第一話 はじまりの魔法
2026.03.07
夜空に、花火が上がる。
僕らが作った、四人で作った、魔法じかけの打ち上げ花火だった。
腹の底まで響くような音が、春の終わりの夜を震わせる。まっすぐに昇った光は、校舎のはるか上空でふっとほどけ、大輪の花のように咲いた。卒業祭のざわめきが、一瞬だけ歓声に変わる。
けれど、これで終わりじゃない。
僕たちの世界は、そこからはじまる。
砕けた光は消えなかった。散るはずの火の粉は夜空に残り、細い線になって、ゆっくりと空をなぞりはじめる。誰かが息を呑み、誰かが「あれ、何だ」と呟く。先生も、生徒も、来賓も、ただ空を見上げていた。
僕は答えない。
答えられないんじゃない。
まだ、名前がないからだ。
見たことのない光が、夜の上で静かに形をつくっていく。
夜空に、誰も知らない紋様を描き出す。
ーーそしてこれは、そんな僕らがまだ、ただの高校一年生だった頃の話だ。
三年前。僕らがまだ、何者でもなかった頃の話。
◇
校庭に、雷が落ちた。
雲ひとつない春空を引き裂く、文字通りの晴天の霹靂だった。轟音に、校舎の窓ガラスがびりっと震えた。入学式を終えたばかりの新入生たちが一斉にざわめき、廊下にいた上級生まで足を止める。教壇の脇で書類を抱えていた教師が、思いきり肩を跳ねさせた。
「な、何が起きたの!?」
「え?雨とか降ってないよね?」
無理もない。
僕だけは驚かなかった。
心当たりが、あったからだ。
どうせまた、あいつだろうな。
窓際から校庭を見下ろすと、案の定、歓声の中心には見慣れた顔があった。新しい制服のジャケットを風になびかせ、何食わぬ顔で片手を上げている。
「おーい、新! 見た? 今のすごいっしょ」
遠くからでも分かるくらい、無駄に爽やかな笑顔だった。
僕は開いた窓に肘をついて、できるだけ気の抜けた声を返す。
「雅の御顔の方がすごいですー」
「褒めてる?」
「全然」
軽い皮肉のつもりだったのに、神代雅はなぜか満足そうに笑った。ほんとに腹が立つ。
落雷系統の魔法は、二級魔法師相当の練度がなければまともに扱えない。高校で習う「魔法」の範囲を、どう考えてもはみ出している。二級といえば、普通は大学か専門課程に進んでからようやく届くかどうかの領域だ。
ーー神代雅。僕の昔からの親友だ。
頭がいい。魔法もできる。運動もできる。顔もいい。性格まで悪くない。神様が設定を盛りすぎたんじゃないかと思うくらい、何でも持っている男だった。トップ進学校にだって受かるだけの能力はあったらしい。だけど家から近いとか、校風が嫌いじゃないとか、そういうそれっぽい理由をいくつか並べたうえで、最終的には「新がいるし」と笑って、県立夢見が丘高校に進学してきた。
意味が分からない。
でも、たぶん僕は、そういう意味不明なところまで含めて、こいつを親友だと思っている。
「もう、入学初日から何やってるのよ」
呆れた声がして振り向くと、そこには篠宮純香が立っていた。
きっちりと着こなされた真新しい制服。肩の下までまっすぐ落ちる黒髪。すっとした目元には涼しさがあって、一見すると近寄りがたく見えるけれど、付き合いの長い僕からすれば、そんなことはない。
篠宮純香は、僕の幼馴染だ。
小さい頃から何かと一緒で、気づけば同じ学校にいて、勉強も、試験も、行事も、だいたい同じ景色を見てきた。成績は学年上位に入るくらい優秀だけど、それは天才型というより努力の人だからだ。真面目で、清楚で、芯が強い。昔から、そういうところは少しも変わらない。
「止めなくていいの?」と僕が聞くと、純香は小さくため息をついた。
「止めて止まるようなら、今まで苦労してないわ」
「そうだよねぇ」
「でも、教師の前で落雷はやりすぎ」
「まあ、そこは雅だからね」
「そこを『雅だから』で済ませる人、あんまりいないと思う」
確かに。
窓の外では、雅が教師に囲まれながらも、まるで反省していない顔でへらへら笑っていた。歓声はまだ収まらない。女子の何人かがきゃあきゃあ言っているのが聞こえるし、同じクラスの男子も「え、あれマジ?」「一年で?」と騒いでいる。
その輪の少し外で、ひとりの女子がじっと雅を見ていた。
明るく染めた髪。ゆるく着崩した制服。耳元の小さなアクセサリー。ぱっと見は目立つし、いかにも陽キャだ。けれど、笑っている周囲とは少し違う。どこか遠くから眺めるような、熱のこもった視線だった。
