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第九話 学校の外へ

 御影先生が、僕たちの持ち込んだ話をどれくらい本気で受け取っていたのか。


 それを、僕たちが正しく知ったのは、その二日後だった。


     ◇


 準備室の机の上に、透明な封止容器が置かれていた。


 中に入っているのは、防護区画での再現実験のあとに残った黒い残骸。見た目だけなら、ただ黒焦げになった失敗作にしか見えない。けれど、その分析結果は単純な焼損では説明できなかった。


 炭素主体。微量のケイ素系残留。


 石の錬成を起点にした実験で、そういう残渣が出るのは普通ではない。


 御影は分析票をもう一度読み直したあと、椅子の背にもたれた。


 静かな部屋だった。記録盤の低い駆動音だけが、かすかに鳴っている。


「……見なかったことには、できんか」


 低く呟いても、返事をする相手はいない。


 生徒の独断で行われた危険な実験。褒められた話ではない。むしろ、強く叱責して終わらせる方が教師としては正しいのかもしれなかった。


 だが、それで終わらせていい類いの現象ではない。


 成功したのは一瞬。再現にも失敗した。

 それでも、残った痕があまりにも異質だった。


 もし本当に物質転換に類する過程へ接触しているのだとしたら、校内だけで抱えるには危険すぎる。

 逆に、ただの見間違いや条件の誤認なら、それもはっきりさせなければならない。


 放置する方が、ずっと無責任だった。


 御影は立ち上がると、封止容器と分析票をまとめて持った。


 相談する相手は決まっている。


     ◇


「話は分かったわ」


 結界系担当の雨宮先生は、封止容器の中の黒い残渣を見ながら眉を寄せた。


「だからといって、すぐ外へ持ち出す話になる?」

「それを相談している」


 御影が短く返す。


 放課後の小会議室には、御影先生の他に雨宮先生と白峰先生がいた。白峰先生はいつも通り穏やかな顔で、分析票の数字を指先で追っている。


「僕は面白いと思うけどねえ」


 白峰先生が言った。


「面白いで済ませないで」


 雨宮先生が即座に返す。


「済ませてないよ。だからこそ記録が要る。生徒の話だけなら眉唾でも、残渣が炭素主体でSi系残留あり、しかも防護下の再現実験で白色閃光が出てる。これ、少なくとも普通の初歩実験の失敗じゃない」

