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第三十話 四人のかたち

 形にする、というのは、思っていたより難しかった。


 現象が起きるだけでは足りない。

 たまたま一度だけ見えた、では残らない。

 見えて、確かめて、記録して、言葉にして、ようやくそれは“形になった”と言える。


 自由課題を前にしたとき、新がいちばん苦手だと思ったのは、たぶんそこだった。


 思いつくことはできる。

 繋げることも、考えることもできる。

 でもそれを、人に見せられる形まで落とし込むのは、まるで別の力がいる。


 だから今日の目標は、最初からはっきりしていた。


「今日は“起きた”で終わらせない」


 朝の公園で、純香がそう言った。


「残せる形まで持っていく」

「はい」

 新が答える。

「返事がいいわね」

「今日はそこが目標だから」

「ならいい」


 ベンチの上には、記録表、ノート、チョーク、飲み物。

 前回から引き続き、彩葉の手には小枝の指揮棒まである。


「それ、今日も使うんだ」

 雅が言うと、

「使うよ」

 彩葉は当然みたいに言った。

「だって一番合ったじゃん」

「その言い方だと、ほんとに音楽の練習みたいだな」

「でも神代、前回これで成功したでしょ」

「した」

「なら文句なし」

「それはそう」


 新は苦笑しながらノートを開いた。


 前回の一番いい結果。

 待機時間。

 接近速度。

 雅の外部出力。

 彩葉の合図。

 放電の長さ。

 拡張距離。


 全部、今まででいちばん丁寧に書いてある。

 今日は、それをもう一度、そして今度は“見える形”として残す。


     ◇


 最初の数回は、前回よりましだった。


 純香が一枚目の結界を張る。

 新が二枚目を整える。

 雅が外側から出力を添える。

 彩葉が小枝を軽く振って拍を取る。


「一」

 一枚目が立ち上がる。


「二」

 新が呼吸を合わせる。


「三」

 雅が出力のタイミングを待つ。


「……今」


 接触。


 ぱち、と細い音。

 光が一瞬だけ走る。

 結界が少し膨らむ。


「悪くない」

 純香が言う。

「でも、まだ」

「うん」

 新も頷いた。

「まだ足りない」


 結果は安定してきている。

 けれど、“残せる形”というには弱かった。


 光の筋が短い。

 面の広がりもまだぼやける。

 これでは、見た人に伝わる図にも記述にもなりにくい。


「もう少し、光が面に沿ってほしいんだよな」

 新が言う。

「ただ跳ねるだけじゃなくて」

「じゃあ、外から足す量を少しだけ上げる?」

 雅が聞く。

「上げすぎると乱れる」

 純香がすぐに返した。

「ほんの少しよ」

「分かってるって」


 彩葉が記録を見ながら言う。


「前回の一番きれいだったやつ、今よりちょっとだけ待ってたかも」

「待ってた?」

 新が聞く。

「うん。二枚目を近づける前に、一枚目が落ち着く時間がもう半拍くらい長かった気がする」

「半拍」

 雅が繰り返す。

「言い方が完全に音楽」

「だってそう見えるんだもん」

「でも、試す価値はある」

 新が言った。

「純香」

「ええ」

 純香は頷く。

「待機を少し長くする」


 小枝がまた上がる。


     ◇


「一」

 純香の結界が立ち上がる。


「二」

 新が二枚目を整える。


 彩葉の小枝が、前回よりほんのわずかに長く止まった。


「三」


 その一瞬、全員の呼吸が妙に揃った。


 新は跳ねるかどうかを見ていなかった。

 純香も崩れを警戒しすぎていなかった。

 雅も、押し広げることよりタイミングを待っていた。


「……今」


 接触。


 ぱちっ、と今までよりはっきりした音が鳴った。


 細い光が、接触点から一筋だけではなく、面に沿って扇みたいに走る。

 そのあと、結界が一瞬だけ、平たいまま大きく広がった。


 ただ膨らんだんじゃない。

 面の上に、ちゃんと光の筋が残った。


「……っ」

 新が息を呑む。


「今の!」

 彩葉がほとんど叫ぶみたいに言う。

「今の、描ける!」

「長さ」

 純香が言う。

「一・九」

 彩葉が即答する。

「しかも、今のは筋が見えた」

「見えたな」

 雅も言った。

「さっきまでと全然違う」

「うん」

 新はまだ面の残像を見ていた。

「今のは、残せる」


 その言葉に、四人の空気が少し変わる。


 ただの成功じゃない。

 記録できる成功だ。


「もう一回、同じに寄せる」

 純香が言う。

「今の条件、全部固定」

「了解」

 雅が言う。

「今のはさすがにもう一回見たい」

「うち、先に描く」

 彩葉はノートへ一気に線を走らせ始めた。

「消える前に忘れたくない」

「橘、先にそこ行けるの偉いな」