あとで知ることになるその子の名前は、橘彩葉。
そのときの僕はまだ、彼女がこの先ずっと、僕たちの物語に必要なひとりになるなんて知らない。
◇
この世界には、科学と魔法がある。
名前だけ聞けば、まるで噛み合わないものみたいだ。でも実際には、両方とも当たり前のように同じ社会の中にある。
科学は、すでに存在しているもの同士の関係を探る学問だ。物質と物質、力と力、現象と現象。その結びつきや法則を見つけて、理解して、利用する。僕が好きな物理化学なんかはその代表だろう。
一方で魔法は、もっと直接的だ。そこにあるものを浮かせる。動かす。火を強める。水を集める。乗り物を補助制御する。現実に触れて、その形を変える技術。
そして、その先にあるのが魔法学だ。
魔法と魔法学。名前は似ているけれど、中身はまるで違う。
魔法が「あるもの」に干渉するものだとすれば、魔法学は「ある・ない」そのものに触れようとする。火を大きくしたり消したりするのは魔法。何もない場所に火そのものを成立させるのは魔法学。有から無へ、無から有へ。存在の境目をいじる学問。
難しすぎるし、危険すぎる。だから義務教育には組み込まれていない。
中学までに習うのは、あくまで「魔法」までだ。生活補助や簡易操作みたいな、現実にあるものへ手を伸ばす基礎技術。高校に入って、ようやくその先の入口が開く。
だから僕は、夢見が丘高校に来たかった。
夢見が丘高校には、複合科目として魔法科学がある。
魔法と科学を結びつけて、実際の現象として扱う授業だ。
たとえば魔法で火を生み、水を沸かし、蒸気圧でタービンを回して発電する、というように。
魔法を奇跡のまま終わらせず、仕組みとして使うための科目だった。
僕は平々凡々だ。成績は本当に中の中で、目立つことなんてひとつもない。だけど物理化学と魔法学だけは好きだった。片方は世界の理を読む学問で、もう片方は世界の理の外側に触れようとする学問だからだ。
理解することと、書き換えること。
その両方にまたがる場所に、きっとまだ誰も見たことのない何かがある。ずっと、そんな気がしていた。
◇
入学式のあとはホームルームだった。
担任の浅見先生は三十代前半くらいの女性で、肩までの髪をひとつにまとめ、眼鏡の奥から教室全体を落ち着いた目で見ていた。さっき校庭に落ちた雷のせいで多少ざわついていた空気も、先生が教卓を軽く叩いただけで、すっと静まる。
「夢見が丘高校へようこそ。まず言っておきますが、校庭を勝手に実験場にするのは禁止です」
教室の半分くらいが、ちらっと雅を見る。本人は涼しい顔で前を向いていた。
「特に一年生は、これから“魔法”と“魔法学”の違いを嫌というほど思い知ることになります。手順を守ること。理論を軽んじないこと。調子に乗らないこと。」
最後のひとつだけ、明らかに雅へ向けられていた気がする。
自己紹介がはじまると、クラスの空気は一気に高校らしくなった。緊張した声、妙に元気な声、笑いを取りにいって滑るやつ。みんなそれぞれだった。
雅の番になると、教室がちょっとだけざわつく。
「神代雅です。好きなものは面白いこと。苦手なものは退屈。よろしく」
短いのに、なんとなく全部持っていく。ずるい。
純香は名前を名乗って、出身中学と得意科目、それから「この三年間を無駄にしないよう頑張ります」とだけ言った。派手さはないけど、きれいにまとまっていて、いかにも純香らしい。
橘彩葉の自己紹介は、思ったよりずっと明るかった。
「橘彩葉でーす。好きなのはかわいいもの全般と、おいしいもの。あと、めんどくさい空気はちょっと苦手。みんな仲良くしてねー」
教室のあちこちで笑いが起きる。話し方は軽いのに、不思議と嫌味がなかった。空気のつかみ方がうまい。そう思った。
でも、ちらっと視線を向けた先で、彼女はほんの一瞬だけ表情を消していた。
何かを測るみたいに、まっすぐ雅を見ていた。
◇
放課後、僕たち四人は一緒に歩いていた。
「橘もこっち方面なんだろ? なら一緒に帰ろうぜ」
そんな雅の一言で、彩葉も自然に輪の中へ入ってきた。
「せっかくだし、帰る前にちょっと寄り道しない?」
