第11話 整流と検証──管理者の自覚
半日かけて町に戻ったばかりの三人組がギルドの大扉をくぐったのは、昼を少し過ぎたころだった。
陽の光を受けた木製扉は、長年の手垢で艶を帯び、押し開けた瞬間に酒と汗と革の混ざった匂いが押し寄せる。
掲示板の前では若い冒険者が肩を寄せ合い、窓口の列は折れ曲がり、奥の食堂からは皿の触れ合う音が途切れなく響いていた。
リサが先頭に立つ。昨日とは違い、その足取りにはどこか確信めいた強さが宿っていた。頬は少し上気し、瞳はまっすぐに前を射抜いている。
「依頼の報告に来ました。例のダンジョンでワーウルフを討伐しました。」
カウンターの向こうで応対したのは、細身の職員だった。きっちりと髪をまとめ、帳簿を手元に置いている。リサの言葉を聞き、彼は目を上げた。ざわめく広間の空気が、そこでほんの少しだけ緊張を帯びる。
「ワーウルフ、ですか? 灰等級にしては難度が高めですが……証明をお願いします」
リサは頷き、腰の袋から取り出したのは毛皮と牙の欠片だった。深紅に染まった毛の一部は、確かにワーウルフのものだ。
マリアが添えるように魔力痕の薄い大爪を差し出し、エレナは静かに頷いた。職員はそれらを検分し、隣の担当に引き渡す。別の者が帳簿に記録を書き込み、魔導秤で重みと魔性反応を二重に確認してから頷いた。
「確かに確認しました。ワーウルフ討伐、達成です」
その声に、周囲の数人が思わず振り返る。酒場の片隅から「灰等級で?」「本気か」と囁きが立つ。
リサの頬がぱっと明るくなる。だが、彼女はさらに一歩踏み出し、真剣な表情で職員に告げた。
「あの……実は、私のレベルが戻ったんです。最初の調査で失った分が、確かに回復していて……」
職員は少し驚いたように目を細め、帳簿とは別の水晶板を取り出してリサのステータスを確認した。淡い光が走り、数値が浮かび上がる。
「……なるほど。確かに戻っているようですね。減少値が消えている。これは稀有な例です。正式に記録しておきましょう」
リサは胸をなでおろし、両隣の仲間に視線を送った。マリアが微笑んで「良かったね」と声をかけ、エレナも深く頷く。三人の間に、張り詰めていた糸が緩んでいくような安堵が広がった。ほんの数刻前の、あの冷たい洞窟の空気が、今は遠い。
「ほかに何か気づいた点はありませんか? マスターも情報を心待ちにしていますので。」職員は落ち着いた口調で続ける。
エレナが腕を組み直し、言葉を選ぶように口を開く。
「……特にない」
マリアは静寂を守り、リサは小さく首を振った。
「私は必死で……正直、覚えてないです」
職員は頷き、さらさらと記録を付ける。
「分かりました、ありがとうございます。」
記載を終えると、三人に向かって軽く会釈する。
「依頼報酬は銅貨30枚です。レベル回復と参考観測は上層部に報告します。あなた方のような事例は、この町にとっても貴重です」
受け取った革袋の中で銅貨がしゃらりと鳴った。革の擦れ合う匂いと金属のひやりとした感触が、現実に引き戻す。リサの表情は、ようやく心からの笑みに変わる。昨日からの重荷が少しずつ解けていくのが、彼女自身にも分かっていた。
エレナが肩を軽く叩いた。「これで一安心だな」
マリアも静かに頷き、三人は小さく輪を作るように寄り添った。人いきれの熱の中で、三人だけの小さな風が通り抜ける。
──その様子を、離れた席から眺めていたユウマが見る。
「さて、レベルが戻ることもギルドに伝わったな」
低い独白は木製マグの縁に吸い込まれていく。
リサはただ喜んでいるが、マリアとエレナは小声で囁き合う。
「ワーウルフ、途中から……何か弱くなったような気がしなかったか?」
「ええ。ほんのわずか、ですけど。確証が持てないので報告はしませんでしたが……」
ユウマは耳を澄ませながら、手元の木製マグを回した。泡の輪がゆっくり崩れて、縁に小さな月を作る。
──俺のトリガーが効いたな。気づきは薄い。いまはそれでいい。
