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第7話 ロシアの雪、学食の湯気




― 1812年 ロシア遠征開始 ―



『全軍。聞け。我々はこれより、ロシア領へと進行する!

 首都・モスクワを攻め落とすのだ―

 ロシアを屈服させ、ヨーロッパ大陸の覇権を

 確固たるものとする!』



ナポレオンの声が大地を揺らすと、60万の兵士たちが雄叫びを上げた。ヨーロッパ各地から集められた兵が、規律正しく列をなし、ロシア国境のネマン川を渡り始める。



その光景は、

―まさに「大陸軍」の名にふさわしい圧巻の景色だった。



進む先々でロシア軍は退き、

砦も街もほとんど抵抗なく落ちていく。




『見よ、敵は我らの威を恐れ、退却するのみ!

 もはや、勝利は目前だ!』




兵たちは勝利を確信し、「首都モスクワの陥落」は

もはや、時間の問題と思われた。





― ロシアの首都 モスクワ ―




『この門を越えれば首都モスクワだ!

 ここを制すれば、ロシア軍は、もはや抗えぬ!突入せよ!』




雄叫びを上げて進軍した兵たちの前に広がっていたのは、





――あまりにも不気味な静寂だった。




石畳の大通りにも、並び立つ家々にも、人影ひとつない。




「報告!……市街に誰もいません!」




『なに……?ロシア軍は、ここまで退いたはずだ。

 潜伏しているのか?さては奇襲か?』



「いえ、どこを探しても……住民も軍も跡形もなく。

 まるで街全体が捨てられたような光景です…!」




ナポレオンは、はっと息を呑んだ―




『……まさか。奴ら……この街そのものを……!

 全軍撤退!今すぐモスクワを離れろ!!』





―その直後、遠くで怒号が響いた。




「――火を放てッ!!」



四方の建物から勢いよく炎が噴き出し、瞬く間に街を覆う。

石畳を揺らす轟音、吹き上がる黒煙。

モスクワは一瞬のうちにして火の海と化した。




『焦土作戦……!自らの首都を焼き払うとは……!』




ロシアは、祖国の中心を犠牲にしてまで敵を追い詰める

前代未聞の作戦を選んだのだった。



『全軍撤退せよ!炎に呑まれる前に、急げ!』



勝利を目前にしていた大陸軍は、燃え盛る首都から慌ただしく退却を余儀なくされた――。





― ロシア首都圏・郊外 ―



モスクワは焼け落ち、補給は尽き、兵士たちの顔からは

完全に勝利の光が消えていた―


空を覆う灰色の雲。容赦なく吹きつける吹雪。


"ロシアの冬"

――それは、銃よりも大砲よりも恐ろしい「敵」だった。


凍りついた大地に倒れ伏す兵士たち。

食糧は底を突き、寒さと飢えで仲間たちは次々と死んでゆく。



『……進め。止まるな。止まれば死ぬぞ……!』



ナポレオンの声も、吹雪にかき消されて遠く響く。

兵を導くはずの皇帝の姿は、小さく、弱々しく見えた。



撤退の途中も、ロシア軍の追撃は絶え間なく続いた。

疲弊した兵たちには、もはや反撃の力すら残っておらず、

ただひらすら、凍える大地を逃げ延びるしかなかった。



「水を……誰か水を……」

「パンを分けてくれ……」



呻き声はやがて雪に飲まれ、戦場に響いていたはずの靴音は、次第に途切れ、途絶えていった―



『………止まるな。決して止まるな。』



ナポレオンは、自らを奮い立たせるかの如く、静かに呟いた。







―こうして、



60万の兵を誇った「大陸軍」が、フランスへ戻った時には、




―その数、わずか5000人




「無敵」と呼ばれたはずの軍勢は、

血と泥にまみれた残骸に変わり果てた。



1812年、ロシア遠征―

それは歴史に残る「大敗北」として幕を閉じた。




――――――――――――――――




―2025年 東京・まよいの家―




「ねえ、ナポレオン、起きて」


まよいがそっと声をかけると、ソファに横たわるナポレオンが苦しげに眉をひそめていた。

うわごとのように何かを呟いている。



『……止まるな……決して……止まるな……』



その声にまよいは胸を痛める。

(また……夢にうなされてる。昨日の夜もそうだった。)


