第5話 俺の名は、"速水ルイ"
― 2015年 東京・郊外―
雑木林の奥に、ひときわ異質な建物が立っていた。
黒ずんだ石壁と色あせたカーテン。その古い洋館の一室で
ひとりの老人がベッドに横たわっている。
その近くでは、ひとりの少年が彼の様子を
不安そうな顔でじっと見ている。
「ルイ……」
かすれた声が少年の耳に届く。
「お、おじいちゃん… 死なないで…! 」
「ルイ…。よく聞きなさい。もう時間がないんだ……。」
「うぅ…… やだよ。おじいちゃん…!! 」
「私のお祖父さんがね、亡くなる直前に言っていたんだ。
―――"ベルモンド家" は、決して忘れぬ。
あの男、ナポレオン・ボナパルトを……許してはならん。
何世代かけてもだ。憎しみは、血とともに受け継がれる。
そう言って、私のお祖父さんは静かに旅立っていったのさ…」
「……ナポレオン?」
ルイは幼くて、その意味の半分も分からなかった。
ただ、その言葉に込められた、強い感情だけが胸に残った。
「ルイ…。 ベルモンドの血を継ぐものよ。
君はいつか……奴の血を継ぐ者に出会うだろう。
そのときは……必ず……ベルモンドの誇りを示せ……」
祖父はそう言い切ると、深く息を吐き、そっと目を閉じた。
「…………おじいちゃん?…おじいちゃんってば。
やだよ… 死なないでよ。もっとお話ししてよ…」
少年の小さな手からは、
祖父の大きな手の温もりがゆっくりと消えていく。
静寂の中、古い柱時計の音だけがその場に響いていた―
「……ナポレオン。」
少年によって最後に呟かれたその名は、
深い憎しみと共に空気に溶け、永遠に閉ざされた。
――――――――――――――――
―2025年 東京・まよいの部屋―
「ねぇ、ナポレオンって、本当に“あの”ナポレオンなの?」
『無論だ。我が名は――ナポレオン・ボナパルト。
かつてヨーロッパを掌握し、フランスを救った将軍にして皇帝。……だが、今それを証明できるのは、この我が身ひとつしかない。』
「…………じゃあ、昔のフランスからタイムスリップしてきたってこと?」
『分からぬ。ただ一つ言えるのは――この世界は、我の知る常識からあまりにもかけ離れている。“兵站石板”も、“シベリア箱”も、我が時代には存在しなかった。』
ナポレオンが机の上のスマホや、冷蔵庫にちらりと視線を送る。
「……ネーミングセンスが相変わらず独特なのよね。
でも――私は、その話を信じるよ。
だって、ナポレオンは昨日も一昨日も、ちゃんと私を助けてくれた。私にとっては“英雄”だから。本当にありがとう。」
『ふむ……その言葉、牛丼0.5杯に値するな。』
「半分!? せめて1杯分でしょ!」
『いや、牛丼は至高の糧食。黄金の香りを放ち、口にした者すべてを魅了する……。
あれを等価交換に使うなど、もはや暴挙だ。』
「はいはい、牛丼もきっと喜んでるよ……。
で、ナポレオンは……やっぱりフランスに帰りたいの?」
ナポレオンはしばらく黙り、重々しい表情で考え込む。
『……否。今は、この世界に強い興味を覚えている。』
「そう。じゃあ――しばらくは私の家に泊まっていきなよ。
ただし!条件がある。昨日みたいに私の配達のサポートをすること!これ、絶対ね!」
『配達……昨日のあの兵站の補給か。よかろう。
このナポレオンが必ず、お前を“勝利”へと導いてやろう。』
「ふふっ、頼もしいね。
それじゃ今日は……渋谷にでも行ってみよっか。
きっと、この世界のことを知るには一番早いと思うんだ。」
――――――――――――――――
― 渋谷・スクランブル交差点 ―
「わっ、わっ……ちょっとナポレオン、立ち止まらないでよ!」
人混みで混雑する交差点。
スーツ姿の人波に呑まれながらも、ナポレオンは堂々と立ち尽くしていた。
『……まるで軍勢の進軍だな。これだけの人数が四方八方から一斉に動く……だが誰一人としてぶつからぬ。
これはまさに“奇跡の布陣”だ。』
「いやいや、ただの交差点だから!みんな慣れてるだけ!」
ナポレオンは腕を組み、ゆっくりと頷く。
『……これを戦場に応用できれば
……兵を数万規模で同時に動かしても混乱せずに済む。』
まよいが必死にナポレオンの手を引きながら進むと、
道端に行列を作る小さな屋台が目に入った。
「ほら、クレープ屋さん!
