表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/55

第二十五話 自由課題という難題

 夏休みの課題というものは、だいたい二種類に分かれる。


 やれば終わるものと、何から手をつければいいのか分からないものだ。


 英語の問題集は前者だった。数学の演習も、古典の文法も、面倒ではあるけれど、少なくとも「どこから始めるか」は分かる。頁を開けばいい。手を動かせばいい。


 けれど、机の上でずっと新を睨んでいる一枚の紙は、どうにもそういう種類ではなかった。


 自由課題。


 その四文字だけが、妙に大きく見える。


「……自由、ねえ」


 新は机に肘をつきながら、課題一覧のその欄を見つめた。


 テーマ自由。形式自由。提出方法はレポート、観察記録、実演記録のいずれでも可。


 自由、という言葉だけなら楽しそうだ。

 でも実際には、何をやるか決めて、どこまでやるか決めて、どういう形にするか決めなければいけない。


 つまり、最初の一歩から最後の見せ方まで、全部自分で選べということだ。


 新の頭にはもちろん、夏祭りの夜空がまだ残っていた。


 大きな打ち上げ花火。

 脳裏によみがえった海での実験。

 結界の基本式。

 結界触媒学。

 結界臨界点。

 花火が魔法陣を描くのではなく、結界面が光を術式として展開している、というあの感覚。


 やりたいことは、ある。


 でも、それを自由課題として出せる形にできるかと問われると、急に足元が怪しくなる。


「……一人で考えてても進まないか」


 新は小さく息を吐いて、机の上のスマホを手に取った。


 少しだけ迷ってから、いつもの三人にメッセージを送る。


 自由課題、そろそろ決めたい。

 今日の午後、図書館どう?


 返事は思っていたより早く返ってきた。


 雅からは、

 いいよ。俺もまだ決めてない。


 彩葉からは、

 自由課題とか一番きらい。行く。


 純香からは、

 行く。どうせあなたたちだけだと話が逸れるから。


 新は思わず少しだけ笑った。


 その言い方に、少し救われる。


     ◇


 午後の図書館は、夏の外気と切り離されたみたいに静かだった。


 窓の外では蝉が鳴いているのに、館内へ入るとその音は急に遠くなる。冷房のきいた空気と、紙とインクの匂い。夏休み中の学生らしい姿もちらほら見えるけれど、騒がしさはない。


