第四十八話 その手の温もりは
目を開けた時、最初に見えたのは白い天井だった。
そして、どうして自分がそこにいるのかを思い出すまでには、少し時間がかかった。
白いカーテン。
規則的な電子音。
鼻の奥に残る、薄い消毒液の匂い。
点滴が差し込まれている自分の腕。
喉が少し乾いていた。
「……あ」
声を出した瞬間、自分の身体が思っていたよりずっと重いことに気づいた。
腕も脚も、ちゃんとあるのに、布団の下で別のものみたいに鈍い。
勝った。
ドイツに。
五人で。
そこまで思い出した瞬間、次に倒れたところまで記憶が繋がった。
「そうか……私、倒れたんだ」
そして部屋の様子を見ようとした。
「……うわ」
思わず、ひどく間の抜けた声が出た。
「起きたようだね」
ベッド脇の椅子に、御堂が座っていた。
眼鏡。
難しそうな本。
無駄のない姿勢。
いつも通り、ちょっと感じが悪そうな顔。
そしてメガネ。
「……うわ」
「二回目」
御堂は本から目を離さずに言った。
「僕の顔を見て出す第一声としては、だいぶ失礼じゃないかな」
彩葉は思わず布団を顔半分ほどまで被り直して訊ねる。
「何で御堂くんいるの」
「それがまともな第一声だよ」
ようやく本を閉じる。
「チームメイトなら普通じゃない」
「……」
「何その顔」
「いや」
彩葉は少しだけ瞬きを繰り返した。
「ほんとに、いるんだって思って」
「夢だったらって思った?」
「ちょっと」
「失礼にもほどがあるね」
その口調はやっぱりいつも通りだった。
でも、そこにいてくれること自体が少し意外で、少し安心して、彩葉は力なく笑った。
「今、何時?」
「夕方」
「えっ」
「丸一日まではいってないけど、そこそこ寝てたよ」
「そんなに?」
「そんなに」
御堂は簡潔に答えた。
「水、飲む?」
「……いる」
起き上がろうとすると、身体が思ったよりうまく動かない。
「あれ」
「無理しないことだね」
御堂が立ち上がり、枕の角度を少しだけ上げた。
その動きが妙に手慣れていて、彩葉はついじっと見てしまう。
「何」
「いや……」
「気持ち悪く見ないでくれる?」
「そうじゃなくて」
彩葉は小さく笑った。
「御堂くんって、思ってたより優しいんだね」
一瞬だけ、御堂の手が止まった。
視線を上げず、作業したまま答える。
「……君たちみたいに無駄な友情ごっこをしないだけです」
「ふふ」
「何がおかしいのです」
「ううん、全然」
コップを渡される。
受け取ろうとして少しふらつくと、御堂が手を添えて水を飲ませてくれた。
「子ども扱いしてる?」
「普通、倒れた人は全員平等に扱うものです」
「それ優しさって言うんだよ」
「そうですか」
そう言いながらも、御堂はコップを持つ手を離さなかった。
◇
しばらくして、病室の扉が軽くノックされた。
「入るよ」
天海の声だった。
その後ろから九条も入ってくる。
九条は彩葉の顔を見るなり、ほっとしたように肩の力を抜いた。
「よかった」
九条が言う。
「顔色はまだ良くありませんけれど、意識ははっきりしているようですわね」
「……ごめん」
彩葉が言う。
「私のせいで」
「それよりも」
九条がすぐに返した。
「今はまず、回復することですわ」
「はい……」
「はい、が弱いです」
「はい」
「よろしい」
天海はそのやり取りを見て、少しだけ笑った。
でも、その笑いはいつもの軽さだけではなかった。
「ごめんね」
天海が言う。
「説明が足りなかった」
「……何の?」
彩葉が聞く。
「うん。位相接続のね」
「位相接続?」
天海はベッドの近くまで来る。
「それをちゃんと話しにきた」
「今?」
「今」
「そういうとこですわよね、ほんと」
九条が小さく言う。
「でも、まあ……今の方がいいかもしれませんわね」
「でしょ?」
「調子に乗らないでください」
「はい」
