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第五十二話 楽しい文化祭

「どうしてこんなことに……」


 新は呟いた。


 階下から、うめき声が迫ってくる。


 ゆっくりと。

 だが確実に。


 濁った魔力をまとったゾンビの群れが、階段の向こう側でひしめき合っていた。


 幸い、まだ犠牲者は出ていない。

 避難も完了している。

 階下へ続く階段は、山田先生が展開したゴーレムで辛うじて塞いでくれていた。


 だが、それもいつまで持つか分からない。


 今のうちに解除を試みた。

 けれど、駄目だった。


 そして、さっきから彩葉の様子もおかしい。


「っ……うるさい……」


 片手でこめかみを押さえ、彩葉が顔をしかめる。

 頭の中にノイズが流れ込んでくるらしい。

 召喚体の位相がぶつかり合って、耳鳴りみたいに響いているのだと、さっき言っていた。


 ――マジックハック。


 改めて、召喚術の恐ろしさを思い知らされた。


「警察へ連絡は!?」

 担任の浅見先生が声を上げる。


「もうした。今足止めしているゴーレムがゾンビ化したら、すぐに石化させて、さらに時間を稼ぐ」

 御影先生が答える。


「魔法院から助っ人が来るはずだ。それまで保たせる。アンチマジックフィールドは大丈夫ですか、雨宮先生」


「もうやってるわ。だけど、こいつらもう自律型にハックされてる。外部ジャックを受け付けないし、自己増殖してる」


「何とかできないのですか」

 純香が訊ねる。


「無理。こうなってしまうと一気に片付けるしかない。中途半端に止めると、余計に拍車がかかる場合がある」


 その言葉に、空気が凍った。


 下の階から、またひときわ大きな物音が響く。

 ゴーレムの足元へ、何かがぶつかったのだろう。


 ――どうして、文化祭が、こんなことになったのか。


 事件は、少し前に遡る。


     ◇


 夢見ヶ丘高校の文化祭当日。


 朝から校舎は、祭りの熱気に包まれていた。


 昇降口には案内看板が並び、廊下には色とりどりの装飾が吊られている。

 呼び込みの声があちこちから飛び、普段は静かな校内も、この日ばかりは少し違った顔をしていた。


「文化祭って、なんでこんなにテンション上がるんだろうな」

 新がエプロンの紐を結びながら言う。


「非日常だからじゃない?」

 彩葉が答える。

「学校なのに学校っぽくないし」

「いや、今の彩葉が言うとちょっと重みあるな」

 雅が笑った。

「世界まで見て帰ってきたやつの“非日常”はスケールが違う」

「うるさいなあ」

 彩葉は焼きそば用のトングを持ちながら顔をしかめる。

「私は普通に文化祭を楽しみたいの」


 魔法科の出し物は、粉もの屋だった。


 お好み焼き。

 たこ焼き。

 焼きそば。


 いわば粉ものの総合商社である。


 当初は、召喚体を使役してリアルなお化け屋敷をやろう、という案も出ていた。

 だが、危険性が高すぎるという理由で却下された。


 立案者が雅だったのも、きっと大きかったのだろう。


「いやでも、今思い返しても絶対そっちの方がウケたって」

 雅が未練たっぷりに言う。

「本物みたいに動くお化けとか最高じゃん」

「“本物みたい”の時点でだめなのよ」

 純香がぴしゃりと言う。

「山田先生が真っ青になってたでしょ」

「そりゃあ、ちょっとだけ大げさに言ったけど」

「ちょっとじゃなかった」

 一ノ瀬が淡々と返す。

「かなり」

「お前、そういうとこだけは冷静だな」

「事実だから」

 そう言って、一ノ瀬は無表情のまま鉄板の焼きそばをひっくり返した。


 結局、お化け屋敷は普通科が担当することになった。


 普通科ならハリボテだ。

 魔法科みたいに召喚体を使ったりはしない。

 暴走することはない。


 ――はずだった。


     ◇


 午前中、粉物屋は予想以上の盛況だった。


「いらっしゃいませー! 焼きそば一丁! たこ焼き二つ入りまーす!」

