第三十八話 積み上げてきたもの
全国大会の開催地は、東京だった。
その事実だけなら、地区予選を抜けた日のうちにもう分かっていた。パンフレットにも書いてあったし、浅見先生からも「次は東京よ」と簡潔に告げられている。けれど、それが本当に現実として胸に落ちてきたのは、出発当日の朝、駅の新幹線ホームに立ったときだった。
白い車体が朝の光を受けて、長くまっすぐに停まっている。
県立夢見が丘高校の五人と、引率の浅見先生。
それだけの顔ぶれなのに、なぜか妙に大ごとみたいに見えた。
「……ほんとに行くんだな」
新がぽつりと言うと、
「今さら何言ってるの」
純香が即座に返した。
「全国大会の切符も持っていて、新幹線の前に立っていて、それでまだ実感がないっていうの?」
「いや、あるんだけど」
「ないのよ」
「でもちょっと分かる」
彩葉が隣で笑った。
「うちもまだ半分くらい、遠足の朝みたいな気分」
「それはそれでどうなんだ」
雅が肩にかけたボストンバッグを持ち直す。
「全国大会だぞ」
「神代は緊張してないの?」
彩葉が聞くと、
「してないとは言わない」
雅は少しだけ口元を上げた。
「でも、びびってはない」
「同じようなものよ」
純香が冷たく言う。
「言い方が違うだけ」
「篠宮、今日も朝から厳しいな」
「神代は朝でも昼でも厳しくされなさい」
「理不尽」
一ノ瀬は少し離れた位置で、ホームの発車案内を見ていた。
その横顔は相変わらず静かで、周りが少し浮ついていても、あの人の周囲だけ空気が落ち着いて見える。
「一ノ瀬くんは?」
彩葉が声をかける。
「緊張してる?」
一ノ瀬は視線を案内板から戻して、少し考えるようにしてから答えた。
「してるよ」
「え、してるんだ」
雅が言う。
「意外」
「意外かな」
「顔に出ないし」
「それはよく言われる」
一ノ瀬はそう言って、少しだけ目元をゆるめた。
「でも、全国でどういう解き方が出てくるかは、普通に楽しみ」
その言葉に、新は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
そうだ。
勝ちたいのはもちろんだ。
でもそれだけじゃない。
地区予選で清南の竜巻タービンを見たときみたいに、自分たちの知らない解法や、知らない発想を見たい気持ちもある。五人とも、たぶんそこは同じなのだと思う。
そのタイミングで、浅見先生がホームの端からこちらを見た。
「浮かれないこと」
開口一番、それだった。
「旅行ではないのだから、気を抜かないこと。ホームで広がらないこと。乗ったら荷物はきちんとまとめること。勝手に席を移動しないこと。神代」
「はい」
「余計なことをしないこと」
「俺だけ名指しですか」
「実績があるからよ」
「何の」
「全部」
「ひど」
「事実でしょう」
浅見先生は一切ぶれない。
「それから、競技前に変なものを食べないこと。集合時間を守ること。東京だからといって、無駄にはしゃがないこと。分かったなら返事をしなさい」
「はい」
五人そろって返した。
新幹線が滑り込んでくる。
ドアが開く。
それだけのことなのに、幕が上がる音みたいに聞こえた。
◇
車内は思っていたより広くて、静かだった。
指定された席に荷物を置いて、五人は二列と三列に分かれて座る。新は窓側ではなく通路側だったが、それでも時々外へ目が行った。見慣れた街並みが少しずつ離れていき、田んぼや住宅地や高速道路が混ざりながら、景色の輪郭がゆっくり変わっていく。
最初の十五分くらいは、全員少し落ち着かなかった。
彩葉は何度も窓の外を見て、「速い」とか「トンネル」とか、小さい声で実況している。
雅は売店で買った飲み物と菓子を机に並べて、早くも試合前とは思えないくつろぎ方をしていた。
純香は最初からパンフレットと時刻表を交互に見ていて、宿泊先までの導線や会場入りの時間を頭の中で確認しているらしい。
