第四十三話 バラバラチーム
日本代表の初合宿は、思っていた以上にあっさり始まった。
もっと厳かなものかと思っていたのだ。
代表証の授与だとか、監督の訓示だとか、世界へ向けた気合いの入った何かがあるのかと、彩葉は少しだけ身構えていた。
けれど、実際に始まったのは、広い練習棟の会議室に通されて、長机を囲むことからだった。
天井は高い。
壁は白い。
窓の外には、海沿いの灰色の空が広がっている。
東京国際展示場から少し離れた強化施設だと説明されたが、彩葉にはもうその時点で少しだけ遠い場所に来た気がしていた。
長机の片側には、すでに四人がいた。
天海晴人。
御堂光一。
八乙女律。
九条澪。
そして、その向かいの最後の一席に、橘彩葉の名札が置かれている。
「……うわ」
彩葉は思わず小さく呟いた。
「本当にいる」
「何だと思ってたの?」
天海が笑う。
「選抜発表、夢じゃなかったんだよ」
「いや、そういう意味じゃなくて」
彩葉は慌てて首を振った。
「何かこう……近くで見ると、より“代表”って感じで」
「さっきまで君もその代表の一人として呼ばれてたんだけどね」
御堂が言った。
椅子に座ったまま、資料から目も上げない。
「まだ実感がないのなら、これから嫌でも持つことになるよ」
「うわ、初手から嫌な言い方」
彩葉が思わず言うと、
「嫌なら帰る?」
御堂がさらりと返す。
「帰れるわけないでしょ!」
「なら早く座った方がいい」
「はいはい」
律が横から言った。
「クソメガネ、そういう言い方しかできへんのか」
「八乙女さんはそういう聞き方しかできないの?」
「何やて?」
「はい、そこまでです」
九条がすっと口を挟む。
「まだ何も始まっていないのに消耗しないでくださいませ」
「九条さんはええ子やなあ……」
律がしみじみと言う。
「それに比べてこいつ」
「比較対象が自分に都合よすぎるね」
「何やお前!」
彩葉は自分の席に座りながら、そっと息を吐いた。
やっぱり空気が悪い。
いや、悪いというよりも、全員がそれぞれ勝手に強い方向へ伸びていて、まだ一本の線になっていないのだ。
同じ代表選手としてここにいるのに、どこにも“同じチーム”の空気がない。
天海だけが、その様子を少し楽しそうに見ていた。
「うん、いいね」
天海が言う。
「ちゃんと全員、自分の輪郭がある」
「まとまりがないとも言うわね」
九条が冷静に言う。
「それはこれからでしょ」
天海は笑ったまま返した。
「最初から完成してたら面白くないし」
彩葉は、やっぱりこの人は少し変わっていると思った。
◇
世界大会のルール説明は、映像資料とともに行われた。
大型モニターに映し出されたのは、金属光沢を持つ人型の機体だった。
二足で立ち、腕を構え、まるで重量級の格闘家みたいにリング状のフィールド中央に立っている。
『世界新人魔法競技大会・団体戦競技概要』
『競技はマジックメタル製ゴーレムによる格闘技戦とする』
『両チームに同規格のゴーレム一体を支給』
『五名で一体を操作』
『操作方法は自由。ただし危険防止のため、フィールド内への侵入は禁止』
『自ゴーレムへの魔法干渉は自由』
『それ以外――フィールド、相手ゴーレムへの干渉は禁止』
『相手ゴーレムを戦闘不能にした時点で勝利』
映像の中では、二体のゴーレムが激しく打ち合い、片方の膝が砕け、体勢を崩したところで試合終了のランプが灯った。
「……格闘技戦」
彩葉が呟く。
「思ったより、分かりやすいね」
「いいことだよ」
天海が言う。
「ルールが分かりやすい方が、解法の差がよく出る」
「解法って……」
律が身を乗り出す。
「要するに、ぶっ壊した方が勝ちやろ?」
「ずいぶん乱暴に要約するね」
御堂が言った。
「まあ間違ってはいないけど」
「ほら見ぃ」
「だからこそ」
九条が画面を見たまま言う。
「個々の役割分担が重要になりますわね」
「そうだね」
天海が頷く。
「誰が何を持つかで、ゴーレムの性格そのものが変わる」
資料が切り替わる。
駆動補助。
関節安定。
同期補正。
