせる。


「そういうことになるね」

 雷が険しい顔で言った。

「しかも、こっちの勢いまで使って」


 総一は、その包囲の中で小さく息を吐いた。


「なるほどな」

「厄介だ」


「せやろ?」

 和は明るく言う。

「多い相手ほど、よう響くからな」


 そこからは、早かった。


 和が一歩前へ出る。


 今までずっと受けていた側が、初めて自分から間合いを取る。

 それだけで空気がひっくり返る。


 結界がまた一枚。

 その横へもう一枚。

 さらに斜め後ろへ一枚。


 リィーン。

 リィーン。

 リィーン。


 響きが重なるたび、閉じる場所だけが強くなる。

 逆に、逃げたい方向は薄く見えて、実際には次の面へ誘導される。


「まずい!」

 風が叫ぶ。


 炎が前へ出る。


「まだ抜けられる!」


 雷が続く。


「合わせる、今なら――」


 だが、その“今なら”がもう遅かった。


 炎が押した勢いが別の面へ回る。

 風が抜けようとした先が重くなる。

 雷の鋭さが散り、土の支えは一点で固定され、水の流れも切られる。


 五体の手数はまだある。

 だが、その手数がもう繋がらない。


 総一の視界が、ぐらりと揺れた。


 五体分の動き。

 五体分の意思。

 五体分の焦り。


 それを抱えたまま、出口のない囲いへ押し込まれる。


 観客席が息を呑む。


「捕まる……!」

「まずい、完全に入った!」


 総一はなお前を見た。


「まだだ!」


 その声に炎が応じる。


「そうだ、まだ終わってねえ!」


 だが和は、明るい顔のまま、静かに言った。


「うん」

「せやから、ここで終わらせるんや」


 最後の一枚が閉じる。


 リィーン。


 それで終わりだった。


 五体は完全に押さえ込まれ、総一はその場に膝をつく。

 立て直そうとしても、もう無理だった。

 術の主導権が、完全に向こうへ渡っていた。


 和が静かに言う。


「……これで、終わりやな」


 審判の声が落ちる。


「勝者、八乙女和!」


     ◇


 試合後。


 風が悔しそうに言った。


「いや、あれ反則じゃない?」

「こっちの数、多いの分かってて、そこだけ綺麗に詰めてくるとかさあ」


「反則ではないでしょ」

 雷が言う。

「ただ、めちゃくちゃ上手かった」


「厄介だったな」

 炎が低く言う。

「真正面から来てねえのに、全部正面で受けられてる感じだ」


「……堅い」

 土が短く言う。


「でも、とても綺麗でした」

 水が静かに続けた。

「防ぐだけではなく、ちゃんと響かせていましたもの」


 炎が総一を見る。


 文句の一つくらい出てもおかしくない負け方だった。

 手数を封じられ、最後は捕縛されて終わったのだから。


 けれど総一は、文句ひとつ言わなかった。


 ただ笑っていた。


「そっちの結界術が上手かったな」


 それだけだった。


 和は、その言葉を聞いて少しだけ目を細めた。


「ありがとう」

「そっちも厄介やったで」

「ようあそこまでまとめとる」


「まとめきれてたら勝ってたかもな」

 総一が苦笑する。


「そこはまあ、これからやろ」

 和は明るく返す。

「五体抱えてまだ伸びるんやったら、だいぶおもろいで」


「おもろい、ねえ」

 総一は笑った。

「そっちに言われると、なんか悪くねえな」


 風がそこで吹き出した。


「ちょっと、総一」

「今ちょっと嬉しそうだったよね」


「うるせえな」


「でも実際、いい試合だったでしょ」

 雷も言う。


 総一は肩をすくめた。


「まあな」

「負けたけど、気持ちは悪くねえよ」


 その言葉に、和は少しだけ笑った。


「ええ性格しとるなあ、あんた」


「友達にはよく言われるよ」

 総一が言う。


     ◇


 インカレで和に敗れたあと、総一は変わった。


 負けたことを引きずらなかったわけではない。

 悔しくなかったわけでもない。


 ちゃんと悔しがっていた。