一ノ瀬は座席のポケットに入っていた車内誌を一度出して、ほとんど見ずにまた戻した。あの人はたぶん、こういう移動時間そのものを静かに受け取っている。
そして新は、膝の上に大会パンフレットを開いていた。
「また見てる」
彩葉がのぞき込む。
「何回目?」
「分かんない」
新は答えた。
「見ても増える情報ないのに」
「でも見ちゃうんだよ」
「気持ちは分かる」
彩葉は笑う。
「うちも朝から競技表二回見た」
「二回で済んでるなら正常だな」
雅が言う。
「鳴海はもう完全にやつれてる勉強法」
「全国なんだから仕方ないだろ」
「いや、分かるけど」
パンフレットには、出場校一覧と簡単な紹介が載っていた。
清南高校。
四天高校。
聖桜女学院。
北陵工科大学附属高校。
白嶺学園。
聞いたことのある学校もあれば、初めて目にする名前もある。
「四天高校」
雅が指で一つの名前を叩く。
「この名前は強そう」
「語感で言わないで」
純香が言う。
「でも、強いのは本当」
一ノ瀬が静かに補足した。
「西の強豪。豪快な出力で押すタイプが多い」
「へえ」
雅が少しだけ面白そうな顔をする。
「会ってみたいな」
「会えばいいじゃない」
純香が言った。
「全国なんだから」
「言い方が軽い」
新はページをめくった。
聖桜女学院。
歴史のある強豪校。淑女たる振る舞いに定評がある。
けれど紹介文の端々から、構造系と機構系の強さが見える。精度、結界、召喚術。派手な言葉は少ないのに、逆にそれが怖い。
「聖桜女学院」
新が言う。
「たぶん、かなり理詰め」
「そう思う?」
一ノ瀬が聞く。
「うん。紹介文の感じが」
「たぶん合ってる」
一ノ瀬は頷いた。
「構造で勝つ学校だと思う」
「構造で勝つ、っていいね」
彩葉が言う。
「何かちょっとかっこいい」
「相手にすると厄介だけどな」
新が答える。
新幹線の車窓は、県境を越えるたびに少しずつ色を変えていく。
街が密になり、建物が高くなり、道路の流れもどこか急いて見える。
途中、車内販売が通ったとき、彩葉が駅弁に目を輝かせ、雅が当然みたいに追加の飲み物を買い、純香が「食べすぎないこと」と二度目の釘を刺した。
「浅見先生と同じこと言ってる」
雅が言う。
「必要だから言ってるの」
「篠宮って将来先生向いてるかもな」
「絶対いや」
純香は即答した。
「神代みたいな生徒がいる時点で無理」
「ひどくない?」
「事実よ」
窓の外に大きな河川と、何本もの線路が見え始めたころ、新はようやく「東京に近づいている」という実感を持った。
そのとき、向かいの席で一ノ瀬がふと口を開く。
「緊張するくらいがちょうどいいのかもね」
「どうして?」
新が聞く。
「慣れた気になると、見落とすから」
一ノ瀬は外を見ながら言った。
「全国の連中が、どういう発想を持ってくるか」
「……なるほど」
新はパンフレットを閉じた。
勝ちたい。
でも、ちゃんと見たい。
その二つを持ったまま東京へ向かうのが、たぶん今の自分たちなんだろうと思った。
◇
東京駅は、人の流れそのものが別の生き物みたいだった。
改札を抜けるだけで一苦労だし、見上げる案内板の数も桁違いだ。行き交う人の歩く速度が全体的に少し速くて、立ち止まること自体が周囲の流れに逆らう行為みたいに感じる。
「人、多……」
彩葉が最初に言った。
「これ毎日なの?」
「東京だから」
雅が答える。
「雑」
純香が返す。
「でも合ってる」
一ノ瀬も小さく笑った。
駅から移動し、荷物を宿泊先に置き、その足で会場の下見へ向かう。
東京国際展示場。全国大会の会場だ。
その名前を最初に聞いたときから大きいんだろうとは思っていたが、実際に目の前にすると、想像の方が負けた。巨大なガラスの外観、広いエントランス、出入りするスタッフや機材搬入の台車、そしてあちこちに貼られた大会の掲示。
