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1話 父

太陽歴3522年。


 世界は一つの巨大な円盤の上に成り立ち、人々は空に浮かぶ太陽を疑うことなく生きていた。


 かつてあった魔族との大戦は、歴史学者ですらその実在を議論の種にするほど遠いおとぎ話となり、この百年間、大国間の均衡が辛うじて保たれたことで、大規模な戦争は久しく起こっていなかった。


 しかし、近年、国境での小競り合いは増す一方で、一世紀ぶりの開戦の可能性、それは徐々に現実味を帯び始めていた。


―――――――――――――――――――――


 自宅の書斎。壁一面を埋め尽くす本棚には、古今東西の歴史書、難解な古代言語の文献、そして分厚い考古学の専門書が隙間なく並んでいる。インクと古い紙の匂いが混じり合った、落ち着く空間だ。


 本棚の隅には、古びた木製の写真立てが一つ。少し色褪せた写真の中では、まだ幼い僕を真ん中に、父さんと、そして今は亡き母さんが優しく微笑んでいる。


 その書物の山と、雑然と置かれた発掘道具に囲まれながら、僕――アレン・ファーブルと父さん――クロード・ファーブルは、風景写真を覗き込んでいた。


 数時間前、一ヶ月に及ぶウォルデン共和国での諜報任務を終え、帰還したばかりだった。諜報委員会本部にて報告を済ませて僕は帰宅した。僕は諜報任務の傍ら、父さんが好きそうな文化や景色の写真を撮ってくるのが習慣になっていた。父の嬉しそうな顔を見るのが、僕にとって任務完了後のささやかな楽しみなのだ。


「――それでね、父さん。実はね。お土産を買ってきたんだ」


 僕は少し得意げにそう言って、革鞄からくしゃりとした音を立てる紙袋を取り出した。中からは大分時間が経ってしまってはいるが、まだ甘いいい匂いがふわりと漂う。


「土産とは珍しいな。お、パイじゃないか」


 父さんは驚いたように目を見開き、学者らしい知的な光を宿した瞳を細めた。


「カイルがこういうのに目がなくてね。本当は買うつもりなかったんだけど。共和国のマルタのパイは絶品だって聞かなくてさ」


 任務の相棒の顔を思い浮かべながら、僕は少し照れくさく言い訳のように付け加えた。


「どれどれ……」


 父さんは早速、指先に小さな火球を生み出すと、器用にパイ全体を均一に温め始めた。その繊細な魔力コントロールは、学者にしておくのがもったいないほどだ。温められたパイから、バターと煮詰めた林檎の香りが書斎に満ちていく。父さんは満足げに頷くと、温かいパイを一口頬張った。


「うまい。うまいぞ! この林檎の甘みと酸味のバランス、そして何よりこの生地の層! まるで千枚の葉が重なっているようだ!」


 目を丸くして、子供のようにはしゃぐ父さんの姿に、僕も思わず笑みがこぼれる。


「カイルが言うにはこのサクサクは、風の魔法で生地の水分を瞬間的に飛ばさずに、特殊な窯で焼き上げてるからなんだってさ」


「ほー完全手作業なのか! 素晴らしい! 魔法に頼らず、人の手だけでここまでの完成度に至るとは!」


 目を爛々と輝かせる父さんは、アルビオン王国でも指折りの考古学者だ。ただし、学会ではもっぱら『夢想家のファーブル』と呼ばれている。その探究心は、時に専門分野を大きく逸脱する。


「そういえば、アレン。お前が共和国に行っている間に、面白い話が飛び込んできてな」


 父さんは、パイを味わいながら、思い出したように言った。その口調には、また新しい謎を見つけたという興奮が隠せないでいる。


「セブリス帝国で、とんでもない遺跡が見つかったらしい。なんでも、石でも木でもできていない、巨大な金属質の立方体だとか」


「一人の考古学者が発見したとこを、民間の新聞がすっぱ抜いたんだが、その日のうちに軍が『軍の新型魔力炉の実験だ』なんていう、取ってつけたような発表をしたらしい。発見者の学者も、記事を書いた記者も、二人ともどこかへ消えちまったそうだ」


「帝国でそんなことがあったんだ」


 諜報員の勘が、その話の裏に何かきな臭いものを感じ取っていた。頭の片隅に、その情報を留めておこう。


「そう言えば父さん。王立大学での講演会どうだった?」


 僕が話題を変えると、父さんは、先ほどまでの快活な表情から一転、大きなため息をついた。パイの甘さも吹き飛んでしまったかのような、苦々しい顔だ。


「……ああ、散々だったよ」


 彼は、まるでその時の光景を思い出すかのように、うんざりした顔で語り始めた。


「知ってるとは思うが、学会の連中の大半は、時折発掘される木造遺跡を『神が創造した木製の建造物』だと結論付けている。火の魔法が日常にある現代で、木で家を建てるなどありえん、だから神の御業だ、と」


「だが、私は壇上でこう主張したのだ。『あれは、火の魔法がなぜか使われていなかった時代の、我々の祖先が残した物に違いない』、とね」


 父さんの声には、理解されないことへの憤りと、それでも自説を曲げないという強い意志が滲んでいた。


「まあ、結果は想像通りさ。多数派と違う意見なのだから、当然、拍手は少ない。一部、私の説を支持してくれる熱心な学生もいたが、大半の教授連中からは、罵詈雑言の嵐だったよ」


「……そっか。父さんも大変だったね」


 僕に、気の利いた慰めの言葉は見つからなかった。父の孤独な戦いを前に、自分の無力さを感じる。


「そうだ、アレン」


 心機一転するように、父さんはそういうと机の上の木箱から、布に包まれた何かを取り出した。その手つきは、宝物を扱うように慎重だ。


「これを見ろ。先日の発掘で見つけたものだ」


 布が開かれると、現れたのは手のひらサイズの破片だった。ガラスのようでもあるが、石のような硬質さも感じる。窓から差し込む光に透かすと、内部に微細な線が幾何学模様を描いているのが見えた。


「……なんだこれ。自然物には見えないな」


 思わず息を呑む。こんな物質は、見たことも聞いたこともない。


「だろう? だが、これほどの透明度と硬度を持つ物質を、今の我々の技術で精製することは私の知る限りでは不可能だ。ああ、時間を遡って、これが何なのかこの目で直接見ることができたらなあ!」


 父さんは天を仰いで本気で悔しがっている。その姿はまるで、欲しいおもちゃを前にした子供のようだ。


「時間を遡る魔法か。そんなものがあれば、諜報活動も楽になるな」


 僕が冗談めかして言うと、父さんは急に真顔になって僕を見つめた。その瞳の奥には、冗談では済まされない、深い思慮の色が浮かんでいる。


「だがアレン。真実を知ることが、必ずしも幸福とは限らんかもしれんぞ。時には、知らずにいた方が幸せなこともあるかもしれん」


 父さんの言葉が、やけに重く僕の胸に響いた。


「なーんてな」


 父はすぐにいつもの調子に戻っておどけてみせた。


「……」


 僕は何も言えず、ただ父さんの顔を見つめ返した。


「おっと白けさせてしまったみたいだな。代わりに、これをアレンに譲ろう。私としては、もう十分に研究しつくしたつもりだ。学会の連中に渡したところでこれの価値には気づかないだろう」


 そう言って、父さんからガラスのような破片を受け取った。ひんやりとした感触が手のひらに伝わる。


「ありがとう。父さん」


 僕はそれを、落とさないよう慎重にポケットにしまった。


「そういえば、あんなこともあったな。あれは確か3年前の──」


・・・

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