第13話 中央よりの使者——干渉領域
石畳の広場を抜け、ガルド・ハンマークは重い扉を押し開けた。
中央ギルド──レガルド市の象徴とも言える白亜の塔。その内部には、地方ギルドでは見られぬ秩序と緊張が満ちていた。
壁にかけられた等級ごとの紋章、並ぶ文官の列。
灰や蒼鐵といった実戦的な気配ではなく、ここには「決定の重さ」が支配している。
ガルドは無意識に背筋を伸ばした。
「久しいですね、ガルド殿。旅の疲れはまだ抜けていないでしょう」
低く響く声が、石造りの会議室に流れた。
中央ギルド司政官――ハルト・ベイルズ。
紅玉等級の元冒険者でありながら、いまは数十のギルドを統べる冷徹な調整役だ。
「疲れよりも、気がかりのほうが大きくてな」
ガルドは粗い声を抑えながら席に着く。
テーブルの上には、すでに霧の洞窟に関する報告書が並んでいた。
数通の書面は、ガルド自身が数日前に送ったものだ。
「報告は拝見しました。腕輪の自動出現、死亡時の復活、そして敵の一時的な弱体化──どれも前例がありません」
ハルトは指先で一枚の羊皮紙を押さえる。
「我々としては、魔人による干渉を疑っています」
「魔人による干渉、か……」
ガルドは低く唸る。
「スタンピードは、過去に発生したと聞いているが……。だが現実に起きてる以上、無視はできん」
「同意します」
ハルトの口調は淡々としている。
「ゆえに調査を行います。派遣するのは中央直属のペア──《アストラ・オルド》。」
「《アストラ・オルド》……あの二人か」
ガルドの眉がわずかに動いた。
聖剣を掲げる男女のホーリーナイト。その名は各地のギルドでも知られている。
「ずいぶんと手の早い選定だな。もう動かしていたのか」
「すでに打診済みです。彼らは一刻も早く現地へ赴く予定です」
ハルトは立ち上がり、机上の別の書簡を差し出した。
封蝋には中央の紋章が押されている。
「そして……今回、もう一つ協力者を用意しました」
ガルドが眉をひそめる。
「協力者? まさか追加の戦力か?」
「戦力ではなく、検証材料です」
ハルトの視線が一瞬だけ鋭くなった。
「奴隷落ちした殺人犯を一名。ペナルティの実験に使用します」
会議室の空気が張り詰めた。
ガルドの表情がわずかに歪む。
「……中央は、相変わらず容赦がねぇな」
「死して戻るという現象を確かめるには、そうするしかありません」
ハルトはためらいを見せない。
「倫理ではなく、再現性が我々の仕事です」
ガルドはしばし沈黙した。
机の上の報告書を睨みつけ、やがて息を吐く。
「好きにはしろ。だが俺のギルドの者たちには触れるな。灰等級の子らにこれ以上、妙な負担はかけたくない」
「理解しています。彼女たちの功績は評価していますよ」
ハルトは微笑を浮かべた。だがその目には温度がなかった。
「霧の洞窟は、我々にとっても未知の領域です」
扉の向こうで、遠く鐘の音が鳴った。
昼の鐘。中央の刻限は、地方よりもわずかに早い。
ハルトは椅子を離れながら言葉を残す。
「明日には彼らを出立させます。ガルド殿、あなたも立会人として同行をお願いします」
「……ああ、分かった。どうせ放ってもおけねぇしな」
ガルドは重い体を起こし、会議室を後にした。
外に出ると、白い塔の影が伸び、空には群青が混じり始めていた。
その影の先に、これから向かう“霧の洞窟”の方角があった。
小さく呟く。
「……さて、どうなることやら」
彼の胸には、未知への警戒と、わずかな期待が同居していた。
◆
翌朝、薄曇りの空の下。
霧の洞窟の前には、中央ギルドの紋章を刻んだ黒馬車が停まっていた。
その傍らに立つのは、銀と金の鎧をまとった男女――《アストラ・オルド》。
男はアストラ、金髪の騎士。清廉な眼差しと規律の気配を纏う。
女はオルド、漆黒の髪を束ねた女騎士で、同じ聖印を胸に掲げている。
どちらもホーリーナイトとして知られる蒼鐵等級の精鋭だ。
彼らの背後では、粗末な鎖につながれた一人の男がうずくまっていた。
奴隷落ちした殺人犯――名は誰も呼ばない。
両手に刻印の焼印を押され、瞳には生気がない。
ガルドは馬上から二人を見下ろした。
「中央の調査ってのは、いつもこう無骨かね」
「迅速が最優先です」
