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第1話

今年は異常気象だった。


 ここ、いなり山も梅雨は空梅雨。夏は本当にどうかしてる暑さだった。本当に蒸し暑くて、溶け死にそうだった。夏毛でも。いや、夏毛でも毛をまとっているからそりゃ暑いんだよ……って?


 まぁ……それはある。確かにある。




 そんな僕はキツネだ。よくいるキツネだ。




 人間は……ちょっぴり怖い。ほんとちょっぴり。そこはすごく怖いんじゃないの? って言われそうだけど、これもキツネの性なのか好奇心だけは一人前。臆病だけど。


 だからどんな生態をしていてどんなことに興味を抱くのか気になるのだ。すごい、二本足ってどんな感覚なんだろなって思って、試してみたんだけど、ただただ後ろ脚がキツかっただけだった。すごいな。人間って。だってずっと二本足だよ? 


 仲間内で話したことがある。「この間人間にみっかちゃってよ! あっちは二本脚、こっちは倍の四本脚で全速力で逃げたさ」だって。脚の速さなら負けないよ。ってただ僕ら野生のキツネ族が臆病なだけだけどね。




 季節は冬になった。僕らはすっかり冬毛をまとっている。暑さに比べたら、冬の寒さなんてへっちゃらさ。


 でも悩みのタネはご飯。虫や僕らよりも小さいヤツらはみんな冬眠してめっきり見なくなってしまった。仕方ないからきのみや果物だけでもって思っても、さっきも言った通り今年は異常気象できのみやら果物がいつもより取れずに蓄えられない。とうに木は枯れ葉すらついていない。


 参ったなぁ、久々に腹ペコだよ。キツネは冬眠しないし冬乗り越えるのが得意だっていうだろう? でもね、野生の世界はそうは甘くないのよ?


 野ネズミのヤツら、警戒して出てきやしないよ。栄養が取れなくてもうやんなっちゃう。この冬が肝心なのに。


 あ、というのもね、僕好きな子が出来たの。山の中腹、三丁目に住む子でね。もうかわいいの。そのためにはいっぱい食べて、その分アピールするためいっぱい動いてってしなきゃなのに、なにせエサが取れない。早くしないと他のヤツに好きな子取られちゃうと思うと、もう居ても立っても居られない気持ちだよ。


 ある時、仲間に最近狩りができなくて困っているってボヤいたら。


「お前、そんなのな、山降りりゃあいいじゃん」って言うんだよ。


「……山降りるって……人里まで降りるの? やだよ。……人間いるじゃん」


「そうだけど、背に腹は代えられねぇだろ? あっちは二本脚。こっちは四本脚だ。もらえるもんだけかっぱらって戻ってくりゃあいいんだよ」


「そんなこと言ったって……いざ人里に行ってもなんにもないことだってあるでしょ?」


「……お前知らないの?」


「何が」


「エサ配りじいさん」


 エサクバリジイサン……? 新しい食べ物だろうか?


「ちげぇよ。人間のじいさんがなんだか知らねぇけどやたら、きのみやらなんやらくれやんの。俺らいなり山四丁目のほうじゃ有名だぜ? いつも家の庭の真ん中らへんの決まった場所に置いて、そのじいさんは家の中に入って、でそれをただひたすらニコニコして見てやがんの」


「……それ面白いのかな?」


「わっかんねぇよ。人間の考えることなんざ。けど、エサはタダで貰える。でもってあっちは手出ししねぇんだ。場所教えてやるから行ってこいよ」


「う〜ん……まぁ気が向いたら」




 ……なんて言いながらも……来てみてしまったんだけどね。




 僕の住むいなり山二丁目では聞いたことないけどなぁ。二丁目はエサ配りじいさんの話を教えてくれたヤツが住んでいる四丁目よりかなり山深いところだから、そういう噂話は届かないのかな。それに四丁目は割と人里に近いし、人里まで降りて人間の食べ物を漁ったりする連中が多いって聞くし。良く言えば強か。悪く言えば図太いって言うのかな。


 しかし人里に降りたのいつぶりだろう。一回降りたことあるんだよね。いわゆる子ギツネって言われるときに。その時に人間の子供に見つかって、「あ、ヤバい」と思ったら母さんにカプって咥えられながら必死に逃げたっけか。


 あのあと母さんにめちゃくちゃ怒られたなぁ。


「ダメでしょ! あんた一人であんなとこまで行って!」って。


 だからそれ以来行ってないのよね。でも、人里まで降りたけど、いなり山ほどではないにしろ、かなり緑が茂っている場所だ。周りに何の家もない。というより距離があるって言うのかな。その例のおじいさんの家が森の中に、ぽつりんとある感じ。こういうのなんていうんだっけ?