「……でかい」
新が言う。
「でかいね」
彩葉も同じ言葉を重ねる。
「地区予選の会場って、今思うとまだ学校の延長だったんだな」
「ええ」
純香が頷く。
「ここはもう“イベント”ね」
「イベントっていうか、祭りじゃん」
雅が言った。
「祭りでもあるでしょうね」
一ノ瀬が静かに周囲を見回す。
「全国から集まってるんだから」
会場前の広場には、すでに複数の学校が来ていた。
制服も、競技服も、色が違う。
立ち方、話し方、荷物のまとめ方、そのどれもが学校ごとに空気を持っている。
まず目についたのは、やはり清南だった。
「清南」
一ノ瀬が小さく言う。
「やっぱりいると空気違うね」
「そりゃ全国だし」
彩葉が言いかけて、そこで少し声を落とす。
「……でも、やっぱり強そう」
紺の競技服。
無駄のない動き。
立っているだけなのに、どこか完成されて見える。
向こうから声を掛けてくる。
「やあ、先日はしてやられたよ。けれど全国大会ではそうはいかない。正々堂々勝負しようじゃないか」
「こちらこそよろ…」
新が答えようとして雅が遮る。
「また返り討ちにしてやるよ」
「神代くん…だったね。さすがだね」
「いつでもかかってこい」
「ちょ…お前言い過ぎ」
新が止めに入る
「…バカ、お前何言ってんだよ」
と新が雅を嗜める。
「ああいうのは舐められたらダメなんだよ」
「だからって言い方があるでしょ」
純香が頭を抱える。
少し離れた場所では、よく通る笑い声が響いていた。
「せやから言うたやろ! 東京まで来たんや、負けて帰る気はあらへん!」
「うるさいねんお前! まだ始まってもないやろが!」
「四天かな」
一ノ瀬が言う。
「たぶん」
「分かるの?」
新が聞く。
「雰囲気が」
一ノ瀬は平然としている。
「豪快そう」
雅が少し口元を上げた。
「いいな」
「何が」
「楽しそう」
さらに別方向には、同じ白いコート、白いワンピースの制服を着た女子だけの集団がいた。
派手な声はない。
でも整列や荷物の置き方が、妙にきっちりしている。
「聖桜女学院」
純香が言う。
「たぶんあれ」
「うわ」
彩葉が小さく言った。
「静かだけど強そう」
「静かな学校ほど怖いのよ」
純香が答える。
入口付近で、大会スタッフが最終確認をしている。
遠くでは中継機材のチェックも見えた。
地区予選でもカメラはあったが、今回は台数も規模も違う。
浅見先生はその様子を一通り見てから、五人を振り向いた。
「明日は朝から本戦よ」
声は硬いが、語尾はきちんと整っている。
「今日は下見だけにして、無駄に歩き回らないこと。会場の動線を確認したら宿へ戻ること。東京見物は大会が終わってからにしなさい」
「はい」
五人が返す。
「それから」
浅見先生は少しだけ目を細めた。
「全国だからといって、臆する必要はないわ。相手は強い。でもあなたたちも、ここへ来るだけのことはしてきたはずよ」
「……はい」
新が少し遅れて答えた。
その言葉は、思っていたより深く胸に残った。
◇
翌朝の開会式は、厳粛で、そしてどこか祭の始まりにも似ていた。
東京国際展示場の大ホール中央に設けられた競技区画の周囲へ、全国の出場校が整列する。上のスクリーンには大会ロゴ。照明が落ち、司会が理念を読み上げる。
創造性。
安全性。
目的達成。
発想、構造、実装、連携。
その言葉の一つひとつが、今まで自分たちが授業や競技で触れてきたものとつながっている。
開会式が終わり、間をおかずにトーナメント表が大型表示盤に映し出された。
全国大会一回戦。
県立夢見が丘高校の対戦相手は――
「聖桜女学院」
新が読み上げる。
純香が短く息を吐く。
「いきなり、か」
「構造派」
一ノ瀬が小さく言う。
「やっぱり」
「まあ、来るものは来るだろ」