彼女たちがどこまで気づくか、それも今後の課題だ。
やがて三人は銅貨の袋を受け取り、軽い足取りで食堂へ向かっていった。笑顔と安堵が混ざり合う背中を見送りながら、ユウマは席を立つ。
「さて。俺は俺で、必要な作業を進めるか」
ギルドの喧噪の中、彼は次の一歩を踏み出した。長卓の間を縫い、掲示板の前を横切り、出口へ向かう。扉が背中で閉まる音が、外気の涼しさを伴って鼓膜に落ちた。
◆
「本日の報酬は銅貨14枚です」
カウンター越しに受け取った袋の重みを確かめ、ユウマは軽く頭を下げた。
「ありがとうございます」
声は丁寧に、表情は穏やかに。ギルドで請け負う依頼は、あくまで“表の顔”。荷運び、文書の仕分け、納品検品、壊れた柵の仮修繕──汗ばむほどではないが、確実に指先に疲れを残す作業だ。最低限の生活費を確保できれば十分。本当に進めたいのは、その先にある。
袋を腰に下げ、ギルドを後にする。夕暮れの光が石畳に長い影を落としていた。パン屋の窓からは焼きたての香りが溢れ、広場では旅商人が店じまいを始めている。
ユウマは門を通り過ぎ、ダンジョンへ向かう道を歩きながら、ふと小声で呟く。
「半日かけていくのは骨が折れるな……」
耳元で白い光が揺れる。
「最初のダンジョンですね?」
セラフィーナの声は、柔らかながらも芯を含んでいる。
「そうだ。俺が監視を始めた“洞窟”。あそこなら、実験にはちょうどいい」
彼女は微笑みを浮かべ、静かに告げる。
「ユウマ。あなたはまだ気づいていませんでしたが、監視対象のダンジョンへは、わざわざ徒歩で行く必要はないのです。管理室を経由すれば、内部の任意の地点へ移動が可能です」
ユウマは足を止めた。
「……最初から、そんな機能があったのか」
「ええ。ただ、あなたがまだ“必要”と感じていなかったので、自然と意識の外にあったのでしょう。監視者の権限は、気づきと共に顕在化します」
少しばかり苦笑いが漏れた。
「もっと早く言ってくれても良かったのにな」
「気づくべき時に気づく。それもまた成長の一部です」
ユウマは深呼吸をひとつして、頷いた。
「分かった。じゃあ、今から行こう」
視界が一瞬、白に染まる。
次に目を開けたとき、彼は石造りの部屋に立っていた。
◆
管理室──前回より少し広く、照明も明るい。粗末だった机は木目が滑らかになり、椅子には薄い布張りのクッションまで備わっていた。壁際の棚には、紙片や水晶片のようなものが整然と並べられている。天井近くの紋章は淡く呼吸するように明滅し、空気は乾きすぎず、寒すぎず、思考にちょうどよい温度だ。
「……アップグレードされてるな」
「あなたが経験を積むにつれて、監視環境も進化していきます。これは“外部から与えられる報酬”ではなく、“権限の深化”です」
ユウマは机の前に立ち、ダッシュボードを呼び出した。目の前に見えない画面が幾つも開き、ログとグラフが流れていく。フォントの角が柔らかくなり、行間がわずかに広い。可視性が上がっているのが分かる。
「よし。じゃあ検証開始だ」
彼は指先を動かすようにして、思考で命令を組み立てた。
「まずは……モンスターの追加。ホストを新規で登録できるかどうか」
パネルの隅に新しい項目を作り、“host.monster.test.goblin”と入力するイメージを置く。すると、まるでシステムが応答するかのように、薄緑色の文字が浮かんだ。
---【Zavixログ】
[16:12] AddHost host.monster.test.goblin → Success / UUID=2f9c-7b31 / Spawn=B1-入口脇
[16:12] Attach MonitoringItem: HP, ATK, DEF, SPD → Bound
[16:12] Policy Check: 生態密度=許容範囲 / 経済影響=軽微 / 承認
---
「……おお、本当にいけるのか」
