第14話 蒼鐵の夜──拡張する視界
管理室の空気は、霧の洞窟で見た光景の余韻をまだ残していた。
薄青のパネル群がゆっくりと収束し、静寂が戻る。
ユウマは椅子に身を沈め、深く息を吐いた。
「……あの女、なんだったんだ。攻撃してきたのは分かるが、あれが“魔人”ってやつなのか?」
彼の問いに、セラフィーナが光の粒をまといながら姿を現した。
いつもの穏やかな微笑ではあるが、その表情の奥に、どこか思案の色がある。
「はい。彼女は魔人族――この世界における、もう一つの理を担う存在です」
「理、ね……つまり、敵ってわけでもないのか?」
「一概には言えません」
セラフィーナは淡い金色の髪を揺らしながら首を振る。
「魔人族は魔素を操ることで世界の循環を保つ種族です。
たとえば、あなたが見た“ダンジョン”という現象――
あれは魔人族が発する魔素が地脈や気候と結合し、自然発生するものなのです」
ユウマは目を細めた。
「つまり、ダンジョンってのは、魔人が生きてる限りなくならないと?」
「はい。彼らにとって魔素は呼吸のようなものです。
そして人族もまた、それを“資源”として利用しています」
セラフィーナの声は少しだけ寂しげだった。
「魔人が魔素を流すことで、土壌は肥え、鉱脈は育ちます。
だから人族は彼らを完全に排除できません。
戦いながらも依存している……それがこの世界の実情です」
ユウマは苦い笑みを浮かべた。
「なるほどな。こっちの世界も利害関係の上で成り立ってるわけだ」
しばし沈黙が流れる。
やがてユウマは腕を組み、少し思いついたように言った。
「そういえば、さっきの魔人なんだが――あいつの雰囲気、コウモリ洞窟に似てないか?」
セラフィーナは静かに頷いた。
「ええ。見たところ、波長の揺らぎがほぼ一致していました。
おそらく、あの洞窟は彼女――あの魔人の魔素から発生したものと思われます」
「……つまり、あのコウモリ洞窟も、ヴェルミナの影響下にあるってことか」
ユウマは眉をひそめた。
「まったく、ややこしいな。どこまでが自然で、どこからが干渉なのか、見分けがつかない」
「それこそが、あなたがこの世界に招かれた理由のひとつなのです」
セラフィーナの声が柔らかく響く。
「観測と記録、そして選択。あなたは“境界の観察者”としてここに存在します」
ユウマは苦笑いを浮かべ、頭を掻いた。
「……神様が言うことは、やっぱりスケールが違うな」
「神様、ですか?」
セラフィーナは少しだけ目を伏せた。
その笑みは、どこか影を帯びている。
「私は女神と呼ばれていますが、全てを知るわけではありません。
そして……知っていても、言えないことがあります」
その言葉には、ほんのわずかに悲しみが滲んでいた。
ユウマはその空気を察して、余計なことは聞かずに椅子を回す。
「……そうか。まぁ、こっちも聞くのが怖くなるな」
彼は視線を上げ、管理室の天井に浮かぶマップを見上げた。
霧の洞窟、コウモリ洞窟、そしてその先に広がる未探索領域――。
どこかで、また何かが蠢いている気がした。
セラフィーナの声が再び響く。
「この世界は、まだ変化の途上にあります。
あなたが何を“選ぶか”で、その形は変わるのです」
ユウマはゆっくりと頷いた。
「だったら、せめて後悔しない選び方を探すさ」
静かな管理室に、再び光の粒が舞った。
外の世界では、また新たな一日が始まろうとしていた。
◆
アルガン町の朝は、まだ冬の名残を引きずっていた。
街道沿いの露店は静まり、吐く息が白い。
ギルド前の広場に、三つの影が並んでいた。
「……ほんとに、私たちでいいのかな」
リサが小さく肩をすくめる。
「昇格試験って、普通は推薦が何件も必要なんじゃ?」
「推薦はある。お前たちの名前で、俺が書いた」
背後から響いたのは、低く重い声。