 ちゃんと、自分たちの未熟さも分かっていた。


 ただ、その悔しさを誰かへぶつけなかった。


「まあ、負けたな」

 帰り道、総一がそう言うと、


「軽いなあ」

 風が呆れたように言った。

「もっとこう、うわーってならないの?」


「なってるよ」

 総一は笑う。

「でも、負けたもんは負けたしな」


 炎が低く言う。


「……あの結界、気に入らねえ」


「それは分かる」

 雷も腕を組む。

「でも上手かった」


「……切られた」

 土が短く言う。


「私たちの繋がり方、そのものを見られていましたね」

 水が静かに続けた。


 総一は頷いた。


「うん」

「結局あれだよな」

「俺たち、仲はいいけど、仲がいいだけじゃ駄目なんだ」


 その言葉に、五体が少し黙る。


 総一は頭の後ろで手を組んだ。


「友達なのは、すごく大事なんだけどさ」

「それだけだと、強いやつには崩される」

「順番とか、役割とか、どこで誰が引くかとか」

「そういうの、もっとちゃんとしないと駄目なんだろうな」


 炎が総一を見る。


「……やめるか?」


 その問いは軽くなかった。


 五体使役は重い。

 しんどい。

 何度も倒れてきた。

 インカレでも、その重さを突かれて負けた。


 だからこそ、炎は聞いた。

 ここで減らすか。

 あるいは抱え方を変えるか。


 だが総一は、即答した。


「やめない」


 それから少し笑って続ける。


「友達減るの、嫌だし」


 風が吹き出す。


「そればっかり!」


「でも総一らしい」

 水がやわらかく笑う。


「だったら次は負けないように考えるしかないね」

 雷が言う。


「……やる」

 土が短く頷く。


 炎は少しだけ口元を上げた。


「そうこなくちゃな」


     ◇


 そこから総一は、明確に変わった。


 前までは“一緒にいること”が先だった。

 でも和との試合を経て、総一は初めて、一緒に戦うための形を本気で考え始めた。


 エレメンタル理論の講義を、以前より真面目に聞くようになった。

 属性ごとの相性だけではない。

 発現の拍。

 起動の呼吸。

 収束の癖。

 誰が前へ出るべきか。

 誰が場を整えるべきか。

 誰が一歩引くべきか。


「総一、寝てない?」

 風がひそひそ言う。


「寝てねえよ」

 総一が返す。


「ちょっと感動した」

 雷がぼそっと言う。

「ついに本気で聞いてる」


「失礼だな」

 総一は苦笑する。


「でも、見方は変わりましたね」

 水がやわらかく言う。


「……見る」

 土も短く言う。


 炎は隣で腕を組んでいた。


「遅いよりは、今からでもいい」


 総一が学んだのは、難しい理論そのものより、むしろそこに含まれる単純な事実だった。


 五体はそれぞれ違う。

 違うから強い。

 でも違うからこそ、自然に任せただけでは噛み合わない。


「炎、お前は前だ」

「でも前に出すぎると風が散る」


「えー、私のせい?」

 風が言う。


「半分はな」

 総一が笑う。

「でも風は散るんじゃなくて、道を作る方が強い」


「雷は刺すタイミング、ちょっと待てる」

「お前、速いけど、速いだけだと孤立する」


「分かってるよ」

 雷が言う。

「でも総一、最近そういうのちゃんと見るようになったね」


「見ないと、また囲われるからな」


「……土は支える」

 土が言う。


「うん」

 総一が頷く。

「お前がいると、みんな踏み直せる」


「私は?」

 水が静かに尋ねる。


 総一は少し笑った。


「水はさ」

「最後に全部つなげる役だよ」

「お前がいると、ばらけても戻れる」


 その言葉に、水は少しだけ目を細めた。


「……はい」

「それは、嬉しいですね」


     ◇


 そうやって総一が少しずつ役割を言葉にすると、五体の喧嘩の質も変わった。


 なくなりはしない。

 むしろ相変わらずうるさい。


「だから私が先って言ってるじゃん!」

 風が言う。


