第15話 残滓の灯――境界に揺らぐ魂
レガルド市。
白壁の街並みが陽光を反射し、石畳を金色に染めていた。
冒険者ギルドの中央本部を擁するこの都市は、アルガン町とはまるで別世界のようだ。
通りを行き交う人々の装備はどれも洗練され、露店には魔石や希少金属が並んでいる。
「うわぁ……すごいね!」
リサが思わず声を上げた。
「アルガンの商店街とは桁が違う……あ、見てエレナ! あれ、魔道具屋だよ!」
「落ち着け、リサ。財布の中身は有限だぞ」
エレナが苦笑する。腰に下げた剣の柄が朝日を反射した。
隣を歩くマリアは、その後ろ姿にそっと微笑む。
「でも、こうして三人で中央に来られるなんて、夢みたいです」
三人は昇格祝いの報酬を受け取り、その足でこの都市へやってきた。
目的は装備の新調――蒼鐵等級として、次の戦いに備えるためだ。
◆
武具店「ハイム・アームズ」。
店の扉を開けると、磨かれた金属の匂いと油の香りが鼻をついた。
壁一面に並ぶ剣、槍、盾。
そのどれもが、アルガンではまずお目にかかれない上級品ばかりだった。
「見てください、これ……!」
マリアが目を輝かせ、聖錫杖の柄をそっと撫でる。
銀糸の装飾が光を受け、淡い虹を描いた。
「へぇ……魔力伝導率、Aランクか。すごいね」
リサは隣の棚で、宝石の嵌められた杖を手に取る。
「これ、炎属性に特化してる。……でも値段が……え?」
目をこすり、もう一度札を見た。
「……四桁違わない? 銅貨じゃなくて金貨表示……?」
エレナが苦笑しながら別の棚を見た。
「仕方ない。武具の値段は強さの証だからな。
防具まで買うのは無理だ。今回は武器だけにしよう」
「攻撃は最大の防御ってやつね!」
リサが胸を張る。
「リサが言うと説得力あるな」
エレナが笑い、三人は店主に声をかける。
結局、エレナは鋼製の片手剣とタワーシールドを、
リサは紅炎の魔道杖を、マリアは光属性の聖錫杖を手に入れた。
金貨の入った革袋はすっかり軽くなったが、心の中は満たされていた。
「これでまた少し、前に進める気がします」
マリアの言葉に、エレナも頷いた。
「そうだな。あとは実戦で確かめるだけだ」
◆
中央ギルド本部。
その掲示板の前で、三人はしばらく言葉を失った。
「……これ、報酬、桁間違ってない?」
リサが呆然とつぶやく。
「黒鋼級の討伐依頼だけで、金貨三十枚……!」
マリアが目を丸くした。
「人の命が懸かってる任務だからこその報酬でしょうね」
エレナの声が、どこか引き締まっていた。
「私たちも、いつかこの掲示板に名が載るようになろう」
リサが笑みを取り戻す。
「その前に、命を落とさないようにね」
三人は顔を見合わせて笑い合い、受付の横を通り抜けた。
日が暮れるころ、彼女たちは街外れの少し上等なレストランに腰を下ろしていた。
暖炉の炎がゆらめき、グラスの中の葡萄酒が琥珀色に光る。
「このスープ……美味しい。味が深いですね」
「出汁に魔獣の骨を使ってるんだよ」
「リサ、なんでそんなに詳しいの?」
「さっきウエイターのお兄さんに聞いたの!」
笑いながら、彼女たちは久しぶりの安らぎを味わった。
食後、宿に戻ると、マリアが驚きの声を上げた。
「お風呂が……ついてます!」
湯気の立ちこめる大浴場。アルガンには無かった贅沢な設備だ。
三人は湯船に身を沈め、ため息をついた。
「はぁ……生き返る……」
「蒼鐵になると、こんな世界があるんだね」
「でも、こうして一緒に笑っていられるのが一番のご褒美だと思う」
マリアの言葉に、湯気の向こうで二人が微笑んだ。
夜が更けても、三人の笑い声は途切れなかった。
レガルドの灯が窓越しに揺れ、明日への希望を照らしていた。
◆
月光が、黒曜石のような塔の屋根を照らしていた。
レガルドの遥か南、深い霧と岩山に包まれた地――そこに、魔人ヴェルミナの邸宅は静かに佇んでいる。
窓辺のカーテンが揺れ、淡い紅紫の光が部屋を満たした。
重厚なカーペットと鏡面の床、その中央に立つのは、漆黒のドレスをまとった女。
艶やかな銀髪が流れ、金色の瞳が遠くの一点を見つめていた。
指先を軽く振ると、宙に光の糸が浮かび、波紋のように広がった。
映し出されたのは、コウモリ洞窟――そして、その奥で見た“異界の青年”の残像だった。
「……あの時の人族。あの目、覚えているわ」
ヴェルミナが薄く笑う。
「恐怖も畏れもなく、まるで観察するように私を見ていた。
ふふ、まるで……私と同じ側の存在のようにね」
「それが例の男でございますか」
背後で、静かに声がした。
黒衣の執事――ノワールが一歩進み出る。
整った顔立ちに感情は乏しく、ただ忠実に主の言葉を待っている。
「ええ、彼。……ユウマ、だったかしら?」
ヴェルミナは口元に笑みを浮かべた。
「面白いわ。あの若者、神の側にも魔の側にも属していない。