 彩葉が明るく声を張る。


「お好み焼き、追加で二枚!」

 新が鉄板越しに返す。


「会計こっちー。並ばないで、順番」

 純香はレジ役をしながら、流れるように客をさばいていた。


「いやあ、やっぱ祭りはこれだよな!」

 雅は呼び込み役に回り、妙に生き生きしている。

「そこのお兄さんお姉さん! たこ焼き、今ならできたて! 魔法科謹製、気合いの粉ものどうですかー!」


「その“魔法科謹製”っている?」

 新が苦笑する。

「むしろ不安になる人もいそうだけど」

「そこは勢いで押すんだよ」

「勢いで押すから信用が削られるのよ」

 純香が冷静に切り返した。


 一ノ瀬は相変わらず静かだったが、焼きそばの量産速度が異常だった。

 気づけば鉄板の前に立ち続け、黙々とソースの匂いを立ち上らせている。


「……一ノ瀬くん、もしかしてこういうの得意?」

 彩葉が訊ねる。

「別に」

「絶対別にじゃないよね」

「作業工程が単純だから」

「その説明でここまで上手いの、ちょっとずるいよね」

「そうかな?」

「そうだよ」


 文化祭の空気は、どこまでも明るかった。


 廊下を走る子ども。

 はしゃぐ来校者。

 写真を撮る女子生徒たち。

 どこからか聞こえてくる吹奏楽。

 普通科のお化け屋敷もかなり盛況らしく、「めちゃくちゃ怖いらしい」と噂が飛んでいた。


「普通科のやつ、結構人気みたいだね」

 新が言う。

「意外とちゃんとしてるのかも」

「悔しいな」

 雅が言う。

「魔法科のお化け屋敷だったら、もっといけたのに」

「だからそれが却下されたんでしょ」

 純香が言った。


 彩葉は、その時ほんの少しだけ眉を寄せた。


「……どうした?」

 新が気づいて訊ねる。

「ううん」

 彩葉は首を振る。

「何かちょっとだけ、変な感じしたけど……気のせいかも」

「疲れてるんじゃない?」

「かな」

「無理しないでよ」

「うん」


 その時は、本当に小さな違和感だった。


     ◇


 異変が起きたのは、昼を少し過ぎた頃だった。


 最初に聞こえたのは、悲鳴だった。


 しかも一つではない。


 普通科のお化け屋敷の方角から、何人もの悲鳴が重なって響いた。


「……演出?」

 雅が顔を上げる。

「いや」

 一ノ瀬がすぐに言った。

「違う」


 次の瞬間、お化け屋敷の方から女子生徒が飛び出してきた。

 顔色を失い、息を切らしながら叫ぶ。


「お、お化けが……!」

「落ち着いて、どうしたの!?」

 浅見先生が駆け寄る。

「動いたの! 襲ってきたの!」

「……は?」


 その言葉が広がる前に、別の悲鳴が上がった。


 数人の生徒に支えられながら、一人の女子生徒が運び出されてくる。

 右腕を押さえていた。


 腕には、浅い咬傷。


 傷自体は深くない。

 だが、その様子が明らかにおかしかった。


「っ……ぁ……!」


 全身が小刻みに痙攣している。

 目は虚ろで、焦点が定まらない。

 それでも意識はあるらしく、口元だけが震えていた。


「救護班!」

 誰かが叫ぶ。


 すぐに救護班が駆けつけ、女子生徒の状態を確認する。


 その一人が、顔色を変えた。


「マジックハックを受けています!」

 空気が変わった。

「すぐにジャミングとアンチマジックフィールドを展開してください!」

「トリアージは!?」

「このまま行います! 意識あり、呼吸あり、魔法汚染疑い、黄色!」


 女子生徒の胸元へ、黄色の札が切られた。


「何それ……」

 彩葉が呟く。

「ハックって、召喚体に?」

「分からない。けど普通じゃない」

 純香の顔も強張っていた。


「全員、落ち着いて!」

 浅見先生が声を張る。

「来校者は係の指示に従って避難! 生徒もその場で勝手に動かない!」


 そこからの動きは早かった。


 来校者は体育館側、あるいは校外へと誘導されていく。

 普通科のお化け屋敷のあった区画は、雨宮先生のアンチマジックフィールドで即座に封鎖された。