 新が閲覧室の端の机へ着いたときには、すでに純香がいた。


 ノートを開き、付箋つきの課題一覧を前にしている。いかにも純香らしい。


「早いな」

 新が言うと、

「鳴海が遅いの」

 純香は顔も上げずに返した。

「十分時間前だろ」

「私が早いだけよ」

「それはそうかも」


 少しして彩葉が来た。


「暑っ」

 第一声がそれだった。

「図書館って入った瞬間だけ天国だよね」

「その表現、ちょっと分かる」

 新が言う。

「でしょ?」

 彩葉は鞄を置きながら笑う。

「自由課題、ほんと決めた?」

「まだ」

「うちも」

「だろうな」


 最後に雅が現れる。


「お待たせ」

「神代、珍しく最後」

 純香が言う。

「途中でアイス買ってた」

「自由課題の話しに来る態度じゃないわね」

「頭使うなら糖分いるだろ」

「言い返せないのが腹立つ」

 彩葉が言って椅子に座った。


 四人が揃う。


 机の上には、それぞれの課題一覧とノート。

 でも、その中でもいちばん存在感があるのは、やっぱり「自由課題」の欄だった。


     ◇


「で」


 最初に口を開いたのは彩葉だった。


「みんな決まってないんでしょ?」


「決まってない」

 新が答える。


「俺もまだ」

 雅が言う。


「私は候補はいくつかあるけど、まだ絞ってない」

 純香が言った。

「そっちは?」

「聞く?」

 彩葉が言う。

「めっちゃ無難なのしかないよ」

「むしろその方が偉い」

 新が言う。

「自由課題って、何でもいいって顔して、一番難しいやつじゃん」

「そうなのよ」

 純香が頷く。

「自由って、内容が決まってない分、自分で全部決めないといけないもの」

「うち、そういうの一番苦手」

 彩葉が机に少しだけ突っ伏すみたいにして言う。

「自由って、失敗してもいい人向けだよね」


 その一言に、新は少しだけ顔を上げた。


 彩葉はすぐにいつもの調子で笑ってみせたけれど、その言い方の奥にあるものは、少し前に聞いた話とちゃんとつながっていた。


 特待生制度。

 授業料無償。

 落とせない理由。


 だから彩葉にとって自由課題は、「楽しそうな宿題」ではなく、「失点したくない評価項目」なのだ。


「まあ、でも」

 雅が言う。

「せっかくだし、面白いのやりたくはあるよな」

「神代は絶対そう言うと思った」

 新が言う。

「だって自由なんだろ?」

「その発想が危ないのよ」

 純香が即答した。

「“自由だから面白いことをやる”は半分正しいけど、課題として出せる形になってなきゃ意味がないわ」

「はいはい、優等生」

「その言い方は気に入らない」

「でも正論」

 彩葉が小さく笑った。


「……やりたいことは、ある」


 新が言うと、三人がこっちを見た。


「出た」

 雅が笑う。

「鳴海の“ある”」

「言い方やめろよ」

「でもそういう顔してた」

 彩葉が言う。

「で、何?」

 純香が聞く。

「ちゃんと形になる話なら聞くわ」


 新は少しだけ息を整えた。


「夏祭りの花火」

「うん」

 雅がすぐに反応する。

「続きだろ?」

「うん」

 新は頷く。

「海でやったやつと、夏祭りで見た本物の打ち上げ花火。あれを、自由課題にできないかなって」

「花火と結界?」

 彩葉が首を傾げる。

「そう」

「うわ、いきなり面倒」

「まだ何も言ってないだろ」

「鳴海がそういう言い方するとき、大体面倒なの」

「否定しきれない」


 新はノートを開いて、図書館で調べたことを簡単に書き出した頁を見せた。


「結界って、基本式にエネルギーを与えることで規模を拡大できるらしいんだ」

「うん」

 雅が言う。

「そこまでは聞いた」

「でも普通は出力の限界がある。だから大きくは広がらない」

「結界触媒学と、結界臨界点の話ね」

 純香が言った。

「そこまで調べたの?」

「少しだけ」

「ほんとに行ってたんだ」

 彩葉が言う。

「行ってたよ」


 新は頁を指でなぞった。


「海で見たのは、たぶん花火の破裂エネルギーが簡易結界を臨界点まで押し上げて、一瞬だけ面を拡大した現象なんだと思う」

「うん」

「その面に光が走った。だから、花火が模様を描いたっていうより、結界面が光を術式として展開してた」

「そこは面白い」

 雅が言う。

「だろ?」

「うん。かなり」


 けれど、純香は腕を組んだまま首を横に振った。


「面白いのは分かるけど、“そのまま”じゃ出せる形じゃないわ」

「……やっぱり?」

「やっぱり、よ」

 純香はきっぱり言った。

