第4話 名前がほしい
「フィーネ……フィーネ……」
少年は何度も、その名前を口にしてみた。
口の中で転がすたびに、胸の奥がふわっと温かくなる。
白い小さな獣――フィーネは、幸せそうに尻尾を揺らしていた。
その尻尾は光のようにやわらかく、触れると指先がくすぐったい。
「お前、ほんとに懐かれてるな」
ガルドが笑いながら、飼葉桶の水を替えていた。
「あのフィーネってやつ、まるでお前のこと守ってるみてぇだ」
「……守ってる?」
「ああ。あいつの目、ずっとお前を追ってるぞ」
少年は照れたように視線をそらした。
フィーネが近づき、膝の上に顔を乗せる。
「……名前、いいな」
「ん? なんか言ったか?」
「ううん……」
ガルドが離れたあと、少年は静かにフィーネの毛を撫でた。
「フィーネには名前がある。
でも、ぼくには……ないんだ」
声に出すと、胸の奥が少し痛くなった。
前の世界では、誰も名前を呼ばなかった。
呼ばれるどころか、“存在”を無視されることのほうが多かった。
「……ぼくも、名前……ほしいな」
その言葉に反応するように、フィーネが小さく鳴いた。
『……なまえ……ほしい?』
「うん。だって、呼ばれたい。誰かに」
フィーネはしばらく少年を見つめて、そっと額をすり寄せてきた。
その瞳の奥に、やわらかな光が宿っている。
『……そのうち、もらえるよ。きっと』
「……そうかな」
『うん。だって、君はは“生きたい”って言えたからね』
少年の心臓がドクンと鳴った。
あの時――馬小屋で目を覚ましたとき、確かにそう思った。
名前もない自分が、それでも“生きたい”と願った。
それだけで、今は十分な気がした。
「……ありがとう、フィーネ」
フィーネは嬉しそうに尻尾を揺らした。
その姿を見ながら、少年は思った。
いつか、自分にも“誰かが呼んでくれる名前”がほしい。
それは――この世界で、本当の自分を見つけるための第一歩だった。




