表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/61

第五十話 日常と召喚術

 世界大会が終わって、夢見ヶ丘へ戻ってきて。


 それでも朝は、驚くほど何も変わらない顔で始まった。


 校門をくぐれば、いつものざわめきがある。

 昇降口には運動部の声が響き、廊下では誰かが遅刻寸前で走っている。

 窓の外には見慣れたグラウンドがあって、朝の風も、チャイムの響きも、世界大会の会場とはまるで違っていた。


「……何か、不思議」

 彩葉がぽつりと言った。


 隣を歩いていた新が顔を向ける。

「何が?」

「帰ってきたら、もっとこう……全部違って見えるのかなって思ってた」

「実際は?」

「普通」

 彩葉は少しだけ笑う。

「びっくりするくらい普通」


 前を歩いていた雅が振り返った。

「それはそうだろ。夢見ヶ丘が世界大会終わったくらいで急に浮いたりはしないし」

「その例え方はどうなの」

 純香が言う。

「でもまあ、言いたいことは分かるわ」

「見てる景色は同じでも」

 一ノ瀬が静かに言った。

「見てる側は、前と少し違う」

「……」

 彩葉はその言葉を少しだけ反芻した。

「たぶん、そうなんだと思う」


 教室へ入ると、何人かがすぐに気づいた。


「橘、おかえり」

「世界大会おつかれ!」

「代表ってやっぱすごいよね」

「ドイツに勝ったってほんと?」


 そんな声があちこちから飛んでくる。


 彩葉は一瞬だけ目をぱちぱちさせたあと、少し困ったように笑った。


「うん、まあ……いろいろあった」

「雑すぎるだろ」

 雅が笑う。

「もっとこう、“死線を越えてきました”みたいなのないのかよ」

「朝からそんな重い顔で来られたら嫌でしょ」

「それはそうだな」

「でしょ」


 笑いが起きる。


 その空気の中で、彩葉は小さく息をついた。


 ちゃんと戻ってきたのだと思った。

 世界を見て、それでもやっぱり、自分の帰る場所はここなのだと。


     ◇


 一時間目は魔法理論だった。


 教壇に立ったのは、二学期から実技理論の一部を担当することになった山田先生だった。


 若い。

 小柄。

 やわらかな雰囲気の女性教師で、話し始める前に小さく呼吸を整える癖がある。

 少しおどおどして見える時もあるが、授業になると不思議と芯がぶれない先生でもあった。


「み、みなさん、おはようございます」

 山田先生は教室を見回し、少しだけ緊張したように咳払いした。

「コホン。ええと、本日から二学期の実技理論に入ります」


 黒板に、さらさらと文字が書かれていく。


 召喚術基礎


 その文字が見えた瞬間、教室の空気が少し変わった。


「来たな」

 雅が小さく言う。

「召喚術か」

「ようやくね」

 純香も目を細める。

「基礎制御と結界だけじゃなかったってこと」

「夢見ヶ丘なら、いつかはやると思ってた」

 新が言う。

「でも二学期からなんだな」

「順当だね」

 一ノ瀬が短く答えた。


 山田先生は黒板に二つの語を書いた。


 無機召喚

 有機召喚


「召喚術は、大きく分けてこの二系統に分かれます」

 山田先生はチョークを持ち直しながら続ける。

「無機召喚は、術式と魔力で構成された使役体を形成・維持するものです。比較的安定しやすく、入門ではこちらを扱うことが多いです」

「有機召喚は?」

 新が聞く。

「はい」

 山田先生は頷いた。

「有機召喚は、有機物を用いて生体に近い挙動を持つ召喚体を扱います。構成が複雑で、維持も難しいです。ですから、入門者にとっては少し難易度が上がります」

「生き物っぽいってことですか?」

 彩葉が聞いた。

「そうですね」

 山田先生は少しほっとしたように答える。

「本物の生命そのものではありません。でも、無機物のように生命でないとも言えません。それらの中間あたりです。術者の構成精度と制御によっては、かなり生物的な反応を示します」