 新が言うと、

「だって今の、絶対あとで“なんとなく綺麗だった”で済ませたくないじゃん」

「……うん」

 新は頷いた。

「ほんとにそう」


     ◇


 二回目は、一回目ほど綺麗ではなかった。

 でも、近かった。


 三回目は放電が弱い。

 四回目は面の広がりがやや鈍い。

 それでも、明らかに前日までとは違っていた。


 “たまたま起きる”から、

 “条件を寄せれば近づける”へ。


 その差は大きかった。


「これなら十分じゃない?」

 雅が言う。

「少なくとも、レポートにはできる」

「ええ」

 純香も頷いた。

「今日はこれ以上欲張るより、ここで整理した方がいい」

「珍しく意見が一致した」

 彩葉が言う。

「神代が“もっと”って言わないし」

「いや、言いたい気持ちはあるけど」

 雅が肩をすくめる。

「今日は純香が正しい」

「珍しくって何よ」

「だっていつも正しい顔してるから、たまに言うと逆に新鮮」

「神代」

「はい」

「あとで覚えてなさい」

「怖」


 四人でベンチへ戻り、記録を広げる。


 彩葉のスケッチには、さっき見えた光の筋が驚くほど分かりやすく描かれていた。接触点から面へ走る線、広がりの方向、拡張の輪郭。


「……すご」

 新が思わず言う。

「うまいな」

「え、ほんと?」

 彩葉が少し目を丸くする。

「ちゃんと見えたまま描けてる?」

「かなり」

 純香が即答した。

「これ、記録として十分使える」

「純香にそう言われるとちょっと嬉しい」

「事実を言ってるだけ」

「でも、嬉しい」

 彩葉が笑った。


 新はそのスケッチを見ながら、ふと最初に決めた題名を思い出した。


 発光体を用いた簡易結界面の拡張と、光軌跡の平面展開の観察。


 今となっては、少し違う気がした。


「……題目、変えた方がよくない?」

 新が言う。

「え?」

 雅が聞く。

「今さら?」

「今だから、だろ」

 新はノートを指で叩いた。

「最初は“発光体全般”みたいな顔してたけど、今やってるの、もっと絞れてる」

「たしかに」

 純香が言う。

「今見てるのは、簡易結界の重ね合わせと、そのときに生じる平面光軌跡ね」

「うん」

 新が頷く。

「もっと今の内容に寄せたい」

「じゃあ何にする?」

 彩葉が聞く。


 新は少し考えてから言った。


「積層型簡易結界における平面光軌跡の観察」

「……おお」

 雅が言う。

「急にそれっぽい」

「それっぽいじゃなくて、それでしょ」

 純香が言う。

「かなり合ってると思う」

「長いけど、ちゃんと今の内容だね」

 彩葉が言った。

「うん」

 新は頷く。

「これなら、今までやってきたことがそのまま入る」


 純香が少しだけ考えてから、紙へその題目を書き写した。


「いいと思う」

「よし」

 新は小さく息を吐く。


 それだけで、ぼんやりしていたものがもう一段階だけ定まった気がした。


     ◇


 午後は図書館へ移動して、レポートを書くことになった。


 冷房の効いた閲覧室の端で、四人は机を寄せて座る。

 机の上に並ぶのは、記録表、ノート、スケッチ、そして新しく書き直した題目。


 積層型簡易結界における平面光軌跡の観察


「ほんとに書くんだな」

 雅が言う。

「ここまで来て書かない理由ある?」

 純香が聞く。

「ない」

「なら手を動かして」

「はいはい」


 分担は自然に決まっていた。


 新は仮説と考察。

 雅は出力条件と実験条件の整理。

 純香は手順と安全性、再現性の記述。

 彩葉は観察記録と図示。


「鳴海、そこどう書くの?」

 彩葉が新のノートを覗き込む。

「“ぴたって来る”を」

「そこなんだよな」

 新は眉を寄せた。

「それ、実感としては一番近いのに、レポートの言葉じゃない」

「“ぴたって”はさすがにね」

 純香が言う。

「感想文になってしまう」

「でも、そう見えたんだよ」

 彩葉が言った。

「それ自体は大事じゃない?」

「大事よ」

 純香は頷く。

「だから、観察者の所見として書けばいい」

「所見?」

 新が聞く。

「ええ。“接触の瞬間に両結界の挙動が同期したように見えた”とか」

「おお」

 新は顔を上げた。

「それだ」

「でしょ」

 純香は平然としている。

「最初からそう言ってる」

「言ってないでしょ」

 雅が笑う。


 その横で、雅の記録は相変わらず雑だった。


 時間。

 出力。

 拡張距離。

 矢印。丸。謎の記号。


「神代」

 純香が低く言う。

「何」

「あなたのそれ、あなたしか読めないでしょ」

「読めるよ」

「あなたはね」

「だめ?」

「だめ」

「厳しい」

「当たり前よ」


 彩葉が吹き出す。


「神代のノート、ほんと暗号みたい」

「でも内容は合ってるだろ」

「合ってるけど、提出物にするなら日本語にして」

