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第二十話 期末試験、それぞれの思い

 期末試験というものは、だいたい、気づいたときにはもう逃げ道を塞いでいる。


 少なくとも、僕にとってはそうだった。


 朝のホームルーム。浅見先生が配った試験範囲表を開いた瞬間、紙の薄さに対して情報量が釣り合っていないことだけはすぐに分かった。科目名、範囲、提出物、確認事項、注意書き。文字が並んでいるだけなのに、妙な圧がある。


「……多くない?」


 思わず漏らした声に、前の席の純香が振り向きもしないで答えた。


「多いわよ」

「即答だな」

「見れば分かるもの」

「いや、分かるけどさ」


 右隣では、雅が範囲表をひらひらさせていた。


「まあ、何とかなるでしょ」

「その言い方が一番信用ならない」

 僕が言うと、雅は少しだけ笑う。

「何その言われよう」

「神代って、そう言って本当に何とかするから腹立つのよ」

 純香が言った。

「篠宮、辛辣だなあ」

「事実でしょ」

「事実だけど」


 後ろから椅子を引く音がして、彩葉が僕の肩越しに範囲表を覗きこんだ。


「うわ、やば。今回ほんとに広い」

「橘がやばいって言っても、あんまりやばく聞こえないんだけど」

 僕が言うと、彩葉は眉を上げる。

「失礼じゃない?」

「いや、橘って普通に強いし」

「そういう意味で困るの、ちょっと分かる」

 雅が笑った。

「だよね?」

「だよね、じゃないのよ」

 純香が小さく息をつく。


 教卓の前では、浅見先生がいつも通り落ち着いた顔で教室を見渡していた。


「期末試験は筆記だけではありません。実技評価も反映されます。特に魔法学基礎と魔法科学基礎は、日頃の実習態度、安全管理、提出記録も評価対象です」


 その一言で、教室のあちこちから微妙な声が漏れた。


「安全管理、って耳が痛いな」

 雅がぼそっと言う。

「かなり痛がっておきなさい」

 純香が即座に返した。

「やっぱ今日、篠宮厳しくない?」

「今日も、でしょ」

 彩葉が言って、くすっと笑う。


 僕は範囲表へ視線を戻した。


 英語。古典。数学。物理化学。魔法学理論。魔法科学概論。

 得意なものもある。好きなものもある。けれど、好きだからといって自動的に点になるわけではない。それが試験の嫌なところだった。


 最近、どうしても魔法のことに頭を持っていかれていた。透明な核のこと。積層型結界のこと。転送魔法陣を縦に繋いだときの、あの一瞬の速さのこと。そういうものばかり考えていたせいで、目の前の学校らしい現実を少し甘く見ていた気がする。