「まず本物の花火前提なのが危ない。再現性も低い。観察条件も一定じゃない。レポートとして出すには、偶然に頼りすぎてる」

「う」

「それに」

 彩葉も続く。

「自由課題ってさ、別にロマン出す場所じゃなくて、ちゃんと提出して評価されるものじゃん」

「それは分かる」

 新が言う。

「でも、やりたいんだよ」

「それも分かる」

 彩葉は少しだけ笑った。

「鳴海がそれを気に入るの、すごい分かる」


 雅が机に頬杖をつく。


「じゃあ、縮めればいいんじゃね?」

「縮める?」

 新が聞くと、

「本物の打ち上げ花火は無理でも、もっと小さい発光体と簡易結界の干渉なら見られるだろ」

「神代、それ」

 新は少し身を乗り出す。

「俺も今それ考えた」

「嘘つけ」

「半分くらいは」

「便利に使うな、その言い方」


 純香が小さく息をつく。


「でも方向としてはそれね」

「やっぱり?」

「本当に見たいのが“花火そのもの”じゃなくて、“発光体が結界面にどう干渉するか”なら、小規模な安全実験に落とせる」

「おお」

「鳴海、今そこで感動しない」

 純香は続ける。

「自由課題って、思いつきを出すんじゃなくて、再現できる形にして出すの」

「……はい」

「素直ね」

 彩葉が笑った。


     ◇


 そこから話は、少しずつ具体的になっていった。


「候補としては三つくらいかな」

 純香がノートへ線を引く。

「ひとつ目は、発光体と簡易結界面の干渉観察」

「一番素直なやつだな」

 雅が言う。

「そう。小さな発光を結界で囲ったとき、光の軌跡や広がり方がどう変わるかを見る」

「提出物っぽい」

 彩葉が頷く。

「ちゃんと観察記録にできそう」

「二つ目は?」

 新が聞く。


「結界の基本式拡大における外部エネルギーの影響」

 純香が言う。

「熱、発光、衝撃のどれが結界拡大に効くか比較する」

「一番レポートっぽい」

 彩葉が言った。

「うちはそれが一番安全そうに見える」

「でもちょっと地味じゃない?」

 雅が言う。

「地味で結構」

 純香が即答する。

「自由課題よ、研究発表会じゃないの」

「三つ目は?」

 新が聞くと、純香は少しだけ嫌そうな顔をした。


「簡易結界面における光軌跡の平面展開について」

「それだ」

 雅がすぐに言う。

「一番面白いの」

「でしょうね」

 純香が冷たく言う。

「でも一番危ないし、一番逸れやすい」

「でも新がやりたいの、そこだろ」

 雅が新を見る。

「……うん」

 新は頷いた。

「たぶん、一番近いのはそれ」

「顔に出てる」

 彩葉が笑う。

「今、すごい“それだ”って顔してる」

「分かるのか」

「分かるよ。今日の鳴海、最初からその顔だし」


 新は少しだけ頭を掻いた。


 たしかに、自分が本当に見たいのはそこだ。

 結界がただ広がるだけじゃなくて、そこに光が“書かれる”瞬間。

 さらに言えば、その先にあるもっと大きな花火や、もっと大きな術式へつながる入口。


 でも、純香が言っていることも正しい。


「自由って、何やってもいいってことじゃないんだな」

 新がぽつりと呟いた。


 三人が少しだけ静かになる。


「むしろ、自分で選んだことを最後まで形にしろって言われてるみたいだ」

「そうよ」

 純香が言った。

「だから難しいの」

「うわ、今のちょっと名言っぽい」

 彩葉が言う。

「そう?」

「うん。地味に刺さる」

「彩葉も?」

「そりゃね。自由課題って、自由だから楽なんじゃなくて、逃げ場がないってことだし」


 彩葉はそう言って、ノートの端を指で軽く叩いた。


「しかも、失敗したときに“自由だから仕方ない”で済まされないのが一番面倒」

「ほんとに現実見てるな」

 雅が言う。

「見るでしょ、そこは」

 彩葉は笑った。

「成績に入るんだから」


     ◇


 話は次に、「一人でやるのか、四人でやるのか」というところへ移った。


「自由課題って、本来は個人提出でしょ」

 彩葉が言う。

「そうね」

 純香が頷く。

「四人でひとつ、は無理」

「じゃあ別々?」

 新が聞く。

「それももったいない気がする」

「俺も」

 雅が言う。

「せっかく同じ現象に興味あるなら、ベースは共有したい」

「でも同じもの丸写しで出したら怒られるわよ」

 純香が言う。

「そこまで雑にはしないって」


 少し考えてから、彩葉が言った。


「同じ現象を追うけど、見るところを分ければよくない?」

「見るところ?」

「うん」

 彩葉は指を折る。

「鳴海は理屈。神代は出力とか、どの条件で一番変わるか。篠宮は安全性とか再現性。うちは観察記録まとめる、とか」