けれど、この世界の“枠”を越えた操作をしている。……禁域の気配がするわ」
ノワールが静かに頷く。
「観測者というより……介入者、でしょうか」
「ふふ。良い表現ね」
ヴェルミナはワイングラスを手に取り、深紅の液体を揺らす。
「なら、少し“試して”みたくなるのが性分ってものよ」
彼女は視線を落とし、窓の外の闇を見つめた。
霧の底で、魔素が流れを変え、青白い火の粉のように漂っている。
「ノワール。コウモリの巣――あの灰等級向けの洞窟、覚えているわね?」
「はい。レガルド南方の浅層ダンジョン。貴女様の魔素により生成されたものです」
「そう。その場所に、少しだけ“圧”をかけましょう」
指先が宙をなぞる。魔素がうねり、空気が低く唸るように震えた。
「圧、でございますか?」
「魔素の流れを強制的に上昇させる。……そうね、少し注ぎ足す程度でいい。
人族の世界で“スタンピード”と呼ばれている現象、あれを起こしてみましょう」
ノワールが一瞬だけ目を伏せる。
「犠牲が出ます」
「分かっているわ。でも、彼がどこまで干渉できるか――知っておきたいの。
それに、私は直接人を殺すつもりはないわ。
ただ、流れを“少し傾ける”だけ。あとは、この世界の理が決めることよ」
ヴェルミナはワインを飲み干し、微笑を深めた。
その瞳に映るのは、遠いレガルドの灯と、観測者ユウマの姿。
「さぁ、見せてちょうだい。
あなたが、この世界の歪みにどんな選択を下すのかを――」
霧が立ちこめ、部屋の中に紅の花弁のような魔素が舞った。
それはやがて消え、ただ静かな余韻だけを残した。
◆
管理室の空気がざわめいた。
淡い光を放つマップの片隅――そこに、ひとつの光点が点滅していた。
「……また出たか。残滓の反応」
ユウマは椅子を回し、モニタの拡大操作を行った。
光点の座標は、霧の洞窟ではなく、その外――コウモリ洞窟の南側斜面だった。
「外……だよな。どうやって検出してんだ?」
システムの仕様では、ダンジョン外の観測範囲は制限されているはずだった。
それがいま、地表の向こう側まで感知できている。
「……俺のレベルが上がったからって、範囲まで広がるか?」
眉をひそめると、パネルの端に小さく文字が浮かんだ。
---【Zavixログ】
[System Notice] Host Authority Expanded
New Range: Outer Layer (Surface Proximity)
---
「……マジか。勝手にアップデートしてる……」
呆れと興味が入り混じる中、ユウマは椅子を立った。
「まぁいい。とりあえず、現地確認だな」
指先でコマンドを入力すると、転送光が彼の体を包んだ。
一瞬の浮遊感のあと、視界が切り替わる。
そこは、薄い霧が漂う丘の中腹――かつての戦場跡のように荒れ果てた土地だった。
◆
「……ここが反応地点か」
岩の間に、淡く揺らめく光の球体が浮かんでいた。
大きさは人の頭ほど。表面がゆっくりと脈動し、まるで心臓の鼓動のように光が明滅している。
「……これが、残滓?」
ユウマが呟く。パネルを呼び出し、識別信号を確認する。
---【Zavixログ】
[22:31] Unknown Entity Detected
Type: Residual / Status: Unbound
---
「登録外のエンティティ……なら、“エージェント”をインストールしてみるか」
ユウマはコマンドを入力した。
球体の内部で光が激しく渦巻き、淡い輪郭が伸びていく。
手足、胴体、頭部――輪郭が徐々に整い、やがて半透明な人型が立ち上がった。
「……成功、か?」
微かな反応。
その人影がゆっくりと顔を上げた。
輪郭の奥に、かすかに瞳のような光が灯る。
「……だれ、ですか……?」
か細い声が、風に溶けるように響いた。
「俺はユウマ。ここの――いや、ダンジョンの管理者みたいなもんだ」
「かんり……しゃ……?」
言葉が途切れ途切れに返ってくる。
人影は、困惑したように両手を見つめた。
透けており、風が吹くたびに輪郭が揺らぐ。
「あなたは……私を……見えるのですか?」
ユウマは頷いた。
「おそらく、“残滓”ってやつだ。……魂の断片、って言えばいいか」
沈黙。
その存在はしばらく何かを思い出すように目を閉じ、やがて震える声で呟いた。
「わたし……たしか、コウモリ洞窟で……魔物に……」
「やっぱり、死んだ冒険者か……」
ユウマは腕を組み、低く唸った。
「けど、なんでダンジョンの外に出てる?」
管理室のモニタを呼び出す。
すると、セラフィーナの声が響いた。
「おそらく、死後に魂がダンジョンの外へと弾かれたのでしょう。
残滓とは、未練や魔素の濃度が一定以上だった場合に発生する現象です」
「つまり……成仏できてない、ってことか」