アストラが短く返す。声は冷たく、だが感情を排していた。
「司政官から、あなたが立会人だと聞いています。干渉はご遠慮を」
「わかってる。見届けるだけだ」
ガルドは手綱を握りしめたまま、奴隷に目をやる。
「……まさか、本当に人間を実験に使うとはな」
オルドが冷ややかに答える。
「倫理ではなく検証です。あなたもご存じでしょう、ハルト殿の方針を」
ガルドは何も返さなかった。
ただ、男の瞳に宿る虚ろな光を見つめるだけだった。
◆
四人が洞窟に足を踏み入れた瞬間、
薄青い光がパッと弾け、右手首に銀の腕輪が出現した。
「……出たな」
アストラが眉をひそめる。
「装着感、温度、脈動あり。外せるか?」
オルドが短剣を抜き、指先で縁を引くが、びくともしない。
鎖のような光が腕に沿って浮かび、魔力が拒絶反応を示す。
「強制装着型……通常の封印とは異質です」
「奴隷。お前もだ、見せろ」
アストラが命じると、男は怯えながら右腕を差し出した。
同じ腕輪が、そこにも現れていた。
「……試すぞ」
アストラが頷き、オルドが刃を振るう。
肉を裂く音。男の手首が地面に落ちた瞬間、光が再び走る。
新たな腕輪が、左手首に出現した。
「馬鹿な……」
ガルドが思わず呟く。
「左を落とせ」
アストラの声は冷静だった。
再び刃が閃き、左手首が落ちる。
だが次の瞬間、腕輪は右足首に出現した。
「……これは、報告には無かったな。“再装着現象”か」
オルドが小さく息を吐く。
「切断では解除不可。体の存在そのものと紐づいているようだ」
「十分だ。奴隷、進め」
アストラの指示で、男が洞窟の奥へと追い立てられる。
ほどなく、ぬめった音が響いた。
スライムが群れを成して現れる。
「行け」
剣の切っ先で背を刺され、男は悲鳴を上げて前に出た。
青い塊が飛びかかり、彼を飲み込む。
苦鳴、骨の軋み、そして沈黙。
──だが、数秒後。
空気が歪み、男の体が光を纏って再構成された。
血も傷もない。
「……復活を確認。位置は我々から半径二メートル」
オルドが記録石に刻む。
「両手首および腕輪も戻っている」
「では、次だ」
アストラが冷ややかに言う。
「腱を切れ」
オルドが黙って頷き、奴隷の両脚に刃を走らせた。
悲鳴が洞窟にこだまする。
彼が立てない状態で、次に現れたのはゴブリンの一団だった。
戦いは奇妙だった。
奴隷のHPが半分を切った瞬間、ゴブリンたちの動きが明らかに鈍る。
一撃の威力が落ち、反応も遅れる。
やがて男が絶叫とともに倒れる。再び光が走り、彼は蘇生した。
「……間違いない。対象の生命値に連動して敵が弱体化している」
アストラが槍を下ろし、冷ややかに結論づけた。
「最後に確認だ。人為的な殺害ではどうなるか」
刃が閃き、奴隷の喉が裂けた。
静寂。
だが、光は戻らない。
「復活……しない」
オルドが小さく呟く。
「条件は“モンスターによる死”に限定されているようだな」
アストラは頷き、手にした聖剣を鞘に戻した。
「霧の洞窟は、なんらかの管理下にある。自然現象ではない」
ガルドは沈黙を保っていた。
◆
その様子を、管理室のモニタ越しにユウマは黙って見ていた。
半透明のパネルに、淡々と流れるログ。
---【Zavixログ】
[09:13] host.agent.group=Central-Expedition (Astra, Ordo, Slave001, Gard)
[09:14] auto_equip: AgentBand (RightWrist) → Success
[09:15] detach attempt → Denied / Rebind=LeftWrist
[09:16] detach attempt → Denied / Rebind=RightAnkle
[09:22] Slave001 death_cause=Slime / respawn=True / LocationOffset=+3.2m
[09:30] Slave001 HP<50% / Goblin.strength_shift=-20%
[09:34] Slave001 death_cause=Human / respawn=False
---
「……なかなかえげつないことするな、中央の連中」