 そこで山田先生は、軽く姿勢を整えた。


「言葉だけだと分かりにくいので、先に一度見せますね」

「え」

 雅が目を上げる。

「先生やるのか」

「は、はい」

 山田先生は少しだけ緊張しながらも、机の上に小さな媒体片を置いた。

「模範ですので、ちゃんと見ていてください」


 教室が静まる。


 山田先生の指先が淡く光る。

 机上に描かれた簡易陣に魔力が流れ込み、空気の輪郭がゆっくり整っていく。


 最初に現れたのは、小さな白い鳥だった。


 無機召喚体。

 だがただの光の塊ではない。

 羽根の輪郭が滑らかで、嘴の動きまで繊細に作られている。

 ふわりと浮かび上がったその鳥は、山田先生の肩の高さまで飛ぶと、一度だけ静かに旋回した。


「うわ……」

 彩葉が思わず声を漏らす。

「綺麗」

「すごい」

 新も小さく言う。

「細部まで保ってる」

「安定性も高い」

 一ノ瀬がじっと見ていた。

「揺らぎが少ない」


 山田先生はそのまま指先を軽く払う。

 白い鳥は崩れない。

 今度は机の上に降り立ち、そこでもなお輪郭を失わない。


「これが、無機召喚の基礎の完成形の一つです」

 山田先生が言う。

「小さな形でも、構造と維持と解除をきちんと行えば、ここまで安定します」


 そして次の瞬間。


 鳥はふっと光へほどけ、跡形もなく消えた。


 静かな解除だった。

 暴発も、乱れも、余計な残滓もない。


 教室の空気が、明らかに少し変わった。


 さっきまでの「若くて少し頼りなさそうな先生」ではない。

 きちんと使える人だと、全員が分かった瞬間だった。


「……山田先生、普通にすごくない?」

 雅が言う。

「普通ではなく、すごいわね」

 純香が珍しく素直に言った。

「模範であそこまで安定させるの、かなり難しいはず」

 山田先生は少しだけあわてたように手を振る。

「い、いえ、でも基礎ですので。これくらいは出来ないといけませんよ」

 そう言ったあと、一度だけ目元を引き締める。

「そして皆さんも、最終的にはこれくらいの安定化を目指してくださいね」


 その言い方は静かだったが、はっきり厳しかった。


     ◇


 説明は続いた。


「召喚術の本質は“喚ぶこと”ではありません」

 山田先生が黒板に新しい線を書き加える。

「正確には、“構成し、繋ぎ、維持し、解除すること”です」

「繋ぎ、維持し、解除」

 彩葉が小さく繰り返した。

「はい」

 山田先生は頷く。

「召喚陣を描けば終わり、ではありません。媒体の選定、魔力供給、位相整合、維持手順、解除処理。どれか一つでも疎かにすると、召喚体は崩れるか、最悪の場合は制御を離れます」