雅が肩を鳴らす。
「面白いじゃん」
「神代はそう言うと思った」
彩葉が笑った。
聖桜女学院の五人も、こちらを見ていた。
露骨に敵意があるわけではない。
でも、一回戦の相手として、ちゃんと値踏みしている目だ。
その視線を受けながら、新は小さく息を整えた。
ここからだ。
◇
『全国大会一回戦、競技内容を発表します!』
実況の声とともに、ホールの空気が切り替わる。
大型表示盤に映し出された課題は、一見すると拍子抜けするほど単純だった。
『対象物を規定点より先へ、可能な限り遠くまで搬送せよ』
だが、その下のルールを追ううちに、新はすぐに顔を上げた。
『対象物はアンチマジックボックス。
箱本体への魔法干渉は可能だが応答はしない。つまり浮遊・凍結・直接転送を含む状態変化は発生しない。
規定点までは人力接触可。
箱が動き出し、規定ラインを越えた後は記録とみなし、選手は箱が停止するまでラインを越えてはならない。
三箱の重心位置の合計距離で競う』
「……なるほど」
新が言う。
「箱そのものには効かない。でも、周りには効かせられる」
「ええ」
純香が頷く。
「規定ラインまでは押せる。だけど、ラインを越えたあとに手を出したら終わり」
「しかも、その時点で選手もライン越え禁止か」
雅が言う。
「いやらしいな」
「つまり、ラインの内側から全部決める必要がある」
一ノ瀬が言った。
「送り出す前に」
「三箱ってのもいやだよね」
彩葉が表示盤を見ながら言う。
「一個だけ奇跡でも勝てない」
「そういうこと」
新も頷いた。
競技区画には、太い規定ラインと、その手前に三つの箱が置かれていた。
ラインの先にはまっすぐ伸びた広いフロア。
その先は、体育館ならぬホールの壁際だ。
『さあ、全国一回戦! 県立夢見が丘高校対、聖桜女学院! 両校、どう出るか!』
先に動いたのは、聖桜女学院だった。
◇
新がまず感じたのは、速い、ではなく、綺麗だ、だった。
聖桜女学院は、競技開始と同時に薄い矩形の魔法陣面を箱の下へ差し込んだ。
床すれすれに浮く、平たい板のような術式。
そして箱をその上へ乗せる。
『聖桜女学院、魔法陣キャリア! 対象物そのものではなく、“乗る床”を作る方式!』
「いきましょう」
その言葉を合図に箱が滑りだす。
押し出しは最低限なのに、速度が落ちない。
摩擦が消えているみたいに、滑らかに、ほとんど乱れずに進んでいく。
「……うわ」
彩葉が小さく声を漏らす。
「きれい」
「摩擦ゼロに近い」
一ノ瀬が言う。
「等速直線運動」
「理想化に近いわね」
純香が低く言った。
「しかもその理想を競技中に出してくるのが厄介」
一つ目の箱が、壁際ぎりぎりまで到達する。
『聖桜、一つ目、長い長ーいッ! これは最大値だァ!』
実況が叫ぶ。
二つ目も同じ。
一つ目の箱に連なるように、一つ目の少し手前に二つ目が運ばれた。
三つ目はさらにその後ろ。
結果として三箱は綺麗な縦並びになる。
「……理論上最大」
新が言った。
「ええ」
一ノ瀬が頷く。
「この方式で取れる、縦並びとしての最大値」
「完璧じゃない」
彩葉が言う。
「かなり完璧に近い」
純香が答える。
「少なくとも、正攻法で上回れる余地はほとんどないわ」
表示盤に出た暫定記録を見て、新の背中に冷たいものが走る。
聖桜は強い。
ただの強さじゃない。
この競技で何が最善かを、もう答えとして持ち込んでいる。
『聖桜女学院、これは完成度が高い! 全国大会常連の実力を見せつける!!』
「…完璧ね。いかがかしら、私たちの魔法は、ふふ」
「どうする?」
彩葉が聞いた。
「このままだと、普通に負けるよ」
「普通にやったら、な」
雅が言う。
「普通にやる意味あるか?」
「ない」
新は即答した。
焦りはある。
でも、一回戦から正攻法の理論最大値を叩きつけられた以上、こちらがやるべきことは一つしかない。
