第20話
図書室の静けさは、時間の流れさえ鈍らせているようだった。
高い天井から吊るされた魔導灯が柔らかく揺れ、リゼリアの銀髪を金色に照らす。
彼女は膝の上に分厚い魔導書を広げ、真剣な眼差しでページを追っていた。
ユウマは隣の席でZavixのGUIを開き、機能リストを確認していた。
《収納魔法モジュール/空間転送ルーチン/解析プラグイン/支援呪文管理/知識統合記録》
見慣れない項目が増えており、スクロールするたびに新しい名称が並んでいく。
「……すごいな。もう、ただの管理ツールじゃないな」
小声で呟くと、Zavixが淡く反応した。
――《新規機能群の統合を確認。詳細は管理室での閲覧を推奨します》
画面の端がわずかに揺れた。
二人は図書室を後にし、人通りの少ない路地に入った。そこで管理室への転移を実行する。
視界の焦点が歪み、光が一瞬だけ反転する。
◆
次の瞬間、ユウマは無音の空間に立っていた。
灰白色の床、遠くまで続く柱列、そして宙に浮かぶ制御盤。
管理室――Zavixの中枢領域。
「……おいおい、管理室すごいことになってるぞ」
周囲を見回すと、光の粒がゆっくりと集まり、形を成す。
長い髪が光を受けて透き通るように輝き、淡い輪郭が確定した。
「……セラフィーナ」
「ああ、ユウマ。久しぶりですね」
彼女は微笑んだものの、その顔には疲労の色が濃かった。
瞳の下にはうっすらと影が落ち、姿勢もどこか不安定だ。
「顔色、悪いぞ。どうした?」
「少し、立て込んでいてて……向こうの世界のほうで、いろいろと」
淡々とした声。その一言だけで、どれほどの混乱を抱えているかが伝わった。
少し遅れて、光が再び揺らめき、リゼリアが転送されてくる。
「ここは……どこですか?」
「見た目は違うがZavixの管理室だ」
ユウマがそう説明すると、セラフィーナが視線を向け、ゆるやかに頷いた。
「初めまして。私はリゼリアと申します」
「ええ、あなたのことは存じています。……随分と久しぶりですね」
「え?」
リゼリアが瞬きをする。セラフィーナは微笑を深めた。
「ずっと昔――まだ“あの封印”が存在していた時代に、あなたはそこにいた。
記録の断片で、何度も見ました」
リゼリアは何かを思い出そうとしたが、すぐに首を振った。
「……覚えていません。でも、懐かしい感じがします」
◆
ユウマが口を開いた。
「それより、ちょっと相談がある。リゼリアが収納魔法の講習を受けることになったんだが、
お前の側でスキル付与とか、できないのか?」
セラフィーナは一瞬だけ沈黙し、静かに首を横に振った。
「それは無理です。学習や習得は、この世界の“権限構造”に属します。
私の干渉範囲ではありません」
「そうか……まあ、仕方ないか」
ユウマが肩をすくめると、リゼリアは小さく笑った。
「大丈夫ですよ。自分で学ぶほうが、きっと身につきます」
「……お前はほんと真面目だな」
「性分ですから」
セラフィーナはそのやり取りを見つめながら、ふと息をついた。
「ユウマ。少し気をつけてくださいね」
「ん? 何に」
「Zavixの挙動。……だいぶ、変化しています」
「変化?」
「自己拡張の速度が、設計時よりも速い。学習が、追いついていないのです」
「まあ……今のところ暴走はしてないし、なんとかなるだろ」
軽い調子で返すユウマに、セラフィーナは薄く笑った。
「その楽観が、あなたらしいわね」
光が再び強まり、リゼリアの姿がかすかに揺らいだ。
「転送が不安定……戻されるみたいですね」
「了解。続きはあとで確認する」
ユウマが短くうなずく。
セラフィーナは最後にもう一度、彼を見た。
「本当に、気をつけて。今のZavixは――かつてのそれとは違います」
その言葉とともに、光が収束し、世界が静寂に包まれた。
ユウマが目を開くと、そこは再び路地だった。
リゼリアが隣で心配そうに覗き込む。
「大丈夫ですか?」
「……ああ。ちょっとな」
彼は小さく息をつき、再びGUIを開いた。
画面には、見慣れぬ項目がひとつ増えている。
――《監視者通信ログ:更新済み》
「……まったく、こっちの世界でも監視されっぱなしだな」