「……それ、かなりよくない?」

 新が言う。

「でしょ」

 彩葉が少し得意そうに笑う。

「四人でやる意味もあるし、それぞれ別レポートになる」

「橘、そういう整理うまいよな」

 雅が言う。

「助かる」

「そこは素直に褒めていいやつ?」

「かなり」

「なら受け取っとく」

 彩葉が笑った。


 純香も少しだけ考えてから頷いた。


「ありね」

「ほんと?」

「ええ。ただし条件があるわ」

「何」

「やることは小規模。安全第一。観察可能な範囲に限定。花火を使うなら家庭用の小さいものだけ」

「はい」

 新が即答すると、純香は少しだけ目を細めた。

「今日は聞き分けがいいわね」

「今のは反論の余地ないから」

「それを最初から覚えておいてほしいんだけど」

「ごもっとも」


     ◇


 方針が決まると、そこからは早かった。


 新がノートの白い頁を開く。

 中央に一本、線を引く。

 その上に、仮の題名を書こうとして、一度止まる。


「何て書く?」

 雅が覗き込む。

「そこ悩む?」

「題名って意外と大事だろ」

「たしかに」

 彩葉が頷く。

「最初に見るとこだし」

「でも長くなりそうね」

 純香が言う。

「鳴海、こういうとき無駄に真面目な題つけるでしょ」

「無駄に、は余計だ」


 少し考えてから、新はゆっくり書いた。


 発光体を用いた簡易結界面の拡張と、光軌跡の平面展開の観察


「長い」

 雅が即座に言う。

「でも課題っぽい」

 彩葉が言う。

「すごくそれっぽい」

「少なくとも、“花火でなんかすごいことしたい”よりはずっとましね」

 純香が言った。

「そこまで雑じゃなかっただろ」

「顔はそんな感じだったわよ」

「顔で判断されすぎじゃない?」

「普段の行いね」

 純香は淡々と言った。


 けれど、その顔は少しだけやわらかかった。


「じゃあ決まり?」

 彩葉が聞く。

「決まり」

 新は頷く。

「共通テーマはこれ」

「で、提出は別々」

 純香が確認する。

「鳴海は理論仮説。神代は出力条件。私は再現性と安全性。橘さんは観察記録と比較整理」

「役割分担まで決まると、ちょっと研究っぽいな」

 雅が言う。

「その言い方だと、また変な方向へ行きそうだからやめて」

 純香が即座に返す。

「ひどいなあ」


 彩葉がくすっと笑う。


「でも、ちゃんと決まったね」

「うん」

 新はノートの題名を見下ろした。

「やっと」

「最初は止まってたもんね」

 彩葉が言う。

「自由課題の紙の前で固まってそうな顔してた」

「してた」

 新は素直に認めた。

「してたけど、今はちょっと違う」

「どう違うの?」

 雅が聞く。


 新は少しだけ考えてから答えた。


「やることが見えた」

「それは大きいわね」

 純香が言う。

「自由課題って、決まるまでが一番重いもの」

「分かる」

 彩葉が言う。

「決まっちゃえば、あとはやるしかないし」

「そこからが本番でもあるけどな」

 雅が笑う。

「神代、その一言いらない」

「事実だろ」

「事実でも今じゃない」


 四人で少しだけ笑った。


     ◇


 図書館を出るころには、外の光が少し傾いていた。


 蝉の声は相変わらずうるさいくらいに鳴いていて、冷房の効いた館内から出た途端、夏の熱がいっきに肌へ戻ってくる。


「暑っ」

 彩葉が言う。

「さっきまで快適だったのに」

「夏ってこういうやつだよな」

 雅が言う。

「外出た瞬間に現実へ戻る」

「それ、神代にもよくあるわね」

 純香が言った。

「何それ」

「急に変なこと言い出して、周りが現実へ戻すやつ」

「ひどいなあ」

「でもちょっと分かる」

 新が言うと、雅が笑った。


 四人で歩き出す。


 自由課題は、まだ終わっていない。

 むしろ、やっと始まったばかりだ。


 けれど新の中ではもう、それはただの宿題ではなくなっていた。


 小さな発光体。

 簡易結界。

 干渉。

 展開。

 平面。

 そして、その先にあるもっと大きな花火。


 今はまだ、自由課題の顔をした入口だ。

 でも、その入口の先に、自分が本当に見たいものがある。


 それだけは、はっきりしていた。


 鞄の中のノートには、少し堅い題名がちゃんと書かれている。


 自由課題は宿題のはずだった。

 けれど新には、それが入口にしか見えなかった。

高校生にもなると自由課題もハイレベルです

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