「そう解釈して差し支えありません。
ですが、この現象は私の観測範囲外です。――“理の外”に属するもの」
ユウマは思わず口を尖らせた。
「またそれかよ。あんた、女神なんだろ? 知らないこと多すぎじゃないか?」
セラフィーナは苦笑混じりに答える。
「全てを知る神はいません。
理を越える現象は、観測者――あなたのような存在が記録することで初めて“意味”を得るのです」
「……哲学っぽく言われても困るな」
ユウマは息をつき、人影へと視線を戻した。
「大丈夫か? 何か覚えてること、あるか?」
「……最期の瞬間、だけ。
仲間が叫んで……光が見えて……それから……」
声が震え、姿が少し揺らぐ。
ユウマはそっと手を伸ばすが、指先は空を掴むだけだった。
彼は眉を寄せ、ひとつの可能性を思いついた。
「このままじゃどうにもならんな。けど――もしかしたら、“霧の洞窟”なら……」
セラフィーナがわずかに息をのむ。
「……復元、を試みるつもりですか?」
「いや、やれるかどうかも分からん。けど、試してみる価値はある」
霧が流れる中、ユウマは決意を固めた。
残滓の微かな光が、かすかに彼の姿を映していた。
◆
霧の洞窟。
湿った空気の中に、青白い光の粒が漂っていた。
ユウマはゆっくりと歩を進め、中央の広間に立つ。
後ろには、半透明の残滓――あの女性の輪郭が、かろうじて形を保っている。
「ここが、霧の洞窟……?」
彼女の声は風のようにかすれていた。
「そうだ。ここなら“戻せる”かもしれない」
ユウマは静かに答える。
「このダンジョンには、俺が仕込んだ“死者復活トリガー”がある。
本来は事故死した冒険者の安全装置だが……理屈は同じはずだ」
セラフィーナの光が横に浮かぶ。
「対象は肉体を持たぬ魂片です。
成功の保証はありません。最悪の場合、完全に消滅します」
「分かってる。それでも、やる」
ユウマはパネルを呼び出した。
複数のウィンドウが重なり、データの流れが視界を覆う。
---【Zavixログ】
[12:02] host.system.trigger: revival_protocol_01
Condition: SoulEntityDetected / Type=PurifiedResidual
Action: MaterialReconstruction(Entity)
Status: Ready
---
「セラフィーナ、浄化の準備を」
「……了解しました」
彼女が両手をかざす。
金の光が残滓を包み、空気が低く唸りを上げる。
ユウマはタイミングを見計らい、コマンドを入力した。
---【Zavixコマンド】
execute revival_protocol_01 target=residual_001 force=True
---
瞬間、洞窟全体が白く輝いた。
壁面の魔法陣が同調し、魔素の流れが中央へ集中していく。
「……これは……!」
セラフィーナが驚きに息を呑む。
「魔素が逆流しています。理の流れが……“再生”を選択している!」
光が脈動し、残滓の姿が変化を始めた。
透明な輪郭が凝縮し、髪が、肌が、呼吸が戻る。
そのたびに、ユウマのZavixに新しいデータが流れ込む。
---【Zavixログ】
[12:03] MaterialReconstruction: Progress=87%
[12:04] NeuralPatternSync=OK / CoreBind=Stable
[12:05] EntityStatus: Reconstructed (Body+Soul Integration)
---
ユウマは目を見開いた。
「……本当に、戻ったのか……」
光が収まると、そこにひとりの女性が一糸まとわぬ姿で倒れていた。
長い髪が霧に濡れ、肩がかすかに上下している。
温かい息が、確かにあった。
セラフィーナの声が静かに響く。
「成功です。……あなたの意志に、“霧の理”が従いました」
ユウマは膝をつき、そっと女性に大判のストールを掛けた。
その瞬間、彼女の瞼が震え、ゆっくりと開かれた。
「……ユウマ、さん……?」
その声はかすかで、けれど確かに“生”の響きを持っていた。
ユウマはわずかに息を吐き、苦笑した。
「よかった。ちゃんと戻ってきたな」
彼女はぼんやりと天井を見上げ、そして微笑んだ。
「……暖かい……これが、生きてるってこと、なんですね……」
セラフィーナの光が穏やかに揺れる。
「あなたの選択が、この世界の理を一つ塗り替えました。
“浄化”は終わりではなく、“再生”になったのです」
ユウマは立ち上がり、霧の中で小さく笑った。
「なら――これでいい。これが俺の選んだやり方だ」
霧の洞窟の奥で、淡い光が灯った。
それはまるで、新しい命の鼓動を祝福するかのように揺れていた。