天海は椅子を引いて座った。
「橘さん」
「うん」
「位相読みって聞いたことある?」
「うん」
「それってね、魔力の流れの“合う・合わない”を感覚で拾える人のことを言うんだ」
「……うん」
「人によって差はあるけど、魔力の強弱とか、相手の使い方の癖とか、そういうものをなんとなく感じ取れる」
「それは、前から少しあったかも」
「だろうね」
天海は頷く。
「でも、その中でもごく一部に、自分の魔法位相を周囲の流れに深く乗せられる人がいるんだ。魔法と繋がるという感じ」
「それが、位相接続?」
「そう」
天海は言った。
「場の流れ、相手の流れ、自分たちの流れ。それらが意識とリンクする感じ。そうなることでほんの少し先まで“視える”ようになる状態」
「……」
「普通の位相読みより、ずっと深い」
「だから、次が来るって分かったの?」
「うん。たぶんね」
天海は少しだけ目を細める。
「君、ドイツ戦の途中から完全に入ってた」
「完全に?」
「少なくとも僕にはそう見えた」
「そんなの、最初に言ってよ」
彩葉が言う。
「危ないならなおさら」
「それはそうですわ」
九条が横から言った。
「私も同意見です」
「ごめん」
天海は素直に頭を下げた。
「でも、正直に言うと、あそこまで親和性が高いとは思ってなかった」
「親和性?」
「そう。言わばつながりやすさ、かな。僕も少しは出来るから分かるんだよ、位相接続」
天海が言う。
「でも僕の場合は、君ほど深く出来ないから、少し疲れるくらいで済む」
「……」
「君はたぶん、僕よりもっとずっと深く同期できるし、実際してた」
「だから倒れた?」
「うん」
天海は答える。
「感覚が拡張されると、そのぶん脳の処理も身体の処理も跳ね上がる。同期が切れた瞬間に、反動が一気に来る」
「それなら尚更先に言ってくれれば良かったのに」
「ごめん」
天海はもう一度言った。
「本当に」
「……」
「でも、君はいずれ辿り着いてたと思う」
その言い方は静かだった。
「今回じゃなくても、いつかは」
「……」
「その時、何も分からず倒れるより、原因がすぐ分かる方がいいと思った」
「それはそうですけど」
九条が言う。
「そういう問題じゃないのですわ」
「うん」
天海は頷いた。
「だから、ちゃんと謝る」
「謝って済むかは別ですわ」
「厳しいなあ」
「当然ですわ」
彩葉はそのやり取りを聞きながら、ぼんやりと自分の手を見た。
あの時、“全部視える”と思った。
怖いくらいに自然で、でもすごく気持ちよかった。
五人がばらばらじゃなく、ほんとうに一つの流れになった感じがした。
だからこそ、その反動で倒れたことも、今は何となく分かる気がした。
◇
天海が席を外したあと、九条も少しして病室を出た。
「少しだけ、天海くんと話してきます」
そう言って。
病室に残ったのは、また彩葉と御堂だけになった。
しばらく静かな時間が流れる。
「……御堂くん」
「何」
「ずっといたの?」
「何が」
「ここ」
「なぜあなたに言う必要があるんです?」
「でも結構いたんでしょ」
「さあ」
「その“さあ”は絶対いたやつなんだよね」
「うるさいね」
御堂は本を開き直した。
「今は静かに寝ていてください」
「寝たくない」
「子どもですか」
「だって起きたばっかだし」
「意味が分からない」
「御堂くん」
「何」
「手、握ってて」
「何で」
「安心できそう」
「……お断りします。馴れ合うのは嫌いなので」
「ケチ」
「ケチで結構です」
膨れてそっぽを向く彩葉。
御堂は本を片手に持ち替え、もう片方の手を布団の上へ置いた。
「何この手」
「置いているだけです。楽なので」
「へえ」
彩葉はその手を見て、そっと自分の手を重ねた。
そのまま、握る。
御堂の指が、ほんの少しだけ強張る。
「御堂くんってさ」
「何」
「手、意外と大きいんだね」
