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プロローグ 馬小屋の光

――風が導く出会いから、少年の新しい日々が始まります。


――まぶしい。


まぶたの裏に、淡い光が差し込む。

ゆっくりと目を開けると、木の壁と干し草が見えた。

草の匂い。遠くで馬の鳴く声。


「……ここ、どこ……?」


体を起こすと、乾いた藁がこすれる音がした。

痩せた腕。ぼろぼろの服。

けれど、痛みは――ない。


胸の奥がざわめく。


「……なまえ……なんだっけ」


ぽつりと、声が漏れた。


思い出せない。

そもそも、誰かに名前で呼ばれたことなんて――あっただろうか。


いつも「お前」と呼ばれていた気がする。

学校なんて行かせてもらえなかった。

名前を書いた記憶も、呼ばれた記憶もない。


たしか、あの時……


皿の割れる音。

荒い息。

刃物の光。

痛みと、冷たい床の感触。


そこで、記憶が途切れた。


「……あれが、最後だったのか」


小さく息を吐く。

けれど、今は――痛くない。

息ができる。

風がやさしい。


「……生きてる?」


馬小屋の空気が、静かにその声を飲みこんだ。


そのとき、扉がきしんだ。


「おい! おい坊主!」


大きな影が差し込む。

反射的に、体が固まった。


入ってきたのは、背の高い男だった。

灰色の髪、日に焼けた腕。

厳つい顔。鋭い目。


怒ってる……?

そう思った瞬間、息が浅くなる。

叩かれる。怒鳴られる。


体が勝手に後ずさった。


「……おい、大丈夫か」


男の声が低く響く。

近づいてくる足音に、喉が凍る。


けれど、次の瞬間。

男は膝をついて、ゆっくりと目線を合わせた。


「……そんなに怯えんな」


声が変わった。

さっきまでの荒っぽさが嘘みたいに、やわらかい。


「お前、ここで倒れてたんだ。怪我はねぇか?」


しゃがみこんだ男の瞳は、琥珀色に光っていた。

優しさが混じっているのが、わかる。


少年は、かすかに首を横に振った。


「そっか……ならよかった」


男は安心したように息をついた。

そして、手を差し出す。


「立てるか?」


少年はその手を見つめた。

ごつごつしているのに、どこか温かそうだった。


それでも、手を伸ばせない。

怖い。叩かれるかもしれない。


男は一瞬だけ困ったように笑い、

手を引っ込めた。


「……わかった。無理すんな。ここは安全だ」


ゆっくりと立ち上がると、

扉の外を指さした。


「腹、減ってるだろ。スープがある」


その言葉に、少年の喉が鳴った。


あたたかい――。


どんな意味だったかも、少し忘れていた言葉。


「……うん」


かすかに頷くと、男が目を細めて笑った。


「よし。……俺はガルドだ。元は冒険者でな。今はこの牧場をやってる」


「がる……ど」


「ああ。それで、お前の名前は?」


少年は首をかしげた。

少しの沈黙。


「……わかんない」


ガルドは驚いた顔をしたあと、ふっと笑った。


「そっか。じゃあ、思い出すまで“坊主”でいいか」


その言い方が、なぜか嫌じゃなかった。


馬たちが静かに鼻を鳴らし、干し草の匂いがやわらかく漂う。


夕陽の光が差し込み、少年の髪を淡く照らした。


こうして――

名もなき少年の、二度目の人生が始まった。



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