彼女は小さく息をつき、肩を揺さぶった。



「起きて。もう大丈夫だから。ここは日本だよ。

 戦場なんかじゃないから。」



ナポレオンはゆっくりと目を開け、

虚ろな瞳でしばし天井を見つめた。

そして我に返ると、かすかに首を横に振り、深く呼吸を整える。



『……夢、か。』



その表情に影が残るのを見て、

まよいはわざと明るく振る舞った。



「ほら、今日は、いい物あげる!」



彼女は小さな箱を差し出す。

中には安物ながら新品のスマホがあった。



『……これは。』



「スマホ。昨日の配達を助けてくれたお礼ね。

 いつも私のスマホ使ってるでしょ?だから自分専用ね。」



ナポレオンはしばらく黙って見つめ、それからふっと笑みを浮かべる。


『……兵から贈り物を受け取った将軍の気分だ。

 たまには、これも悪くない。』



「はいはい。大事に使ってね。」



『……これで牛丼も呼べるのか?』



「違う!いや、違わないけど…呼ばないで!

 それはデリバリー用じゃなくて、連絡用ね!」



まよいはバッグを手に立ち上がった。



「私は、今日は大学だから。配達はお休み。

 いい?私が帰るまで大人しく留守番しててね。」




『学び舎か…。心得た。今日の任務は、休息か……』



ナポレオンは、少し物足りなさそうな声でそう呟いた。





――――――――――――――――





― 2025年 都内・大学正門前 ―



「ふぅ……やっと着いた!ギリギリだ…

 もうちょっと早く家を出ればよかったかな。」



まよいがキャンパスへ歩みを進めると、

正門前に妙な人だかりができていた。


ざわめきの中心には、金ボタンの軍服姿―



――ナポレオンが、堂々と立っていた




『これぞ、我が手にした“兵站石板”である。

 この“スマホ”なるものさえあれば、いかなる補給も

 滞りなく遂行できる!』




彼の手には、今朝、まよいが渡したばかりのスマホ。

それを掲げるように高く持ち上げ、群がる学生たちに誇らしげに語っていた。




「すっご……!あれってコスプレ?めっちゃ本格的じゃん!」

「いや、あの人、外国の先生じゃない?新しい教授?」

「今、スマホを"石板"って言ったぞ!なんかやばくね!?」



学生たちが口々にざわめき、

あっという間に人だかりは膨れ上がっていく。




その光景に、まよいは凍りついた―



「……………」


(やっぱり……やっぱり家で大人しくしてなかったぁああ!!)




彼女は人混みをかき分け、一気にナポレオンへ駆け寄る。




「ちょっとぉぉ!!なんでここにいるの!?!?」




まよいの登場にも動じず、ナポレオンは胸を張って言い放った。



『ふむ、まよい。遅かったな。安心せよ。

 言われた通り、今日の配達任務は休息だ。

 我はただ、この“学び舎”を視察していただけだ。』



「それを“視察”って言う!?

 今どんだけ目立ってるか分かってるの!?

 あぁぁ、どうして毎回こうなるのぉぉ!!」



周囲の学生たちからは、笑い混じりのざわめきが広がった。



「え、なになに、この二人、知り合い?」

「しかも名前“ナポレオン”って聞こえたんだけど!」

「あの子……あの軍人コスプレとどういう関係!?」




顔を真っ赤にしたまよいは、

ナポレオンの耳元にぐっと顔を寄せる。




「……いい?大学なんだから。学内で私に話しかけないで!