別の解き方を考える。
新は箱を見た。
規定ラインを見た。
壁際を見た。
そして、箱そのものではなく、箱の周囲に視線を置く。
「……箱じゃなくて」
新が言う。
「箱を入れる方を動かす」
「何?」
雅が聞く。
「結界殻」
新は言葉をつないだ。
「箱の外に薄い結界を作って、その結界ごと送る」
純香が目を細めた。
「箱そのものはアンチマジックでも、外側の殻は別扱い、ってこと?」
「うん。現に聖桜は魔法陣に載せていた」
「危ない賭けね」
「危ない」
新は認める。
「でも、あれを越えるなら、普通じゃだめだ」
「受け側が要る」
一ノ瀬がすぐに言った。
「壁際ぎりぎりに」
「私が描く」
純香が言う。
「壁際に受け陣を置いてくる」
「出力は俺」
雅がにやりとした。
「要するに、殻ごと押し込めばいいんだろ」
「そう」
新が頷く。
「やる」
◇
準備は、一気に始まった。
純香が先に走る。
箱は規定ラインを越えていない。
だから今なら、ラインの先へ出られる。
白い競技フロアを一直線に駆け、壁際ぎりぎりへ着くと、純香はその場に膝をついて魔法陣を描き始めた。
速い。
でも、雑ではない。
必要な線だけが最短で置かれていく。
『夢見が丘高校、ここで前方へ選手を送り込む! 受け側を作るつもりか!?』
一ノ瀬が座標を見ている。
視線は箱と壁際を行き来し、時々空間そのものの距離を測るみたいに細くなる。
「座標測る」
一ノ瀬が言う。
「壁際の受け、ギリギリに取る」
「了解」
新が答える。
雅が魔力を溜める。
新は箱の外側へ薄い結界殻を展開した。
ごく薄い。
箱本体に触れすぎれば、アンチマジックの反発で崩れるかもしれない。
だから、ぎりぎりの隙間を保つ。
「行くぞ」
雅が出力を叩き込む。
一ノ瀬が座標を固定し、新が殻を保つ。
――失敗した。
結界殻が一瞬だけ歪み、弾かれるようにほどける。
「……っ」
新が息を呑む。
会場の空気が変わる。
小さな笑い。
予想通り、というため息。
「箱に魔法効かないって書いてあっただろ」
「やっぱり直接転送は無理か」
「そりゃそうだ」
実況も少し迷った声になる。
『夢見が丘、挑戦しましたが失敗! アンチマジックボックスに対して、やはり単純な転送干渉は通らないのか!?』
けれど、新には違和感があった。
効かなかった、とは少し違う。
今のは…
「違う」
彩葉が言った。
「効いてないんじゃない」
「何?」
一ノ瀬が聞く。
「噛み合ってない」
彩葉は箱を見る。
「結界は反応した。受け側が弾いたのよ」
一ノ瀬の目がわずかに細くなる。
「位相」
「うん」
新はそこで、夏の自由課題と積層結界の感触を思い出していた。
「結界の重ね合わせには、位相の合致が要る」
彩葉が静かに言う。
「向きが違う」
三人が一斉に彩葉を見る。
「何が?」
新が聞く。
「箱」
彩葉は角を指さした。
「今の向きだと、ぴたって来ない。ちょっと回して」
「回す?」
雅が言う。
「うん。少しだけ」
「それで変わるの?」
新は思わず聞いた。
彩葉は少しだけ困ったように笑った。
「分かんない。でも、今のは違う気がしたの」
新は一瞬だけ迷い、それから頷いた。
「回してみて」
箱をその場でほんの少しだけ回転させる。
見た目にはほとんど変わらない。
だからこそ、周囲は余計に意味が分からない顔をした。
「箱回して何が変わるんだ?」
「苦し紛れじゃないのか」
けれど彩葉は、箱を見たまま言う。
「そこ、そのまま……今度はいける」
◇
二度目。
純香は壁際で受け陣を微調整している。
一ノ瀬が座標を詰める。
新が殻を作る。
雅が押し込む準備をする。
彩葉が箱だけを見ている。
「……今」
転送。
弾かれなかった。
薄い結界殻ごと、箱が一瞬で消える。
次の瞬間、壁際の受け陣へ現れた。
成功。