 そして、そういう現実は、だいたい甘く見たぶんだけ重く返ってくる。


     ◇


 昼休み、僕たちはいつもの窓際に集まっていた。


 範囲表は四人分、机の上に広げられたままだ。朝よりももう少し落ち着いてきた代わりに、全員、それぞれ別の種類の現実味を帯びている。


「鳴海、どこが一番やばいの」

 彩葉が聞いた。


「英語」

 僕は即答した。

「あと古典の文法」

「うわ、文系弱」

「うるさいな」

「でも分かる」

 雅が言う。

「新って、理屈に乗ると急に強いけど、暗記で殴られると途端にしんどそう」

「その言い方ほんと嫌だ」

「でも合ってるでしょ」

「合ってる」


 純香はもう範囲表の余白に、細かい字で予定を書き込みはじめていた。


「私は今日から三日ごとに区切る」

「早っ」

 彩葉が言う。

「篠宮、そういうのほんと早いよね」

「早くしないと間に合わないもの」

「うちは今、見た瞬間から焦ってる」

「焦るだけなら誰でもできるわ」

「厳しい」

「厳しくしてるの」


 そのやりとりの横で、雅は範囲表をきれいに折って机に置いた。


「俺は今日と明日で全体ざっと見る」

「ざっと?」

 僕が聞く。

「で、弱いとこだけ後ろで詰める」

「それで何とかなるの腹立つな」

「まだ何とかなるって決まってないじゃん」

「でも神代って、そう言って大体何とかするのよね」

 純香が言う。

「それが気に入らないだけで」

「半分そう」

「半分あるんだ」

 雅が笑う。


 僕はそれを見て、少しだけ胸の奥が重くなるのを感じていた。


 雅は魔法で強い。

 純香は安定して強い。

 彩葉は明るい顔をしていても、勉強までちゃんとできる。


 じゃあ僕はどうなんだろう。


 得意なものはある。

 でもムラが大きい。

 しかも最近は、その得意な方に寄りすぎていた気がする。


「……今日、少し残る?」

 僕は言った。

「放課後、範囲確認くらいしたい」

「いいわよ」

 純香がすぐに頷く。

「一回やった方が早い」

「うん、うちも残る」

 彩葉が言う。

「どうせ今日はまっすぐ帰っても、焦るだけだし」

「じゃあ俺も」

 雅が続く。

「一人でやってても飽きる」

「理由が雑だな」

「でも来るなら助かるだろ?」

「それはまあ」

 僕は小さく頷いた。


 結局、こういうときも四人でいると話が早い。

 助かる。

 助かるけれど、そのぶん、見えてしまうものも増える。


     ◇


 放課後の教室には、まだ何人か残っていた。


 部活へ行く前に課題を片づけている生徒。友達同士で試験範囲を確認している生徒。そんな中で、僕たちは窓際の机を寄せて座った。


「じゃ、軽く確認から」

 純香が言う。

「重いところを先に炙り出した方が早い」

「篠宮の言い方、毎回ちょっと怖い」

 彩葉が苦笑する。

「優しさでは点数は上がらないもの」

「厳しいなあ」

 雅が笑った。


 最初に見えた差は、思った以上にはっきりしていた。


 魔法科学の計算問題で僕が止まる。


「これ、熱効率どこから引くんだっけ」

 僕が聞くと、

「そこ、媒質損失を先に引くの」

 純香がすぐに答えた。

「そのあと実効熱量」

「ああ」

「鳴海、それ前にも同じとこで引っかかってた」

 彩葉が言う。

「覚えてる?」

「わりと」

「なんで」

「印象的だったから」

「全然嬉しくない」


 英語はもっと露骨だった。


「これ、主語どこ?」

 僕が問題集を見ながら言うと、

「そこ」

 彩葉が指差す。

「え、そこ?」

「そこ。で、その後ろが全部説明」

「うそだろ」

「うそじゃないよ」

 彩葉は少し笑って、僕のノートへ線を引いた。

「鳴海、文を頭から読んでるから迷うんだよ。骨組みから見た方がいい」

「橘、英語強いの?」

「まあまあ」

「まあまあの人はその速さで答えないのよ」

 純香が淡々と言った。


 雅は数学で強かった。


 途中式は雑に見えるのに、どこを飛ばしても成立するかが分かっている。問題文を見て、解く前に何を使うかがもう見えているみたいだった。


「神代、その解き方ずるくない?」

 僕が言う。

「何が」

「こっちは順番に読んでるのに」

「だって先に使う形が見えたし」

「それを普通みたいに言うなよ」

「でも神代って、そこ本当に速いわよね」

 純香が言った。

「気に入らないけど」

「そこはセットなんだな」

 僕が言うと、雅が少しだけ笑った。


 そして彩葉は、思っていた以上に全体が強かった。


 英語も、国語も、理科系も、どれも一定以上にできる。飛び抜けて尖っているというより、穴が少ない。そのうえ、試験でどう取るかの感覚がある。


「橘、ほんとに強いな」

 思わずそう言うと、彩葉は肩をすくめた。

「落としたくないだけ」

「その“だけ”が重いんだよな」

「まあ、そうかも」


 その言い方に、僕は少しだけ引っかかりを覚えた。


 ただの強がりじゃない。

 ただの負けず嫌いでもない。

 もっと別の重さがある気がした。


     ◇


 休憩代わりに、みんなで少しだけ手を止めたときだった。


 夕方の光が窓から差し込んで、机の上の問題集やノートの端を薄く照らしている。教室の残りの人もだいぶ減っていて、空気が少し静かになっていた。


「ねえ」

 彩葉が、シャーペンをくるりと回しながら言った。

「ちょっと真面目な話していい?」

「珍しいな」

 雅が言う。

「何」

 僕が聞くと、彩葉は少しだけ視線を落とした。


「特待生制度ってあるじゃん? 授業料、無償になるやつ」

「うん」