「それは分かる」


 雨宮先生は腕を組んだ。


「でも、外部へ打診するなら学校としての責任が出る。再現していない現象を、生徒の独断実験込みで持っていくのよ?」

「成功の報告ではない」


 御影が言う。


 その声は低かったが、はっきりしていた。


「異常な失敗の記録だ。再現しない。だが、説明もつかない。それなら専門設備に回すべきだ」

「向こうが動くかしら」

「動かないなら、それも判断だ。だがこちらで握り潰す理由にはならん」


 少しの沈黙。


 雨宮先生は、御影の顔をじっと見てから、小さく息を吐いた。


「……本気なのね」

「本気でなければ、五重防壁の区画なんか使わせない」


 白峰先生が、どこか楽しそうに肩をすくめた。


「じゃあ打診しよう。基礎転換観測の方なら、少なくとも話だけは聞くかもしれない」

「簡単には通らないわよ」

「分かってるさ。だから記録と分析票を全部持っていく」


 御影は分析票の端を整えながら言った。


「見間違いなら、それでいい。だが見間違いでないなら、こちらに留めておく方が危険だ」


 その一言で、会議室の空気が少しだけ変わった。


 最終的に雨宮先生も、反対はしなかった。


 慎重であることと、止めることは違う。

 それを理解している人だったからだ。


     ◇


 打診先は、国立東央魔法科学研究機構・基礎転換観測室。


 名前だけでも少し緊張するような場所だった。


 御影先生が送ったのは、生徒四人の記録ノートの写し、防護区画での再現実験データ、そして残渣の元素分析票。余計な脚色は一切なし。成功したとも、革新的だとも書かない。


 ただ、起きたことだけを並べた。


 それが一番強いと、御影先生は知っていた。


 返事が来たのは、翌日の昼前だった。


 短い。


 だが、十分に意味のある文面だった。


 ――興味はある。

 ――再現性の確認が前提。

 ――正式観測下での再現試行を一回に限り認める。

 ――安全条件の詳細は別紙。


「通ったか」


 白峰先生が覗き込んで言う。

「通ったわね」

 雨宮先生も小さく頷く。

「条件は厳しいけど」

「当然だ」


 御影先生は紙面を見たまま言った。


「むしろ一回でも試行枠が下りた方が珍しい」


 それはつまり、残渣の異常性だけは向こうにも届いたということだった。


 次に必要なのは、生徒たちの意思確認だった。


     ◇


 放課後、僕たちは四人そろって呼び出された。


 場所はいつもの準備室ではなく、小さな会議室だった。机が長く、窓の外の光が少しだけ白い。入った瞬間に、いつもと空気が違うと分かった。


「なにこれ、怖いんだけど」


 彩葉が小声で言う。

「同感」

 僕も答える。

「たぶん怒られるやつではない」

 雅が言う。

「それもそれで怖いのよ」

 純香が返す。


 少しして、御影先生が入ってきた。


 その後ろには、雨宮先生と白峰先生もいる。


 冗談の入る空気ではなかった。


 御影先生は席につくと、すぐに本題へ入った。


「外部へ打診した」


 その一言で、四人とも黙る。


 先生は続けた。


「国立東央魔法科学研究機構・基礎転換観測室だ。残渣分析と再現実験記録を提出した」

「え」

 思わず声が漏れたのは、僕だった。

「そこまで、もう行ったんですか」

「行った」


 短い返答だった。


「校内設備だけでは限界がある。こちらの観測精度では、“何か起きている”以上のことが分からん」

「で、向こうは」

 雅が聞く。

「一回だけ、正式観測下での再現試行を認めた」


 部屋が静かになる。


 彩葉が、少しだけ目を見開いていた。


「ほんとに、そんな話になるんだ……」

「なるわよ」

 純香が低く言う。

「先生たちが三人いる時点で、もう分かってたけど」


 御影先生は紙を机の上に置いた。


「ただし条件がある。試行は一回。全行程記録。安全基準は向こうの規定に従う。危険兆候が出れば即停止。失敗しても、そのまま正式記録に回る」

「成功しても、ですか」

 僕が聞く。

「もちろんだ」


 白峰先生が口を開いた。


「つまり、次は“放課後の実験の続き”じゃないってこと」

「観測対象として扱われる」

 雨宮先生が続ける。

「いい? 遊びでは済まないの」


 彩葉の顔から、いつもの軽さが少し消えた。


 僕もたぶん、同じだった。


 公園で始めたものが、学校の外へ出る。

 それは嬉しいことのはずなのに、同時に少し怖かった。


 逃げ場がなくなる気がした。


「……正直、びびってる」


 彩葉がぽつりと言った。


 誰も笑わなかった。


「うち、こういうの、見るのは好きだけどさ。いざ自分たちがその真ん中に立つってなると、ちょっと別」

「分かる」

 僕が言う。

「僕も、たぶん同じ」

「俺は楽しみだけど」

 雅が言う。

「もちろん怖くないわけじゃないけど」

「そういう言い方がずるいのよ、あなたは」

 純香が小さく言った。


 それから一拍置いて、御影先生が僕たち四人を順番に見た。


「ここから先は、好奇心だけでは済まない」


 静かな声だった。

 でも、それがいちばん重かった。


「失敗も成功も、すべて外部の記録になる。それでもやるか」


 部屋の空気が止まる。


 まず最初に、雅が口を開いた。


「やります」


 迷いがなかった。


 次に純香が言う。


「条件が守られるなら、私はやります」


 彼女らしい答えだった。


 彩葉は少しだけ黙った。

 視線を落として、机の上の紙を見て、それから息を吸う。


「……やる」


 小さいけれど、はっきりした声だった。


「ここまで来て、見なかったことにする方が無理」


 最後に、先生の目が僕へ向く。


 少しだけ喉が乾いた。


 怖い。

 失敗するかもしれない。

 見たものの正体が、結局つかめないまま終わるかもしれない。


 でも、それでも。


 あの日、公園で見た透明な芯を、ただの見間違いにしたくなかった。


「……やります」


 言葉にした瞬間、自分の中の何かが少しだけ定まった気がした。


 御影先生は一度だけ頷いた。


「よし」


 それだけだった。

 でも、十分だった。


     ◇


 会議室を出たあと、僕たちは四人で廊下を歩いた。


 誰もすぐには喋らなかった。外はもう夕方で、窓の向こうに校庭の端が赤く染まりかけている。


「なんかさ」


 先に口を開いたのは雅だった。


「ほんとに外まで行ったね」

「他人事みたいに言わないで」

 純香が返す。

「いや、でも実感なくない?」

「なくはない」

 僕が言う。

「ただ……まだ少し信じられない」


 彩葉が小さく笑った。


「うちも。昨日まで公園でやってたのにね」


 その言葉に、四人とも少しだけ黙る。


 そうだった。

 始まりは本当に小さかった。


 放課後の公園で、思いつきみたいに始めた実験。

 そこから見えてしまったものが、今はもう学校の外へ出ようとしている。


「でもさ」


 僕は立ち止まって、窓の外を見た。


 校舎の向こうに、薄い夕空が広がっている。


「もし本当に、あれがただの失敗じゃないなら」

「うん」

 雅が答える。

「今度は、ちゃんと見たい」

「……見たいわね」

 純香が言う。

「うちも」

 彩葉が続く。


 その返事が、少しだけ嬉しかった。


 怖さは消えていない。

 たぶん、消えないままだろう。


 それでも四人とも、同じ方を見ていた。


 僕たちの放課後は、その日初めて、学校の外へ出ていった。


ついに学校の外へ話が出てしまいます

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