攻撃出力。
総合指揮。
代表選手それぞれの適性を想定した仮運用例がいくつか並んでいた。
「じゃあ」
天海が机に肘をつき、五人を見回した。
「まずは、今の段階での持ち場を雑に決めよっか」
御堂がすぐに口を開く。
「僕が駆動結界は担当するよ」
当然みたいな口調だった。
「他に任せると不安しかないからね」
「うわ出た」
律が露骨に顔をしかめる。
「クソメガネが駆動やったらウチが駒になったるわ。感謝せえよ、クソメガネ」
「八乙女さんが駒なら、暴走防止装置も必要だね」
「何やて」
「まあまあ」
天海が笑う。
「律さんは前に出るのが似合ってるし、それでいいんじゃない?」
「せやろ!」
「単純で助かるね」
御堂がぼそりと言う。
「聞こえとるぞ!」
「私は?」
天海が視線を向ける。
「魔法同期、いけそう?」
「難しいけど……」
彩葉は少し迷ってから答えた。
「やってみる。全力で」
「うん」
天海はにこっと笑った。
「それで十分」
「私は各関節の円滑性と補助を担当しますわ」
九条が言う。
「負荷分散も兼ねます」
「ありがとう。じゃあ僕は全体を見る」
天海が指を鳴らす。
「総指揮担当ね」
「ずいぶん気楽そうに言うのね」
九条が言う。
「気楽じゃないよ」
天海は笑ったままだ。
「でも面白そうではある」
彩葉はその笑顔を見て、ほんの少しだけ不安になった。
この人、本当に楽しんでいる。
まだ何も動いていないのに、もう先にあるものが見えているみたいな顔をしている。
◇
初めてゴーレムの起動棟へ入った時、彩葉は圧倒されてしばらく言葉を失った。
巨大だった。
マジックメタルの鈍い光沢を持つ人型の巨体が、固定架台の上に立っている。
肩は広く、腕は太く、脚部は人間の何倍もの重量を支えるためか異様にがっしりしていた。
ただそこに立っているだけで、圧力がある。
「うわ……」
律が素直に目を輝かせた。
「かっこええやん!」
「そこは同意する」
珍しく御堂も否定しなかった。
「同規格ってことは、相手もこれを操るのね」
彩葉が言う。
「うん」
天海が答える。
「だからこそ、どう動かすかが全部になる」
五人はそれぞれの制御席に着いた。
フィールド内へ入ることはできない。
支給された操作卓と魔法導線を介して、自分の魔力をゴーレムへ接続する。
彩葉の手のひらは、少し汗ばんでいた。
「いくよ」
天海の声が響く。
「起動、第一段階」
「駆動結界、展開」
御堂が淡々と言う。
「関節補助、接続」
九条。
「出力、待機」
律。
「位相同期、えっと……」
彩葉は息を吸う。
「開始」
「よし」
天海が言った。
「じゃあ、立たせようか」
次の瞬間、ゴーレムの右脚がぎくりと動いた。
続いて左腕が変な角度に持ち上がる。
「え?」
「ちょ、待って」
彩葉が声を上げる。
「今どこ見れば」
「駆動が遅れてる」
御堂が言う。
「橘さん、同期もっと前」
「前って何!?」
「感覚で分かるでしょ」
「分からないから聞いてるんだけど!?」
「御堂くん」
九条がぴしゃりと言う。
「説明」
「……全体駆動の波に、自分の魔力を半拍先で合わせて」
「半拍がどこから来るのよ!」
「そこも分からないの?」
「分かるわけないでしょ!」
「はいはい」
天海が笑いを噛み殺しながら言う。
「一回止めよう。まだ立ってもいないし」
ゴーレムはその場で妙な前傾姿勢になったまま、ぎしぎしと音を立てていた。
「何この代表」
彩葉が思わず言う。
「まとまるのこれ?」
「気持ちは分かるわ」
九条が答える。
「私も今、かなりそう思っているもの」
◇
二回目は、律が我慢できなかった。
「もうええわ! とりあえず動かしてみたら分かるやろ!」
「八乙女さん、待って」
「待たん!」
律が攻撃出力を流し込む。
ゴーレムの右腕が大きく振り上がる。
「うわ!」
彩葉が悲鳴を上げる。
「同期してない!」
「関節がずれる!」
九条の声。
「駆動が追いついてない」
御堂が低く言う。
「だから言ったのに」
「うるさい! 行ける行ける!」
そのまま前へ一歩。
ドゴンッ!