 僕は頷く。

「あるね」

「……あれに入れたら、お母さん、すごい楽だと思うんだよね」

 彩葉はそう言った。

「だからまあ、落とせないんだよ。ほんとに」


 誰もすぐには返事をしなかった。


 重すぎる言い方ではなかった。

 むしろ、いつもの彩葉らしく、できるだけ軽く聞こえるように置かれた言葉だったと思う。


 でも、その軽さの奥にあるものが、軽くないのはすぐに分かった。


「……そっか」

 僕はようやくそれだけ言った。


 純香が静かに口を開く。


「だから、あんなに試験向けのまとめ方してるのね」

「うん」

 彩葉は苦笑した。

「なんか、出る形で覚える癖ついちゃってる」

「それ、強いよな」

 雅が言う。

「現実的で」

「褒めてる?」

「かなり」

「なら受け取っとく」


 少しだけ空気がやわらぐ。


 でも僕の中には、さっきまでとは別の重さが残っていた。


 彩葉は明るい。

 器用だ。

 勉強もできる。


 けれどそれは、“できるからやっている”だけじゃない。

 ちゃんと現実の重みが、背中に乗っている。


 そう思うと、さっきまでの「橘って強いよな」が、少しだけ別の意味に変わった気がした。


「でもさ」

 彩葉が急にいつもの調子に戻る。

「だからって別に、暗い感じで頑張ってるわけじゃないからね」

「分かってる」

 僕が言う。

「むしろ明るすぎて忘れかける」

「それは鳴海が鈍い」

「ひどくない?」

「半分くらいは」

「またそれ」

 雅が笑う。

「でも、橘がそういうのちゃんと口にするの珍しいな」

「まあね」

 彩葉は少しだけ肩をすくめた。

「なんか今日は、そういう日かなって」


     ◇


 そのあとも勉強は続いた。


 純香は最後まで安定していた。ノートの整理も早いし、優先順位もはっきりしている。どこから手をつけるべきかを、最初から分かっている人の動きだった。


 雅は途中で軽口を叩きながらも、問題になるときちんと拾う。ふと見えた彼のノートには、雑に見えて意外なほど書き込みが多かった。余白に小さく整理された式変形、要点だけ抜き出した語句、覚え直しの印。


 見えないところでやっている。


 それを知っているからこそ、あの「まあ何とかなる」が少し厄介だった。


 彩葉はやっぱりバランスがよかった。暗記も、読解も、計算も、大きな穴がない。その代わり、完璧に見えて油断がない。何度も確認し、何度も範囲表を見直している。


 そして僕は、自分の弱いところがどこかを思っていた以上に知ることになった。


 理解した気になるのが早い。

 でも書く段階になると止まる。

 考えれば出るけど、時間がかかる。

 試験では、その“少し遅い”がそのまま点にならない。


「鳴海」

 純香が言った。

「何」

「あなた、分かった気になるのが早いの」

「……刺さるな」

「刺してるもの」

 純香は淡々と言う。

「試験は“分かる”じゃなくて“書ける”で決まるの。そこ、ちゃんと詰めなさい」

「はい」

「素直ね」

 彩葉が言う。

「今のは刺さりすぎたから」

 僕は苦笑した。


     ◇


 勉強会が終わったころには、外はすっかり夕方だった。


 四人で校舎を出て、坂を上る。今日は公園に寄るというより、そのまま少しだけ歩く感じだった。みんな頭を使ったあとの、少しだけ疲れた静けさがある。


「なんかさ」

 雅が先に口を開いた。

「期末って、嫌な意味で学校って感じするよな」

「嫌な意味限定なんだ」

 僕が言う。

「だって現実だろ」

「それはそう」

 彩葉が笑う。

「夢見が丘でも、結局そこは避けてくれないし」

「避けてくれたら困るわ」

 純香が言った。

「学校なんだから」

「篠宮、そういうとこほんと篠宮だよな」

「どういう意味」

「褒めてる」

「半分くらい?」

 彩葉が言う。

「便利に使わないでちょうだい」


 少しだけ笑いが起きる。


 でも、そのあとにはまた静かな時間が戻った。


 同じ試験を受ける。

 同じ範囲表を見る。

 同じ一週間を過ごす。


 けれど、四人がその先に見ているものは、少しずつ違う。


 僕は、置いていかれたくないと思っている。

 雅はたぶん、軽く見せながらも負けたくない。

 純香は、並んで立つために積んでいる。

 彩葉は、落とせない理由を抱えている。


 同じ期末試験でも、重さはきっと同じじゃない。


     ◇


 夜、自分の部屋に戻って、僕は机に向かった。


 範囲表。

 問題集。

 ノート。

 赤で印をつけた苦手箇所。


 今日の勉強会で見えたことを、順に書き出す。


 英語は文構造。

 古典は助動詞。

 魔法科学は計算問題の反復。

 物理化学は用語の定着。


 やることは多い。

 正直、全部を完璧にするのは無理だと思う。


 でも、どこが弱いのかを知っただけでも、朝よりはましだった。


 問題集を開く前に、少しだけ手を止める。


 みんな強いな、と思う。

 雅も。

 純香も。

 彩葉も。


 それぞれ別の強さを持っていて、その全部が、自分にはまだ少しずつ遠い。


 けれど、遠いからといって見ないふりをしても、試験範囲は減らないし、点数は上がらない。


「……まずは一問、か」


 僕は小さく呟いて、シャーペンを持った。


 見たことのない魔法の前に、まずは目の前の問題。

 期末試験は、容赦なくそこにある。


 だから今は、やるしかなかった。

私も試験は嫌いでした

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