ユウマは額に手を当て、苦笑を漏らす。
「条件を伝えるわけにもいかねぇし……この世界はほんと容赦がないな」
セラフィーナが静かに答える。
「ええ。ですが、あなたが見守ることにも意味があります。
この現象を“記録”できるのは、あなたしかいませんから」
ユウマは頷き、視線をモニタに戻す。
ログの末尾には、新たな行が浮かび上がっていた。
---【Zavixログ】
[09:36] ExpeditionExit: Astra & Ordo → Success
[09:36] ReportFlag=AutoSend → CentralGuild
---
「……さて、中央がどう判断するか、見ものだな」
椅子にもたれ、彼は深く息を吐いた。
洞窟の奥では、ただ霧だけが静かに揺れていた。
◆
昼下がりの中央ギルド。
白亜の塔の会議室には、淡い光が差し込んでいた。
重厚な机を囲む数名の役員、その中央に立つのは司政官ハルト・ベイルズ。
彼の前には《アストラ・オルド》の二人が並んでいた。
「報告を」
ハルトの一言で、空気が凍る。
アストラが一歩前に出て、簡潔に述べた。
「霧の洞窟において、異常な三点を確認しました。
一つ、入場時に右手首へ自動的に装着される腕輪。
二つ、手首を欠損した場合、別部位へ再装着装着される腕輪。
三つ、死亡後の復活現象。
四つ、生命値に応じて敵性存在が弱体化する現象。」
「……復活現象は、確認済みだな?」
「はい。スライムおよびゴブリンによる殺害で復活を確認。
しかし人為的な殺害では復活せず。条件が限定されているようです」
ハルトは指先で机を叩き、視線を細めた。
「やはり、そのような現象については前例がない」
オルドが補足する。
「内部の構造も安定しています。壁の魔力線が一定周期で再生しており、管理の痕跡がありました」
会議室の奥でざわめきが広がる。
ハルトは小さく頷き、重い声を落とした。
「……魔人による干渉の可能性が高い、ということか」
「否定できません。」
アストラが静かに答える。
「ただ、通常の魔人はこのような制御は行えません。
腕輪はもとより、死亡者の復活など……」
「確かにその通りだ」
ハルトが眉を動かす。
「……まるで、誰かが冒険者たちを実験体のように見ている、か」
「はい、そのように感じます。ですが、魔力の波形は中域で干渉源は特定不能です。
意図的にカモフラージュされているかのようです」
ハルトはしばし黙り、やがて一枚の報告書を閉じた。
「分かった。報告は感謝する。《アストラ・オルド》、休息を取れ。
後続の対応は我々が引き継ぐ」
二人が敬礼して退室すると、会議室は静寂に包まれた。
ハルトは椅子に深く腰を下ろし、側近の文官に命じる。
「霧の洞窟の封鎖を指示せよ。
当面、灰等級以下の冒険者の出入りを禁止とする」
「了解しました。発令は今夜には完了します」
文官が頭を下げ、駆け足で部屋を出ていく。
窓の外では、遠く塔の鐘が鳴った。
ハルトはその音を聞きながら、独り言のように呟く。
「……異常なダンジョンだ。魔人としても従来とは異なる。
何かが起きる前触れなのか……?」
◆
その頃、木製の扉が軋む音とともに、ガルドが執務室に戻ってきた。
出迎えたのは、細身の職員だった。
「お帰りなさい、マスター。中央からの報告が届いています」
「もう来たのか」
封蝋を割る。中には、簡潔な一文が記されていた。
『霧の洞窟:灰等級以下立入禁止。
魔人干渉の疑いあり。調査継続のため、地元協力者を選定せよ。』
「……やっぱり魔人か」
ガルドは低く唸る。
「調査継続って言われても、誰を送りゃいいんだ。灰等級は締め出し、蒼鐵はここにいねぇ」
細身の職員がためらいながら言った。
「ひとつ、提案がございます。
先日のワーウルフ討伐で功績を上げた三人組――エレナ、リサ、マリアの昇格を申請しては?」
「昇格? あの子らをか?」
ガルドは腕を組み、しばし考える。
「確かに腕は上がっている。だが、蒼鐵に上げるには試験がいるぞ」
「でしたら……ギルマス自らが試すのが最も確実では?」
ラウルの進言に、ガルドは思わず笑みをこぼした。
「ははっ、俺がか。白金等級の老骨が試験官ってのも、洒落にならねぇな」