ゴーレムの拳は、練習用の打撃柱を大きく外し、隣の防護壁へ斜めにめり込んだ。
全員が止まる。
静寂。
「……」
「……」
「……」
「何しとんねん!!」
最初に叫んだのは律自身だった。
「何で外れるんや!!」
「それを今から言おうとしてたんだけど」
御堂が冷たい声で返す。
「力任せに動かしたところで、躯体の慣性に振り回されるだけだよ」
「だったら最初から言えや!」
「ずっと言ってたよ」
「もっと分かるように言え!」
「君に合わせて説明を簡略化すると、余計に時間がかかりそうだから遠慮してる」
「ほんっま腹立つなこいつ!!」
彩葉は思わず額を押さえた。
律は強い。
それは間違いない。
でも、強いからこそ、まず自分の感覚で押し切ろうとする。
対して御堂は、合理的で、正しい順番で最適化しないと気が済まない。
相性が悪い。
いや、悪すぎる。
◇
午前の練習は、結局まともな形にならなかった。
律が前へ出れば、御堂が止める。
御堂が細かく詰めれば、律が噛みつく。
九条はずっと間に挟まって負荷配分を支え続け、途中から露骨に疲れた顔になっていた。
彩葉は同期の入り口にすら立てず、言われた通りにやろうとするたび、全体から半拍遅れる。
天海だけが時々「うん、今のは面白かった」などと言っていて、余計に周囲を脱力させた。
休憩時間、彩葉は自販機の前で紙コップを両手に持ったまま、ぼんやりしていた。
「落ち込んでる?」
横から声がした。
九条だった。
こちらも紙コップを持っている。
「……少し」
彩葉は正直に答えた。
「私、思ってた以上に何もできてなくて」
「そうね」
九条は否定しなかった。
「今のところは、かなり危ういわ」
「うわ、そこは濁してほしかった」
「でも」
九条は少しだけ表情を和らげた。
「あなたが入らないと、あのゴーレムは五人の機体にならないとも思うの」
「え?」
「御堂さんの制御は鋭い。律さんの攻撃は強い。天海さんは全体が見えている。私も補助はできる」
九条は淡々と言う。
「でも、それらを一つの流れとして繋げる人がいない」
「……」
「だから、あなたが必要なのよ」
「……そんな大層な」
「大層よ」
九条はさらりと言った。
「でないと私がこんなに苦労しないもの」
思わず、彩葉は吹き出した。
「九条さん、ちょっと言い方おかしい」
「本音ですもの」
「そういうとこ好き」
「ありがとうございます」
九条は少しだけ笑った。
その時、遠くでまた律の声が響いた。
「クソメガネ! 今の絶対お前のせいやろ!」
「君が話を聞かずに動かしただけだよ」
「何やて!」
彩葉は紙コップを持ったまま、ため息をついた。
「ほんと、まとまらないね」
「ええ」
九条も認めた。
「驚くほどに」
◇
午後は、少しだけ形が見えた。
少しだけ、だった。
天海が練習内容を変えたのだ。
いきなり攻撃動作を合わせるのをやめて、まずは歩く、止まる、向きを変える、その三つだけをひたすら繰り返す。
「基礎?」
律が不満そうに言う。
「世界大会前に?」
「うん」
天海は頷く。
「今のままだと、殴る前に転ぶから」
「う」
「それは困るでしょ」
「それはそうやけど」
「なら、まずは一緒に歩こうよ」
その言い方が不思議だった。
命令というより、誘うみたいな言い方だった。
それで律も、ぶつぶつ言いながら席に戻る。
「右脚、前」
天海が言う。
「御堂くん、駆動」
「分かってる」