「暴走、ってことですか?」

 純香がすぐに問うた。

「……はい」

 山田先生は頷く。

「初歩段階では、形が保てず消える程度で済むこともあります。でも、有機寄りの召喚や、構成に無理のある複合召喚では、意図しない挙動を取る危険があります」


 そして山田先生は、黒板の端に一つの名前を書いた。


 八乙女律


「同世代の優秀者として、この名前を知っている人もいるかもしれません」

「知ってる」

 雅がすぐに言う。

「四天の八乙女律だろ」

「魔法オリンピックの最年少日本代表」

 新も頷く。

「そうです」

 山田先生は頷いた。

「召喚術分野において、八乙女さんはかなり特別です」


 教室が静かになる。


「複数同時召喚。精密でありながら豪快なコントロール。状態の安定性維持。そして解除」

 山田先生の声が少しだけ強くなる。

「その全てにおいて、天才的といって差し支えありません」

「……そんなに?」

 彩葉が思わず言った。

 世界大会では暴れて、怒って、笑っていた律の顔が先に浮かぶ。

「はい」

 山田先生ははっきりと言う。

「召喚術だけで見れば、国内同世代では突出しています」


 そこで山田先生は、教室の横の端末を操作した。


「参考までに、魔法オリンピック選考時の映像記録があります」

「映像まであるんだ」

 新が言う。

「あります」

 山田先生は頷く。

「これは基礎の参考というより、“高い完成度とは何か”を見るためのものです」


 映像が壁面に映し出される。


 皆に紹介された魔法オリンピックの映像記録では、八乙女律は小柄な身体で召喚陣の中央に立っていた。

 その周囲を、三体の召喚体がそれぞれ別々の動きで暴れ回っている。

 一体は敵の死角を取り、一体は術者前面で防壁のように展開し、もう一体は高所から攻撃補助を行う。

 「白虎は後ろから、玄武はそのまま引きつけとき!青龍はよう狙って撃ちや!」

 「そしたら朱雀も召喚や、一気に行くで!」

 それだけでも異常だったのに、八乙女は最後、四体目の召喚体を組み入れ、臨機応変に召喚解除を繰り返して対応していた。

 そして最後にはそれらを一体も暴れさせることなく、まるで最初からそこに何もいなかったかのように静かに解除してみせた。

 派手なのに、雑ではない。

 豪快なのに、乱れていない。

 だから選考会場は、歓声より先に、しばらく静まり返っていた。


「……え」

 彩葉が小さく声を漏らす。

「律って、そんなこと出来るの?」

「正直、もっと勢いで押すタイプかと思ってた」

 新が言う。

「いや、勢いではあるんだろうけど」

 雅が腕を組む。

「その勢いの中身が想像以上すぎる」

「複数を同時にあれだけ維持して、しかも切り替えてる」

 純香が低く言った。

「普通じゃないわね」

「納得はした」

 一ノ瀬が静かに言う。

「強い理由」

「そうですね」

 山田先生が頷いた。

「八乙女さんは、感覚型に見えて、実際には制御と安定化の地力が非常に高いです。だからあの豪快さが成立します」

「……あいつそんなにすごかったのか」

 雅がぽつりと言う。

「全国大会でも強いとは思ってたけど、ここまでとはな」

「何か」

 彩葉が言う。

「ちょっと見方変わったかも」

「ええ」

 純香も珍しく素直に言った。

「うるさいだけじゃなかったわけね」

「確かに」

 新が苦笑する。

「圧倒的に、強い」


 律はただ勢いだけの子ではなかった。

 いや、勢いの奥に、きちんと積み上げられた高度な技術があったのだ。


     ◇


 二時間目はそのまま実技に移った。


 訓練室の床には、練習用の簡易召喚陣が並んでいる。

 最初の課題は、ごく小さな無機召喚体を十秒保つことだった。


「形状は自由です」

 山田先生が言う。

「ですが複雑にしすぎないでくださいね。今日は“作ること”より“保つこと”の方が大切ですよ」

「要するに、派手さより安定性ってことですね」

 新が言う。

「そ、そうです」

 山田先生は頷いた。

「さ、さすが新くん、理解が早いですね」

「ありがとうございます」

「い、いえ、こちらこそ……あ、違いますね」


 少しはわはわしながらも、授業は進んでいく。


「では、始めてください」


 最初に形になったのは一ノ瀬だった。


 淡い光が集まり、小さな球体のような無機召喚体がふわりと浮かぶ。

 輪郭が綺麗で、揺らぎも少ない。


「うわ」

 彩葉が思わず言う。

「綺麗」

「最小構成で組んだだけ」

 一ノ瀬は平然としていた。

「余計なことしてないから安定する」


 次に成功したのは純香だった。


 彼女の召喚体は、小さな鳥だった。