 絶っっ対だからね!もし破ったら、スマホは取り上げる!」




ナポレオンは、神妙な顔で頷いた。



『……ふむ、これは、作戦上の“秘匿命令”か。了解した。

 ならば、我も学内では沈黙を貫こう。』



「そう、それ!沈黙!……ほんと頼むよ……

 と、とりあえず、私は自分の講義に行ってくる!」



まよいは疲れたように深くため息をつき、

心の中で、「今日も一日が波乱の予感しかしない」

と思わず呟いた。




――――――――――――――――




「ふぅ、やっと終わったよ。お腹空いたな」


「まよい、学食でご飯一緒に食べよ。」



午前の講義を終えたまよいは友人の、有原かすみと並んで

学生食堂へ向かっていた。



だが、食堂の入口には長蛇の列。

ざわつきと不満の声があちこちで漏れていた。



「な、なんだこれ……」

「配膳が全然追いついてないじゃん!」

「こんな混むこともあるんだね、珍しい。」



――その中心で、大声を張り上げる男の姿があった。



『次、うどん三つ!カレーは後方へ回せ!揚げ物部隊は

 まだ待機だ!右翼の定食班は中央に展開せよ!』



軍服姿の男が、汗を光らせながら必死に動いている。

両手にトレーを抱え、信じられない速さで

学生客の列を捌いていく姿。



――ナポレオンだった。




「うわっ、なにあれ……本物の指揮官みたい……」


かすみが目を丸くする。



「……………」

(うわぁ……またやってる……。いや、ここで関わったら

さらに目立つ!私は知らん顔して席に……)



そう思って、一歩踏み出そうとする。



だが――彼の背中が視界に入る。

額の汗を拭おうともせず、必死に動き続ける姿。

それは、軍勢を導く将軍ではなく、ただ目の前の人たちを

助けようとする一人の人間の姿だった。




「……もう、しょうがないなぁあ!

 かすみ、ごめん!今日は先に食べてて!」



「え、あ、うん…?」



まよいはバッグを放り出し、袖をまくって、

食堂のカウンターへ飛び込んだ⸻




「ナポレオン、何すればいい?」



『……。まよい。もういいのか、秘匿命令は。』



「だって、しょうがないじゃん。友だちが頑張ってる姿

 見て、無視なんて出来ないよ。」



『フッ……そうか。ならば共に戦おう。

 配給の指揮は、全てこのナポレオンが執る。』



「はいはい!じゃあ私は実働部隊ね!

 次、日替わり定食でーす!」



『右翼に展開!その次は中央が薄い、そこを押さえろ!』



「右奥のテーブルって言ってよ!