渋谷って言ったら、まずはこれでしょ!」
『……む? これは……
薄き生地を丸め、中に兵糧を詰めているのか?』
焼きたてのクレープを両手で抱え、女子高生たちが笑顔で写真を撮り合っている光景に、ナポレオンの目が輝く。
『……甘味……? しかし、あの兵たちの顔を見よ!まるで勝利の祝杯をあげているようではないか!』
「うん、まあスイーツって幸せな気分になるもんだしね。
あとあまり、JKのこと兵とか言わない方がいいと思うよ」
ナポレオンは大きくうなずき、拳を握りしめた―
『ここは……士気を高める“ 勝利の甘味補給線"に違いない! 敵が恐怖に震える中、味方がこれを食せば、戦意は天へと昇るであろう!!』
「いや、ただのクレープ屋台だから!」
まよいが呆れてため息をつく横で、ナポレオンは真剣な面持ちで屋台を凝視していた――。
その時、頭上の大ビジョンから華やかな映像が流れ始めた。
きらびやかな衣装のアイドルグループが踊り歌う姿に、
ナポレオンの目が釘付けになる。
『む……!巨大な旗印に女神たちの歌声を合わせ、
兵の士気を鼓舞するとは!まさに鼓舞演説……!』
「アイドルのMVだから!国を動かす演説じゃないの!」
まよいがツッコミを入れた瞬間――
映像がふっと切り替わり、別の番組が始まった。
「皆さま!お待たせしました!!今週もやってきました
ベスト配達員 発表の時間です!
このベスト配達員とは、配達員の能力・売上・口コミなどを
総合的に評価し、ランキング形式にするというものです。
なお、第1〜3位に選ばれた方には、政府より特別手当が支給されますので、後日区役所にて、本人確認とともに、申請をしてくださいね!それでは、早速発表いたします!」
第1位 タケル(Yuber Eats 所属)
第2位 アキ (Yuber Eats 所属)
第3位 ルイ (出前のYAKATA所属)
「選ばれた皆様、おめでとうございます!!!
なお、第1位の、タケルさんは、これで8週連続の首位キープとなります!今後も更なる活躍をご期待します!
本日の放送はこれで終わります。
では、ご覧の皆様、また来週お会いしましょう!」
「すごいね。あの"タケル"って人…どんな人なんだろ。
私もこうやって配達頑張ってたらいつか、あそこに名前が
入ったりするのかなぁ……なんて。」
少し、照れくさそうな表情で笑う、まよい。
ナポレオンは腕を組み、真剣に言葉を落とした。
『……ふむ。戦場における戦果報告のようなものか。
ならば当然、我らも頂点を目指すべきだろう。』
――――――――――――――――
大ビジョンのチャンネルが切り替わり、
人々がざわつきながら散っていく。
その時――
「おい、あんた。」
不意に背後から鋭い声が飛んできた。
振り返ると、赤い配達ジャケットを羽織った金髪の青年が腕を組んで立っていた。制服の上からでも漂う堂々とした雰囲気に、まよいは思わず息をのむ。
「……その変な格好、やめた方がいいぜ。
ナポレオン気取りか?渋谷でそんなコスプレ、目障りなんだよ。」
その言葉に、ナポレオンの眉がぴくりと動いた。
『……む? 何を言うかと思えば―これは我が正装だ。』
ナポレオンの眼光が鋭さを増す。
だが青年は一歩も退かず、顎を上げて冷笑した。
青年は腕を組み、真っ直ぐナポレオンを見据える。
「おっさん。よく聞け。俺はな…、
――ナポレオンが大嫌いなんだ!!」
まよいは目を丸くし、思わず口を開いた。
「えっ……き、嫌いって、どうして……?」
青年はふっと薄く笑みを浮かべた。
「理由なんていらないさ。俺の家系は代々そう生きてきた。
だから、あんたみたいなやつを見てると、どうにも我慢できない。」
その声の裏には、ただの“コスプレ嫌い”ではない、深い憎悪が含まれていた。
「………俺の名は、"速水ルイ"
――見たところ、そっちの女は配達員のようだな。
よし、俺と配達で勝負しろ!