「静かに寝られないのですか?」
「照れた?」
「違います」
「ふふ」
「何笑ってるんですか、気持ち悪い」
御堂は本を眺めたまま、それ以上は何も言わなかった。
でも、手はどけなかった。
◇
病室の外、人気の少ない廊下で、九条は天海を問い詰めていた。
「九条さん、怒ってる?」
「少し」
「少しで済むんだ」
「本当はもっとですわ」
九条は言った。
「けれど、全部をあなた一人のせいにしても意味がありませんもの」
「……」
「ただ、一つ聞きたいことがあります」
「何?」
「あなた、楽しければ何でもいいの?」
九条の問いに、天海は少しだけ黙った。
「……」
「何とか言ったらどうなのです?」
「……」
「もういいわ。話しても無駄ですわね」
天海が口を開いた。
「僕はね、楽しみたいんだ」
「勝手に楽しめばいいですわ、一人で」
「そうじゃないんだ」
天海が言った。
九条は黙ってその続きを待った。
「僕はね、これまで押し込まれてばかりだった。強すぎる、抑えなさい、みんな付いていけない、とか色々。怖がられて、友達になってくれる人もいなかった」
「……そう」
「でも白嶺は違った。全力でぶつかって、それを受け入れてくれる。それが嬉しくてね。初めて楽しいと思えたんだ」
「……」
「鳥は空を飛べて初めて鳥なんだ。カゴに押し込めてしまうと、それはもう鳥じゃない」
「……」
「九条さんの言いたいことは分かるよ。人間性、人の優しさや気遣いの大事さ、分からないわけじゃない。でも、君たちみたいに才能に溢れる人たちには、相応の場所で、輝いて、そして楽しんで欲しいんだ」
「……それなら、もっとやり方がありますわ」
九条は静かに言った。
「急がなくてもいい。人間らしいやり方が」
「そうかもしれないね」
天海は頷く。
「確かに、少し急ぎ過ぎてたかも知れないね」
「少し、で済ませるつもり?」
「大いに、かな。悪かったと今は思う」
天海は苦笑した。
「だから説明しに行った」
「その点だけは評価します」
「厳しいなあ」
「当たり前です」
九条が続けた。
「でも、それならそうと私たちをもっと頼って欲しかった。抱え込んでしまわずに。そうすれば違う未来もあったかも知れませんわ」
「……そうかもね。……確かに、そうかも知れないね」
天海は少しだけ目を伏せた。
「分かればいいですわ」
九条は短く答えた。
「あまり一人で先へ行きすぎないでください」
「……そうするよ」
◇
その夜、病室の扉がまた開いた。
倒れたと聞いた新、雅、純香がお見舞いに駆け付けた。
「彩葉ー、お見舞い来たぞー……って、げっ、御堂っ」
「えっ、待って、御堂!?」
「何君たち、ここ病室だけど。こういう場所では静かにするって分からないかな?」
「いやそれより、なんでお前がいるんだよ」
「何でって、チームメイトだからだよ。知らない?日本代表」
「知ってるよ! 彩葉が倒れたって聞いたからお見舞いに来たんだよ」
「だったら静かにしたらどうです? さっきやっと眠れたみたいなのでね」
「……って、よく見たらお前、何彩葉と手繋いでんだよ。え、そういう関係なの? 君たち」
「君、神代くんだったっけ。デリカシーないね」
「お前が言うなっ!」
彩葉の目は、とっくに覚めていた。
でも今ここで起きたら、とんでもなくめんどくさいことに巻き込まれる気がして、もう少しだけ眠ったふりをしていようと思い、半笑いのまま、たぬき寝入りを決め込んだ。
お願いだから気づかないで、と心の中で思いながら。
そして繋いだ手を布団の中へそっとしまい込んだ。
御堂の目が一瞬だけ、チラッとこちらを見た気がした。
◇
こうして私たち五人の世界大会は終わった。
曲者揃いだった日本代表。
でも、それだけじゃ終わらない何かが、ここから確かに始まっている気がした。
御堂意外といいやつでした