だが、その目には既に決意が宿っていた。
「……いいだろう。中央が魔人を疑ってる以上、戦える奴を前に出すしかねぇ。
明日来るよう、あの子らを呼んでくれ」
「了解しました。準備いたします」
ラウルが頭を下げる。
窓の外では、街灯がともり始めていた。
ガルドは火酒をあおりながら呟いた。
「魔人の干渉、なのか? ……もし本当なら、こいつは面倒なことになるぞ」
空になったグラスを机に置く。注がれた火酒が明りに揺らめいた。
◆
夜が更け、静寂が街を包むころ。
その頃、はるか南方の地脈――人の手の届かぬ山間の洞窟で、微かな震動が走った。
「……何かが、乱れている」
女の声が響く。
霧を纏うような銀紫の光が、暗闇の中で揺らめいた。
姿を現したのは、長い黒髪と金の瞳を持つ一人の女。
その肌には、微かに魔素が流れ、周囲の空気ごと振動している。
彼女――魔人ヴェルミナ。
だがこの時点では、まだその名を知る者はいない。
洞窟の奥へ進むたび、魔力の流れが歪んでいた。
壁の紋様は本来の周期を乱し、自然発生した魔素の循環が妙な滞りを見せている。
「自然のダンジョンに、干渉……?」
ヴェルミナは指先で空をなぞる。
淡く光の線が走り、空間が割れた。
一歩。
彼女はその裂け目を越えて、コウモリ洞窟の内部へ“転移”した。
それはワープではなく、“魔素の座標に直接干渉する移動”。
管理室のような中継を介さない、純粋な魔族の権能だった。
霧を抜けた瞬間、空間に波紋が走る。
---
【Zavixログ】
[22:51] host.dungeon.bat_cave event: anomaly_detected
[22:52] host.entity.unknown detected / tag="魔人" / name="Vermina" / uuid:bb2c5e1a
---
管理室。
ユウマの視界に、赤いアラートが瞬時に走った。
「……なんだ? 魔人、だと?」
半透明のパネルには、いつもの“Zavixログ”が高速で流れている。
それは監視者モードでもほとんど見たことのない異常通知だった。
セラフィーナの声が震える。
「この反応……ただの魔物ではありません。
“意思”を持つ存在が、直接ダンジョンに介入しています」
ユウマは息を詰める。
「管理下じゃないコウモリ洞窟に……? どういう理屈だ」
「わかりません。けれど、この魔素の波形……異常に整っています」
ユウマは躊躇いながらも、手を伸ばした。
「……確認するしかねぇか。管理者モードで行く」
一瞬、光が走る。
視界が反転し、彼は管理室からコウモリ洞窟に降り立った。
洞窟内。
無数のコウモリが天井を覆い、魔素の霧が漂う中、
黄金の瞳が彼を見据えていた。
「……誰?」
低く響く声。滑らかで、どこか艶めいている。
ユウマは応じた。
「俺は、このダンジョンを監視している者だ。敵意はない」
「監視……? ふふ、面白い。
なら、少し確かめさせて」
その瞬間、空気が震えた。
魔素の槍が1本形成され、ユウマへと飛ぶ。
「……っ、やばい!」
反射的に攻撃を無効化するトリガーを展開する。
だが――防御は拒絶された。
セラフィーナが焦った声で告げる。
「その存在は……“同等階層”です。
あなたの権限では、制御できません!」
槍が爆ぜ、衝撃がユウマの体を貫いた。
光の粒が散る。
だがヴェルミナは、すぐに攻撃を止めた。
金の瞳を細め、唇に微笑を浮かべる。
「……なるほど。干渉してきたのは、あなたね。
監視者――ふふ、なんて奇妙な仕組み」
ユウマは息を荒げ、手をかざした。
「お前……何者だ」
「答える義理はないわ。
でも……また会いましょう」
その声が途切れた瞬間、彼女の姿は霧に溶けるように消えた。
ユウマは膝をつき、息を整えた。
セラフィーナの声が静かに落ちる。
「……あなた、初めて“対等”な存在に出会いましたね」
「対等、ね……あいつ、本気じゃなかった。
でも、もう一度来る。絶対に」
視界が薄れていく中、ユウマは小さく呟いた。
「……あの女、ヴェルミナ。次は――ただ見てるだけじゃ済まねぇな」
光が消え、静寂が戻る。
そして“監視者と魔人”の、初めての邂逅が記録された夜だった。