ガルド・ハンマーク。
白金等級の元冒険者にして、アルガン支部のギルドマスターだ。
肩にかけたマントには銀の紋章が刻まれ、その存在だけで場の空気が引き締まる。
「ガルドさん……!」
マリアが慌てて頭を下げた。
「わざわざご同行くださるなんて」
「昇格試験は本来、試験官が立ち会うもんだ。
ただ、うちは人手が足りねぇ。俺が出るしかない」
エレナが静かに頷く。
「了解しました。全力で挑ませていただきます」
ガルドは口の端を上げ、街外れの方角を指差した。
「まずはコウモリ洞窟で“普段通り”の立ち回りを見せてもらう。
試験本番はそのあとだ」
三人は頷き、装備を整える。
冷たい風が吹き抜けるたび、金属の擦れる音が耳に心地よく響いた。
◆
コウモリ洞窟。
以前なら恐怖の象徴だったその暗闇も、いまは訓練場に近い。
洞窟に入った瞬間、リサの火球が浮かび、マリアの光が壁を照らす。
「左三体。奥に一体、気配強め」
エレナの声に、即座に二人が反応する。
リサの詠唱とエレナの盾突進が一糸乱れず重なり、
マリアの補助魔法が瞬時に流れ込む。
「……見事だな」
ガルドは洞窟の入口で腕を組んだまま呟いた。
「無駄がねぇ。呼吸も揃ってる。あの短期間でここまでとはな」
群れを一掃した三人が戻ると、ガルドが顎で外を示す。
「よし、次は“昇格試験”だ。ここからが本番だぞ」
◆
洞窟の外。
曇天の下に広がる原野で、ガルドは大剣をゆっくり抜いた。
刃に刻まれた紋章が青白く光り、風が渦を巻く。
「ルールは単純だ。俺を倒す必要はねぇ。ただ、俺に“届く”ことが条件だ」
「届く……?」
「そうだ。誰か一人でも、俺に有効打を与えられたら合格とする」
エレナは剣を抜き、リサとマリアに短く合図する。
「――行くよ!」
リサの炎が地を舐め、エレナが正面から突進する。
ガルドは盾を構えるでもなく、片手で剣を軽く弾いた。
火花が散り、圧倒的な質量差が伝わる。
「くっ……!」
「リサ、右側を回って!」
「了解!」
マリアが詠唱を始め、光の矢を放つ。
しかし、それすらもガルドの剣圧ひとつで霧散した。
まるで空気そのものが刃に従っているかのようだ。
「悪くねぇ。だが――」
ガルドが一歩踏み出した瞬間、地面が裂けた。
エレナの盾が弾かれ、リサの魔法陣が吹き飛ぶ。
それでも三人は立ち上がる。
エレナが再び前に出て叫ぶ。
「リサ、マリア、同時だ!」
二人が頷き、詠唱を重ねる。
炎と光が交差し、轟音が大地を揺らした。
爆煙が晴れると、ガルドの鎧に、わずかに焦げ跡がついていた。
「……届いたな」
そう呟き、大剣を地に突き立てる。
「これで十分だ。お前たちは合格だ」
三人は互いに顔を見合わせ、息を荒げながら笑った。
◆
ギルドに戻ると、受付の職員が笑顔で迎えた。
「昇格おめでとうございます。正式に蒼鐵等級として登録されました」
三人の目が輝く。
リサが身を乗り出す。
「やった……! これで正式な中堅冒険者だね!」
「蒼鐵等級に上がった者は、パーティ名の登録が義務付けられます」
職員が差し出した紙に、エレナがペンを取る。
「パーティ名、か……」
三人はしばらく顔を見合わせ、考え込んだ。
やがてエレナが静かに微笑む。
「“ルミナリス”はどう?」
「光の……?」
マリアが口にする。
「そう。私たち、ずっと暗闇を抜けてきたから」
リサが頷き、笑顔で続けた。
「いいね。じゃあ、それで決まり!」
受付嬢が記録書に書き込み、印章を押す。
「これで正式に、《ルミナリス》として登録完了です。おめでとうございます!」
三人は深く礼をし、ギルドを後にした。
新しい名と新しい光を胸に、彼女たちの旅はまた一歩進んでいく。
◆
管理室に静けさが戻ってから、三日が過ぎた。
ギルドではルミナリスの昇格が話題になり、町全体がどこか浮き足立っている。