 以前、大会で歪ながらも有機召喚の小鳥を成功させた時と、どこか雰囲気が似ている。

 今回は無機召喚だから生命感は薄い。

 それでも、羽根の端の丸みや首の傾け方に、どこか生き物を知っている人の構成感覚があった。


「純香、やっぱり上手い」

 彩葉が言う。

「前の大会の時も、小鳥出してたもんね」

「不完全だったけどね」

 純香は冷静に返す。

「でも、あの時の感覚は残ってるのかも」

「有機寄りの構成感覚があるのかもしれませんね」

 山田先生が言う。

「それは長所になりますよ」


 新は少し違った。


 四角い箱みたいな使役体に脚をつけて、歩かせようとして、四歩目で崩れた。


「あっ」

 新が言う。

「なるほど」

「何が?」

 雅が笑う。

「脚を増やすと維持が分散するのか」

「反省点そこなんだ」

「次はいけそう」

「前向きすぎるのよ」

 純香が言った。


 雅はやっぱり少し盛った。


 小型の狼みたいな形を作って、最初の一秒はすごく格好よかった。

 だが三秒後、尻尾から崩れて前脚ごと消えた。


「うわっ」

「か、神代くん」

 山田先生が言う。

 口調は丁寧だった。

 でも目はきっぱりしていた。

「出力を盛らないでください」

「いやでも先生、ちょっとくらい格好よくしたくて」

「き、気持ちは分かりますけど、今はそこではありません」

 そこで少しだけ間を置く。

「まず、保ってください」

「はい」

 雅は素直に頭を下げた。

「でも今の、悪くなかったと思うんだけどな」

「ダメです」

 山田先生が即答した。


 彩葉は自分の召喚陣を見下ろしていた。


 作る、というより。

 繋ぐ、という感覚が気になっていた。


 ゆっくり呼吸を整える。

 魔力を流し、輪郭を探す。


 光が集まり、小さな狐のような形が生まれた。


 はっきりした輪郭ではない。

 でも、不思議と崩れる感じがしない。


「……あ」

 彩葉が小さく声を漏らす。


 できた、というより。

 向こうから繋がった、そんな感覚だった。


「橘さん」

 山田先生が言う。

「安定していますね」

「はい」

 彩葉は少し戸惑いながら答える。

「何か、作ったっていうより、つながった感じがして」

「それで大丈夫です」

 山田先生は頷いた。

「召喚術では、その感覚が大事になることがあります」


 彩葉は小さく息をついた。


 召喚術は、思っていたよりずっと不思議で。

 でも少しだけ、自分に近いもののようにも感じられた。


     ◇


 授業の終わり、山田先生は全員を見回した。


「今日の出来は悪くありません」

 そこで少し声を整える。

「ですが、忘れないでください。召喚術は成功させることより、安定化と解除の方が重要ですよ」

 教室が静かになる。

「不安定な召喚は、術者の未熟さをそのまま事故に変えます」

 最初のはわはわした雰囲気は消えていた。

「見た目が保てたから成功、ではありません。最後まで制御下に置いて、解除して、初めて成功です」

 そして、きっぱりと言った。

「召喚術を甘く見ないでくださいね」


 その言葉は、妙にはっきり胸に残った。


     ◇


 放課後、五人はいつものように一緒に帰っていた。


「召喚術、思ってたより面白かったな」

 新が言う。

「うん」

 彩葉が頷く。

「ちょっと分かる」

「神代は暴走させそう」

 純香が言う。

「なんで決めつけるんだよ」

「顔」

「ひどいな」

「でも今日は、前より抑えてた」

 一ノ瀬が言う。

「珍しくね」

「それ褒めてる?」

「半分」

「一ノ瀬、お前ちょっと最近冷たくない?」

「気のせいじゃないかな」

「いや、ちょっと御堂寄りになってる」

 彩葉が言って、少し笑った。


 夕方の空は広かった。


 世界大会は終わった。

 代表チームも解散した。

 でも、終わって止まるわけじゃない。


 学校は続いていく。

 授業があって、新しい魔法に触れて、また少しずつ先へ進んでいく。


 日常は前と同じように見えて、もう同じではなかった。


「彩葉?」

 新が呼ぶ。

「どうした?」

「ううん」

 彩葉は笑った。

「何か、楽しみだなって」

「召喚術?」

 新が聞く。

「それも」

「じゃあ、次の全部だね」

 一ノ瀬が静かに言う。


 彩葉は頷いた。


「うん」

「次の全部」


 世界を見た五人の次の一歩は、競い合う大会ではなく、いつもの教室から始まろうとしていた。

律まじですごいんですよ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