この一言で断れるやつは少ない。純香は「また急ね」と言いながらもついてきたし、彩葉も「え、なにそれ面白そう」と笑って乗った。僕はというと、雅がそう言い出したときの目を知っている。あれはもう何か面白いことを見つけた目だ。
向かったのは、学校の裏手の坂を上った先にある小さな公園だった。
ブランコと滑り台とベンチがあるだけの、昔ながらの公園。僕と雅と純香には馴染みの場所だ。小さい頃から何度も来た。夏休みに蝉を捕まえて、冬に息を白くして、受験前にはベンチに座って黙っていたこともある。
「へえ、こういうとこあったんだ」
彩葉がフェンス越しに街を見下ろして言った。夕陽がちょうど傾きはじめていて、オレンジ色の光が遊具の影を長く伸ばしている。
「俺たちの秘密基地みたいなもん」と雅が言う。
「秘密基地にしてはオープンすぎるでしょ」
純香がすぐさま突っ込む。そのやりとりに彩葉が笑った。初日なのに、妙に自然だった。
風が少しだけ冷たい。
僕はベンチの前で立ち止まって、しばらく黙った。
言うなら今だと思った。たぶん、ここで言わなかったら、ずっと言えない気がした。
「みんなに、言いたいことがあるんだ」
口に出した瞬間、心臓がやけに大きく鳴った。
雅と純香が静かにこっちを見る。その顔を見て、ああ、この二人はもう何となく分かってるんだな、と思った。昔からそうだ。僕が大事な話をしようとすると、だいたい先に気づかれる。
彩葉だけが少し目を丸くしていた。でも逃げずに、ちゃんと待ってくれる顔だった。
夕陽が、公園をやわらかく照らしている。
ブランコの鎖が、風に揺れて小さく鳴った。
僕は一度だけ息を吸いこんで、それから言った。
「今まで、誰も見たことのない魔法を作りたいんだ」
言葉にした瞬間、自分でも無茶だと思った。
高校に入ったばかりの一年生だ。資格も、知識も、技術も、何も足りない。目の前にいる雅はともかく、僕自身なんて本当に普通だ。そんな僕が、誰も見たことのない魔法だなんて。
それでも、言わずにはいられなかった。
物理化学と魔法学が好きだった。世界を理解したかったし、その先にある境界にも触れてみたかった。教科書に載っている魔法だけじゃ足りなかった。もっと別の、まだ名前のない何かがある気がした。
そして、もしそれを追いかけるなら。
ひとりじゃ無理だと、最初から分かっていた。
雅がいて、純香がいて、そして今日出会ったばかりの彩葉がいる。なぜか分からないけれど、この四人なら届くかもしれないと、そんな予感があった。
夕陽に照らされた三人の顔が、まっすぐ僕を見ている。
その光景が、なぜだか答えみたいに思えた。
「一緒に作ろう」
声が震えそうになるのを、どうにかこらえる。
「この四人で」
短い沈黙のあと、最初に笑ったのは雅だった。
「いいじゃん、それ」
あまりにもあっさりしていて、力が抜けそうになる。
「新がそういうの言うなら、本気なんでしょ。なら俺は乗るよ」
純香は小さく息を吐いて、それから少しだけ呆れたように笑った。
「最初からそのつもりでここに来たんじゃないの?」
「ばれた?」
「ばればれ」
でも、その横顔はやわらかかった。
「無茶なのは分かってる。でも、あなたがそう言うなら……私は協力する」
最後に彩葉が、少しだけ視線を伏せたまま言った。
「誰も見たことない魔法、か」
その声は、教室で聞いた明るい調子とは少し違っていた。
「……うち、そういうの、嫌いじゃない」
顔を上げた彼女は、いつもの軽さをまとった笑顔に戻っていた。
「ていうか、むしろ好きかも。面白そうじゃん」
その答えが、ひどくうれしかった。
たったそれだけのことなのに、世界が少し広がった気がした。
夕陽はもう、街の向こうへ沈みかけている。
オレンジ色に染まる丘の上の公園で、僕たちはまだ何者でもなかった。高校一年生で、未熟で、資格も実績もなくて、ただ少しだけ夢を見ていた。
でも、あの日の僕は確かに思った。
――ここから全部が始まるのだと。
登場人物
鳴海 新
主人公。科学と魔法が好き。誰も見たことのない魔法を作りたい。
神代 雅
主人公の親友。イケメンで多才、成績優秀、魔法も強い。
新を気に入っている。
篠宮 純香
主人公の幼馴染。真面目で清楚、黒髪ロング、努力家で芯が強い。
橘 彩葉
ギャルっぽい雰囲気。3人と一緒のクラス。雅のことが気になる。