だが、ユウマの意識は別のところにあった。
「……俺自身のレベルも上げとかねぇとな」
モニタに映る自分のステータスを見つめながら、ユウマは小さく呟いた。
数字の羅列の中に、“ATK”だけが低いままだ。
霧の洞窟のマップを呼び出す。
中層域にはタグが浮ぶ。
> host.monster: wolfman[uuid:9d31af2a]
> Rank: MidBoss
「……こいつか。三人が倒したやつ」
画面を指でなぞる。次の瞬間、視界が反転し、ユウマの足元に岩肌の地面が広がった。
霧が漂い、奥から低い唸り声が響く。
「初の実戦テスト、ってところか」
剣を構える。Zavixエージェントの腕輪が淡く光を帯び、体に戦闘補助の感覚が流れ込んだ。
◆
奥から影が現れた。
灰色の毛並みを逆立て、黄の瞳が光る。
それは、三人組が死闘の末に討伐した――あの狼男だった。
「こいつが……」
ユウマは息を整え、踏み込む。
剣が閃き、刃が確かに体毛を裂いた。
だが、ワーウルフのHPゲージはわずかに震えただけで、すぐに元の値へ戻る。
「回復してる? いや……通ってねぇのか」
次の瞬間、爪が唸りを上げて襲いかかる。
ユウマは咄嗟に腕を上げた。
金属音。衝撃はあったが、痛みはない。
「防げる……が、倒せねぇな」
攻防が数分続く。
ワーウルフの動きは重く鋭いが、ユウマは一度も致命打を受けない。
ただ――こちらの攻撃も、まるで壁を殴っているかのように通らない。
「ステータス差がありすぎる……」
歯噛みしながら、ユウマはモニタを呼び出した。
攻撃ログには冷たい文字列が並ぶ。
---【Zavixログ】
[17:32] host.user: Yuma
attack → target: wolfman[uuid:9d31af2a]
Damage=0.00% / Reason: Insufficient Level
---
「なるほど……レベルが足りないってわけか」
ユウマは深く息を吐き、緊急離脱のコマンドを実行した。
視界が光に包まれ、次の瞬間、管理室へ戻ってくる。
半透明のモニタには、“戦闘終了/安全帰還”の文字。
---【Zavixログ】
[17:42] host.user: Yuma
combat_exit: emergency / status: safe
DamageRatio=0.03%
Reason: Level Difference
---
「……結局、力が足りないだけか。管理者でも万能じゃないな」
ユウマは椅子に沈み、苦笑いを漏らした。
目を閉じると、かすかにセラフィーナの声が頭をよぎる。
「選ぶことが、この世界を変えるのです――」
「……選ぶ、ね。じゃあ、まずは積み上げるところからだな」
◆
それから三日間。
ユウマは低層に出没するゴブリンやスケルトンを相手に、ひたすら戦い続けた。
敵を倒すたびに数値がわずかに上昇し、身体が軽くなる。
そして――三日目の夜。
「……もう一度、だ」
再びワーウルフの間へ。
今度は刃がわずかに肉を裂き、赤いHPバーが一瞬だけ削れた。
「通った!」
そこからの戦いは長く、泥臭かった。
何度も防御のタイミングを外し、息を整えては立ち直る。
やがて、ワーウルフの雄叫びが途切れる。
---【Zavixログ】
[20:54] target: wolfman[uuid:9d31af2a]
Status: Defeated / EXP+480
---
「……やっと、か」
ユウマは剣を地面に突き立て、天を仰いだ。
息が上がる感覚はないが、確かに疲労していた。
「ひとりじゃ、三人には敵わねぇな」
苦笑しながら管理室へ戻ると、画面に新しい通知が浮かんでいた。
---【Zavixシステムアップデート】