 ……あぁそうそう、隠れ家的って言うのかな? そんな感じ。


 僕はそれでも周りをキョロキョロ確認しながら、おじいさんの家まで一歩一歩抜き足差し足で茂みを進んでいく。




 その時だ。ガチャと音がした。


 その瞬間に僕はビクンっと身体を大きく跳ねさせた。そしてついピタッと止まってしまった。




 人だ。人が出てきた。


 もうだから言ったじゃないか、人里に出たら人がいるって。当たり前だけど。


 出てきた人間は腰を曲げ、杖をつき前のめりになりながら、出てきた。片手には何か持っている。


 あれ。もしかして、例のおじいさん?


 おじいさんと思わしき人は家の庭の、真ん中に行くと太い切り株のもとにしゃがんで持っていた何かを地面にバラバラッと置いた。


 あれって……




「そこにおるのは分かっとるよ」




 えっ……


 おじいさんはくるっと素早く僕のほうを向いた。身体がビクン! ともう一度大きく跳ねた。ヤバい逃げたほうがいいかな。でも身体が中々動かない。


「ほっほ……ほれほれ怖がりなさんな。新しい食べ物ならここに置いた。好きに持っていくがよい」


 突然の声かけに戸惑った。けど、なんだろう。ひどいことはしなさそう。


 うむむ博打かな……でも信じてみようかな。


 僕は恐る恐る茂みから出るとおじいさんの元に歩き寄った。


「おや、お前さん初めてじゃないか?」


 え、すごい。見ただけでそんなことも分かるんだ。僕は小さく頷いた。


「わしはキツネマスターじゃからな。ひと目でどんなキツネでいつ来たキツネが何度来たキツネがわかるんじゃ。ほれ一見さんよ、たくさん持っていくがよい。見たところここのところ狩りがうまくできなくて腹減っているんだろうよ。違うか?」


 え、めっちゃ当ててくるじゃん。……キツネマスターってなに? なんですか?


 まぁ、とりあえずお言葉に甘えてとりあえずもらっていこう。一個……二個……三個……とりあえずこれくらいでいいか……


「好きな子もいるんじゃろ。ほらほらもっと持っていってたくさん食べなさい」


 ……えぇもうなにこの人。めっちゃ怖いんですけど。一周回って恐怖。ドン引き。キツネマスター怖い。……だからキツネマスターってなんなんだ一体。


 まぁそこまでいうのなら……


 一応、ペコリとお礼のお辞儀をしてみる。するとおじいさんはニコニコ顔で「気をつけてな」と言いながら手を振った。


 初めて人間とあんなに接して胸と身体はドキドキだった帰り道。でも不思議だね。悪い気分ではなく、足取りはどことなく軽かった。荷物はもらった予想以上にもらった食べ物で重いけど。


 おじいさんからもらったものは……えっと栗、クルミ、クコの実に、ヤマブドウ、リンゴにミカンに……わぁ、干し柿もある。これおじいさんのお手製かな。これだけあればしばらくは安心だよ。


 しかしありがたいこともあるもんだ。人間から食べ物をもらえることがあるなんてね。


 なんでも人間の世界では僕らにエサをあげちゃダメってなっているはずなんだけどなぁ。こんなこと言うのはアレだけど、おじいさん相当やらかしてないか……?


 なんてキツネながらに一瞬思ってみたけど、食べ物を前にした野生育ちの僕にはとりあえずそんなことはどうだって良かった。とにかく腹が減った。食べよう。いただきます。




 ……ん……うーん……あぁ……胃に食べ物が入る感覚。……これだよこれ。なんか生きてるなぁって思うよ本当に。美味しい。美味しいよぉ。


 空腹の時のご飯ほど心も体も満たされる瞬間はないよね。僕ら肉食系雑食の食事にしては大分ベジタリアン(?)、ヴィーガン的(?)な食事ではあるけど、それでも美味いものは美味い。


 干し柿…………うぉ。んー! ちょっと待って! ……これめちゃくちゃ美味しいぞ? え? なにこれ。なにこの食べモノ。


 こんな美味しい柿食べたことない。山に実る柿はだいたい渋柿だ。舌がへばりついて食べられたものじゃないし熟すころには、鳥に食われて無くなっちゃうし。


 仲間が人間からかっさらってきた干し柿も食べたことあるけど、こんなに甘くてトロッとした濃厚な干し柿は食べたことない。衝撃的美味さ。


 こんなの狩りしたくなくなる。野生殺しだよ。


 四丁目のキツネたちが人里に降りる気持ちがなんとなく分かる気がする。まぁいけないことなのだけれど。


 ふぅ……久しぶりにお腹が膨れた。


 やっぱり満腹は幸福感をもたらすとは言ったもので。とてもいい心持ちだ。なんか何でもできそうな気がしてくる。


 外は燦然と晴れている。気持ちの良い昼下がり。僕はぐぅ……と伸びをした。




 すると……




 カサカサ……カサカサ……




 僕の家の目の前にある竹藪から物音がする。


 思わずビクンとなり、耳がピクピクっと反応する。


 ……え? 何……?