「九条さん、膝」
「ええ」
「橘さん、今は全部取ろうとしなくていい。右脚だけ見て」
「右脚だけ……」
「律さんは力を入れすぎない」
「それが一番難しいわ」
「でもできる」
「何で断言すんねん」
「できそうな顔してるから」
「何やそれ!」
次の瞬間。
ゴーレムの右脚が、今度はまっすぐ前に出た。
ぎし、と床を踏む。
続いて左脚。
重い。
遅い。
でも、午前のような崩れ方ではない。
「……あ」
彩葉が小さく声を漏らす。
右脚だけを見る。
そこへ自分の感覚を合わせる。
遅れないように。
焦らないように。
「そう」
天海の声。
「今の」
「次、左」
御堂が言う。
「半拍だけ前」
「半拍……」
「そう、それ」
九条が言う。
「そのくらいですわ」
「……いける、かも」
ゴーレムが、二歩、三歩と進む。
律がその動きに合わせて腕を少し引く。
御堂が駆動を支え、九条が関節のぶれを消す。
彩葉はその流れに食らいつく。
天海は全体を見て、必要な声だけを飛ばす。
ほんの数秒だけだった。
ほんの数秒だけ、五人の線が一本になった。
だが、その次の瞬間にはまた律が「今いけるやろ!」と前に出て、御堂が「だからまだだと言ってるのに」と噛みつき、全部が崩れた。
それでも彩葉は思った。
今の、ちょっとだけ。
ほんのちょっとだけ、チームだった。
◇
夜。
初合宿の終わりに、世界大会の対戦表が発表された。
日本の初戦は、開幕戦ではない。
だが日程は早い。
調整の時間は、思ったより少なかった。
大型モニターに映る国名と校章を見ながら、彩葉は喉の奥が少し乾くのを感じる。
「もうすぐだね」
天海が言った。
相変わらず、少し楽しそうだった。
「楽しそうやな、お前」
律がじとっとした目で見る。
「楽しくない?」
「楽しいとか楽しくないとか、その前に腹立つやつが近くにおる」
「僕のこと?」
御堂が淡々と言う。
「自覚あったんか」
「客観的事実としてね」
「余計腹立つわ!」
「はあ……」
九条が額に手を当てた。
「本当に、先が思いやられますわ」
「でも」
彩葉が小さく言うと、四人の視線が集まる。
「たぶん、全然だめってわけじゃない」
「え?」
律が首を傾げる。
「さっき、ちょっとだけ合ったから」
彩葉は言葉を探しながら続けた。
「まだ全然ぐちゃぐちゃだけど、でも一瞬だけ、同じ動きになった」
「……」
「だから、まだ何とかなるかもしれない」
「前向きだね」
天海が笑った。
「いいじゃない」
「前向きじゃないとやってられないよ」
彩葉が言う。
「このメンバー」
「何か言った?」
御堂が目を細める。
「言ってないです」
「メガネ、いらんこと言うな」
律が即座に混ぜ返す。
「ほらやっぱり喧嘩になる」
九条が言った。
「だからまとまらないんですのよ」
「うーん」
天海が腕を組む。
「でも、こういうの嫌いじゃないな」
「私は好きじゃないわ」
九条が即答する。
「僕も好きじゃない」
御堂が言う。
「ウチもや!」
律。
「私は……」
彩葉は少しだけ考えた。
「まだ、よく分かんない」
「それで十分だよ」
天海が言った。
その声だけが、不思議と少し先を見ていた。
日本代表。
選りすぐりの曲者たち。
強い。けれど、まだ一つじゃない。
そして、そのまま。
まだチームになりきれていないまま、世界大会の一回戦が、すぐそこまで来ていた。
先ずは歩くことだけ集中して。