[System Notice] Discovery Module: Enabled
Function: Detect unregistered residual entities within Dungeon Host Area
---
「……やっぱ勝手にアップデートされるのかよ」
ユウマは呆れたようにパネルを閉じ、天井を見上げた。
「Residual Entity、残滓ってとこか?……どうせなら、使えるといいんだけどな」
管理室の光がゆっくりと落ち着く。
静寂の中で、マップの端にひとつだけ、微かに瞬く新たな光点があった。
◆
アルガン町のギルド食堂は、今夜ばかりはいつもより明るかった。
木の卓が並ぶ中、中央の席で《ルミナリス》の三人が肩を寄せ合っていた。
「かんぱーい!」
リサが勢いよくジョッキを掲げる。泡がこぼれ、マリアが慌てて拭う。
「もう、リサったら……!」
「いいじゃん、今日ぐらい! 昇格だよ、蒼鐵等級だよ!」
エレナは笑いながら二人を見つめた。
その横顔には、責任と誇りが入り混じった穏やかな光があった。
「……ここまで、長かったね」
「ええ。でも、これからが本当の始まりです」
マリアが静かに杯を掲げる。
「改めて――ルミナリスに、栄光を」
三人の杯が、澄んだ音を立ててぶつかり合った。
◆
食堂の窓の外、夜風が街灯を揺らす。
新しい章の幕開けを告げるように、空には三つの星が並んで瞬いていた。
リサが空を見上げて呟く。
「蒼鐵って、青い星のことなんだってさ」
「だから“輝きを絶やすな”って意味もあるのかもな」
エレナが微笑んだ。
マリアが頷き、囁くように言う。
「次は……また霧の洞窟ですね」
三人の表情が一瞬引き締まる。
昇格祝いの温かな空気の中にも、緊張が滲んでいた。
「まぁ、焦らなくてもいいさ」
リサが笑い飛ばす。
「祝い金ももらったんだし、明日は街に買い出しでも行こうよ。
中央ギルドのあるレガルドまで行って装備も新調しようよ!」
「レガルド……! ほんとに行くの?」
マリアの目が丸くなる。
「いいじゃん、観光も兼ねて! ね、エレナ?」
「ふふ、そうだな。たまには外の風を感じよう」
笑い声が夜に溶けていく。
その背後で、ギルドの片隅に立つ職員が静かに彼女たちを見送っていた。
細身の体に灯りの影が落ち、ふっと柔らかく微笑む。
「本当に、よく頑張りましたね……」
◆
同じ頃。
管理室では、ユウマが半透明のパネルを眺めていた。
---【Zavixログ】
[23:58] host.agent.party=Luminis (Elena, Risa, Maria)
status=RankUp / Tier=蒼鐵
---
「……ん?」
ユウマは眉をひそめた。
「ログ……? けど、あいつら今はダンジョンの外だろ」
マップ範囲がダンジョン外に拡大していた。
確かに、ダンジョンの外側――アルガン町の方角に小さなシグナルが点滅している。
「……権限が広がった? それとも、Zavixが勝手に学習してんのか……」
セラフィーナの声がかすかに響いた。
「あなたが成長すれば、監視もまた広がります。
それは祝福でもあり、警鐘でもあります」
ユウマは苦笑し、椅子にもたれた。
「便利なんだか怖いんだか……まぁ、様子見だな」
そのとき、画面の端に小さな通知が浮かんだ。
---【Zavixシステムログ】
[00:00] Discovery: ResidualEntity detected / Source: Unknown
---
「……残滓が見つかった?」
ユウマは立ち上がり、光点を見つめた。
「……まさか、これも“外”と繋がってるのか?」
パネルの光が彼の瞳に映り込む。
静かな管理室の中で、微かな不安と好奇心が入り混じるように揺れていた。