 どんどん近づく影。怖い。逃げたほうが……


 逃げ…………




「……っひ……ひなたちゃん!?」


「ヤッコくん……」




 紹介しよう。絶賛片思い中の三丁目のひなたちゃん。穏やかで控えめだけど可憐でもうかわいいの……ってそんな悠長に紹介している場合じゃない!


 何がって? だって竹藪から出てきたひなたちゃんの様子はそれはそれは痛々しくて、足下はヨロヨロ、顔は今にも倒れそうなくらい生気がない。


 僕は駆け足でひなたちゃんの元へ駆け寄る。


「どうしたの!? 大丈夫!? いや明らかに大丈夫じゃないよね? 何があったの? いや待って! そんなこと聞ける状況じゃないよね! えっと」


「……ヤッコくん……まずあなたが落ち着いて……」


 ……息も絶え絶えの彼女に冷静にそう言われてしまった。不覚。


 僕は一瞬反省し、一息つく。


「えっと……まず、お水汲んでくるからちょっと待っててね!」


 僕は、以前拾った人間の落とし物であろうアルミの皿っぽいやつを取り出して咥えながら、すぐ横のちぃさな川に水を掬いに行った。


 零さないようにそぉっと運ぶけど、ひなたちゃんの元へ運ばないと、という焦りからなのか、揺れでちょいちょい水が飛び出てしまう。そのたびに顔にビチャ……ビチャ……とかかって冷たい。


 それでも何とか、ひなたちゃんの元へ運んであげてとりあえず飲んで、と渡してあげると、力なくだけど、ちびちび飲んでくれる。


「ちょっとは落ち着いたかな……?」


「……うん……ありがとう……」


「良かった……そ、それで、その、どうしたのかな?」


 僕はひなたちゃんの様子を伺いながら、何があったのかを尋ねた。ひなたちゃんは水を得てほんの少しだけの余裕ができたのか、ポツリポツリと話し始めようとする。けど……


「……くすん……ごめん……」


「……無理に話さなくても大丈夫だよ。ここは安全だから……ゆっくり……ゆっくりでいいから」


 涙が出て、中々思うように喋れないでいた。僕は優しく声をかけ続けた。その甲斐あってか落ち着いたひなたちゃんの口から出た話は……本当に胸が引き裂かれる話で、開いた口がふさがらなかった。




 昨夜の晩のこと。ひなたちゃん一家は食べ物を求めてフラフラになりながらも山へ降りた。


 でも山に降りても食べ物はなかった。空腹を満たせないままフラフラと人里まで降りた。いなり山と人里の間にはいわゆる国道がある。田舎の夜更けの国道。あまり通らないと思っていた車がすごいスピードで国道を駆けてゆく。


 刹那、その車はひなたちゃん家族もろとも……宙に飛ばした。残酷にもひなたちゃんを遺して。




 それから今までの事は憶えていないという。とにかく泣いて泣いて泣いて泣いて、ここまで戻ってきたという。うちにいるとまだ家族がいるような気がして家に飛び込んだ。でも家はもぬけの殻。現実を突きつけられるようで気が狂ってしまうので、食べ物もロクに食べられずにいなり山をフラフラと彷徨っていた。そこに僕がいたと。


 端的に話すと、そういうことだった。まさにいなり山三丁目の悲劇であった。


 ……一夜にして、大切な家族をすべて失ったひなたちゃんを目の前に、僕は何一つかける言葉が見つからなかった。というより口に出せなかった。何を言っても、元気づけることなんて出来ないと思うから。そのかわり何かできることはないかと僕は、咄嗟にひなたちゃんの横に寄り添って体温を分かち合った。


 そうだ。言葉で温められないなら、辛くとも今を一生懸命生きている証拠でもあるこの温もりで、悲しく冷たくなった気持ちをじんわりとでもいいから温めてあげようと。


 ひなたちゃんはなにも言わず、僕に身体を任せてしくしくと泣いた。途中、僕も悲しさが伝染して、泣きそうだった。あまりにも悲しすぎて辛すぎて。でも泣かない。僕だけは泣かないんだ。