「いや、そこは雷が先の方が通るでしょ」

 雷が返す。


「どっちでもいいから、前が開く方にしろ」

 炎がぶっきらぼうに言う。


「……状況次第」

 土が短く落とす。


「今日は風さんの方が流れやすいと思いますよ」

 水がやわらかく言う。


 前なら、そのまま言い合いになった。

 でも今は違う。


「じゃあ一回それでやるか」

 総一が言う。


 その一言で、だいたいまとまる。


 完全な統率ではない。

 命令でもない。

 でも、総一が一回受けて、置き直して、みんながそこへ戻る。


 それは支配ではなかった。


 居場所を作るという方が、たぶん近かった。


     ◇


 大学での後半になる頃には、総一の周囲にはまた別の人間まで集まり始めていた。


 同級生。

 後輩。

 演習で組んだ学生。

 多属性制御に興味がある者。

 エレメンタルとの距離感に悩む者。


 総一は、教えるつもりで喋っていない。

 でも聞かれたら普通に答えた。


「どうやったら複数使役ってまとまるんですか?」


「まとまらないよ」

 総一は笑って言う。

「最初からは絶対まとまらない」


「えっ」


「でも、まとまらない前提で役割決めとくと、だいぶ違う」

「あと喧嘩しても、そのまま切らないこと」


「それ、理論ですか?」


「半分理論、半分実感かな」


 そんな調子だった。


 すると不思議なもので、総一の言葉は妙に伝わった。


 綺麗事だけを言わないからだ。

 仲良くしろ、とだけ言わない。

 喧嘩する。

 ずれる。

 面倒くさい。

 でも、その先で戻れるようにしろ。


 そういう、実際に五体抱えて倒れてきた人間の言葉だったからだ。


「御影先輩って、なんか教え方うまいですよね」

 ある後輩が言った。


「え、そうか?」

 総一は目を丸くする。


「上からじゃないし」

「ちゃんと失敗前提で話してくれるから、聞きやすいんです」


 その言葉に、風がひそひそ言った。


「先生向いてるんじゃない?」


「それはないだろ」

 総一は即答した。


「いや、ちょっと分かる」

 雷が言う。


「……向いてる」

 土も短く言う。


「似合いそうですね」

 水が微笑む。


 炎は少しだけ笑った。


「お前、世話焼きだしな」


「やめろよ」

 総一は苦笑する。

「そういうの、なんかむずがゆい」


     ◇


 決定的だったのは、大学院へ進むか就職するかを考え始めた頃だった。


 総一自身は、そこまで明確に進路を決めていたわけではなかった。

 エレメンタル理論は面白い。

 でも研究一本で生きたいかと言われると、それは少し違う気もした。


 そんな時、演習担当の教員が総一を呼び止めた。


「御影」

「ちょっといいか」


「はい?」


「来期の基礎実習、補助に入る気はあるか」


 総一は、ぽかんとした。


「……俺がですか?」


「お前がだ」

 教員は淡々と言う。

「複数使役の技量もあるが、それ以上に、お前は学生との距離の取り方がうまい」


 総一は思わず頭を掻いた。


「いや、でも俺そんな、教えるとか……」


「上手くやろうとしなくていい」

 教員は言った。

「お前はお前のままで話せばいい」

「それが、たぶん一番伝わる」


 その話を帰って五体へすると、それぞれに賛同された。


「いいじゃん!」

 風が真っ先に言う。

「絶対似合う!」


「まあ、向いてはいると思う」

 雷も頷く。


「……悪くない」

 土が短く言う。


「総一さんらしいですね」

 水がやわらかく笑う。


 炎は腕を組んで言った。


「やれよ」


「軽っ」

 総一がつっこむ。


「軽くねえよ」

 炎はぶっきらぼうに返す。

「お前、どうせどこ行っても誰か抱えるんだ」

「だったら最初から、そういう場所にいた方が早え」


 その言葉に、総一は少し黙った。


 否定しきれなかった。


 たしかにそうだ。

 ひとりで静かにやる未来も、ないわけじゃない。