 ……はい、親子丼のお客さん、どうぞー!」




声が飛び交い、二人の動きはどんどん息が合っていった。




「すごい!めっちゃ列が進んでる!」

「軍人コスプレと女子学生のコンビ、意外にアリじゃね?」

「なんかカッコいいな……」



―拍手と歓声が起きる中、長蛇の列は

あっという間に解消されていった。




「はぁ……もう腕がパンパンだよ……」


『ふむ、だが戦は制したな。』




肩で息をしながら並んで腰を下ろす二人に、

食堂のおばちゃんがにっこり笑って差し出す。



「助かったよ!あんたたち、すごいコンビだねぇ。

 お礼にこれ、食べていきな!」



湯気を立てるまかないコロッケと山盛りのご飯。



「わぁ……ありがとうございます!」


まよいが嬉しそうに手を合わせる。



ナポレオンも箸を手に取り―



『……任務ののちに味わう糧食。これぞ勝利の美味、か。』


「……ただのまかないだから!」



そのやりとりに学生たちの笑い声が広がり、食堂はすっかり和やかな空気に包まれていった。



一部始終を見ていたかすみは、遠くの席でぽつりと呟いた。



「……まよい、なんだか、成長したね。」




――――――――――――――――





―午後・大学講義室―




「いい?一緒に居てもいいから

 邪魔したり、変なこと急に言い出したりしないでね。」



『承知した。』




広い教室の前方に立つのは、年老いた歴史学の教授。



彼は黒板に大きく―



「ナポレオンとロシア遠征」と書き始めた。



「え〜。……1812年のナポレオンのロシア遠征。

 これは人類の歴史に残る大失敗です。

 大陸軍60万の兵は、帰還時にはわずか5000人。」




まよいはノートを取りながら、思わず隣をちらりと見た。

ナポレオンは沈黙を貫いている。その表情は硬く、

だが、ほんの一瞬だけ、目が潤んでいるように見えた。



教授は黒板にチョークを置き、学生を見渡して静かに語る。




「しかし、―数字だけで片付けてはなりません。

 その絶望の中でも、ナポレオンは兵を見捨てませんでした。

 自らしんがりを務め、最後尾から“止まるな”と叫び続け、

 兵を奮い立たせたのです。」




―教室が静まり返る。



教授は続ける。


「結果は大敗でした。しかし、全滅は免れた。

 5000という数字は、小さな生き残りではなく、

 ナポレオンによって救われた命の証なのです。」



その言葉に、まよいの目頭が熱くなった。

同時に、これまで何度も配達で助けられたことを思い出す。



横を見ると、ナポレオンは拳を強く握りしめ、

ただ前方を見つめていた――。


 




――――――――――――――――




―講義終了後―




講義が終わり、学生たちがぞろぞろと出ていく。

その中で、ナポレオンはゆっくりと立ち上がり、教授の元へ歩み寄った。




『……貴公は、あの戦のことを語ったな。

 我が兵を……“最後まで導こうとした”と。』



教授はナポレオンの服装をみて、驚いたように目を見開いた。

しかし次の瞬間、優しく微笑んだ。



「歴史は敗北を語ります。

 しかし、同時に語り継がれるのです。

 あなたが最後まで兵を導き、共に歩もうとしたことも。

 敗者としてだけではなく、人々を救おうとした者として。」




ナポレオンの瞳に、静かに光が宿る―




『……誇り、か。

 敗北の中にも、それが残るのなら……

 まだ、この身に意味はあったのだな。』



教授は深く頷いた。




――――――――――――――――



夕暮れの大学通り。


まよいとナポレオンが並んで歩いている。




「ねえ、教授と話してたの、見てたよ。」




『……ふむ。あの男は、我を“敗者”としてではなく、

 人を救った者として語った。

 ……我は、無駄に敗れたわけではなかったのだな。』




「そうだよ。私も思ってる。

 ナポレオンは、負けても、倒れても……

 ちゃんと最後まで誰かを守ろうとする人だって。」




ナポレオンは立ち止まり、まよいを見つめる。

夕日に照らされた瞳は、不思議と柔らかかった。




『……ならば、今度は我が誓おう。

 この時代で――お前を守り抜くと。

 いかなる戦場であろうとも、決して見捨てはせぬ。』




まよいは一瞬言葉を失い、それから顔を赤らめて笑った。




「……もー、そういうこと、急に言わないでよ。

 でも……ありがと。」




二人の影が長く伸び、並んで歩く道の先

夜の街の明かりが灯り始めていた―




――――――――――――――――



お客様の声(NEW!!)


女性(50代)

「軍服のあんちゃんが“右翼に展開せよ!”なんて

 叫ぶもんだから、最初は何か戦争ごっこかと思ったよ。

 気づいたら列がスーッと消えててね、ほんと助かったよ。

 ……次はエプロン、持ってきてもらえると、嬉しいかな。」



――――――――――――――――







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― 新着の感想 ―
Xではありがとうございます! ナポレオンとマヨイのコンビいいですね! 失礼かもしれませんが、どこかで見たことがあるっと思ったら、「パ〇ピ孔明」のような偉人×現代ヒロイン……結構好きです
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