俺に負けたら、そのコスプレは脱ぎ捨ててもらう!」
赤い配達ジャケットが風をはらみ、挑戦の旗のように翻った。
いきなりの挑戦状に戸惑うまよい。
「えっ…配達で勝負って。一体…! 」
『第3位だったな。』
「えっ。」
『先ほどの演説だ。ベスト配達員の中に、この男の名があった。』
「たしかに。言われてみればそうだったような…」
「―フッ。ご名答。
この、"速水ルイ"は今週のベスト配達員に選ばれた男だ
お前みたいな素人が俺に勝つのは到底不可能。
どうする?この勝負受けるか? 受けないなら、当然
―そのコスプレは、今ここで脱いで貰うことになるがな。」
「ええっと。どうしよう……
ナポレオン一旦、全部脱いでくれる??」
『貴様。まさか敵国の諜報部隊だったとは…。」
「じょ、冗談に決まってるじゃない!
いいよ!!速水ルイ、私と勝負しなさい!」
「無理に足掻く虫ケラほど、潰し甲斐があるんだよなぁ。」
『面白い。この勝負、受けて立とう。
――我が道を阻む者は、誰であろうと討つ。
速水ルイは口元に笑みを浮かべながら、一歩前に出た。
「フッ……いいだろう。ルールを教えてやる。
自分のスマホを出して、配達アプリを開け。」
「えっ、うん、分かった。」
「自分のプロフィールの横に
" 配達ブースト " っていう表示があるはずだ。見てみろ。」
「え〜と。あっ、あった。 “ 配達ブースト " 」
配達ブースト
・1日に30分間だけ使用可能です
・配達ブースト中は、注文がいつもより多く入ります
「こ、こんな機能あるんだ〜 初めて知ったよ。」
「お前、ほんとに素人なんだな。まあ、いいや。とにかく、 今から俺とお前は同時にこの配達ブーストを押す。
すると俺たちに次々と沢山の注文が入る状態になるわけだ。
あとは簡単。ブーストが終わるまでの30分間で
配達できた件数で互いに競うってわけだ。面白そうだろ。」
「男の子ってこういうゲームみたいなの、好きよね…。」
『戦とは、いつの時代も男のロマン―
我もそんなロマンに魅了された男の1人だ。
まよい、"スマホ"を我に貸せ。』
――――――――――――――――
― 渋谷・センター街 ―
ざわざわざわざわ (通行人たちの騒がしい声)
「どうしたどうした?何事?」
「いや、なんか配達員同士が対決するんだって?」
「なにそれ!めっちゃ面白そうじゃん!見たい見たい!
「あの緑の服を着た女の子とあっちの赤い服の男だって」
「どっちを応援するか迷っちゃうなあ。」
ルイは、すぅっと深呼吸をして、低く呟いた―
「……準備はいいな?」
スマホを掲げ、指先を画面にかざす。
「ちょ、ちょっと待って!もう始めるの!?」
まよいが慌てて声を上げるが、二人の視線は火花を散らすようにぶつかり合っていた。
「……いくぞ。」
『……来い。』
二人の指が同時に画面をタップした。
ピコンッ! (システム音)
――《配達ブースト開始》
画面には次々と新規注文が流れ込み、まよいのスマホが振動を続ける。
「……うわっ、ほんとにどんどん注文が入ってる!」
―その瞬間、ルイが一歩踏み出した。
「遅い奴は置いていく。俺は一件ずつ、最速で届けるだけだ!」
言い終えるや否や、風のように駆け出すルイ。通行人の間をすり抜け、あっという間に視界から消えてしまった。
「な、なんて足の速さ……!もう最初の配達に行っちゃったよ!」
対して、ナポレオンは、一歩も動かない。
人混みの中で堂々と立ち止まり、腕を組み、注文一覧を睨みつけていた。
『……ふむ。』
まよいが困惑気味に見上げる。
「ね、ねぇナポレオン?
ルイは、もう走って行っちゃったけど、いいの?」
ナポレオンは静かに頷き、口元に微笑を浮かべる。
『……高地だ。まず高地を抑えよ。話はそれからだ。』
ナポレオンは、付近で1番高いビルを見つけ走りだした―
ドンッドンッドンッ、(激しく階段を登る音)
「ちょっと待って!いきなりどこ行くの!置いてかないで!
でも、前も、、こんなことあったような気が…!」
――次に続く。