第1話 スープの香り
湯気がゆらゆらと揺れていた。
木の器の中で、薄茶色のスープが湯気を立てている。
馬小屋の隣にある小さな家の台所。
石造りの壁と、薪の香り。
少年は椅子の端にちょこんと座って、器を両手で抱えていた。
「……うまいか?」
向かいの席で、ガルドが腕を組んで笑っている。
厳つい顔なのに、笑うと少しだけ目尻が下がる。
「……あたたかい」
少年はぽつりとつぶやいた。
その言葉を聞いた瞬間、ガルドの表情がやわらいだ。
「そりゃよかった。もっと飲め」
「……うん」
スープの中には、野菜と少しの肉。
塩気は控えめで、やさしい味がした。
前の世界では、食べ物はいつも残り物だった。
皿の音がするだけで、体が固まっていた。
けれど今は――違う。
器の温もりが、指先から胸の奥まで広がっていく。
「……なぁ坊主」
ガルドの声がした。
「お前、どこから来た?」
少年はスプーンの動きを止めた。
「……わかんない」
「そうか」
ガルドはそれ以上何も聞かなかった。
ただ、そっとパンをちぎって皿に置いてくれた。
「無理に思い出さなくていい。ここでしばらく休め」
「……いいの?」
「いいさ。人手も足りねぇしな。馬の世話くらいは頼むかもしれんが」
「……できるかな」
「できるさ。あいつらは優しい。人よりずっとな」
ガルドの声は、どこか懐かしい響きを持っていた。
少年は少しだけ笑って、スープを飲み干した。
外では、夕風が牧場を撫でていく。
馬のいななきが、どこか楽しそうに聞こえた。
その夜――
少年は、久しぶりに“眠る”という感覚を知った。
藁の上で目を閉じると、馬たちの静かな呼吸が聞こえた。
その音が、子守唄みたいに心地よくて。
「……おやすみ」
誰に言うでもなく、ぽつりと呟く。
こうして、少年の“初めての夜”が静かに過ぎていった。