 新が言う。

「そこは頼む」

「はいはい」


 雅は文句を言いながらも、ちゃんと書き直した。

 そこがこの人のずるいところだと新は思う。


 純香は見出しを整え、手順を番号で揃え、危険になりうる条件と中止基準まできちんと書く。

 彩葉は、光の筋の図を何度も描き直しながら、最終的に一番分かりやすい線だけを残していく。


「橘さん、記録向いてるわね」

 純香が言った。

「え、そう?」

「ええ。見たものを、見たまま整理するのがうまい」

「やった」

 彩葉は素直に嬉しそうな顔をした。

「篠宮に褒められた」

「いちいち大げさ」

「大げさじゃないもん」


 新はそのやりとりを聞きながら、自分の欄へゆっくり書き込んでいった。


 簡易結界の重ね合わせにおいて、条件が揃った場合、通常の単純拡張とは異なる跳躍的な拡張が観察された。

 また、その際、接触面に沿って平面的な光軌跡が一時的に出現した。

 この現象は、結界の形状条件だけでなく、立ち上げのタイミングや接触時の挙動の一致が関与している可能性がある。


「……こんな感じかな」

 新が呟くと、

「ちゃんとそれっぽい」

 雅が言う。

「鳴海、そういう文章書くと急に真面目だよな」

「課題だからな」

「それさっきも聞いた」

「何回でも言う」


     ◇


 日が少し傾くころには、レポートの形が見えてきた。


 題目。

 目的。

 方法。

 結果。

 考察。

 図示。

 安全上の留意点。


 最初はただの自由課題だったはずのものが、今はちゃんと“自分たちがやったこと”として紙の上に並んでいる。


「……ほんとに、形になった」

 新が小さく言う。


 三人が手を止めて、そっちを見る。


「鳴海がそう言うなら、たぶんそうなんでしょ」

 彩葉が笑った。

「うん」

 新は頷く。

「最初は、ただ起きた現象だった」

「今は?」

 雅が聞く。

「今は、残る」

 新は答えた。

「少なくとも、俺たちが見たものとして」

「そうね」

 純香が静かに言う。

「それが大事なのよ」


 四人それぞれのレポート用紙が机の上に並ぶ。


 題目は同じ。

 でも中身は少しずつ違う。


 新の考察。

 雅の条件整理。

 純香の安全性と再現性。

 彩葉の観察図。


 別々なのに、ちゃんと一つの現象を見ている。

 その形が、妙に今の四人そのものみたいだと新は思った。


「これ、題目いいよね」

 彩葉が自分の用紙の上を見ながら言う。

「何が」

 雅が聞く。

「“四人のかたち”って感じする」

「題目は違うだろ」

 新が言うと、

「そうだけど」

 彩葉は少し笑った。

「でも、なんかそうじゃない?」

「……それは」

 新は少しだけ考えてから言う。

「分かるかも」

「うん」

 純香も頷く。

「一人では、この形にはならなかった」

「俺もそう思う」

 雅が言った。


 新は机の上の四枚を見た。


 たしかにそうだった。

 思いついたのは自分かもしれない。

 押し広げたのは雅かもしれない。

 安定させたのは純香で、見える形にしたのは彩葉だ。


 でも、そのどれか一つだけでは、ここまでは来られなかった。


     ◇


 図書館を出るころには、外の空気は少しだけやわらかくなっていた。


 昼の熱はまだ残っている。でも、夕方の光は朝よりずっと優しい。


 四人で歩きながら、新は鞄の中のレポートを思い出していた。


 完成した。

 少なくとも、提出できる形にはなった。


 それだけのことのはずなのに、胸の奥には妙な達成感が残っている。


「自由課題、ほんとに終わるとは思わなかった」

 彩葉が言う。

「まだ提出してないけどな」

 雅が言う。

「でも、あとは清書くらいでしょ」

「ええ」

 純香が頷いた。

「ここまで来れば十分」

「篠宮の“十分”って強いな」

 新が言う。

「そう?」

「うん」

「それは褒めてる?」

「たぶん」

「たぶんなんだ」

 彩葉が笑う。


 坂を下りながら、新は小さく息を吐いた。


 最初はただの宿題だった。

 でも今は、そこにちゃんと“自分たちが見つけたもの”が残っている。


 小さな現象。

 小さな成功。

 それでも、四人でやったからこそ、ここまで形になった。


 そしてたぶん、これはまだ最初の形だ。


 もっと大きなもの。

 もっと遠いもの。

 まだ名前のない、その先へ行くための。


 夏の終わりにはまだ早い空の下で、新は前を歩く三人の背中を見た。


 自由課題は完成した。

 けれど、四人のかたちは、たぶんまだこれから、もっとはっきりしていく。


 四人の姿が夕焼けに消えていく。

 ひぐらしの声が響いていた。

課題完成です

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