 家族はいなくなったけど、ひなたちゃんはこうして温もりを保って生きている。あ、そうだ。


「ひなたちゃん、お腹空いているだろう? 良かったらこれ……食べて?」


 僕は、先ほどまで口にしていた残りの食べ物を差し出した。


「……これは……?」


「その……人間のおじいさんがね……くれたんだ」


 ひなたちゃんは目を見開いて、また絶望したように、「人間が? 食べ物を……?」と言った。


「四丁目の奴が教えてくれたんだ。何でも僕らキツネに食べ物を配っているおじいさんがいるって。今日行ったら直接もらえて……」


 ひなたちゃんはまたさらに表情が暗くなった。


「そんな……知っていれば私たちは……」


 そうだよね……。もう一日早く知っていればこんなことにはならなかったよね。運命って本当に残酷だよ。僕ももっとひなたちゃんの状況を早く知っていれば……!


 悔しさで奥歯がキリキリしている。


「君は今こうして生きている。生きているからには食べて生きて、元気にならないと、いなくなったお母さんやお父さん、弟さんはもっと悲しくなってしまうんじゃないかな?」


「くすん……」


「もちろん無理に口にしろって言わないからね。でも腹ペコな上にショックな事もあっただろうから少しでも気が紛れる事が出来たらいいなって思っただけだから……」


 ひなたちゃんは口を開かず下を向いてしばらく静寂が続いた。けど意を決したかのように顔をパッと上げると「食べてもいい?」と細い声で僕に尋ねた。


 僕はニコッと笑って「もちろん」と答えた。そう言ったのとほぼ同時かちょっとフライング気味に、ひなたちゃんは目の前にある食べ物を口に頬張った。息をつく間もなく、かき込んだ。時々涙を振り払いながら。


「くすんっ……美味しい……くすんっ……」


「そう……良かった……」


「これは……? 干し柿……?」


「食べてみな。びっくりするから」


 僕がそう言うと、ちょっと不安そうに例の干し柿を口にする。


 すると、ひなたちゃんの耳はピクピクっと動かして、そしてフリーズした。


「どう……?」


「……え、美味しすぎない?」


「でしょう? ヤバイよね」


 あまりの美味しさに固まっていたようだった。良かった、石化してしまうのかと思った。


 どんどん干し柿を食べ進めるひなたちゃん。


「……ごちそうさまでした……ヤッコくん……本当にありがとう」


 深々と頭を下げられる。僕は「いやいやいやとんでもない! 良かったちゃんとご飯も食べられて……」とほっとした。


「なんか……ご飯食べたら……疲れてきちゃった……すごく…………眠い……」


 そりゃあ無理もないよ。ずっと腹ペコでおまけに家族も亡くして身体も心もキズだらけだったんだもの。


「あの……良かったら……僕の家で休む?」


「え……?」


「あ、いやっていうのはそのお家に帰ってもまた辛くなるだけかなって思って……もちろん無理にとは言わないよ! 無理にとは! だってねえ? そりゃそうだよね! 僕たちは夫婦(めおと)なわけじゃないし、そのお付き合いしているわけでもないからひとつ屋根の下でそんなことねぇ? できっこないっていうのは充分わかっているから、うん、無理にとは言わない。無理にとはうん……はい」


 ひなたちゃんはポカンとしていたけどやがて……


「……ふふ……ふふふ……ヤッコくんったら……必死すぎ……」




 笑われた。……いや。笑ってくれた。


 やっと笑顔が見れた。




「ふふ……そっかぁ……うん……じゃあお言葉に甘えようかな……?」


「……へ?」


「いや、泊めてくれるんでしょう?」


「……へ!? あ、いや、その……いいの?」


「いいのって、ヤッコくんが言ったんじゃない」


「そ、そうだけど……僕だよ?」


「ふふ……なにそれ。自分で言ったのに自信ないなんて……おかしい…………ヤッコくんだからだよ」


「え?」


「ヤッコくんだから安心して背中を預けられるの」


 ズッキューン……って音がした。心が。ヤバい。ねぇ本当に……やだもう。これ以上惚れさせないで。


「どうするの? 寝ていいの? ここで」


「…………つぅー……くぅ……どうぞ…………お入りなさいましぃ……」


 ……そこからの展開というものは、みんな大体想像のつくようなことで。


 良いのか悪いのか分からないけれど、これを機に僕たちはお付き合いする仲になる。


 感傷の最中を漬け込む悪いオスにはなりたくないけれど……


 でも……一生大事にすると決めたんだ。


「彼と一生添い遂げて幸せだった」と、必ずそう思わせると彼女に誓いを立てて、話はまとまる。


 近所の連中が「お祝いだ!」と言って、この厳しい冬、食べ物が取れずにみんなが困っている中、沢山の食べ物の贈り物をしてくれた。「奥さん大事にしろよ!」「元気な子供産むんだぞ!」と温かい激励と共に。