 御影先生は校内放送を通して避難指示を出し、警察と魔法院へ応援要請を飛ばした。


 だが、そこで終わらなかった。


「おかしい」

 雨宮先生が低く言う。

「封鎖したのに、内部でまだ増えてる」


「増えてる?」

 新が息を呑む。


 御影先生が険しい顔で答える。


「ハリボテをベースに、有機召喚されてる」

「え?」

 彩葉が顔を上げる。

「普通科なのに?」

「演出補助用の魔導パッケージが仕込まれてたんだろう。そこを起点に、有機召喚体へ書き換えられてる」

 御影先生の声は硬かった。

「しかも厄介なのはそこじゃない」


 雨宮先生が歯噛みするように言った。


「スタンドアロンで自己増殖するパッケージ型の魔法ウイルスよ」

「自己増殖……?」

 純香の顔色が変わる。


「外部ジャックを待たない。内部で勝手に複製して、挙動を上書きしてる」

 雨宮先生が言う。

「アンチマジックで閉じても、中から増える。ほんと最悪」


「人間もああなるの?」

 雅が訊ねる。

「完全なゾンビ化まではいかない」

 御影先生が短く答えた。

「だが噛まれればさっきの女の子みたいにはなる。魔力汚染と神経攪乱で動けなくなる。最悪、呼吸器をやられれば命に関わる」


「……劇場型だ」

 一ノ瀬がぽつりと言う。


 御影先生が一度だけ頷いた。


「そうだ。見せつけるための魔法テロだよ」


 その時だった。


 封鎖していたはずのお化け屋敷の奥から、がん、と鈍い衝撃音が響いた。


 次いで、もう一度。


「嘘でしょ」

 雨宮先生が吐き捨てる。

「食い破ってくる……!」


 アンチマジックフィールドの表面に、黒い魔力のひびが走った。


「全員、上へ!」

 浅見先生が叫ぶ。

「急いで!」


 魔法科の五人も、ほかの生徒たちと共に上階へ押し上げられる。

 山田先生は最後尾に立ち、階段へゴーレムを展開した。


「い、急いでください!ここは任せてください!」


 その後ろで。


 封鎖の割れ目から、何体もの影があふれ出た。


 ハリボテをベースにした有機召喚体。

 だがもう、見た目は完全にゾンビそのものだった。


 ぎこちなく。

 不気味に。

 けれど確かな悪意を持つみたいに。


 それらは階段下に群れを成して押し寄せてきた。


     ◇


「どうしてこんなことに……」


 新は、もう一度呟いた。


 うめき声が、階下からじわじわと迫ってくる。


 幸い、新たな犠牲者は出ていない。

 避難も完了している。

 階下へ続く階段は、山田先生が展開したゴーレムで辛うじて塞いでくれている。


 ――マジックハック。


 ハリボテのお化けの補助用魔法導体を起点にして、有機召喚体と機能するように書き換えられていた。

 しかも今回は、術者を止めても終わらない。

 自律行動し、自己増殖するスタンドアロン型のウイルスパッケージ。


 要するに、意図的に仕掛けられた暴走だった。


 こうなると現象そのものを圧倒的に上書きするしか止める手立てはなかった。


「警察へ連絡は!?」

 担任の浅見先生が声を上げる。


「もうした。今止めているゴーレムがゾンビ化したら、すぐに石化させて、さらに時間を稼ぐ」

 御影先生が答える。


「魔法院から助っ人が来るはずだ。それまで保たせる。アンチマジックフィールドは大丈夫ですか、雨宮先生」


「もうやってるわ。だけど、こいつらもう自律型にハックされてる。外部ジャックを受け付けないし、自己増殖してる」


「何とかできないのですか」

 純香が訊ねる。


「無理。こうなってしまうと一気に片付けるしかない。中途半端に止めると、余計に拍車がかかる場合がある」


「……魔法院の応援に賭けるしかないわ」


 その言葉に、空気が凍った。


 下の階から、またひときわ大きな衝撃音が響く。


 文化祭の楽しいざわめきは、もうどこにも残っていなかった。残っているのは、階下から響くうめき声だけだった。

続きます

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