『え――!?』
実況が一瞬止まる。
会場がざわめく。
「通った?」
「今、通した?」
「え?なんで、なんで?」
聖桜女学院側から、初めて明確な動揺が出る。
「え?」
真っ白な制服の一人が呟く。
「位相読み?……まさか、ね」
新はその声を聞いた。
でも、反応する暇はない。
「次」
新が言う。
「まだ行ける」
「受けはそのまま使える」
純香が壁際から答える。
「少しだけ補正する」
二つ目。
今度は迷いがない。
箱の向きを合わせる。
一ノ瀬が座標を測る。
彩葉が通す瞬間を言う。
雅が押し込み、新が殻を保つ。
「今」
トンッ…
二つ目は、一つ目のほぼ真上へ積み上がった。
『夢見が丘高校、同一点に二つ目!! 積んだ!!』
会場のどよめきが、さっきより一段大きくなる。
聖桜女学院の主将らしい女子が、そこでようやくはっきり声を上げた。
「間違いない!」
振り向く。
「位相読みです! 上川さん、位相ジャミングを――!」
「遅いわよ」
壁際から、純香の声が飛んだ。
冷たく、真っ直ぐな声だった。
「もう…来たわ」
三つ目は、すでに転送の途中だった。
彩葉の「今」に、一ノ瀬の座標が合い、雅の出力が重なり、新の結界殻が保たれる。
その全部が噛み合った三つ目が、二つ目の上へ積み上がる。
三段。
試合会場の端。
ほとんど同一点。
三つの箱が縦に重なった。
対する聖桜女学院の箱は、理論上最大値の横並び。
完璧な搬送。
だが、最前列の箱が壁際を埋めている以上、どうしても二箱目、三箱目はその後ろに並ぶしかない。
差は、箱一個ぶんにも満たない。
でも、それが三つ積み重なる。
表示盤が更新される。
県立夢見が丘高校 勝利。
『出たァァァ!! 夢見が丘高校、逆転!! 聖桜女学院の理論最大値を、積層転送で上回ったァ!!』
ホール全体がどよめいた。
新はそこでようやく、深く息を吐いた。
膝の奥が少しだけ笑う。
「勝った……」
彩葉が言う。
「勝った」
新も答える。
「ぎりぎりだけど」
「ぎりぎりで十分よ」
純香が壁際から戻りながら言う。
「勝ちは勝ち」
「面白えな」
雅が笑う。
「全国」
「神代はほんとそういうとこ」
彩葉が半分笑って、半分呆れている。
一ノ瀬は表示盤を見上げたまま、小さく言った。
「イメージって、やっぱり大事だね」
「え?」
新が聞く。
「最初に新くんが“箱を包む器を作る”って言ったでしょ」
一ノ瀬が静かに続ける。
「その形が見えてたから、結界に落とせた。魔法って、理屈だけでも動かないけど、イメージだけでも術式にならない。間をつながないと」
純香がそこで小さく頷いた。
「つまり、最初に形が見えてることが大事ってことよ」
「……なるほど」
新は半分だけ分かった顔で言った。
「絶対半分しか分かってない」
彩葉が笑う。
「まあ、でも今回は勝ったからよし」
「雑だな」
雅が言う。
「でも合ってる」
聖桜女学院の選手たちは、悔しさを見せつつも、崩れてはいなかった。
主将らしい女子が声を掛けてきた
「聖桜女学院魔法部主将、九条澪と申します」
優雅に一礼する。
「お見事でしたわ。結界自体を召喚するなんて。しかもあんな場と条件で。それと」
彩葉の方を見やる
「貴女の位相読み、相当なものね。あの速度で合わせてくるなんて」
「今回は私たちの完敗よ。でも次はそうはいかない。皆さま、またお会いしましょう」
それだけ言うと、さっと振り返り去っていった。
優雅だが芯の強い女性だ。
その強さが、逆に新の胸に残る。
全国はまだ始まったばかりだ。
それでも一つだけ、今はっきり分かったことがある。
自分たちは、ただ積み上げてきただけじゃない。
積み上げてきたものを、ちゃんと使えるところまで来ている。
表示盤に映る「県立夢見が丘高校」の文字を見ながら、新はそう思った。
全身白揃えの制服って清楚ですよね