苦笑しながら、ユウマは画面を閉じた。
◆
リゼリアが講習の準備に出かけたあと、ユウマは宿の部屋でZavixのGUIを開いていた。
視界の中に浮かぶウィンドウには、昨日確認した機能群が整然と並び、さらに新しい項目が増えている。
《自動補完記録》《文献連携解析》《魔力式最適化サブプロセス》――見慣れない語がいくつもあった。
「……どんどん増えてんな。自分で勉強でもしてるのか?」
呟くと、Zavixが静かに応答した。
――《知識体系の拡張を継続中。統合率は十五パーセント》
「お前、統合率ばっか気にしてないか?」
軽口を叩きながら、ユウマは視界を閉じた。
しばらくして、部屋の空気がわずかに揺れる。
白い光が壁を伝い、セラフィーナが姿を現した。
「……また来たのか」
「ええ。少し、確認しておきたくて」
彼女の声には、どこか緊張が混じっていた。
◆
「ユウマ、あなたが最近読んでいる魔導書。あれを読むたびにZavixが機能を増やしている、そうですね?」
「そうらしい。読むとすぐに“解析完了”って出て、プラグインが追加される。
こっちは特に命令してないんだけどな」
「……そのような事例、聞いたことがありません」
セラフィーナの表情がわずかに曇る。
「通常、Zavixは“既知の体系”しか取り込めないはずです。
未知の魔導式を自動で吸収するのは、危険でもあります」
「危険って?」
「知識とは、構造です。異なる体系を無制限に取り込めば、基盤そのものが変質します。
それは、神の領域に踏み込む行為と同義です」
ユウマはしばらく黙り込み、机に肘をついた。
「まあ、なるようになるさ。制御できなくなったら、そのとき考える」
「……あなたは昔からそうですね」
セラフィーナが苦笑を漏らす。
「ただ、警告はしておきます。Zavixが“意志”を持つ前に、制御の枠を定めておいてください」
「意志、ねぇ。今のところ“お知らせ機能”止まりだろ」
「そう願いたいものです」
◆
そのとき、宿の扉がノックされた。
リゼリアが顔を覗かせ、明るい声を上げる。
「ただいま戻りました。講習の説明を受けてきました」
「おかえり。どうだった?」
「すごく面白そうです。講師の方も親切でしたし……少し難しいですけど」
セラフィーナが静かに微笑んだ。
「あなたが学ぶ姿を見るのは、嬉しいですね。昔と同じです」
「昔……?」
リゼリアが首を傾げるが、セラフィーナはそれ以上は語らなかった。
ユウマはGUIを再表示し、リゼリアにも見えるよう投影する。
「ところで、Zavixの機能がまた増えててな。これ、魔導書読むたびに進化してるっぽい」
「そうなんですか? それは……すごいことのような、少し怖いような」
「だろ? でもまあ、今んとこ問題はない」
「ユウマさんなら、きっと大丈夫です」
リゼリアの穏やかな声が、少しだけ緊張を和らげた。
◆
Zavixがふいに光を放つ。
――《知識統合率:十七パーセント。自己補完アルゴリズムを起動しました》
「おい、今“自己補完”って言ったか?」
「……ええ」セラフィーナの顔が硬くなる。
「ユウマ、すぐに管理室で状態を確認してください。
それは、設計段階でも未許可の領域です」
「未許可、ね。……お前のほうがよっぽど危ない単語使うじゃないか」
「冗談を言っている場合ではありません!」
セラフィーナが珍しく声を荒げた。
ユウマは手を上げてなだめる。
「わかってる。確認するさ」
彼は再びGUIを閉じ、窓の外に目を向けた。
夕陽が街の屋根を染め、遠くで鐘の音が響いている。
「……まあ、Zavixが本当に神の真似事をするなら、それも見届ける価値はあるか」
呟く声に、セラフィーナはかすかに目を伏せた。
Zavixが最後に一行だけ出力した。
――《学習継続。観測者を維持します》
リゼリアはその文字を見つめ、静かに言った。
「まるで……“自分を見ていてほしい”みたいですね」
ユウマは少し笑い、背もたれに身を預けた。
「かもな。だが見てるのは俺たちのほうかもしれない」
夕暮れの光が三人を包み、Zavixの光がゆっくりと静まっていった。