セラフィーナが微笑む。
「ただし、追加した存在が“自然に存在するもの”として受け入れられるかどうかは、調整が必要です。過剰に増やせば、世界が拒絶します」
「試しに一体だけにしておくか。監視アイテムはHP、ATK、DEF、SPD。閾値は低め、更新間隔は短めで」
ユウマの思考に従い、メトリクスが行単位で右端に並ぶ。心拍のように小刻みなパルスが表示域を走った。
「次は……宝箱だ」
“item.treasure.test001”を生成し、中身を銅貨一枚に設定。配置場所は通路の分岐点。
ユウマは最小出血のつもりで、最も“無難”な案を選ぶ。が、結果は冷ややかだ。
---【Zavixログ】
[16:15] Add DungeonItem treasure.box(test001) at B1-分岐 → Failed / Reason=PermissionLevelLow
[16:15] Hint: 権限段階未達 / スキルレベル上昇後に再試行を推奨
---
「ダンジョンアイテムはダメか」
ユウマさらに罠の追加を試みる。
「trap.spike.test001」──小型の落とし穴。深さは一メートル、致命傷にはならないが、足を取られて転ぶ程度。
結果は同じだった。
---【Zavixログ】
[16:17] Add Trap pit(depth=1m) at B1-狭路 → Failed / Reason=PermissionLevelLow
[16:17] Policy: 致傷性要素の新設は現権限では不可
---
「これでもダメか……」
机の上に広がる仮想パネルを見つめながら、ユウマは深く息を吐いた。
「レベルが上がるごとに影響範囲が増えそうだとログから考えられるが……俺の責任も広がる」
セラフィーナは穏やかな声で応じた。
「責任を自覚するのは良いことです。ですが、あなた一人が全てを背負う必要はありません。世界そのものが制約を与え、逸脱を拒みます。ですから、恐れすぎることもありません」
ユウマは少しだけ笑った。
「そう言われると、少し楽になるな」
彼は再びパネルを操作し、テスト用に作ったゴブリンのログを確認する。
出現時の挙動、周囲スライムとの干渉、通路端での待機行動。どれも“自然”に見える範囲で流れ、監視アイテムの数値は安定推移だ。
---【Zavixログ】
[16:22] host.monster.test.goblin / HP=38/38 / ATK=6 / DEF=3 / SPD=4
[16:22] PatrolRoute=B1(入口脇←→湿地手前) / AggroRadius=短
[16:23] 生態影響: ±0(短期)/ 経済影響: ±0(短期)
---
「……こうして見ると、俺はただの監視者じゃなく“ダンジョンの設計者”みたいだな」
「ええ。監視者であり、調整者であり、時に創造者でもあるのです」
ユウマは机に両手を置き、しばし沈黙した。
やがて、低く呟く。
「……今後、この力をどう使うか、慎重に考えないとな」
セラフィーナが柔らかく微笑む。
「大丈夫です。あなたは“プレビューしてから施行する”という手順を、ちゃんと守っていらっしゃいます。急がず、一つずつ確かめていきましょう」
ユウマは短く息を吐いて頷いた。
「了解。今日は“ホスト追加が可能、宝箱と罠は未解放”──ここまでの確認で切り上げる。あとは作業ログを整形して、明日の運用に備える」
パネルの片隅に、彼は小さくメモを置いた。
“当面方針:弱体化トリガーは状況依存を維持。撤退補助は強め。生成は控えめ。学習を促す。”
管理室の気温が、ほんの少しだけ落ちた気がした。日が傾き、洞窟の冷気が深くなる時刻だ。ユウマは視界を閉じ、ゆっくりと現実へ戻る。
瞬間移動したまさにその場所へ立っていた。
「帰るか。夕食を抜くほど若くない」
「ふふ。良い判断です」
薄く笑って、二人は町の光へ歩き出した。