 


 冬がより深くなるにつれて僕らもより距離が近くなり仲が深くなる。


 今、新しい家族を迎える準備をしているところだ。




「そうか……僕もとうとうお父さんかぁ……」




「そうだよ?」


「……あ、聴こえてた?」


「うん。随分大きな独り言言っているなぁって思った。私との子供はイヤ?」


「まさか! とんでもない」と僕はブンブンっと思い切り顔を横に振った。


 好きな子と結婚できて? その間に子供だよ? 一生で一番の幸せじゃないか!


 ひなたちゃんは僕の様子にまたクスッと微笑んだ。でもしばらくして「でも怖いなぁ……」とひなたちゃんが少しばかし物憂げにそう呟く。


「そうだよね。やっぱりお産に、不安はつきものだよねぇ……」


「そうじゃなくてね……」


 ひなたちゃんは一息つく。




「また失うのが怖くて……」




 その言葉の重みったらない。ひなたちゃんの声は震えていた。


 僕は居ても立っても居られなくて、ギュッと抱きしめた。冬毛二匹で引っ付いてるから、はたから見たら黄色いもっふもふの物体である。


「大丈夫。僕がすべて守るから。君も子供も……」


 ひなたちゃんは幾分か安心したのか、「うん。守ってね?」とニコッと微笑むと僕に身を任せてくれた。


 人間がどれくらいの周期で赤ちゃんを産むのかよくわからないけれど、人間から見たらキツネの出産は結構あっという間に見えると思う。キツネである僕から見てもあっという間だった。僕はお父さん。家族のために、せっせとエサ集めに奔走(ほんそう)した。


 ただ、やっぱり楽じゃないエサ集め。中々集まらない。


 うぅ〜ん……どうしたものか……




 ……あ。……いるじゃないか。


 ……()()()が。




 僕は、久々に向かった。あの人の家に。


 乞食かもしれない。でも仕方ない。愛する家族のためだ。




 来た。あの時の家。煙突はポポポ……ポポポ……と煙を吐いている。


 おじいさんいるかな……? 一応いなり山に咲く、キキョウの花をお土産で持ってきた。


 玄関に立ってみる。




 ……うぅ〜ん……


 カリカリカリ……と扉を掻いてみる。




 キィィ……


 わ、びっくりしたぁ!




「……おや、お前さんは一度来たキツネじゃないか。……それに……うむうむ、番つがいになって、子供もできたとな」




 ……めっちゃ見透かすやん。




 忘れていた。この人、キツネマスターだってこと。意味はいまだに分からない。




 んむ……と咥えていたキキョウの花を差し出す。


「ほぉキキョウの花。わざわざ届けに来てくれたのか? ありがとうな。食卓が豊かになる。……あぁ、食べ物な。ちょいと待ってくれ」


 おじいさんは家の奥に引っ込む。


 すぐに出てきて、食べ物をどっさりと持ってきて、僕の目の前に置く。


「ほれ。好きなだけ持っていくがよい」


 あぁ……本当にありがとうございます……おじいさん。僕はありがたくちょこちょこと食べ物をいただくと、一礼しておじいさんにお礼をした。


「ほほっ……気をつけてなぁ」


 おじいさんは僕に手を振って見送ってくれる。僕はおじいさんに、もう一度一礼して、食べ物を家に持って帰る。


 奥さんはびっくりしてたけど結果喜んでくれた。子供も幸せそうな顔をして口いっぱいに頬張っている。特に例の干し柿。


 もはやウチはあのおじいさんに救われ、育てられているようなものだよ。あのおじいさん様様だ。




 こうしておじいさんのおかげで僕は好きな子と夫婦になり子宝にも恵まれましたとさ。めでたしめでたし。





 ……とはいかせてくれないもので。実は物語はこれからなのである。





「え……」


 僕は聞こえてきた会話に自慢の耳を疑った。


 それはこの穏やか春をぐるんっとひっくり返すような(むご)く凍りつかせるような瞬間だった。




 おじいさんにずっとお礼がいいたかった。何か恩返しがしたかった。




 なのに。なのに……




「もって……あと一年弱でしょう」


「そうですか……」




 続

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