 でもたぶん、自分はそうならない。


 誰かといて、何かをまとめて、面倒を見て、うるさくて、それでも笑っている方が性に合っている。


「……まあ」

 総一は少し笑った。

「友達は多い方がいいしな」


「出た、それ」

 風が笑う。


「結局そこなんだよね」

 雷が肩をすくめる。


「……それでいい」

 土が言う。


「はい」

 水も頷いた。

「それでいいと思います」


 炎は、少しだけ口元を上げた。


「それでこそだろ」


     ◇


 実習補助に入った御影総一は、やはり目立った。


 才能を見せつける形でではない。

 もっと地味なところでだ。


 初めて召喚に失敗して泣きそうな生徒へ、自然に声をかける。

 エレメンタルと噛み合わず苛立つ学生に、「喧嘩はするけど切るな」と言う。

 単属性ですら手を焼く生徒へ、「一体でも友達なら同じだろ」と笑う。


 その言葉は、理論だけでも根性論だけでもなかった。


 できないことはある。

 しんどいこともある。

 でも、そこで切り捨てなければ次がある。


 総一の言葉には、そういう現実味があった。


 いつの間にか、生徒たちは総一の周りへ集まるようになった。


「御影補助、ちょっと見てもらっていいですか」

「先輩、ここの結び合ってます?」

「また喧嘩したんですけど、どうしたらいいですか」


「またかよ」

 総一は苦笑しながらも、ちゃんと立ち止まる。


 その姿を見て、教員たちは互いに頷き合った。


 こいつは、教える側に向いている。

 そう見る者が増えていった。


     ◇


 そうして気づけば、御影総一は学校に残っていた。


 大学を終え、研究も続け、補助を重ね、非常勤の形で入り、やがて正式に教員になった。


 特別な宣言があったわけではない。

 ある日突然「俺は先生になる」と決めたわけでもない。


 ただ、振り返れば自然にそこへ来ていた。


 人と精霊が集まる場所。

 喧嘩して、失敗して、でも切らずに続ける場所。

 そういう場所の真ん中に、自分がいる。


 それが、御影総一にはいちばん自然だった。


     ◇


 教師になった最初の日。


 総一は、まだ少しだけ落ち着かなかった。


「……なんか変な感じだな」


 職員証を指で弾きながら呟くと、風が楽しそうに笑う。


「似合ってるのに?」


「うん、結構似合ってる」

 雷も頷く。


「……悪くない」

 土が短く言う。


「とても総一さんらしいと思います」

 水が微笑む。


 炎はいつも通りぶっきらぼうだった。


「びびるな」

「お前は前から、そういう立ち位置だったろ」


 総一は少しだけ目を丸くする。


「……前から?」


「そうだ」

 炎が言う。

「抱えて、まとめて、怒って、笑って」

「結局ずっと、そうだった」


 その言葉に、総一はしばらく黙った。


 それから、小さく笑う。


「まあ」

「そうかもな」


 誰かと一緒にいること。

 減らさないこと。

 切らないこと。

 多いなら多いなりに、ちゃんと居場所を作ること。


 御影総一は、ずっとそれをやってきた。


 子どもの頃、家の静けさを埋めるように、炎と一緒にいた。

 そこへ風が来て、雷が来て、土が来て、水が来た。

 重くなっても、しんどくなっても、友達が減るよりはましだと笑った。

 負けても相手を認めた。

 後輩に聞かれれば答えた。

 困っているなら放っておかなかった。


 だから、先生になるのは、きっと突然のことではなかったのだ。


 ただ、いつの間にかそこへ辿り着いていただけだ。


 そして今もなお、御影総一の周りには、いつも誰かがいる。


 人も。

 精霊も。


 彼が一人でいるところを、やはり誰も見たことがなかった。


 それは偶然ではない。


 御影総一が、誰かと一緒にいることを、ずっと選び続けてきたからだ。

友達は多い方がいいね。

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